謁見
クローディアは、ストロガノフ王国の国王――イヴァン=ストロガノフの前に歩み出ると、深くひざを折ってお辞儀をした。
彼女の動きに合わせて、ブロンドの髪と薄青色のドレスがふわりと舞った。
「初めてお目にかかります。マノン王国より参りました、デピス上爵家のクローディア=デピスと申します」
クローディアの挨拶は、視線を下げた状態でなお、謁見の間に凛と響いた。
社交界向きの、程よい緊張感のある声色は、クローディアの自慢の一つであった。
「ストロガノフ国王、イヴァン=ストロガノフである。遠路、ご苦労であった」
(この声――?)
クローディアは、返ってきたイヴァンの声を聞いて、ある可能性を思い浮かべた。
もちろん、彼女の表情は平静そのものだった。何かに気付くたびに眉を動かすようでは、厳しい社交界を渡っていけないのだ。
「さて、早速ですが、堅苦しいのはここまでにしましょう。これは公的な謁見ではありません。楽にして下さい。姿勢も、態度も、いつも通りで構いません」
口調を変えたイヴァンの声が促すまま、クローディアは姿勢を戻して、顔を上げ、彼の顔を見た。
整った金髪の下で美しい茶色の瞳が、静かにクローディアを見つめ返していた。
当然ながら、頭部に角が生えたりはしていない。背中に黒い翼もない。巨大な背丈や光る牙もなさそうだ。
ごくごく普通の、マノン王国にいてもおかしくないような――少年だった。
黒を基調として要所に金の装飾を付けた、国の式服に身を包んでいた。サイズこそ本人にぴったりだが、どうしても背伸びして着ている印象を受けてしまう。
先程クローディアが思い浮かべたある可能性とは、イヴァンがまだ青年とも呼べない年齢ではないか、というものだったが、その直感は正しかったようだ。おそらくクローディアより二つ下のベラよりも、さらに一つ二つ年下だろう。
「お心遣いありがとうございます」
クローディアの感謝に、イヴァンは笑顔など浮かべることもなく言葉を返した。
「私の年齢に驚きましたね。そう、現在のストロガノフ国王は、見ての通りの若造です」
自嘲気味に語られた言葉に、クローディアはゆっくりと言葉を選んだ。
「いえ。先代の国王陛下は、随分と急な崩御だったと聞き及んでおりますわ。国王の御子息なら、立たされた環境によっては、年若くても国を背負うこともあるかと」
「ええ、その通りです」
クローディアの言葉に、イヴァンは肯定の言葉を返した。
「確か、王妃様も――」
「母は、私を産んですぐに病で逝きました。遠い親戚はともかく、近しい家族のいない、寂しい毎日です」
クローディアの言葉を継いで、イヴァンは現状を口にした。
悲しみよりも、淡々とした慣れを感じさせる口調だった。
「そうですか。即位が三年前でしたか、陛下の重責は想像もできないほどでしたでしょう。出過ぎた事を言っても許していただけるのなら――」
「許します。何ですか?」
クローディアは、許可を得て続きを口にした。
「本当に大変でしたでしょう。よく頑張りましたわね」
クローディアの言葉が意外だったのだろう、イヴァンは年相応な表情で目を瞬かせた。
そこで、彼女は、はっと我にかえった。
言い過ぎた、と思った。
なんだかニコラウスの少年時代と相対しているような気分になってしまって、まるで弟との会話であるかのように、あらぬことを口走ってしまった。
「申し訳ありません。本当に出過ぎたことを申しましたわ」
「いいえ、構いません。それに、楽にして良い、と言いましたよね? 年齢で言えば、失礼、私の方が年下です。どうか普段通りに」
どうやらクローディアの言葉は、咎められることはなさそうだった。
しかし、普段通りと言われても、普段、他国の国王と話すことなどないのだが。
マノン国王や王妃にしても、普段通りでは不敬というものだ。さらに王太子のニコラウスに対しては、王族というより婚約者としての関係性が強くなってしまい、とてもではないが他の者にその接し方はできなかった。
「こほん。では、お言葉に甘えて、もう少し肩の力を抜きますわね」
仕方がないので、クローディアは、王立学園にいる時の口調と声色に近くするよう意識した。
