協力
その日の夕食後。
クローディアは、約束通り、再びイヴァンの執務室を訪れていた。
前回同様、来客用の背の低い椅子に座り、クローディアとイヴァンは向かい合った。
「昼間は、しっかりとオリガの相手をしていただいたようですね。エレーナからも、何やら談話室内が盛り上がっていたようだ、と報告を受けています。ありがとうございました」
「いえ。お恥ずかしい限りですわ。姦しく騒ぎ合っていただけなので」
切り出したイヴァンに、クローディアは苦笑する。
「そんな機会がオリガにも必要だったのだと思います。随分と上機嫌で帰って行きました」
「それはなによりですわ」
クローディアも嬉しそうに頷いた。
「そう言えば、私の顔を見て、なにやらオリガが顔を赤くしていたのですが。何かありましたか?」
「い、いえ。なんでしょう。全然分からないですわ」
「そうですか」
アビゲイルのアレのせいだとすぐに分かったが、説明が恥ずかしいので、クローディアは白々しくはぐらかした。
「それで――昼食の時に言っていた、大事な話、というのは?」
改めて要件を切り出したイヴァンに、クローディアは姿勢を正した。
「一つは、帰国に向けた希望が見つかったという報告ですわ。そして、もう一つは、それに関連したお願いですわ」
「お聞きしましょう」
そう話を始めたクローディアに、イヴァンは先を促した。
「希望というのは――生贄の神託が、虚偽である可能性がある、というものです」
「……ほう。続けて下さい」
促され、クローディアは言葉を続けた。
「マノン王国のニコラ――ニコラウス王太子と手紙のやりとりをしました。……そう言えば、手紙の検閲を省略いただいたこと、お礼を言わなければと思っていたのですわ」
「いえ。大した事ではありません」
思い出してそう言葉を挟んだクローディアに、イヴァンは軽く手を振った。
「それから、ニコラの手紙には、わたくし達を個人的な賓客として扱ってくれた事について、イヴァン様にお礼を伝えて欲しいと。いつかお会いしてお礼を伝えたいとも書いてありましたわ」
「確かにお伝えいただきました。私も、いつかお会いしたいと思っています」
クローディアは、話を戻した。
「話が脱線してしまいましたわね。そのニコラの手紙に、生贄の神託が、神官長コンスタンティンの虚偽である可能性が書かれていました」
「神託が虚偽である、と?」
イヴァンの確認に、クローディアは頷いた。
「動機もありますわ。コンスタンティンは、マノン王国家とデピス上爵家の婚姻による関係強化を阻止することで、相対的に神殿勢力の強化を狙っているのですわ。これも、可能性、という話ですが」
「可能性、つまり――」
クローディアとイヴァンは声をそろえた。
『証拠はない』
「――のですわ」
なるほど、とイヴァンは頷いた。
「それが、あなた達の希望ですか」
「そうですわ」
イヴァンは、顎に手を当てて考え込み、そして一つ頷くと口を開いた。
「実を言うと、近しい情報を、私の方でも確認しています」
「えっ?」
イヴァンの言葉に、クローディアは驚いて声を上げた。
「アレクセイを通じて私的な人員を使い、諜報活動を行いました。その結果、神託が虚偽の可能性、そして、神官長コンスタンティンに動機が存在する可能性をつかんでいます」
「可能性――」
繰り返したクローディアの言葉に、イヴァンは頷いた。
「そう、可能性です。こちらでも、証拠をつかむには至っていません。そして、この証拠をつかむことは、非常に難しいと評価しています」
クローディアは重く頷いた。
「それにしても、ニコラウス殿下は本当に優秀な方のようですね。私的とは言え一国の国王が動かす諜報の成果と同じ情報を、この短期間で得られているのですから。ますますお会いしたくなりました」
「ニコラ――」
イヴァンに褒められたニコラウスが、どれほどの苦労をしてくれたのかを想像して、クローディアは胸が熱くなった。
