決意
神官長コンスタンティンにより神託が伝えられた後、王立学園高等部での卒業記念舞踏会は早々に閉会となった。
クローディアは、王都の東側にあるデピス家へと、馬車を急がせ帰宅した。
クローディアが神託の生贄となったという報告は、少なからぬ混乱をデピス家にもたらした。
王宮からの使者が、彼女自身の報告に遅れること丸一日であったことも、この混乱に拍車をかけた。
報告を聞くやいなや怒り狂ったクローディアの父デピス上爵を落ち着かせたり、時間差で涙が止まらなくなった母デピス上爵婦人をなだめたりと、慌ただしく日々が過ぎて行った。
クローディアの父母が、愛する娘を他国への生贄にするなど納得できるはずもなかった。それでも、最後には首を縦に振らざるをえなかったのは、クローディア本人が生贄の道行きを受け入れていることが大きかった。さらに、それが既にマノン国王ウィリアムの公認となってしまっていることも理由の一つであった。
そして、さらに数日後。
いよいよクローディアの出立の日となった。
両親に最後の別れを告げ、デピス家の門を外へとくぐったクローディアは、一度、生家を振り返った。
「もう、戻ることもないのでしょうね……」
一人呟いたつもりだったが、荷物を馬車へと運び入れている使用人達が聞いていて――本当は行きなくたかったのだと誤解した後、父の耳にでも入ったら大問題である。その日のうちに反乱を起こしてでも、ウィリアムに翻意を迫ることになりかねない。
気をつけなければ、とクローディアは顔の前で扇子を広げた。
門の外には、王家が用意した馬車が既に控えていた。この馬車は、四頭立ての立派なもので、風魔法を使って空を駆けることができるものだった。
これを使えば、遠く離れたストロガノフ王国への旅路も一日とかからないだろう。
しかし、その荷台に詰め込まれる荷物は、上爵令嬢が他国へ向かうにしては格段に少なかった。国内の旅行であっても、着替えのドレスをはじめとする膨大な荷物が必要となるはずなのに。それが生贄という役割を暗示しているようで、クローディアの気持ちは沈んだ。
「クロエ!」
クローディアを呼ぶ声に、彼女の気持ちが一気に引き上げられた。聞き間違えるはずもない、その声がニコラウスのものだったからだ。
彼は、白馬を走らせ駆けつけてくれたのだ。
鮮やかに馬首を操り、馬上から降り立つと、屋敷の係の者に手綱を渡した。
その動作の一つ一つが洗練されている気がして、クローディアは思わず惚れ惚れしてしまう。
「ニコラ。来て下さったのですね」
「当然だよ。出発の準備はできた?」
当たり障りのない会話の始まりに、ニコラウスの気遣いを感じて、クローディアは微笑んだ。
「はい、十分に。簡単なものですわ」
その答えに、何かを深読みしたのか、ニコラウスの表情が暗くなった。
「クロエ。すまない、私にもっと力が――」
これまでも何度も繰り返したその言葉を、クローディアは、ニコラウスの唇に人差し指を当てることで遮った。
「何度も話し合いましたわよね? そんな悲しい話題を最後に、わたくしを送り出すつもりですの?」
笑顔のまま言うクローディアに、ニコラウスはまぶしいものでも見たかのように目を細めた。
「少し歩きませんこと?」
クローディアは、そう気楽な様子で提案した。
「そのくらいの時間は許してもらえますわ」
デピス家の周辺であるこの区画は、道なども整えられ、公園も整備されている。
ちょっとした公園、というにはしっかりと手入れがされている木立の中を、ニコラウスとクローディアは並んで歩くことにした。
「何度も話したと言えば、この話題も何度も話しましたが――ニコラは私の初恋の人でした」
「それこそ何度も聞いた話題だね」
二人で笑顔を交わす。
「まだ幼かったわたくしは、王宮で婚約者として顔合わせをした時――なんて綺麗な子なんだろうと、心を奪われました。とても綺麗で、可愛らしくて、この人と結婚できるという特別感に、こども心にうっとりしたものです」
「私もそうだった、と言いたいけれど。なんだかお姉さんぶっていたクローディアは、長男である私にはくすぐったいような、不思議な感じだったよ」
