第3話 真実の代償
森の奥深くへ進むにつれて、空気が変わっていった。
湿った土の匂いに混じって、何か異質なものを感じる。魔力の気配だ。
「気をつけろ、キアーラ」
アシュレイが剣に手をかけた。彼の表情が険しい。
私も杖を構えた。訓練の成果を、今こそ発揮する時だ。
突然、木々の間から黒い影が飛び出してきた。
魔物だ。
狼のような姿をしているが、その目は血のように赤く、口からは紫色の瘴気が漏れている。
「下がっていろ!」
アシュレイが私の前に立ち塞がった。剣を一閃させると、魔物の首が飛ぶ。
でも、倒れた魔物の体から、さらに濃い瘴気が立ち上った。
「これは......」
私は思わず息を呑んだ。この瘴気、どこかで感じたことがある。
いや、本で読んだことがある。
「アシュレイさん、この魔物は呪われています!」
「呪い?」
「ええ。古代魔法の書物に記載されていた、禁忌の呪術です。魔物に呪いをかけて、凶暴化させる術」
私は杖を掲げた。浄化魔法の呪文を唱える。
「光よ、闇を払え」
青白い光が魔物の亡骸を包み込む。瘴気が徐々に薄れていき、やがて完全に消えた。
「すごい......」
アシュレイが感嘆の声を上げた。
「でも、なぜこんな呪いが?」
「分かりません。でも、もしこの森の魔物全てが呪われているとしたら......」
私は考えを口にするのを躊躇った。でも、言わなければならない。
「誰かが意図的に、魔物を人間の領域に向かわせているんです」
アシュレイの表情が厳しくなった。
「つまり、魔物の暴走は自然現象ではなく、何者かの策略だと?」
「その可能性が高いと思います」
私たちはさらに森の奥へと進んだ。
途中、何度も呪われた魔物に襲われた。でも、アシュレイの剣と私の浄化魔法で、次々と撃退していった。
そして、森の中心に辿り着いた時。
そこには、巨大な魔法陣が刻まれていた。
「これは......」
私は愕然とした。魔法陣の周囲には、無数の魔法石が配置されている。そのすべてから、禍々しい魔力が放たれていた。
「この魔法陣が、魔物を呪っている源か」
アシュレイが呟いた。
「ええ。そして、これを作るには膨大な魔力と知識が必要です。普通の魔法使いには不可能です」
「では、誰が......」
その時、背後から声が聞こえた。
「流石だな、キアーラ。やはりお前は古代魔法の継承者だ」
私は凍りついた。
この声を、知っている。
振り返ると、そこには黒いローブを纏った人物が立っていた。
フードを外したその顔を見て、私は息を呑んだ。
「セシリア......!」
私から婚約者を奪った、あの侯爵令嬢。
でも、彼女の瞳は、王宮で見た時とは違っていた。真紅に輝き、狂気を宿している。
「驚いたでしょう? でも、これが本当の私よ」
セシリアは嘲笑うように言った。
「私も魔法使いなの。闇の魔法を操る、ね」
「お前が、この魔法陣を......!」
アシュレイが剣を構えた。
「ええ、そうよ。魔物を呪い、人間の領域に送り込んでいるのは私」
セシリアは魔法陣の上を歩きながら続けた。
「三百年前の大災厄、覚えてる? あれは、闇の魔法使いたちが引き起こしたものだった」
「それは歴史で習った。でも、闇の魔法使いは全員処刑されたはず......」
「表向きはね。でも、一部は生き延びた。そして、子孫にその力と使命を受け継がせてきたの」
セシリアの口元が、歪んだ笑みを浮かべる。
「私たちの使命は、魔法使いの復権。そのために、再び大災厄を引き起こす」
「何を言っている! そんなことをすれば、無数の人が死ぬぞ!」
アシュレイが叫んだ。
「それがどうしたの? 魔法使いを迫害してきた愚かな人間たちなんて、どうでもいいわ」
セシリアは冷たく言い放った。
「魔物が王都を襲えば、人々は恐怖に怯え、魔法使いの力を求めるようになる。そこで私たちが救世主として現れる。魔法使いこそが世界の支配者になるの」
私は怒りで体が震えた。
「それは間違ってる! 魔法は人を傷つけるためのものじゃない!」
「甘いわね、キアーラ。あなたも散々傷つけられたでしょう? 婚約破棄されて、追放されて、殺されかけて」
