ローストビーフ
「それでは――わたくし達は、マノン王国へ帰れますの?」
喜色を隠しきれない、クローディアのその問いに。
「それは許可できません」
イヴァンは、首を横に振った。
「生贄が不要というのは、我が国の都合です。一方で、マノン王国としては生贄を送りたいのです。クローディアを帰国させれば、我が国の都合だけを押し付ける形になってしまいます」
「それは――」
イヴァンの整然とした説明に、クローディアは返す言葉を見つけられなかった。
「ただ、クローディアを生贄として扱えば――どんな扱いなのか想像もできませんが――マノン王国側の意思だけが通る形です」
イヴァンは続けた。
「そこで妥協案として、クローディア、あなた達を私の賓客として迎えます。私的な友人として。これならば双方、角が立たないはずです」
「――なるほど。理解できますわ」
両国の関係性を理由に出されれば、クローディアは頷く他なかった。
「それでも――」
それでも、とクローディアは口を開いた。
「わたくしは、マノン王国へ帰国したいのです。婚約者である王太子ニコラウスのもとへ帰りたいのですわ」
ストロガノフ王国でも、マノン王国でもない、クローディアの気持ちを知っていて欲しかったのだ。
「そうですか……。分かりました。なんとか帰国できる方法がないのか、私も模索してみましょう」
「ありがとうございます」
イヴァンの応えに、クローディアは笑顔とともに、そう返した。
「そろそろ良い時間ですね。夕食までに部屋を案内させましょう。私は一度、公務に戻ります。アレクセイ、エレーナ、頼みます」
こうして、クローディアを迎えるための、私的な謁見は終了したのだった。
◆ ◆ ◆
「ん~、とろけるようですわぁ!」
アビゲイルは、ローストビーフを一口食べると、感極まって声を上げた。
「牛肉の塊を蒸し焼きにしたシンプルな料理なのに、この多幸感はどうしてなんでしょう!」
夕食時、突如はじまったアビゲイル劇場――彼女は、おいしい料理やお気に入りのスイーツを食べると、我を忘れて語りだすお嬢様なのだった。
公務を終え、食事から合流したイヴァンは目を丸くした。こんな表情をすると、年相応の幼さを感じるので不思議だ。
「お肉にほんのり残る赤みが、食欲を刺激して、次の一枚がすぐに欲しくなるのですわぁ。まさに最上の焼き加減ですわぁ」
これに慣れっこなクローディアとベラは、静かに食事を続けている。と思いきや、身内が大興奮で喋る様子が恥ずかしいのか、二人ともほんのり頬を赤くしていた。
「そしてこのスライスの厚み! 厚すぎず、薄すぎず、十分すぎる満足感を与えながら、口の中でするりとほどける絶妙さ!」
アビゲイルの怒涛のレポートは続いた。
「さらに、かけられたグレイビーソースが、お肉だけではない複雑な味に仕上げていますわ。肉、玉ねぎ、スパイスを炒めて小麦粉と水とで煮込むだけなのに、スパイスの違いでしょうか? マノン王国のものよりも香り高い気がしますわぁ」
息もつかさず、彼女の言葉はさらに続く。
「香りといえば、添えられたマスタードはお肉の味を邪魔しない控えめな辛味ですし、クレソンも新鮮で口の中をリフレッシュしてくれます」
さすがのアビゲイルもご令嬢なので、握りこぶしで立ち上がったりはしなかったが、そんな魂を感じさせる語りっぷりだった。
普段のおっとりとした言葉の末尾はそのままなのに、勢いを感じさせるのはなぜだろう。
「ストロガノフ王国! マノン王国の食への探求に負けじとも劣らないと認識しましたわぁ。これは毎日が楽しみですわぁ!」
その言葉を最後に、ようやく落ち着いたのか、アビゲイルはふぅと息をついた。
「お口にあったようで何よりです」
壁際に控えたアレクセイが、全く驚いていない様子でそう言った。
「ふふふ。料理長にも、大好評だったと伝えておきますね」
一方のエレーナは、もう笑ってしまっていた。
「アビゲイルは、食事が好きなんですね。あなたの言葉を聞いていると、同じものを食べているはずなのに、お腹が空いてしまうような気がしました」