何度も聞いたはずの初対面の時の印象に、毎回見せるふくれっ面をクローディアは作って見せた。
「可愛かったと言ってくれればいいのに」
「今にして思えば、可愛かったことは間違いないのだろうけど。同年代の女の子なんて、ほとんど会ったこともなかったからね。戸惑いの方が大きかったかな」
クローディアは、懐かしむように視線を遠くした。
「私にとっては、間違いなく初恋でした」
クローディアは、そう繰り返した。
「一般的には、初恋は叶わないと言われているようですが――わたくしの場合は初恋の相手が婚約者なので、叶うことが約束されているようなものでしたわ」
クローディアは、そう注釈を挟んで、言葉を続けた。
「その初恋はそのままどんどん大きくなって――それと一緒に、わたくしはここまで成長してきたのですわ」
頷くニコラウスに、クローディアは続けた。
「大きくなったと言うのは、背丈だけではありませんよ? あなたへの気持ちも、抱えられないくらい大きくなりました」
ふふふ、とクローディアは笑った。
「出会ってからの私は、ニコラのことばかり考えていました。今は何をしているのだろうかとか、何を考えているのだろうかとか。頻繁に会える訳ではないせいで、ますます想いが強くなっていく気がしましたわ」
懐かしむように、言葉を選ぶクローディア。
「わたくしの愛しい人は、良く知ってみれば、幼いころから正義感が強くて、可愛らしいだけではない――そう、公正な国王になるのだなんて、とても可愛らしくないこどもでしたけど」
「それは、未来の国王として生まれてきて、育てられていたからね」
「その隣に立ちたくて、わたくしも、色んなことを頑張ってきました。勉強も、魔法も、妃教育だって。自慢ではありませんが、わたくし今すぐにでもお妃様になれましてよ?」
そう言って、クローディアはいたずらっぽい笑顔を見せた。
「そうだね。良いお妃様になれる」
「良い奥さんにもなれますわ」
ニコラウスは微笑んだ。
「悪役令嬢が良い奥さん?」
そんな意地悪な言葉に。
「それは一年前に返上しましたですわ。ニコラこそ、婚約破棄だなんて声を上げていましたのに」
クローディアも負けじと言い返した。
「それはもう勘弁してくれ。正直なところ、魅了の魔法のせいでおぼろげにしか覚えてないくらいなんだから」
笑い合って、二人は足を止めた。
「クロエ。忘れないで。私は、いつまでだってクロエのことを愛している」
「わたくしもですわ。ニコラ、愛しています」
手を取り合う二人だが、悲しい別れが待っていることは変えようのない事実だった。
クローディアは、痛む胸を無視するために一つ呼吸をすると、これまで伝えられていなかった想いを言葉にする。
「次の妃様候補が決まっても、その人と幸せになって良いですから……私のことを忘れないで下さいませ」
告げられた言葉に、ニコラウスは聞き分けのないこどものように首を横に振った。
「馬鹿な、次の妃候補など、そんなこと――」
「いいえ、ニコラは将来のマノン国王なのですから、奥方が何人いても多すぎることはないのです。その中の一人になれないのは悔しくはありますが……」
そう言って、クローディアは苦笑した。
「いけませんわね、この流れは。悲しいお見送りは嫌だと、自分で言っていましたのに」
そういうクローディアの声は、悲しげに揺れていた。
二人は触れるだけのキスをして、そして離れた。
馬車へと戻る道は、足取りの重いものだった。
「結局、アビゲイルとベラは、来なかったんだね」
一番重い話題が過ぎ去ったからか、ニコラウスはあまり気にせずそう口にした。
「はい。『顔を合わせれば、また駄々をこねてしまいそうだから手紙で失礼します』と。二人して全く同じ理由を書いた手紙が届いたので、笑ってしまいましたわ」
「そうか。本当に、大切な友人達だったんだね」
ともすれば暗くなりそうな内容なのに、クローディアは宝物を見せるような笑顔を浮かべた。
「そうですわ。友人にも、婚約者にも恵まれて、なかなかに幸せな人生でしたわ」
