第五章 夏の盤上
七月、期末試験が終わり、夏休みが始まった。
「夏休み中も、将棋指そうよ」
陽菜の提案で、週に二回、部室に集まることになった。
ある日、部室で四人将棋をしていると、神吉先生が顔を出した。
「おや、頑張ってるね。実は、近くの公民館で将棋大会があるんだけど、出てみない?」
「え! 大会?」
四人が顔を見合わせた。
「初心者向けのアマチュア大会だよ。結果よりも、交流が目的なんだ」
「どうする?」
私が聞くと、陽菜がにっこり笑った。
「面白そうじゃん! 出てみようよ」
大会当日。公民館には、小学生からお年寄りまで、たくさんの人が集まっていた。
「緊張する……」
さくらが呟いた。
「大丈夫、楽しもう!」
会場の入り口には、『加古川将棋文化推進大会』という横断幕が掲げられていた。受付の人が教えてくれた。
「加古川は将棋のまちとして、こういう大会を定期的に開いているんですよ。プロ棋士も何人も輩出しているし、将棋を楽しむ文化が根付いているんです」
四人はそれぞれ別の組に分かれて、対局が始まった。
私の相手は、小学生の男の子だった。
「よろしくお願いします」
礼をして駒を並べる。男の子は慣れた手つきで、どんどん駒を進めてくる。
(速い……!)
あっという間に攻められて、気づけば王将が詰まされていた。
「ありがとうございました」
負けたけど、不思議と悔しくない。むしろ、小学生なのにすごいなあ、と感心した。
陽菜はお年寄りの男性と対局。優しく指導してもらいながら、将棋の楽しさを改めて感じた。
理沙は同年代の女の子と対局して、将棋の話で盛り上がった。
さくらは主婦の方と対局して、終局後におすすめの戦法を教えてもらった。
みんな一勝もできなかったけど、大会が終わった後の笑顔は、いつも以上に輝いていた。
「楽しかったね」
「うん、いろんな人と指せて面白かった」
「もっと上手くなりたいって思った」
「でも、勝つためじゃなくて、もっと将棋を楽しみたいからね」
私の言葉に、みんなが頷いた。
夏休みも後半に入ったころ、私たちは四人でユニバーサル・スタジオ・ジャパン
へ遊びに行った。
朝からみんなテンションは高く、
絶叫系で叫び、大人気ゲームキャラクターのエリアでかわいい緑の生き物型の
乗り物に乗り、写真を撮り、美味しい料理を食べて、かぶりものをかぶって笑う。
絶叫系では陽菜とさくらが大声を上げていたけれど、
理沙は隣で静かに座り、景色を目で追っていた。
大はしゃぎ、という感じではない。
けれど、降りたあとにふっと緩む表情や、
写真を撮るときに少しだけ近づいてくる距離が、とても楽しそうだった。
「将棋部感、ゼロやな」
陽菜がそう突っ込んで、みんなで笑った。
陽が傾くころ、最寄り駅へ向かう途中で、陽菜がふと思い出したように言う。
「なあ、高槻寄らへん?」
「高槻?」
さくらが呟く。
「関西将棋会館、あるやん」
その一言で、空気が少し変わった。
電車を乗り継いで辿り着いた関西将棋会館は、想像していたより静かだった。
建物に入った瞬間、背筋が伸びる。
駒の音。
盤を見つめる視線。
空気そのものが、張りつめている。
「……なんか、すごいとこだね」
さくらが小声で言う。
掲示板には、対局予定や名前が並び、
通り過ぎる人たちの雰囲気も、どこか違った。
「経験者とか、アマ強豪も来る場所やもんな」
陽菜が少しだけ声を落とす。
「……わたくしたち、今日は見るだけにしておきましょう」
理沙の言葉に、誰も反対しなかった。
夕方ということもあり、対局室は落ち着いていた。
盤の前に座る勇気は、まだない。
私たちは少し離れたところから、静かに眺める。
一手一手が重い。
迷いがない。
楽しそう、というより――真剣だ。
「将棋って、ほんまに幅広いんやな」
陽菜がぽつりと言った。
「うん。私たちのは……」
「まだ、入口ですわね」
理沙が、穏やかに続ける。
帰り道、夕焼けの中でUSJの袋をぶら下げながら、私は思った。
今日は遊んだ。
思いきり、楽しかった。
でも、あの盤の前に座る日は――
まだ、少し先でいい。
その“先”が、いつか来ることだけは、
なぜかはっきりと分かっていた。