「先程、『公的な謁見ではない』と言っていましたが、これは私的な謁見ということですの?」
クローディアの言葉に、イヴァンは少しだけ表情を固くした。
「神託などと理由をつけて『生贄をどうぞ』と送られてきたご令嬢を、どんな公的な理由で迎えれば良いのです?」
「それは――」
さすがのクローディアも、咄嗟に返す言葉が浮かばなかった。
そして、言われてみれば、この謁見の間もイヴァンとクローディアの二人がいるのみ。ここまでの案内をしてくれた使用人はすぐに出ていったし、衛兵も部屋の外に控えているだけのようだ。
イヴァンの服装こそ唯一公的だと言えたが、直前の公務から着替える時間がなかっただけ、とも考えられた。
まさに、私的な客人を迎えるだけ、と言える状況であった。
「クローディア、と呼んでも?」
「はい。もちろんですわ」
「私のことも、イヴァンと」
「さすがにそれは。イヴァン様と呼ばせて下さい」
「では、そのように」
一度会話を切ってから、イヴァンは仕切り直した。
「生贄の話に戻しましょう。何も、クローディアを責めている訳ではありません。神託などと言い出すのは神殿勢力でしょうから、あなたも巻き込まれた被害者でしょう」
イヴァンの言葉は、まさにその通り、と叫びたくなるものだった。
どうやら彼の優秀さは、年若いのに無理をして見せているものではなく、日々の研鑽の結果自然と身についているものらしい。
「それにしても、この時代に生贄とは。マノン王国では、我が国はどんな風に思われているのです?」
イヴァンの問に、クローディアは、思わず頬を赤くしてしまう。
「その……。魔王国――魔王の国だと」
戦争状態が長く続いた二国であれば、相手の国を悪く言う習慣になっていることは無理のない側面もある。
長く続いた因習に、国民が、恥ずかしいことに貴族や王族までが染まっていることを、クローディアは伝えなくてはいけなかった。
「とすると、私は、魔王イヴァンですか?」
「も、申し訳ありません……!」
クローディアが慌てて謝罪すると、イヴァンは苦笑した。
「知っていましたよ。そんなこと」
「――は?」
クローディアは、思わず聞き返してしまう。
「すみません。関係国の情報を収集することも、務めの一つです。マノン王国内で、我が国や私自身がなんと呼ばれているかなんて、とっくに知っていました。意地の悪いやりとりになってしまいましたね」
クローディアが言葉を失っていると。
「しかし、まさか正直に答えていただけるとは。悪役令嬢とは思えない素直さですね」
なるほど。
これは、完全にイヴァンが上手だったと言える。
しかも『悪役令嬢』との発言だ。
向こうは、完全にこちらのことを把握しているのだ。
だとすれば、もう少し肩の力を抜いて――きっとそのためのやりとりだったのだろうけど――本気で相対する必要がありそうだ。
余裕のある動作を意識して、クローディアは微笑んでみせた。
「わたくし、悪役令嬢は返上しましたですわ」
「そうですね。ここ一年ほど、あなたの奔放な言動は正されているらしい」
「若気の至りです。お恥ずかしい限りですわ」
情報収集が務めの一つというイヴァンの言葉には、偽りがなさそうだ。王太子の婚約者とは言え、一介の学生の挙動まで把握しているとは。
「心を入れ替えようと決意した、きっかけをお聞きしても? さすがの我が国の諜報部も、心の中までは覗けないので」
「話せば長くなりますが、簡単に言えば、未来の王妃に相応しい行いをしなければと反省したのです」
クローディアの応えに、イヴァンはなるほど、と頷いた。
「自分に厳しくあることは、私達のような立場の人間には必要なことなのでしょうね」
そうイヴァンは、自戒めいた言葉を呟いた。
それから気持ちを切り替えるように、一つ頷いたイヴァンは、改めて口を開いた。
「さて、クローディアには王宮に部屋を用意します。何かあれば、執事と侍女長に。紹介しましょう」
イヴァンの合図によって謁見の間に入ってきたのは、かっちりとした黒の衣装に身を包んだ男性と、古風な白黒の侍女服をまとった女性だった。