馬車に乗り込み、ニコラウスとは最後の挨拶を交わした。
そのはずなのに、クローディアには曖昧な記憶しか残らなかった。
最後まで、愛していると伝え続けた、初恋の人。
もう二度と会えない、最愛の人。
クローディアのとりとめのない思考は、ぼんやりとした霞の中に沈み込んでいくのだった。
◆ ◆ ◆
やがて。
どれくらい時間がたっただろうか。
「ここから先が魔王国――ストロガノフ王国ですよ」
馬車の御者の声が、祖国との別れを教えてくれた。
もちろん空を行く馬車にとって、明確な境界線がある訳ではないだろうが。
いよいよ、ここからがストロガノフ王国である。
ここから先、どんな運命がクローディアを待ち受けているのか。
生贄として差し出される以上、いきなり命を奪われる可能性だってある。どんなひどい扱いをされても、どんな望まないことをされても、誰も頼れる者もいなくて――。
「さようなら、マノン王国」
自然と、別れの言葉が口をついた。
「さようなら、ニコラ」
今まで必死に我慢していた涙があふれ――。
「さようなら、アビー、ベラ」
そして、流れた。
それに自分自身気づいて、クローディアはぶんぶんと首を振った。
「いけませんわ。全く、魔王に謁見しても泣かされないように気を張っているつもりでしたのに、こんなにポロポロと。お化粧だって大変なことに。まあ、生贄なんてものは、泣き濡れて差し出されるものかもしれませんが。そう言えば、生贄の正しい作法なんて誰も知らなくて、事前準備が全然できな――」
なにやら言いながら、ハンカチを取り出そうと、馬車内に持ち込んでいた手荷物を開けたところで――クローディアの手が止まった。
「これは――?」
見覚えのないぬいぐるみが、それも二つも手荷物の中に入り込んでいたことに気づいたからだ。
オレンジ色の猫。
そして、紫色の猫。
「この色の組合せは、まるで、アビーとベラのようですわね。ふふ――」
そう言い、笑いかけて、気付いた。
そうだ。
きっとあの二人だ。
あの二人が、同行できない自分達の代わりに、荷物にぬいぐるみを忍ばせてくれたのだ。
可愛らしく、どこか憎めない、猫のぬいぐるみに自分達の気持ちを託して――。
『クローディア様は、決して一人ではありませんよ』と。
「アビー、ベラぁ……」
その憎らしい心遣いを思うと、止まりかけた涙が、大粒の雫となってクローディアの瞳からこぼれ落ち――。
「今、わたくし、名前を呼ばれましたわぁ」
「はい。私も間違いなく呼ばれました。ようやく出番ですね」
聞き慣れた声が、クローディアの耳をくすぐった。
(え? でも、そんなはずは……。わたくし、生贄のお役目に耐えきれず、ついに幻聴を?)
そんなクローディアの胸中を気にすることもなく、声は聞こえ続ける。
「それにしても、絶対に一人で行くなんて強がって、そのくせ一人になった途端にポロポロ泣き出して、まったく困った人ですわぁ」
「悪役令嬢なんて呼ばれていたんですから、取り巻きの一人や二人、あの世まででも引き連れて行くくらいでちょうど良いのに」
(間違えなくアビーとベラですわ。しかも、普段ならめったに聞かないような、自分勝手なことを喋っていますわ)
と、混乱した頭でも理解できてしまう。
しかし、きょろきょろと辺りを見回してみても、馬車の客車には余分なスペースなどなく、隠れられる場所など存在しない。
ということは――。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。アビー、ベラ? まさかこの猫のぬいぐるみが――?」
クローディアの困惑の声に応えるように、オレンジ色の猫が平和そうに微笑み、紫色の猫がちろりと舌を出す――ようなことはなかった。
ただのぬいぐるみである。
「ただのぬいぐるみですわぁ。でも、わたくし達が、水魔法の変身薬を飲んで変身した、『ただのぬいぐるみ』なのですわぁ」
「高名な水魔法使いのおじいさんに頼み込んで、彼の工房を大掃除する代わりに手に入れた変身薬です。お値段は、ちょっと言えません」
