8 夢から覚める
「僕は、アイリーンさんのような冒険者になります」
僕はそう宣言した。これから何があっても気持ちが揺らがないように、決心するために。
「そうだよね…、だと思ってたよ」
僕のことなのに、アイリーンさんは何故かとても嬉しそうだった。
「私みたいな冒険者って、トーマ君嬉しいこと言ってくれるね」
「本当のことです。とても、尊敬しています」
「尊敬って、褒めても何も出ないし、私そんな大層な人間じゃないよ!まぁでも、悪い気はしないけどさ…」
そういうアイリーンさんは、照れながらもそう言われた嬉しさを隠しきれていないように見えた。
さっき言ったことは本当だが、冒険者を選んだのには他にも理由があった。
冒険者は、犯罪歴さえなければ誰でもなることができるからだ。これはアイリーンさんが言っていたのを聞いた。元々僕にあった選択肢は、この街に定住する、別の街に定住する、特定の場所を決めずに旅をする、の3つだった。しかし、仮に身元不明である僕がどこかの国に住むとなれば、それは冒険者になるよりも複雑で時間がかかることになるだろう。よって残る選択肢は一つ。僕がこの世界で生きてくためには、冒険者になるのが最も手っ取り早かった。そういった理由もあって、僕は冒険者になるのを決めたのだった。
「じゃあさ、もし良かったらでいいんだけど…。私とパーティ組まない?」
アイリーンさんは少しだけ言いづらそうにして話を切り出した。
「…え?ほんとですか!?」
僕としては願ってもない話だったが、まさかアイリーンさんからそう言ってくれるとは思ってもいなかったのでかなり驚く。しかしアイリーンさんほどの冒険者とパーティを組めるのなら、それほど心強いことはない。
「ほんとほんと。もしトーマ君が良ければだけどね」
「僕は全然大丈夫ですし、むしろ嬉しいぐらいです。でも、アイリーンさんは大丈夫なんですか?僕なんかとパーティを組めば、ひとり旅でも無くなるし、アイリーンさんの足を引っ張ってしまうかもしれません」
一年半もひとりで旅をしていたそうだし、度々ゆっくり旅をするのが好きだと言っていたのでてっきり人に合わせず自分のペースで旅をするのが好きなんだと思っていた。もしかすると僕に気を使ってそう言ってくれているのかもしれない。
「冒険に足を引っ張るも何もないよ。あとまぁ、ひとり旅も好きなんだけどさ、ほら、私女で剣士だし、ただでさえ組んでくれる人も組みたいと思う人も少ないのに、その上でしたいこととか冒険のスタイルが一致するような人がいなかったってだけで、本当は私もパーティ組んでみたいとは思ってたんだよね」
女の冒険者は自体は少ないわけじゃないが、女の剣士というのは非常に珍しいそう。冒険者たちは、どうせ剣士を入れるなら男で強そうな剣士をと考える人が大半なので組んでくれそうな人が少なかったそう。また、冒険者の多くは魔物の討伐任務など依頼達成をメインとする人たちで、アイリーンさんのように大陸中を旅する冒険者はいないことはないが少ない。その少ない中から自分と馬が合いそうな冒険者を探すことも難しく、結局ひとりで旅をするに至ったそう。
「でもさ、短い間だけどトーマ君のことを見て、ここまで一緒に旅して思ったんだ。君となら楽しい旅ができそうだってね。旅の目的も、私と同じみたいだしね。でも、決めるのはトーマ君だから全然断ってくれても大丈夫」
もしかすれば気を遣ってそう言ってくれているのではないかと思っていたけれど、そうじゃないのであれば、僕がその誘いを断る理由は一つもなかった。
「いや、アイリーンさんが大丈夫なのであれば、ぜひ一緒に行かせてほしいです!」
この世界について何も分からない状態で旅をするよりも、知識や経験のある人と旅ができた方が心強い。それに、ひとりよりも、誰かと一緒に旅をした方が絶対に楽しいはずだ。
「良かった!じゃあ明日は早速ギルドに冒険者登録しに行こうか。これからよろしくね。トーマ君」