イヴァンも、表情を戻してそう言った。
「お褒めに預かり光栄ですわぁ」
「そこは、恥じらって下さい」
アビゲイルの全然気にしていない態度に、普段大人しいベラが思わずツッコミを返してしまい、笑いが起きた。
今度はベラが恥じらう番だった。
「アビーがお騒がせしましたが、彼女の言う通りですわ。本当に、どの料理も美味しかったですわ」
クローディアがそう言うと、ベラもこくこくと頷いて見せた。
「それは良かった。先程は賓客とお伝えしたが、あまり出歩けないのが実状でしょう。せめて日々の食事くらいは、楽しんで頂けるようにしましょう」
イヴァンの心遣いに、クローディアは頭を下げた。
それから、ふと思いついたというように。
「強いて言えば――」
と、クローディアが口を開いた。
「何か至らない点がありましたか?」
イヴァンの確認に、クローディアは笑顔を見せた。
「このテーブル、大きすぎじゃありませんこと? イヴァン様が遠すぎます。公的な食事会なら理解できますが、私的な友人と囲む食卓には適さないかと」
クローディアの言葉通り、十数人が同時に食事できる会食用のテーブルを、しかも縦長に使って両側にイヴァンとクローディア達が離れて座っていた。たしかに、気軽に食卓を囲むという意味では適していないとも言えた。
「そ、そうなのか?」
「これは一本とられましたね、イヴァン様」
思いつきもしなかったといった風にイヴァンに、アレクセイが言葉をかけた。
「次からは、別の部屋をご用意いたしますね。取り急ぎ、食後の飲み物は、談話室に移動してお楽しみ下さい」
エレーナは、そう言い残すと、早速次の段取りを手配しに会食室の外へと出ていった。
「その、友人との食事というものが、初めてで――」
「はい。もちろん承知しておりますわ。だから、わたくし達と覚えて行けば良いのですわ」
イヴァンが珍しく口ごもりながらも正直に伝えると、クローディアは問題ないとばかりに頷いて見せた。
そんな彼女に、普段はあまり表情の動かないイヴァンだが、驚いたような、戸惑ったような、珍しいものを見るような表情を浮かべたのだった。
「さあ、談話室の準備が整いました。皆様ご足労ですが、移動をお願いいたします」
すぐに戻ったエレーナの声を合図に、談話室に移動した一同は、今度は四人で囲むのに丁度よいテーブルで食後の一時を過ごすことになった。
◆ ◆ ◆
「先程、婚約者の元に帰りたい、と言っていましたね。王太子はニコラウス=マノンでしたか。彼は、どんな人物ですか?」
談話室での雑談の流れで、イヴァンはクローディアにそう尋ねた。
「ニコラ――ニコラウス殿下は、そうですわね、とても正義感の強い方、でしょうか」
「確かに、最初に来るのはそれですわよねぇ」
クローディアの応えに、アビゲイルも同意する。
「小さい頃から『公正な国王になる』が口癖で、困っている人がいたり、不正を見かけたりすると、自分で走って行ってしまうような方です」
クローディアの言葉に、イヴァンは頷いてみせた。
「私も、とても困っている時に殿下に助けられました。そのご縁で、クローディア様達とお知り合いになれたのです」
ベラも珍しく、積極的に口を開いた。
そこで、ふむ、とイヴァンは首をかしげた。
「しかし、そうすると、ニコラウス殿下はクローディアが生贄にされるのを黙って見ている人物ではないように思えます。彼は、神託に反発したのではないのですか?」
その言葉に、クローディアは少しだけ表情を暗くした。
「その通りですわ。ニコラは、最後まで出立に反対してくれていましたわ。わたくしを止められず、自分の力が及ばないことに苦悩していましたわ」
クローディアは続けた。
「決め手は、国王陛下の言葉でした。ストロガノフ王国との関係性、マノン王国の平和と安寧のために、と。ニコラは、大義のために自分を犠牲にするところがありますから」
寂しそうな声色になりながらも、クローディアはそう言った。