セシリアは私を見つめた。
「あなたも私たちの仲間になればいいのよ。古代魔法の継承者のあなたがいれば、計画はもっと完璧になる」
「断る」
私は即座に答えた。
「私は、あなたみたいになりたくない。私の魔法は、人を守るために使う」
「守る? 笑わせないで。あなたの魔法で守られた人なんて、一人もいないじゃない」
その言葉が、胸に突き刺さった。
確かに、私はこれまで誰も守れなかった。母も、自分自身も。
「でも、これからは違う」
私は杖を構えた。
「私は、もう逃げない。あなたを止める」
セシリアの表情が歪んだ。
「そう。なら、力づくで仲間にするまでよ」
彼女が手を掲げると、魔法陣が激しく輝き始めた。
地面が揺れ、木々が軋む。
そして、魔法陣の中から、巨大な影が現れた。
「これは......ドラゴン!?」
アシュレイが驚愕の声を上げた。
黒い鱗に覆われた巨大なドラゴン。その目は、魔物と同じく真紅に染まっている。
「古代の魔獣を呪いで蘇らせたの。さあ、このドラゴンを止められるかしら?」
セシリアが高笑いする。
ドラゴンが咆哮を上げた。その声だけで、周囲の木々が倒れる。
「キアーラ、逃げろ!」
アシュレイが叫んだ。
「いいえ、逃げません!」
私は前に出た。杖を両手で握りしめる。
「あなたは一人じゃない、キアーラ」
アシュレイが私の隣に立った。
「俺たちは、一緒に戦う」
その言葉に、勇気が湧いてきた。
私は呪文を唱え始めた。これまで学んだすべての魔法を、総動員する。
「光よ、闇を照らせ。浄化よ、呪いを解け。結界よ、我らを守れ」
青白い光が私たちを包み込む。ドラゴンの炎を防ぐ結界が展開された。
アシュレイがドラゴンに斬りかかる。彼の剣が、ドラゴンの鱗を切り裂いた。
「今だ、キアーラ!」
「分かってます!」
私は最大の魔力を込めた。母が教えてくれた、最後の呪文。
「古代の光よ、我が声に応えよ。汚れを払い、真実を示せ」
眩い光が魔法陣全体を包み込んだ。
ドラゴンが苦しそうに吠える。その体から、黒い瘴気が溢れ出してくる。
「やめなさい! やめて!」
セシリアが叫んだ。
でも、私は止めなかった。
光が瘴気を飲み込み、浄化していく。
やがて、ドラゴンの瞳から赤い輝きが消えた。
呪いが、解けた。
ドラゴンは静かに地面に倒れ込み、目を閉じた。そして、光に包まれて消えていった。
魔法陣も、光と共に消滅した。
「そんな......私の計画が......」
セシリアが膝をついた。
アシュレイが彼女に近づき、剣を突きつける。
「大人しくしろ。お前を辺境伯のもとに連行する」
「くっ......」
セシリアは悔しそうに顔を歪めた。
「でも、もう遅いわ。この森だけじゃない。王国中に、私たちの仲間が魔法陣を配置している」
「なんだと!?」
「一週間後、すべての魔法陣が起動する。そうすれば、王国は魔物の大群に襲われる」
セシリアは笑った。
「あなたたちには、もう止められない」
私は愕然とした。
一週間。
それまでに、すべての魔法陣を見つけて破壊しなければならない。
「大丈夫だ」
アシュレイが私の肩に手を置いた。
「お前なら、できる。俺も、辺境伯も、みんながお前を支える」
私は頷いた。
---
セシリアを捕らえて、私たちは急いで城に戻った。
辺境伯に事情を説明すると、彼は即座に行動を起こした。
「すぐに王都に使者を送る。この危機を、国王陛下に伝えなければ」
「でも、王都は魔法使いを信じないでしょう」
私は不安そうに言った。
「信じさせる。お前の力を、証拠として示すのだ」
辺境伯は力強く言った。
「キアーラ嬢、準備をしてくれ。明日、お前は王都に向かう」
「王都に......?」
私の心臓が高鳴った。
あの、私を追放した場所に、もう一度戻るのか。
「怖いか?」
アシュレイが優しく聞いた。
「......はい」
正直に答えた。
「エドワード様に会うのも、父に会うのも、怖い」
「なら、俺も一緒に行く」
アシュレイは私の手を取った。
「お前は一人じゃない。俺が、ずっと傍にいる」
その温かい手に、私は救われた。
「ありがとう、アシュレイさん」