男性の方は、執事を務めるには若く見え、優秀なのだろうとの印象を受けた。また女性の方は、彼より年上のようだが、穏やかに微笑んだ柔らかい印象であった。
「執事のアレクセイ=シャシリクです。何かお困りの事がありましたら、遠慮なく私までお申し付け下さい。イヴァン様への取り次ぎも、基本的には私を通して頂けると助かります」
落ち着いた口調でそう話すアレクセイは、丁寧に腰を折った礼をした。
「はい。お手数をおかけしますが、よろしくお願いいたしますわ」
それから、アレクセイは隣の女性を紹介した。
「こちらは侍女長のエレーナ=ペリメニ。身の回りのことは彼女にお申し付け下さい」
「エレーナです。お一人では心許ないことも多いでしょう。王宮でもご実家のように過ごせるようお手伝いいたします」
簡単にお辞儀をして、エレーナはにっこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたしますわ」
「では、早速ですが――」
笑顔を崩さないまま、エレーナが言葉を継いだ。
「クローディア様、何やら面白いものをお持ちのようですね?」
「お、面白いもの、ですか?」
クローディアは、背筋が冷えるのを感じた。
幼かった頃、デピス家の別荘で、いたずらがバレて家庭教師に怒られた記憶が、ふっと脳裏をよぎった。
「ええ。スカートに上手に隠していらっしゃるようですが、左右に持っているものは何ですか?」
バレている。
クローディアは、隠しきれないと覚悟を決めた。
それでも、なんとか誤魔化さないと。
「お、お恥ずかしい限りですが――」
そう言いながら、スカートの左右から、忍ばせていたアレを取り出した。オレンジ色の猫と、紫色の猫の、ただのぬいぐるみだった。
恥ずかしい限りと言っているのだから、頬が赤くなれば良いのだが、そんなに簡単に赤らんだりはしない。
「猫ちゃんのぬいぐるみなのですわ。わたくし、これがないと落ち着かなくて。ただのぬいぐるみですわよー。にゃ、にゃーん」
言っているうちに本当に頬が熱くなってきた。
恥ずかしい演技に、余計な事まで言ってしまった気がするが、これで乗り切るしかない。
「――っ」
「ごほん」
男性二人は何やら思うところがあったのか視線を外してくれたが、エレーナは浮かべた笑みを崩さなかった。視線もまっすぐにクローディアを見続けている。
「可愛らしいと思いますし、悪役令嬢とのギャップも素晴らしいです。殿方には効果ばつぐんでしょうが、私には効きません」
ですわよねー。
クローディアは冷や汗を浮かべる。
「私は水魔法使いです。そのぬいぐるみには、水魔法の変身薬による魔力の残滓が見受けられますが――一体、誰が許可もなく謁見に参加していたのですか?」
「うっ――」
完全にバレている。
「さすがに無理ですわぁ。クローディア様、謝っちゃいましょう」
「私の時魔法で、薬を飲む前の状態に戻せます。ご指示があればいつでも」
こっそり囁いてくる、ただのぬいぐるみの二人も、全然当てにできないようだ。
これは本当に、謝るしかないようだ。
「はぁ……。イヴァン様、謝罪させて下さい」
とうとう諦めたクローディアの言葉を合図にして、彼女の背後左右にアビゲイルとベラが現れた。
二人は、ぬいぐるみの色であった、オレンジと紫のドレスをそれぞれ身にまとっている。
「ベグネ中爵家のアビゲイル=ベグネと申します。変身薬でぬいぐるみに姿を変えて、勝手にクローディア様に付いてまいりました」
「同じく、クベルドン下爵家のベラ=クベルドンです。私達は、自分の意思でクローディア様に付いてまいりました。お咎めはどうぞ、私達に」
「いえ、いけないと理解しながら二人を隠し持っていたわたくしも同罪です。申し訳ありませんでした」
マノン王国の令嬢達は、三人そろって頭を下げた。
「これは困りましたね」
イヴァンはふむ、と息をついた。
「今の変身薬の解除は、水魔法ではありませんね? どうやって元の姿に?」
「それは――」
クローディアは返答に困った。
ベラが時魔法使いであることは、彼女自身が隠したがっていることなので、クローディアが勝手に答える訳にはいかないのだ。
