好意
「クローディアが悪役令嬢の行いを改めたことは、例の婚約破棄騒動と、そしてベラの時魔法と、関係がありますね?」
とある秘密を共有して欲しいと切り出したイヴァンは、そう確認した。
それは、確認の形をした断定だった。
「ふふふ。イヴァン様は、本当に優秀ですわね」
クローディアは、一言でそう評価した。
その笑顔に、イヴァンの心臓がどくんと跳ねた。
「いつから気付いていたのですか?」
クローディアのその言葉は肯定を意味していたが、イヴァンはこれに答えた。
「言葉の端々に、婚約破棄騒動については詳しく説明できないという雰囲気がありました。一年前からの反省についても、同じ秘密に触れている感覚がありました」
イヴァンは続けた。
「確信したのは、順番がおかしいことに気付いたからです」
「順番がおかしい?」
クローディアは聞き返した。
「婚約破棄騒動があり、行いの悪さを指摘され、悪役令嬢の行いを反省する、という流れなら違和感はありません。しかし、クローディアの場合は、この順になっていません」
イヴァンは、クローディアの表情を見ながら、言葉を続けた。
「行いの悪さを指摘され、反省したのに、婚約破棄を宣言されています。しかも、他の女性への真実の愛などという――日頃の行いとは全く関係のない理由で。順序と理由が噛み合っていません」
イヴァンは一度言葉を切った。
「素晴らしいですわ。まだありますか?」
満足そうに話を聞いているクローディアに、イヴァンの方こそ不思議な満足感を覚えていた。
「ここからは、私の勝手な想像ですが。ここにベラの時魔法が加わると、整合性のある理由と順序が見えてきます」
イヴァンは改めて口を開いた。
「私達が観測できている事実とは別に、時魔法による別の時間が存在すると仮定するなら――日頃の行いを理由にした婚約破棄があり、クローディア達は時間を一年巻き戻し、その一年を反省して過ごして、婚約破棄を回避しようとした。結局、別の理由で婚約破棄されてしまいますが、これは別の力が加わった結果ではないか」
一気に話して、イヴァンは息をついた。
「どうですか?」
イヴァンのその様子に、もう一度クローディアはふふふ、と笑った。
「秘密を共有して欲しい、なんて言いながら、全部言い当ててしまうんですから。さすがはイヴァン様ですわ」
その言葉に、得体の知れない感情が胸の奥からせり上がってくることをイヴァンは感じていた。
「分かりました。それでは、この一年にわたる『反省の物語』についてお話しますわね」
クローディアは、人差し指を唇に当ててみせた。
「ニコラにも、まだ概要しか伝えていない話ですわ」
特別な秘密が共有できる、そのことにイヴァンは静かに興奮していた。
「話の大きな流れは、イヴァン様が推測した通りで間違いありませんわ。――わたくしは、学園の卒業記念舞踏会の日に、ニコラから婚約破棄を宣言されてしまいましたわ。ニコラの横には、エリカ=フランジパン下爵令嬢が立っていましたわ。婚約破棄の理由は、未来の王妃としてふさわしくない『エリカに対する三つの罪』だと言われました」
クローディアは、すらすらと話し始めた。
「三つの罪、ですか。それは、私が知っている婚約破棄の理由とは違います」
「それは後ほど明らかになりますわ。――新たにエリカ嬢との婚約を宣言するニコラの声を背に受けながら、わたくしは舞踏会場を後にしましたわ。そこに、アビーとベラが駆けつけてくれましたわ。ベラは、わたくし達に、時魔法使いであることを打ち明け、一年の時間を巻き戻すことを提案してくれましたわ」
イヴァンの確認に頷き、クローディアはさらに続けた。
「ベラの時魔法によって、一年前に戻ったわたくし達は、悪役令嬢そのものであった行いを反省し、エリカ嬢に対する三つの罪についても、一つずつ回避して行きましたわ」
そう言いながら、クローディアは、昔を懐かしむような目をした。