「素直に人の言うことを聞いて、自分を押し殺してしまうのは、誰かさんにそっくりですわぁ」
「そ、それはそうかもしれませんが」
「似たもの夫婦」
「まだ夫婦ではありませんわ!」
アビゲイルとベラが横からからかうと、クローディアはいつもの調子を取り戻した。
「なるほど。ニコラウス殿下は、私などとは違い、見習うべき方のようですね。周辺国の中でも、同年代の国王となる人物はそれほど多くありません。ぜひいずれお会いしたいものです」
イヴァンの言葉に、クローディアは目を輝かせた。
「それは素敵ですわ。ぜひマノン王国においで下さい。色々な場所を案内させていただきますわ」
「そうですね。その機会には、ぜひお願いします」
それから、イヴァンは話題を変えた。
「三人は、いつ頃からの友人なのですか? 私には、恥ずかしながら、同世代の友人がいないのです」
イヴァンはクローディア達にそう尋ねた。
「わたくしとアビーは、幼少の頃からの付き合いですわ。親同士に交流があって、と言う関係ですわ」
クローディアが応える。
「小さい頃から、わたくしはクローディア様の後ろをついて歩くこどもだったのですわぁ」
それにアビゲイルも言葉を継いだ。
「ベラとは、王立学園に入ってからの付き合いですわね。わたくしとアビーが中等部の三年生、ベラが入学したての一年生だったと記憶していますわ」
「仲良くして下さっていること、感謝してもしきれないと思っています」
クローディアの言葉に、ベラが自身の気持ちを続けた。
「王立学園ですか。学校に通うというものがどう言うものか、少し体験してみたい気もしますね」
イヴァンは、連想が働いたのか、そう言葉にした。
「あら? では、イヴァン様は学校には通っていらっしゃいませんの?」
クローディアは、そう聞き返した。
「ええ。学校というものに通ったことがないのです。マノン王国のように王立の学校が整備されていないので、王族貴族は家庭教師に教わるのが普通です。平民は民間の塾で初等教育を受けるのですが」
「それで同世代の友人がいないという話になるのですねぇ」
イヴァンの説明に、アビゲイルも納得の言葉を返した。
「そうです。歴代の王族の中で、私などは学業も魔法もまだまだなので。もしも学校に通っていたら、成績上位者や優秀な魔法使いと比較してしまって、辛い日々を送っていたかもしれません」
「……その気持は、ちょっと分かる気がします」
控えめにベラが同意を示した。
「学園の成績で言えば、わたくしはクローディア様に勉学も魔法も全然かないませんが、別段気にすることもなく、日々楽しく生活していましたわぁ」
「アビーは少し危機感を持って下さいませ」
平和そうに言うアビゲイルに、クローディアは釘を指した。
「そんな学園生活も、先日の卒業記念舞踏会を最後に終わってしまいました。わたくしとアビーは、高等部の三年生だったのです」
クローディアはそう言って、懐かしむような表情を浮かべた。
「それにしても、せっかくの舞踏会でしたのに、婚約破棄と生贄の神託のせいで、台無しですわぁ」
「そうなのですわ!」
息を荒くするアビゲイルとクローディアに、イヴァンは表情を変えぬまま応えた。
「聞き及んでますよ。災難は重なるもの、という言葉にふさわしい状況でしたね」
イヴァンの言葉に、クローディアとアビゲイルが頷いた。
「私は一年生なので、来年からも学生のままです。クローディア様もアビゲイル様もいない学園生活は、ちょっと不安です」
ベラが正直に打ち明けると、イヴァンは少し意外そうに彼女を見た。
「他国で生贄にされる友人に、自分の意思でついていこうと決意して、実際に実行できるようなあなたが。学園生活が不安ですか?」
「えっと……」
口ごもってしまうベラに、クローディアが助け舟を出した。
「この通り、ベラは人見知りなところがあるのですわ。ですが、一度仲良くなってしまえば、どこまでもその人のために行動できます。きっと、仲の良いお友達ができますわよ」