「クローディア様、ここは仕方がありません」
ベラはクローディアに一言断ってから、静かに一歩、前に進み出た。
「私の魔法で、変身薬を飲む前へと、時間を巻き戻しました。私は、時魔法使いです」
「時魔法ですか。それは珍しい!」
イヴァンより先に声を上げたのは、アレクセイだった。
「アレクセイが声を上げるとは、珍しいな」
「はい。時魔法は、希少とされる光魔法や闇魔法より、さらに珍しいものです。もっとも、ストロガノフ王国では、闇魔法は比較的多く使い手がおりますが」
「そ、そうか……」
興奮気味の臣下の様子に、イヴァンは毒気を抜かれたようだった。
「失礼ですが、あなたの黒髪黒目もマノン王国ではかなり珍しいはずです。時魔法と何か関係が?」
「あ、いえ。それは分からないです」
「もしもお許しいただけるなら、後ほど改めてお話させていただけませんか?」
「え? えーっと……」
前のめりなアレクセイに、ベラは完全に気後れしてしまったらしく、ほとんどクローディアの背後に隠れてしまっている。
「落ち着いて下さい。どう考えても、初対面の女性を誘う態度や動機じゃないですよ?」
「――これは、失礼を。普段は冷静で通っているのですが、本当に申し訳ない」
エレーナの指摘に、我にかえったアレクセイは本当に恐縮しているようだった。
「珍しくベラがモテモテですわぁ」
「アビー。ベラの髪と瞳の色は、いじめられていた原因です。あまり珍しいもの扱いは――」
「もちろんですわぁ」
小声でのやりとりの後、今度はアビゲイルが前へと進み出た。
「アレクセイさん、ベラはとても人見知りな性格ですわぁ。どうぞ三人一緒にお誘い下さいまし」
「ああ、もちろんです。クローディア様、アビゲイル様もどうぞご一緒に」
騒がしくなってきた一同に、イヴァンが状況を取りまとめるために言葉を発した。
「悪役令嬢の取り巻き二人――ご友人二人のことも聞き及んでいます。生贄としてのストロガノフ王国行きに、勝手に付いてきた、ということですが。どうやら素晴らしい友情が発揮された結果のようだ」
「あらお優しい」
仕える国王の次の言葉を先読みして、エレーナが茶々を入れた。
「今回は大目に見ましょう。前例もないことで、罰則が決まっている訳でもありませんし」
『ありがとうございます』
三人は声をそろえた。
イヴァンは、気にしないようにと手を振ってみせた。
クローディアをはじめ、なんとか息を付くことができそうだった。
「イヴァン様。アレクセイさんとエレーナさんとは、ずいぶん親しげなんですね?」
ストロガノフ王国側の三人の距離感がつかめず、クローディアが確認する。
「公的な国王の務めに対して、彼らは、私的な面のサポートをしてくれます。日々の暮らしを共にしているので、どうしても気安くなってしまうのです。本当は、きちんと線引きすべきなのでしょうが」
イヴァンの答えに、アレクセイとエレーナはそれぞれ頷いた。
「これまで公私ともにうまく回っているので、問題はないかと」
「もっと楽にして下さっても良いのです。イヴァン様は自分に厳しすぎます」
クローディアは納得したのか、笑顔を見せた。
「そうだったのですね。では、どうかわたくし達もその気安い仲間に入れていただければと思います」
「もちろん大歓迎ですよ」
「そうですね。まずは美味しい紅茶でも淹れさせましょう」
「――どうして主より先に侍女長と執事が答えるんだ」
呆れたようにイヴァンはそう言った。
そこで、クローディアは、ふと気づいた。
「あの。王宮にお部屋を用意していただけるとのことでしたが。わたくし、生贄としてどう過ごしていれば良いのでしょうか?」
大事な確認を忘れていた、とクローディアは質問した。
「その『生贄』についてですが」
イヴァンは、会話を仕切り直した。
「我が国は――もちろん私も、生贄など不要です」
その言葉に、クローディアは目を輝かせた。
生贄など不要。
クローディアがここにいる必要はないということだ。
つまり、決意したマノン王国への帰国は、いとも簡単に果たされるということで――。
「それでは――わたくし達は、マノン王国へ帰れますの?」