「一つ目の罪は、エリカ嬢に無実の罪を着せたこと。学園の教室で、花瓶が割れてしまう事件があり、それがエリカ嬢のせいだと決めつけてしまったのですわ。二回目では、教室の状況を見て回り、ベラの時魔法も使って、なぜ割れてしまったのか、その理由を突き止めたのですわ」
クローディアは続けた。
「二つ目の罪は、困っているエリカ嬢を助けないばかりか嘲笑ったこと。魔力測定試験の時に、アビーの風魔法の暴走に巻き込まれたエリカ嬢が、噴水に落ちてしまったのを笑ってしまったのですわ。二回目では、アビーの風魔法の制御を取り戻して、彼女の落下を阻止し、その罪を回避いたしましたわ」
そして、話はいよいよ三つ目の罪に移る。
「三つ目の罪は、エリカ嬢に自ら危害を加えたこと。魔法戦闘大会の後、闘技場の階段から突き落としてしまったのですわ。二回目では、もちろん突き落としもしなかったですし、自分で飛び降りたエリカ嬢をアビーの風魔法で助けたのですわ」
クローディアは息をつき、改めて続きを話した。
「やがて訪れた二回目の舞踏会、三つの罪は存在しないことになったので、婚約破棄自体がなくなるはずでしたわ」
「はず、と言うことは――」
イヴァンの相の手に、クローディアは頷いた。
「そうですわ。二回目の舞踏会でも、婚約破棄は宣言されましたわ。今度は『一つの真実』――エリカ嬢への真実の愛が理由だと言われましたわ。これが、イヴァン様が知っている現実ですわ」
「確かにその通りです」
イヴァンはそう同意を示した。
「ニコラは、エリカ嬢の光魔法による魅了に捕らわれていたのですわ。アビーやベラの協力で、この魔法を打ち破り、わたくしはニコラを取り戻しましたわ。婚約破棄は回避され、めでたしめでたし、となりましたわ」
「なるほど。ベラの時魔法を秘密にしたいのでしたら、確かに誰彼かまわず話せる内容ではありませんね」
そう言葉にしたイヴァンを、クローディアはじっとみつめた。
何かおかしなことを口走っただろうかと、イヴァンは不安になった。
「イヴァン様は、鋭い直感もお持ちですのね」
その評価を、イヴァンは喜びとともに受け取った。
それを表情に出さないように、イヴァンはいつもにまして自分をコントロールする必要があった。
「直感、ですか?」
「ええ。この話を秘密にしているのは、ベラの時魔法を秘密にしたいから――だけではありませんの」
それが、秘密の核心だ。
イヴァンは、まさに直感的にそう思った。
「ここからは、本当に、ニコラにも伝えていない内容なのですわ」
クローディアは、そう前置きしてから、話を続けた。
「それはエリカ嬢についての秘密なのです。彼女は、自分のことを――『転生者』であると言いました」
「てん――何ですか?」
聞き返したイヴァンに、クローディアは再度、転生者と繰り返した。
「『地球』、『日本』、『乙女ゲーム』、それから確か『ときめきノクターン』――エリカ嬢が、わたくしが転生者ではないかと疑い、それを確かめるために口にした言葉です。どれも、わたくしには意味が分からないどころか、聞き覚えもない単語ばかりでしたわ」
言葉を返せないイヴァンに、クローディアは話を続けた。
「彼女はわたくしに言いました。――あなたは『転生者』じゃないの? 現代日本で死んだ時、女神様に会って、チートな能力をもらったんじゃないの? ゲームの世界の中に生まれ変わったんじゃないの? シナリオと違う動きをするから、あなたも転生者なのかと思っていのに、違うんだ――と」
おそらく、とクローディアはことわった。
「わたくしが、時を巻き戻し、一回目とは違う二回目を生きていたから。シナリオと違う動きをしていることで、自分と同じ転生者ではないかと考えたようですわ」
「自分と同じ?」
ようやく、イヴァンは口をはさんだ。
「そうですわ。エリカ嬢は言いましたわ――こことは別の世界から、乙女ゲーム『ときめきノクターン』の世界にやってきた――と」