「話を戻しますわね。もしその証拠をつかめれば、わたくし達は帰国できるということになりますわよね?」
クローディアは、右手の指を二本立ててみせた。
「わたくし達が帰国できない理由は二つありますわ。ストロガノフ王国による帰国禁止と、マノン王国の神託による出国命令」
クローディアはさらに続けた。
「本当に神託が虚偽であるなら、この二つの理由は立脚点を失い、帰国が許可されるはずです」
「そうですね。神託が虚偽であるなら、クローディア達を我が国に留めておく必要はなくなります。マノン王国側の事情も同様でしょう」
イヴァンも同意した。
「しかし、問題は依然としてそこにあります」
再び、イヴァンとクローディアは声をそろえた。
『どうやって証拠をつかむのか』
その難題に、クローディアは答えを用意してあった。
「そこで、ベラの時魔法です」
その答えに、イヴァンは改めてクローディアの顔を見た。
「時魔法を使って、神託の瞬間――過去の様子を投影できます。条件は、その場に神官長がいること」
イヴァンは考えを巡らせた。
「そうですか。ベラができると言うのなら、可能なのでしょうね。それなら確かに証拠になります。時魔法は強力な切り札ですね。しかし、気付いていますか? その論理は――」
イヴァンは、どうやらクローディア達が至った結論に思い至ったようだ。
「証拠をつかむために、神官長と会う必要があり、そのためには帰国する必要がある。しかし帰国のためには証拠が必要である、というループに陥っています」
「その通りなのですわ」
クローディアは、困ったように頷いた。
「そこで――」
クローディアの視線は、冷静に次の一手を見据えていた。
「もう一つの話題、『お願い』に移るのですわ」
クローディアは、次の話題を切り出した。
「今の論理のループの一部を、信用貸しして欲しいのですわ」
イヴァンは目を瞬かせた。
「信用貸し、ですか」
クローディアは、人差し指を立ててみせた。
「証拠のない段階で、帰国を許可して下さいませ。そうすれば、必ずわたくし達は神官長に会い、証拠をつかんで来ますわ」
「……なるほど。そう来ましたか」
イヴァンは、唸った。
確かにそれなら、いや――。
「待って下さい。帰国には、ストロガノフ王国だけでなくマノン王国側の許可も必要ですよね。それはどうするんですか?」
クローディアは苦笑した。
「それなのですが、不法入国してしまおうかと」
「なっ――」
イヴァンは絶句した。
「悪役令嬢らしくて、良いですわよね」
そんな風に付け加えるクローディアに、イヴァンは額に手を当てる。
「つまり、ストロガノフ王国の協力だけは取り付けて、あとは力押ししようと言うのですね。不法入国して、神殿なり王宮なりに侵入して、必ず証拠を押さえる、と」
「その通りですわ」
クローディアの悪びれない肯定に、イヴァンはため息をつきたくなった。
「とても許可できません」
イヴァンは、心の底からそう言った。
それくらい、クローディアの案は無謀すぎた。
「もし証拠が出なかったら――神託が虚偽ではなかったらどうするんですか」
イヴァンの言葉に、クローディアはしれっと答えた。
「わたくし、現状、手持ちの手札がほとんどありませんの。失敗したら、この身をいかようにも処分していただく他ありませんわ」
でも、とクローディアは続けた。
「マノン王国については、既に、生贄にするため他国追放の処分を受けているようなもの。死刑のないマノン王国ではこれ以上の刑罰はありませんわ」
「それは、そうかも知れませんが――」
さらにクローディアは続ける。
「ストロガノフ王国については、わたくしどうすることもできません。ご要望とあらば、イヴァン様のお妾にもなりますし、頭からバリバリ食べていただいても構いませんわ」
「――」
「どちらにせよ、神託が虚偽ではないのなら、完全に打つ手がなくなってしまいます。証拠がつかめないのなら――ニコラのもとに帰れないのなら――死刑になるのも、美味しくいただかれるのも、一緒のようなものですわ」
