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悪役令嬢の初恋  作者: 秋乃 透歌
第一章『魔王』

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婚約者

「誰がクローディアなの!?」


 突如、談話室に飛び込んできたイヴァンの婚約者オリガは、そう声を張り上げた。

 美しいビビッドレッドの髪と紅色のドレスが、その勢いに、ばさりとなびいた。


「オリガ――」


 イヴァンは、オリガをいさめようと口を開いた。

 彼には、彼女がこんな勢いで飛び込んできた理由が想像できた。それは誤解というもので――。

 しかし、ほぼ同時にクローディアが腰掛けていた椅子から立ち上がり、オリガの方へ進み出ていた。


「わたくしがクローディア=デピスですわ。ごきげんよう」


 軽くお辞儀(カーテシー)をするクローディアに、オリガは腕を組んだ。

 クローディアを上から下まで睨みつけて、オリガは荒々しく息をついた。


「ふん。確かに、容姿はまあまあね。――でも、しっかりと覚えておきなさい! イヴァンの婚約者は、昔っからこのオリガ=ゼフィールと決まっているのよ!」


 そう叩きつけるように言うと、オリガは唐突に、クローディアに向けて右手をかざした。

 オリガの意識の集中に呼応して、彼女の手のひらに魔力が引き出される。


「――闇よ。深淵より来たりし暗黒よ」


 魔法の詠唱。それも、希少とされる闇魔法を発動させるためのものだ。

 オリガの手に集まっていた黒色の魔法が、クローディアの足元に向かって放たれた。


「っ――!?」


 息をのむ声は誰のものだっただろうか。

 闇魔法がクローディアの足元に着弾すると同時に、彼女の周囲が、光を一切通さない闇に囲われた。漆黒で区切られた領域の内側が、完全な闇に飲み込まれる。

 クローディアは、その一瞬で、視覚を奪われてしまったのだ。

 生き物が根源的に恐れる暗闇が、クローディアの意識に襲いかかったと言える。


「さあ、光が一切ない完全な闇に恐怖しなさい! ちゃんと負けを認めるなら、許してあげないこともないわ」


 余裕の表情で、オリガが言った。


『クローディア様!』


 アビゲイルとベラが、同時にクローディアの名を呼び、遅まきながら立ち上がった。

 アビゲイルが風魔法の矢をオリガに放とうと息を吸い――。

 ベラが時魔法でオリガの魔法の発動を巻き戻そうと集中をはじめ――。

 しかし、彼女達が行動を起こす前に。


「――氷よ」


 闇の中から、クローディアの言葉が聞こえた。

 冷静な、いや聞き方によっては好戦的に歓喜しているような、そんな声色で。

 それは、氷魔法を発動させる、短い詠唱。

 紡がれた言葉が、冷気を凝縮させ――。


「きゃっ!」


 次の瞬間、飛来した氷のつぶてが、上げたままだったオリガの右手を打ち据えた。

 オリガはたまらず悲鳴を上げた。


「命中しましたわね? 視界を奪ったことに安心して、その場から移動もしていないなんて。魔法戦闘の経験は浅いようですわね?」


 闇の中から、クローディアの声が響く。

 その声は、やはり突如始まった魔法戦闘を楽しむような色をしていた。


「それとも、反撃などされないと、慢心していらっしゃったのかしら?」


 クローディアの姿は暗黒の中で見えない。

 にも関わらず、その言葉だけで気圧され、オリガは一歩下がってしまった。


「ちょっと周りを暗くした程度で、このわたくしをどうこうできると思ったら、大間違いでしてよ。おーほっほっほ!」


 クローディアの高笑いが響いた。

 途中で、ばさりと扇を広げる音も聞こえた。誰も見えない暗闇の中であるのに、高らかに笑っている姿が確かに見えるようだった。


「ほっ――」


 アビゲイルが息をついた。

 良かった、いつものクローディアだ。闇の魔法の中でも無事らしい。


「クローディア様、見えないことを良いことに、悪役令嬢に戻っちゃってます」


 ベラも、一安心と分かると、ツッコミを入れた。


「――闇よ。その安寧に光明を」


 部屋に響いた魔法詠唱はイヴァンのものだった。

 驚くことに、オリガだけでなく、彼も闇魔法使いだったのだ。

 重く留まっていたクローディアを囲む闇が、イヴァンの魔法により吹き散らされた。


「ありがとうございます。イヴァン様も闇魔法使いだったのですね」