「ぬいぐるみに変身して、身動きはとれなくなりましたが、クローディア様がニコラウス様とデートしている隙に、わたくしの風魔法でふわりと荷物にまぎれこんだのですわぁ」
「いつ出ていこうかとチャンスをうかがっていたのに、クローディア様は全然気づいてくれないし、もう待ちくたびれました。あ、こんな身体のため、お辞儀はできませんので、失礼いたしますね」
「ちなみに、わたくし達、両親をちゃんと説得してからこちらに来ていますので」
「ご心配は無用です」
もう喋る喋る。
令嬢が三人集まって姦しいとは良く言ったものである。しかも、喋っているのは実質二人だけなのに。
「ストーップですわ! 事情は大体分かりましたが、あなた達、わたくしのあの『お願い』で納得していたのではないのですか?」
クローディアは、ぬいぐるみに向かって声を上げる。
客観的に見ると、なかなか奇妙な光景である。
「納得したフリですわぁ」
「お辞儀しながら、こっそり付いて行くにはどうすれば良いか考えていました」
ぬいぐるみに思いを託して、なんてとんでもなかった。
自分達の代わりにこのぬいぐるみを、なんて殊勝な考えではなかった。
そんなしおらしい二人ではなかったのだ。
悪役令嬢の取り巻きとして知られた二人は、生贄として制限されるクローディアの道行きに、どうすれば勝手に同行できるのかを考え、考えつき、実行してしまったということだ。
身動きのできないぬいぐるみの姿になってまで、クローディアと共に行きたいと願ったのだ。
クローディアは、ついに肩の力を抜いて、笑ってしまった。
「まったく、あなた達ときたら。まあ、確かに? ぬいぐるみの姿なら、生贄とも一緒に行動できるでしょうけど? とっても心強いですけど? 怒るより嬉しくて泣けてきそうですけど?」
言いながら、クローディアは、今度こそ取り出したハンカチで涙をぬぐう。
「そうそう。クローディア様らしく、素直に感謝すれば良いのですわぁ」
「そうです。悪役令嬢だったくせに、素直すぎるところが良いところなんですから」
そう言って、ベラは口調を改めた。
「あなたはそんなふうに素直すぎるから、いつだって素直に人の言う事を聞いてしまうんです。自分を簡単に押し殺してしまうんです。まあ、長年染み付いていた悪役令嬢を素直に反省できるところは、とっても素敵ですけど」
続いて、アビゲイルも言う。
「今回の神託による生贄の道行き、どうしたいのか、クローディア様の本当の気持ちを聞きたいですわぁ」
その言葉に、クローディアは目を見開いた。
「わたくしの、本当の気持ち……?」
押し殺していた、本当はどうしたいのかという気持ち。
それを、改めて問いかけてくれるとしたら。
「生贄として魔王に食べられちゃいますの?」
アビゲイルが、意地悪くそう聞いた。
「それとも、全部放り出して、他の国にでも逃げちゃいますか?」
ベラの確認も、意地の悪いものだった。
「……帰りたい、ですわ」
クローディアは呟くように言った。
聞かれるまでもなかった。
確認されるまでもなかった。
クローディアの心は、とっくの昔から決まっていたのだ。
「ニコラのもとに、わたくしの初恋の人のもとに、最愛の人のもとに――帰りたいですわ!」
そして、再度、はっきりと口にした。
二つのぬいぐるみは、満足そうに頷い――たりはしなかった。ただのぬいぐるみなので。
しかし、ぬいぐるみの姿でなければ、アビゲイルとベラは間違いなく「よろしい」と言いたげな表情を浮かべていたことだろう。
「そうでなくては。良かったですわぁ。そういうことでしたら、わたくし達も協力できますわぁ」
「はい。三人でいれば、どんな困難にも立ち向かえます。婚約破棄の回避の次は、生贄からの帰還です」
アビゲイルとベラの言葉に、クローディアも力強く頷いた。
「ありがとう。アビー、ベラ」
そうだ。
二人と一緒なら。
決してあきらめなければ。
必ず、帰ることができる。
クローディアは、決意も新たに宣言した。
「わたくしは、必ずニコラのもとに帰りますわ!」