そう言ってアイリーンさんは笑顔で片手を差し出してきた。
こうやって改まってみるとなんだか緊張するが、僕は差し出された手を握り、アイリーンさんと固い握手を交わした。
「もしかしたら戦いとか長旅が嫌いかもしれないし、押し付けみたいになっても嫌だなと思って私から冒険者を勧めることはしなかったんだけど、やっぱりこうなるよね」
「はい。実はもう、結構前から決めてました」
「だろうね、なんとなくだけどわかってたよ。じゃ、これからどうするかも決められたし、昨日はあまり寝れてないでしょ?今日はもう部屋に戻ってゆっくり休もっか」
諸々の話も終わり、僕はアイリーンさんに借りてもらった宿の一室で休んでいた。
ここ二日間はとにかくいろいろなことがあった。
何故かはわからないが突然異世界に来て、アイリーンさんと出会ったり、野宿したり、街を観光したり。本当に、色々あった。これがたった二日間の出来事とは思えないぐらい怒涛の二日間だった。そしてこれは今日で終わる出来事ではなく、これからも続いていくのだ。
冒険者になったら、旅をして、この街以外にもいろんな国を見回って。もしかすると簡単な魔法ぐらいなら僕にも使えるかもしれない。
これから僕に起こりうる出来事を想像して期待に胸を膨らませる。
あれだけ僕を悩ませてきた不安の種たちは、もはや今の僕には関係なく、久々に頭がスッキリする。
一つの曇りさえない澄みきった気持ちで、部屋の隅にあったベットへ寝転がる。
たった数日前までは、こうしてベットに寝転がってみれば不安で頭がどうにかなってしまいそうだった。そのせいで深夜までなかなか寝付くこともできなかった。
しかし今日寝転がった僕を襲ってきたのは不安ではなく、二日間の疲れによる睡魔だった。どうやら僕が思っていたよりも、僕は疲れているようだ。
久々だ…。寝転がった瞬間に眠くなってしまうのは…。
そうして、明日への期待や喜びを感じる間もなく、僕は深い眠りに落ちていくのだった———。
◇ ◇ ◇ ◇
すっきりとした、気持ちの良い朝を迎えるはずだった。
目の前には昨日と変わらない宿の一室の景色があって、僕はその室内のベッドで眠っているはずだった。
しかし今、僕の目の前に広がる景色はそうではなかった。今僕の目に映っているのは、今まで毎朝見てきた、これといった特徴もないいつもと変わらない自分の部屋だった。
これが本来の景色であるはずなのに、僕はこの状況が理解できずに混乱する。
どういうことだ?なんで僕はまた、ここにいるんだ?
今自身がいる場所が夢なのか、現実なのか、それすらも理解ができない。
確かに昨日僕は異世界に行って、アイリーンさんと出会って、エドネの街へ行って旅をしたはずだ。あれは紛れもない現実だったはずだ。
しかし16年生きてきた世界と、夢の中で出会った異世界。どちらを信じられるかと言ったら、それはもちろん16年も生きてきたこの世界だが、そんな気持ちよりも、あれが夢であったと信じたくない現実逃避の気持ちの方が強かった。
そうして僕は、一つの結論に至った。
そうだ。これはきっと、元の世界へのほんの小さな未練が見せた夢なんだ。僕は今夢を見ているんだ。でなければ、説明がつかない。あの異世界が現実で、これは夢なんだ。
そう自分に言い聞かせるようにして、僕は今の状況を理解しようとする。
そしてこれが夢ならば、もう一度眠ってしまえばいずれ覚めるだろうと思い、ベッドの上でもう一度目を閉じる。しかしいつまで経っても意識が遠のいていくことはない。
再び眠りに落ちるのを待っていると、扉の方からノック音がして、そこから聞き慣れた声が聞こえてきた。
「冬真?…もうお昼だけど、どこか体調でも悪いの?」
母さんの声だった。その声がとても心配そうにしていたので、僕は咄嗟にその声に応えた。
「大丈夫だよ。少し夜更かししてて遅くなっただけ」
「そう、良かった。お昼ご飯置いてあるから、食べておいてね」