 涼しげな表情で闇の中から戻ったクローディアは、イヴァンに向けて礼を言った。

 そんなクローディアを、痛みに右手を抑えたオリガがにらみつける。


「オリガ、誤解があるようだから、落ち着いて聞いて欲しい。クローディアは――風?」


 イヴァンの言葉は、しかし中断されてしまう。

 室内のはずなのに、不自然に吹き始めた風のために。


「アビー?」


 連想が働き、クローディアはアビゲイルを振り返った。

 アビゲイルはうつむき、わなわなと震えていた。吹き始めた風が、彼女のアッシュブロンドの髪を巻き上げる。


「……突然現れて言いたい放題……容姿はまあまあ? ……魔法で不意打ち? ……ぶ――」


 ぶつぶつと、アビゲイルは呟いている。


「いけません! アビゲイル様!」


 一瞬後を予期して、ベラが叫んだ。

 瞬間――。


「無礼にもほどがありますわぁ!」


 アビゲイルが怒りの叫びを上げた。

 それに呼応するように、彼女を中心に暴風が吹き荒れた。風魔法の暴走だった。

 クローディアにベラ、イヴァンだけでなく、オリガも、壁際まで吹き飛ばされた。それぞれの悲鳴は、風音にかき消されてしまう。


「アビー! タリスマンを!」


 何とか体勢を立て直し、クローディアが叫んだ。

 アビゲイルは風魔法を暴走させやすい体質のため、母親に魔法制御を補助するタリスマンを持たされているのだ。

 クローディアの声に、アビゲイルはタリスマンを取り出し、握りしめた。

 しかし、暴風は一向に収まる気配がない。


「クローディア様っ。止まりませんわぁ」


 アビゲイルは、泣きそうになりながら、タリスマンを握りしめている。


「クローディア! ここは私が」


 イヴァンの声が、暴風を通してクローディアに届いた。


「イヴァン様!」


 クローディアの返事を受けて、イヴァンは集中した。


「闇よ。――夢に誘う夜の帷を」


 イヴァンが暴風の中心に向けた手のひらから、漆黒の魔法が放たれて、アビゲイルの顔を覆った。

 何拍かの後――。

 ふっと糸が切れたように、アビゲイルが倒れた。と同時に、吹き荒れていた風が嘘のように消えた。


「アビー!」


 クローディアとベラが、アビゲイルへと駆け寄る。


「大丈夫、眠っているだけです」


 イヴァンのその言葉に、クローディアは強めにアビゲイルの肩をゆすった。


「アビー! アビー!」

「クローディア様ぁ。わたくし、まだまだ食べられますわぁ……」


 何やらむにゃむにゃと寝言を言うアビゲイルに、とりあえずクローディアは安堵した。

 もう食べられません、ではなく、まだまだ食べられます、という辺りがアビゲイルらしかった。


「アビゲイル様っ!」


 ぺちんと音をたてて、ベラがアビゲイルの頬を叩いた。


「んっ。ベラ、わたくしのスイーツ食べ放題は……?」


 どうやら、まだまだ食べられるのはスイーツだったようだ。

 ようやく意識を覚醒させたアビゲイルは、クローディアとベラに支えられながら、立ち上がった。

 荒れ果てた室内を見て、直前の状況を思い出したのか、アビゲイルは顔を青くした。


「わたくし、また魔法の暴走を……。大変申し訳ありませんでした」


 頭を下げられたイヴァンは、気にしないようにと謝罪を受け入れた。


「すぐに部屋を片付けさせましょう。それにしても、アビゲイルは、うらやましいほどの量の魔力を持っているのですね」


 アビゲイルは恐縮しきりで、頭を下げたままだった。


「褒めいただく事ではありません。持ちきれずあふれさせていては周囲にご迷惑をかけるばかりで……」


 イヴァンは、アビゲイルに歩み寄り、顔をのぞきこんだ。


「どうかそれ以上、謝らないで下さい。その気持ちは、私にも良く分かります。私も小さい頃、よく辺りを真っ暗にさせて、皆に迷惑をかけていました」


 アビゲイルは、ようやく顔を上げた。


「イヴァン様……」


 アビゲイルに、イヴァンは頷いて見せた。


「それに、元はと言えば、アビゲイルを怒らせる原因を作った者が悪いのです」


 そう言ってイヴァンは、暴風に吹き飛ばされて座り込んだままのオリガに向き直った。


「オリガ。クローディア達は――おそらくオリガが聞き及んだように、生贄という名目で、マノン王国から来た者達です。ですが、オリガが心配するように、クローディアを妻にとろうとか、婚約者に据えようなどとは考えてはいません。私的な友人として、帰国の目処が立つまでの間、ここにいてもらうだけです。良いですね?」