「名前だけでいい」
「え?」
「アシュレイと、名前だけで呼んでくれ。俺たちは、もう仲間だろう?」
彼は微笑んだ。
私は頬が熱くなるのを感じた。
「......アシュレイ」
「ああ、それでいい」
彼の笑顔が、胸に染みた。
---
翌日、私たちは王都へ向けて出発した。
辺境伯の馬車で、二日かけて王都に到着する。
馬車の中で、私は何度も魔法の練習をした。王都で、私の力を証明しなければならない。
アシュレイは黙って私を見守っていた。
「ねえ、アシュレイ」
「ん?」
「もし、王都の人たちが私を信じてくれなかったら......」
「その時は、力づくででも信じさせる」
彼は真剣な顔で言った。
「俺は、お前を守ると誓った。その誓いは、何があっても変わらない」
私は彼を見つめた。
この人は、本当に私を守ってくれる。
エドワード様は、私が窮地に陥った時、見捨てた。
でも、アシュレイは違う。
彼は、私のために剣を振るってくれる。
(これが、本当の愛なのかな)
胸の奥が、温かくなった。
二日後、王都の門が見えてきた。
「着いたぞ」
アシュレイが言った。
私は深呼吸をした。
(大丈夫。私は、もう昔の私じゃない)
魔法を恥じることも、自分を偽ることもない。
ありのままの私で、この王都と向き合おう。
馬車が王宮に到着すると、私たちは謁見の間に通された。
そこには、国王陛下とエドワード様がいた。
「辺境伯の使者とは聞いているが......なぜキアーラがいる?」
エドワード様が驚いて声を上げた。
「第二王子殿下」
アシュレイが一歩前に出た。
「我々は、王国に迫る危機を伝えに参りました」
「危機?」
「はい。王国各地に、魔物を呪う魔法陣が配置されています。一週間以内に起動すれば、王国は魔物の大群に襲われるでしょう」
謁見の間が、ざわついた。
「馬鹿な。そんな荒唐無稽な話を......」
「本当です」
私が口を開いた。
「私がその魔法陣を破壊しました。そして、犯人も捕らえています」
「犯人だと? 誰だ」
国王陛下が問う。
「セシリア・ブランシュです」
私は答えた。
謁見の間が、静まり返った。
「セシリア嬢が......?」
エドワード様が青ざめた。
「彼女は闇の魔法使いでした。三百年前の大災厄の首謀者の子孫で、再び災厄を起こそうとしています」
「そんな......」
エドワード様がよろめいた。
彼が愛した女性は、実は敵だった。
「証拠はあるのか?」
国王陛下が厳しく問う。
「はい。セシリア本人の証言と、森で破壊した魔法陣の記録があります」
アシュレイが書類を差し出した。
国王陛下はそれを読み、表情を険しくした。
「......事実なら、一大事だ」
「陛下、私が魔法陣を探し出し、破壊します」
私は前に出た。
「私は古代魔法の継承者です。魔法陣を感知し、浄化することができます」
「お前を信じろと? 魔女を」
エドワード様が嘲笑うように言った。
その言葉に、私の心が痛んだ。
でも、もう屈しない。
「はい。私を信じてください」
私は毅然と言った。
「私は魔法使いです。でも、私の魔法は人を傷つけるためのものではありません。人を守り、救うためのものです」
「証明してみせろ」
国王陛下が言った。
「今ここで、お前の魔法を見せてみろ。話はそれからだ」
私は頷いた。
杖を掲げ、呪文を唱える。
「光よ、我が手に」
青白い光が謁見の間を照らした。
その光は優しく、温かく、誰も傷つけない。
貴族たちが息を呑む。
「これが、私の魔法です」
私は杖を下ろした。
「この力で、王国を守りたい。どうか、私に機会をください」
国王陛下は長い沈黙の後、ゆっくりと頷いた。
「よかろう。キアーラ・ローゼンベルク、お前に王国の命運を託す」
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
でも、エドワード様は納得していない様子だった。
「父上、本当によろしいのですか? 彼女は魔女です」
「エドワード、お前の選択は間違っていた」
国王陛下が厳しく言った。
「お前はキアーラを追放し、セシリアを選んだ。その結果がこれだ」