そして、クローディアは、エリカの言葉を可能な限り再現してイヴァンに伝えた。
ここがゲームの中の世界であること。
西洋風に見せかけて、食べ物やスイーツも現代日本を踏襲していること。カレンダーも日本風、野球のボールでキャッチボールをしているし、学園の様子も日本そのままのゆるふわ手抜き設定なんだ、と。
話している言語が、日本語であること。名前だけはカタカナで、爵位もおかしなものだと。
「わたくしは尋ねましたわ――この世界が、何か作り物の世界だと言いたいのか――と」
「彼女はなんと?」
イヴァンの言葉に、クローディアは答えた。
「その通りだと。エリカ嬢にとっては、先の分かった、小さな世界だ――と」
「馬鹿な。妄想か何かではないのですか?」
イヴァンの言葉に、クローディアは首を横に振った。
「わたくしにも分かりませんわ。エリカ嬢の言葉の真偽も、この世界の真偽も、わたくしにはうかがい知ることもできませんわ」
クローディアは、まるですがるような視線でイヴァンを見た。
「イヴァン様は、今の話をどう思われました?」
イヴァンは、湧き上がる昏い喜びを押し殺しながら、思考をめぐらせた。
「クローディアが体験したという話は、全て真実だと判断しています。整合性もありますし、順番や辻褄がおかしいところもない。問題は――」
イヴァンは話しながら考えをまとめていく。
「エリカ嬢に関する情報です。この世界が、何かのゲームの世界であると、彼女が信じていたのか、嘘と分かって主張していたのかも判断が難しいです。真実この世界が、芝居の舞台のように、何かシナリオのある、小さな世界であるかどうかは、さらに判断が難しい」
「わたくしもそう思いますわ」
クローディアは、力なく微笑んだ。
「イヴァン様はさすがですね。わたくしは、もっとずっと混乱して、考えがまとまらず、ほとんど思考を放棄してしまっていた程なのに」
「実際にエリカ嬢と対面して、言葉を受け取った当事者なのです。無理からぬことだと思います」
イヴァンの言葉を受けてなお、クローディアの目は不安げに揺れていた。
「この世界が、エリカ嬢の言う小さな世界だとしたら――」
訴えかけるように、クローディアは口にした。
「全てがシナリオで決められた通りだとするのなら――」
クローディアは、だんだんと勢いづいた。
「わたくし達のこの世界は――」
彼女は不安なのだ。
「成功は――」
彼女の世界が否定されたようで。
「失敗は――」
彼女の愛が否定されたようで。
「努力は――」
彼女の立つ地面も。
「得た物や――」
彼女が呼吸する空気も。
「恋した人や――」
空も海も。太陽や月や星も。
「死別の悲しみや――」
全てが否定されてしまったようで。
「生きることは――」
クローディアは、最後には、ほとんど叫んでいた。
「――無価値なものなんでしょうか!?」
美しい、そう思った。
ああ、と。
そこで、イヴァンは理解した。
「クローディア、落ち着いて下さい」
――彼女にもっと褒められたい。
「何も無価値になどなりはしません」
――彼女にもっと微笑みかけて欲しい。
「たとえこの世界が、全てが決まった小さな世界だとしても」
――彼女にもっと笑って欲しい。
「それでも私達は、ここで生きています」
――これは。
「それがなくなったりはしないのです」
――好意だ。
「だからどうか――」
イヴァンが感じていたこと、全てが――。
心臓がどくんと跳ねたことが。
表情を見ながら話したことが。
不思議な満足感を覚えたことが。
得体の知れない感情がせり上がったことが。
特別な秘密の共有に静かに興奮していたことが。
評価を喜びとともに受け取り、それを隠したことが。
すがるような視線に、湧き上がる昏い喜びを押し殺したことが。
それら、全てが――。
――イヴァンが、クローディアに好意を抱いている証拠だった。
雷に打たれたかのような衝撃的な自覚だった。
そして、イヴァンは、それを全て押し殺した。