 むくれていたオリガも、こうして事情を説明されれば、頷かない訳にはいかなかった。


「……分かったわよ」


 そう言って、オリガは立ち上がり、クローディアをはじめとする三人に頭を下げた。


「ごめんなさい。私、イヴァンに新しい婚約者が来たと思い込んで、いてもたってもいられなくなってしまって。――失礼な言動、本当にごめんなさい!」

「私からも謝罪させて下さい」


 イヴァンはそう口添えして、オリガと一緒に頭を下げた。

 正直に謝られて、クローディア達は互いに顔を見合わせた。

 オリガの最初の印象はともかく、動機はとても可愛らしいものであるし、クローディアなどはその気持ちも良く分かった。

 アビゲイルとベラの表情から、お任せします、という意図を読み取り、クローディアは頷いた。


「オリガ様。イヴァン様。その謝罪、確かに受けましたわ。どうぞ気にせず、これからは仲良くして下さいませ」


 クローディアが微笑むと、オリガも恥ずかしそうにしながらも笑顔を見せた。


「ベラ。オリガ様の右手を、あなたの魔法で治療できまして?」

「もちろんです。オリガ様、失礼しますね」


 クローディアの指示に、ベラはオリガの手をとると、時魔法の詠唱をした。

 時間を巻き戻し、クローディアの氷魔法による怪我をする前の状態にしたのだ。


「あ、ありがとう。でも、治癒魔法だなんて、一体……?」


 オリガは、みるみると腫れが引いていく――時間が巻き戻されていく――自分の右手に驚いた。

 怪我や病気を治す魔法としては光魔法が知られているが、ベラの魔法は強い発光を伴わない。オリガには、未知の魔法そのものだっただろう。


「本当は秘密なんですけど、時魔法なんです。でも、『とても希少です!』なんて騒ぎ出さないで下さいね」


 いたずらっぽくベラはそう言った。

 同性同年代の相手で、クローディアの指示ということもあり、ベラの人見知りは発揮されずに済んでいるようだ。


「えっと、あなたは――?」


 治療してもらっている相手の名前も知らないことに気付いて、オリガはそう尋ねた。


「私はベラ=クベルドン。クローディア様のストロガノフ王国行きに、勝手に付いてきた下爵令嬢です」

「同じく、アビゲイル=ベグネ中爵令嬢ですわぁ。先程はお騒がせしましたわぁ」


 ベラが名乗ったので、アビゲイルも便乗して自己紹介した。


「これでバッチリです。痛みは残っていませんか?」

「ええ、大丈夫。ありがとう、ベラ」


 オリガの言葉に、ベラは笑って見せた。


「これは驚きましたね」


 そこで、騒ぎにかけつけたアレクセイは、談話室に入り、状況を確認するなりそう言った。

 言葉とは裏腹に表情は冷静そのものだったが。


「まあ、どうしましょう! 皆様、お怪我はありませんか?」


 ほんの少しの時間差で扉を開けたエレーナは、こちらは本当に驚いて声を上げた。


「ええ、オリガが少し。でも、治療は終わっています」


 イヴァンが落ち着いて応えた。


「オリガ様、いつの間にいらしてたんですか?」

「そんなことより、いつまでも皆様をこんなところに立たせている訳にはいきません! まあまあ、こんなに髪型も乱れて……」


 まったく動揺せずに尋ねるアレクセイを押しのけて、エレーナが言った。


「お風呂! お風呂の準備をいたしますから!」



 ◆ ◆ ◆



 イヴァンの執務室に、ノックの音が響いた。


「イヴァン様。クローディア様がいらっしゃいました」


 外からかけられたアレクセイの声に、イヴァンは書き物をしていた手を止めた。


「入ってもらって下さい」

「クローディア様、どうぞ――」


 イヴァンの応えに、アレクセイは扉を開けた。その案内に、控えめにクローディアが入って来た。

 エレーナに風呂場送りにされた彼女は、入浴後にもかかわらず、別のドレスをしっかり着付けて出直してきたようだ。複雑に編み込んでいたブロンドの髪だけは、今は、真っ直ぐに流されていたが。