エドワード様は何も言い返せなかった。
私は彼を見た。
かつて愛した人。でも、もう何も感じない。
むしろ、哀れに思えた。
謁見の間を出ると、アシュレイが私の手を握った。
「よく頑張った」
「あなたが傍にいてくれたから」
私は微笑んだ。
「さあ、仕事を始めよう。王国を、救うんだ」
「ええ」
私たちは、魔法陣の捜索を開始した。
セシリアから聞き出した情報をもとに、王都周辺から調査を始める。
私の魔法で魔力の痕跡を辿り、魔法陣を一つずつ見つけ出していく。
そして、浄化魔法で破壊する。
それは過酷な作業だった。
魔法陣の中には、強力な守護魔法が施されているものもあった。
でも、アシュレイが私を守り、私が魔法で道を切り開いた。
二人なら、何でもできる気がした。
四日目の夜、森の中で野営をしていた時。
「あと三つだ」
アシュレイが言った。
「明日中に、全部破壊できるだろう」
「ええ、何とかなりそうね」
私は焚き火を見つめた。
「ねえ、アシュレイ」
「ん?」
「これが終わったら、私はどうすればいいのかな」
「どういう意味だ?」
「王国を救っても、私は魔法使いであることに変わりはない。また、どこかで隠れて生きなきゃいけないのかな」
アシュレイは少し考えてから、私の隣に座った。
「お前は、どうしたい?」
「私は......」
言葉に詰まった。
本当は、もう分かっている。
「辺境に帰りたい。あそこが、私の居場所だから」
「そうか」
アシュレイは微笑んだ。
「なら、帰ろう。お前の居場所に」
「でも、いつかまた、追い出されるかもしれない」
「なら、俺がお前の居場所になる」
「え......?」
アシュレイは私を真っ直ぐ見つめた。
「キアーラ、俺はお前が好きだ。お前の強さも、優しさも、全部」
心臓が、激しく鳴った。
「俺の傍にいてくれ。一生、お前を守る」
これは、求婚だろうか。
エドワード様からもらった婚約とは、まったく違う。
これは、本物の愛の言葉だ。
「私も......」
涙が溢れてきた。
「私も、あなたが好き。ずっと、傍にいたい」
アシュレイは優しく私を抱きしめた。
温かかった。
こんなに安心できる場所が、この世にあったなんて。
「泣くなよ」
「だって、嬉しくて......」
私は彼の胸で泣いた。
これまでの辛さも、悲しみも、全部この人が受け止めてくれる。
「ありがとう、アシュレイ」
「こちらこそ。お前に出会えて、本当に良かった」
私たちは、静かに抱き合っていた。
焚き火の音だけが、森に響いていた。
---
翌日、最後の魔法陣を破壊した。
王国は、救われた。
私たちが王宮に戻ると、国王陛下は感謝の言葉を述べた。
「キアーラ・ローゼンベルク、お前は王国の救世主だ。何でも望みを言うがいい」
私は少し考えてから、答えた。
「では、魔法使いへの迫害を見直してください」
謁見の間が、ざわついた。
「魔法使いの中にも、善良な者はいます。力の使い方を誤らなければ、魔法は人々を助けることができます」
「しかし、三百年前の......」
「あれは一部の者の暴走です。全ての魔法使いが悪なわけではありません」
私は訴えた。
「どうか、それを理解してください」
国王陛下は長い沈黙の後、頷いた。
「検討しよう。だが、時間はかかる。人々の恐怖は、簡単には消えない」
「それでも構いません。いつか、きっと」
私は微笑んだ。
エドワード様が、私に近づいてきた。
「キアーラ、すまなかった」
彼は頭を下げた。
「俺は、お前の本当の価値を見ようとしなかった。お前を失って、初めて気づいた」
「もういいんです」
私は静かに言った。
「あなたと私は、もう別の道を歩んでいます」
エドワード様は悲しそうに微笑んだ。
「そうだな。幸せに、なってくれ」
「ええ。あなたも」
それが、私たちの最後の会話だった。
謁見の間を出ると、アシュレイが待っていた。
「帰ろうか」
「ええ」
私は彼の手を取った。
「私たちの、居場所へ」
私たちは王都を後にした。
振り返ることなく、前だけを見て。
新しい人生が、私たちを待っている。