「そうですわぁ。二代目の悪役令嬢を目指して下さいですわぁ」
おっとりとしたアビゲイルの一言に。
「それは真似しなくても良いのですわ!」
「私には絶対に無理です!」
クローディアとベラが声を上げた。
「ふふ……。ふふ、あははっ!」
そんなやりとりに、イヴァンは堪えきれなくなって笑い声を上げた。
「いや失礼。笑い声を上げたのなんて、いつ以来でしょう。十分に分かりました、友人というのは、素晴らしいものですね」
少年の顔を見せたイヴァンに、クローディアは優しく笑ってみせた。
「イヴァン様。そうやって声を上げて笑っても良いのですわ」
「……いえ、若輩ながら私は国王です。感情の起伏がないようコントロールする必要が――」
「なるほど。良く分かりましたわ」
イヴァンの応えを聞いて、クローディアは人差し指を立ててみせた。
「イヴァン様は、自分に厳しすぎるのです。そして、ご自分を低く評価しすぎていますわ。これまでの少しばかりの会話でも、十分にそれが伝わってきました」
クローディアの言葉に、イヴァンは目を瞬かせた。
「そうですわぁ。もっと肩の力を抜いた方が良いのですわぁ」
「アビーは、おおらかすぎるのですわ。もう少し緊張感を――いえ、アビーを見習うくらいでも良いのかもしれませんわ」
クローディアの言葉に、今度はアビゲイルがきょとんとした表情を見せた。
「わたくしがお手本……。ついに、ついにわたくしの時代が来たのですわぁ」
「心配しなくても、食べている時はアビゲイル様の独壇場です」
何やら盛り上がるアビゲイルに、ベラが冷静な一言を送った。
「イヴァン様。あなたは十分に頑張っていますわ。でも、力を入れ続けていては、いつか疲れてしまうものですわ。上手に力を抜く方法も学ばなくては」
クローディアは優しくそう言った。
そして、我にかえった。
「いけませんわ、わたくしったらまた――。どうもイヴァン様を前にすると、変にお姉さんぶりたくなってしまうようですわ。大変失礼いたしました」
「いや、構いません。そうですね、力の抜き方ですか」
不思議なことを言われたといったイヴァンの表情に、クローディアはますます恐縮してしまった。
「わたくしは、弟も妹も何人もいる、正真正銘のお姉さんなのですわぁ」
「私は、年の離れた兄が一人。って、多分論点はそこじゃありません」
アビゲイルとベラのやり取りに、イヴァンはまたしても笑顔を浮かべた。
「今日は、私にとって特別な日になりました。友人と姉を同時に手に入れたようなものですから」
そう言って笑ったイヴァンの笑顔は、確かに少しだけ肩の力が抜けているように感じた。
「そうそう、そんな感じなのですわ」
クローディアが、そう言って微笑んだ。
そうして、会話に花を咲かせていると。
突如――。
バンと音を立てる勢いで、談話室の扉が開かれた。
「イヴァン、ここにいたのね!」
そのままの勢いで飛び込んできたのは、紅色のドレスに身を包んだ、ビビッドレッドの髪をなびかせた女性だった。
イヴァンより少しだけ背が高く、年の頃ならイヴァンよりも二つほど上、ベラと同い年くらいだろうか。
「オリガ? 突然どうしたんです?」
イヴァンが驚いて名前を呼んだ。
それでもすぐに気を取り直し、イヴァンが彼女を紹介する。
「紹介しましょう。彼女は――」
「オリガ=ゼフィール、イヴァンの婚約者よ!」
きっと眉を吊り上げながら、オリガはクローディア達に向かって名乗った。さらに、イヴァンの婚約者だという必要最小限の自己紹介も添えて。
「まあ。婚約者?」
クローディアは、そう言葉を返した。
事前情報として、イヴァンに婚約者がいることは認識していた。しかし、その本人が、このように部屋に飛び込んでくることは想定の範囲外だった。
「マノン王国から来たご令嬢というのは――ちょっと、なんで三人もいるの!?」
マノン王国から来た令嬢を目標に突撃してきたのなら、確かに三人も令嬢がいたら困るだろう。
オリガは、声を上げた。
「誰がクローディアなの!?」