「夜分遅くに失礼いたしますわ。イヴァン様は、こんな時間までお仕事ですの?」

「いえ、大事な仕事は夜にはしないことにしているんです。今は、ちょっとした復習というか、自分のための勉強です」


 そう応えながらクローディアを迎え、イヴァンは執務机を離れて立ち上がった。

 ふと、イヴァンは自分の身長がクローディアより若干低いことに気づき――浮かびかけた得体のしれない気持ちを押し込めた。


「改めて、先程はアビゲイルが大変お騒がせいたしました」


 クローディアは、再度、謝罪の言葉を口にした。


「それを言うなら、オリガがご迷惑をかけたことを再度謝らないと。きりがないので、お互い、謝罪の繰り返しは止めましょう」

「ええ。その通りですわね」


 イヴァンの言葉に、クローディアは笑顔で同意した。


「少し話しますか? どうぞ座って下さい」


 イヴァンは、言いながら背の低い来客用の椅子を示した。


「おやすみの挨拶をと参りましたが、それではお言葉に甘えて少しだけ」


 クローディアは、姿勢よく浅く腰掛けた。

 ローテーブルを挟んで座ったイヴァンも、いつもより背筋を伸ばすよう心がけた。


「生贄としてストロガノフ王国に送られると決まり、本当は不安で仕方がなかったのです」


 クローディアはそう切り出した。


「無理もないでしょう。魔王国の魔王への生贄です。頭からバリバリ食べられてしまうか、オリガが思い込んだように妻か妾にでもされるのではないか、考え出せば心配は尽きないでしょう」


 イヴァンの言葉に、クローディアは口元に手をあてて笑い声を隠した。


「ふふ。さすがに、頭からバリバリとは想像もしませんでしたが」


 イヴァンは、その反応に、まぶしいものでも見たかのように目を細めた。


「ですが、大変あたたかく迎えていただき、本当に感謝していますわ。生贄など不要とのことであれば、そのまま放り出されても仕方のない状況でしたのに」

「いや、さすがにそれは……」


 応えながらも、可能性としては十分ありえるとイヴァンは認識していた。生贄を受け取ったことにして三人を奴隷商に売ってしまうことも、もっと様々な悪い状況も、彼女達にはあり得た話であった。


「そうですわ。ですからイヴァン様には最大限の感謝を」


 イヴァンのちょっとした表情の動きを読んだのか、クローディアはそう言って、再度頭を下げた。


「イヴァン様だけでなく、アレクセイさんにエレーナさんも。とてもあたたかい人達で、つらいはずの滞在が楽しみになるほどですわ」

「気に入っていただけたのなら――」


 気に入ったのなら、何だというのだろう。イヴァンは自分自身に疑問を感じて言葉を切った。


「いえ。気に入っていただけて何よりです」

「はい」


 クローディアは、笑顔で応えた。


「それから、オリガ様。彼女とは、ぜひもっとお話して、仲良くなりたいのですわ」


 クローディアの言葉に、イヴァンは意外に思った。


「それは嬉しい事ですが、第一印象は最悪でしょう。なぜ、そう言っていただけるのですか?」

「イヴァン国王陛下の婚約者ということは、マノン国王太子の婚約者であるわたくしの先輩とも呼べる方です。ぜひ色々と情報交換をさせていただかないとですわ」


 そして、クローディアは言葉を続けた。


「自分の感情のままに行動してしまうにしても、イヴァン様を思ってのことでしょう? それはとても共感できます。意外だったのは、そんな自分の行動を悔いてちゃんと謝罪ができたこと。とっても魅力的な方だと感じましたわ」


 なるほどそんなものか、とイヴァンは納得した。


「ありがとうございます。オリガも交えたお茶の席などを、早いうちに設けさせましょう」

「それは素敵ですわ!」


 イヴァンの提案に、クローディアは顔の前で手を合わせて喜んだ。

 クローディアは、上品さを失わない程度に多彩な動作で感情を表す。そんな人物に人生で出会ったことがなかったため、イヴァンにとっての今日一日は、密度高く感じるものだった。


「ぜひお願いいたしますわ。できれば、イヴァン様も参加していただけるタイミングで」


 クローディアはそう言った。

 それから、彼女は、ほんの少し迷った後、改めて口を開いた。


「イヴァン様。この機会に、しっかりとお伝えしたいことがありますわ」

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