イヴァンは、冷静になれと自分に言い聞かせた。どうも先程からクローディアのペースに押されっぱなしで、このままだと勢いだけで頷かされかねない。
「では、我が国の立場はどうなるのです? 証拠がないまま出国許可を信用貸しして、証拠はありませんでした、不法入国させましたでは、マノン王国に合わせる顔がありません」
「それが困りどころですわ。わたくしと一蓮托生と、イヴァン国王陛下に腹をくくってもらえれば、それが一番なのですが」
そして、クローディアは、すいっとイヴァンに近付いた。
「わたくし、この身一つしか持っていませんのに、何を差し上げたら、イヴァン様を頷かせることができるのでしょうか……?」
イヴァンは、クローディアの言動に、頭が真っ白になりそうだった。何をもらえば、クローディアの言う事を聞いてあげられるのだろうか。
いや。
勢いに負ける訳にはいかない。自分を律しなければ。
そこで、クローディアがふふっと笑った。
「いけませんわね。どうも昼間の女子会の悪ノリが残ってしまっているようですわ。でも、おかしな事を言ったおかげで、思考がリセットされたようですわ。良いことを思いつきましたわ」
それからクローディアは、再度、右手の指を二本立ててみせた。
「一番目のイヴァン様に腹をくくってもらう、は無理そうなので。二番目の案を提案させていただきますわ」
「二番目の案、ですか?」
イヴァンが先を促した。
「わたくしはストロガノフ王国で待っておりますので、アビーとベラを帰国させて下さいませ」
「は――?」
それは――盲点だった。
いつも三人で行動する彼女達は、いつも三人一組で、一人も欠けてはいけないと思い込んでいた。
しかし、生贄と言われていない、勝手についてきただけの二人を帰国させるのならば――。
「それは、確かに、何の問題もない、ですね」
噛み締めるように答えたイヴァンに、クローディアは笑顔を返した。
「ですわよね! でも、そうすると、せっかくイヴァン様にお願いした信用貸しも、不要になってしまいますわね……」
確かに、信用貸しなどしなくても、もともと帰国を禁じられてもいない二人を、ただ帰国させるだけである。
「そうですね――」
「では、その代わりに。風魔法の馬車を貸していただけませんこと? アビーとベラの二人では、マノン王国まで辿り着けませんから」
イヴァンは、頭に浮かぶ疑問符を無視しながら――何かだまされているような気がするものの――答えた。
「もちろん、マノン王国までお送りします。アビゲイルとベラも、クローディアと変わらず賓客として扱うと言いましたから」
「では、後ほど、王宮か神殿かを指定させていただきますわね」
そこで、やられた、とイヴァンは気付いた。
もともとクローディアの提案であった信用貸しの代わりに、神官長急襲のための移動手段を約束させられたのだ。
「クローディア――」
「申し訳ありません。わたくしが今できることは、これくらいしかないのですわ」
素直に頭を下げられ、イヴァンは言葉を失った。男に二言はない、という言葉が脳裏をよぎった。
「では、こちらからも条件を出させて下さい」
頭を必死に回転させ、イヴァンは言った。
「生贄の道行きに勝手に付いてきたお二人ですが、ストロガノフ王国が不法行為に手を貸すように送り届ける訳にはいきません。そこで、指定の場所で、私からニコラウス殿下にお引渡しをします。その後、どんな行動を取ろうと、我が国は関与しません。それでどうです?」
「承知しました。その条件で構いませんわ」
イヴァンとしては自国を守るための条件だが、クローディアにとってはニコラウスと合流するまでを保証してくれるという意味にも取れた。破格の条件であった。
「ありがとうございます。イヴァン様」
頭を下げるクローディアに。
「さすがはマノン王国次期国王の婚約者です。あなどれませんね。嫌な汗をかきました」
イヴァンはそう言うのだった。