「――あまり、考え込まないで下さい」
「そうですわね。ええ、あまり気にしないことにしますわね」
クローディアが弱々しくも見せる笑顔に、その瞬間を永遠に留めておける魔法が欲しかった。
しかし、それはあまりに国王らしくない。
結婚の決まった婚約者もいる立場で。
他国の王太子の婚約者である相手に。
なんとしても隠し通さなければ。
全力で、自分を律するのだ。
「エリカ嬢に直接問いただす事はできないのですか? 彼女は今どこに――ああ、王族に魔法をかけた罪で囚われているのですね」
「いいえ」
イヴァンの予測は、今度は外れたようだった。
「彼女は、魅了の魔法が破られたと悟ると、光魔法で閃光を作り、人々の目をくらませて逃げおおせましたわ。今はどこにいるのか――そう言えば、シュナイゼル皇子のもとに向かうとか言っていた気が」
「シュナイゼル――ビーネンシュティッヒ帝国ですか。彼の国は、我が国とは交流がないのです。魅了魔法を使うような令嬢が狙っているのなら、警告の一つも伝えてやりたいのですが」
エリカの行き先が辿れないと分かると、イヴァンは次の考えに移った。
「その件について、アビゲイルとベラには共有していますか?」
「ええ。その話題が出た時に、三人一緒だったものですから。でも、その時のことを、深く話し合ったことはありませんわ」
「それが良いでしょうね。この世界が、小さな世界かもしれないなんて、不安材料になるだけでしょうから」
さらにイヴァンは、思考し、言葉にした。
「ニコラウス殿下には、まだこの件を共有していないのですね」
「その通りですわ。何よりマノン王国のためを思っているニコラに、その努力はどこかで決められたシナリオなのだとは、なかなか言い辛くて」
「そうですか。しかし、エリカ嬢の暗躍については、ニコラウス殿下も当事者です。隠し事をしているという状況は、二人の仲にも良くないでしょう。いずれ共有する方が良いでしょうね」
イヴァンの言葉は続いた。
「私達のこの世界が、小さな世界かどうかを検証するには、おそらくその外にあるより大きな世界を観測する必要があると思います」
「より大きな世界。エリカ嬢が、転生する前にいたという――」
「しかし、絵本の登場人物が、作者や読者の存在に気付くことができるでしょうか。芝居の舞台から、観客席に踊り出すことのできる役者はいるでしょうか。それが無理だというのなら、小さな世界にいる私達が、大きな世界を認識することはできない事になる。つまり、真偽を検証することはできません」
「検証できない、ですか」
「それはさらに、エリカ嬢の言葉の真偽も検証できないことに他なりません。つまり、考えても無駄な類の命題なのです。――気にしなくて良い、という結論に戻ってきただけですが」
それから――。
そこで、イヴァンは、自分の思考にストップをかけた。
私は、何のために、世界について考えている?
クローディアを喜ばせるためではないのか。
クローディアに褒められたいがためではないのか。
クローディアとの会話を、一刻でも長く続けたいのではないか。
これではダメだ。
もっと深く。
この気持ちを沈めてしまわないと。
「随分と遅くなってしまいましたね。この話は、必要があれば、またの機会に譲ることにしましょうか」
イヴァンは自分の気持ちに強引にブレーキをかけ、話を切り上げた。
しかし、その言動すらも、イヴァンが初めての好意を意識しているからに相違なかった。
そして、彼自身はそれに気付いていない――その感情を扱いきれていないのだった。
「はい。遅くまで失礼いたしましたわ。イヴァン様も、早くお休みになって下さいね」
そう言って執務室を辞していくクローディアの後ろ姿を、イヴァンは間違いなく追っていた。
イヴァンは、胸の奥の痛みを誤魔化すように、無意識に右手を当てていた。
痛い、と思った。
それが、『切ない』であることを、イヴァンはまだ知らなかった。