「オリガとは違うやりにくさを感じました。返上したとお聞きしましたが、悪役令嬢は伊達ではないということですね」
「お恥ずかしい限りです」
イヴァンの感想に、クローディアは頭を下げた。
「マノン王国内の後ろ盾もなく、ニコラの婚約者でいられるかも定かではない状況なので。本当に持っているものはこの身一つ、口先でイヴァン様に甘えてみせるくらいしかできないのですわ」
イヴァンへの甘え、と言うのはまさにその通りだった。
口約束だ、条件だ、と言葉をろうしているが、イヴァンが絶対にダメだと言えば、それに従う他にないのである。
「帰国したその時には、必ず何かお礼を」
クローディアの言葉に、イヴァンは手を振った。
「お礼だなんて。私は――いや、そうですね。それでは一つお願いします」
途中で何か思いついたらしいイヴァンに、クローディアは首を傾げた。
「ぜひ、今回の件とは別に、私的にニコラウス殿下にお取次ぎ下さい。先程の情報収集の話と、クローディアのような方を婚約者にしていることで、俄然興味が湧いてきました」
「――わたくしのような?」
言葉尻をとらえたクローディアの言葉に、イヴァンは失言に気付く。
「失礼。他意はないのです」
慌てるイヴァンに、クローディアはくすくすと笑ってみせた。
「今回は大目に見てさしあげますわ。でも、わたくしがお礼をしたいのに、ニコラへの紹介がそれというのは、どうも腑に落ちませんわ」
「そういうものですか?」
クローディアは、ふむ、と思案した。
しかし、ピンと来るものがすぐには思い浮かばなかった。
「わたくしにできるお礼、わたくしにしかできないお礼を、イヴァン様も考えて下さい」
「クローディアにしかできないお礼、ですか」
イヴァンも思案するが、彼にもすぐ思い浮かぶものはなかった。
何か個人的なものになるのだろうが、ニコラウスへの紹介のように、人脈に関すること以外には、なかなか浮かばないのだった。
「考えておきます、ということで良いでしょうか?」
「はい。何でも遠慮せずに言って下さいませ。わたくしも、考えておきますわ」
イヴァンの答えに、クローディアも頷いた。
「アビゲイルとベラの出立はいつ頃にしますか?」
改めて、イヴァンはそう尋ねた。
「ニコラへと手紙をやりとりして、適当な日時と場所を調整いたしますわ。可能であれば、コンスタンティンとマノン国王陛下が同席する機会を狙いたいと思いますわ。証拠をつかむと同時に、陛下に確認していただけるように」
クローディアの言葉に、イヴァンは頷いた。
「それが良いでしょう。では、ニコラウス殿下との調整はお任せします」
「もちろんですわ」
クローディアは力強く頷いた。
「ベラの時魔法で証拠をつかみ、マノン国王陛下から神託無効の宣言と帰国の許可が出れば、晴れてクローディアは帰国できる、という手順ですね」
「それが、わたくしが用意できる唯一の道ですわ」
イヴァンの確認に、クローディアはそう返した。
「分かりました。私も、クローディアの帰国に向けて協力しましょう」
力強く言い切ったイヴァンに、クローディアは頭を下げた。
「ありがとうございます。――これで帰国できなければ、せっかく一年の反省を経て悪役令嬢を返上した意味もなくなってしまいますわ。なんとしても、ニコラのもとへ帰るのですわ」
クローディアは決意も新たに、そう宣言した。
クローディアの言葉に、イヴァンは一つ思いついたことがあった。
「例のお礼とは別に、一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ。何でしょうか?」
クローディアは、すぐに肯定を返した。
「クローディアが隠している、ある秘密を共有していただきたいのです」
イヴァンのその言葉に、クローディアは目を瞬かせた。
「秘密、ですか?」
クローディアの確認に、イヴァンは言った。
「クローディアが悪役令嬢の行いを改めたことは、例の婚約破棄騒動と、そしてベラの時魔法と、関係がありますね?」