一つ一つの出来事がすべてリアルに感じられて、時が経てば経つほどこれは夢ではないことを嫌というほどに実感させられる。僕はそれでも信じたくなくて、その感覚を無視し続ける。
このまま考え続けても意味がなさそうだったので、ようやくベッドから出て足を床につけた。その後はいつも通り、顔を洗って、着替えて、リビングまで歩く。そこにはいつもと変わりない姿の母が立っていて、食卓の上には僕の分の昼食が置いてあった。
「珍しいわね。こんな遅くに起きるなんて」
そう言われたことを疑問に思い時計を確認してみると、それは既に現在が2時であることを示していた。こんな時間に目を覚ましたのは初めてじゃないだろうか。
「ほんとだ。少し夜更かししすぎたみたい」
「そう。昼夜逆転しないように気をつけてね」
いつもと何も変わらない何気ない会話をかわして、食卓につく。手を合わせて、目の前に置いてある食事を口に運ぶ。それはいつも通りの味がした。美味しかった。
食べる手を進めていくたび、その味を感じるたび、考えたくなかった事実を無理矢理に自覚させられているような気がした。
起きた時点で、母と会話をしていた時点で、本当はずっと分かっていた。気づかないように、認めないようにしていた。しかし、一つ一つの行動についてくる感覚が教えてくる。これは夢じゃない、紛れもない現実だと。
そう認めた瞬間僕の頭は言い訳のような、がっかりしたような言葉でいっぱいになった。
そうだよな、そんなわけがない。正気になって考えて見れば、異世界という存在自体あり得ないことだ。少しリアルな夢を見たからって勘違いするところだった。昨日見た世界はすべて、現実逃避をしたい僕が作り出した夢で、現実でもなんでもない。そもそも、いきなり異世界に行くだなんて都合のいいことあるわけがないじゃないか。
16年間毎日見てきた世界か、たった一夜の間に見た空想上の異世界か、どちらが現実なのか。少し考えればすぐにわかる。昨日のあれは夢だったのだ。
夢にしてはその記憶がはっきりと残っているが、夢の記憶が残ることはあり得ないことでもなんでもない。それだけ印象深いものだったのだろう、で片付けられてしまう。それに、実際僕は異世界転生や転移のような都合のいい出来事を羨ましく思っていた。その強い願望が、僕にリアルな夢を見せていたって何もおかしくない。
自覚したつもりが、いまだ心の奥底では認められない自分を落ち着かせるように。一口一口の味をよく噛み締めながら、これは現実だという意識を無理矢理に強めていく。
あまりにも都合が良すぎて、居心地が良すぎて、流されそうになっていた。そんなことあり得るわけがないのに。
ご飯を食べ終えた後は、部屋の中でただ呆然としていた。
昨日見た光景も、出会った人も、食べた料理の味も、その全てをぼやけることなく鮮明に思い出せるというのに。ただのそれは夢であったと結論づけるしかないのだ。
確かに夢の中で、普段決して歩かないような距離を歩いて街まで行って観光までしたわりに、起きた瞬間のこの体で疲れを感じることはなかった。つまりはそういうことなのだ。
勝手に現実だと思い込んで、あるはずもない期待して、夢であったことに失望している。僕が今向き合うべきは都合の良い夢ではなく、先の見えない目の前の現実だというのに。不安で頭がどうにかなってしまいそうだとずっと思っていたが、夢を見て現実逃避をするほどに僕の頭はおかしくなってしまったようだ。
そのあとも、普段と何一つ変わらないくだらない考え得ごとをしただけの無駄な時間が過ぎていった。やがて空は暗くなり、いつも通りご飯を食べ、風呂に入り、そうしてまたベッドに寝転ぶだけの一日。
しかし今日は、いつも通りでないことが一つだけあった。いつもは色々考えてしまってすぐに眠ることなんてできないのに、なぜだろうか。今日はやけに眠たい。しかし早く寝れるに越したことはないので、眠気の方から来てくれるのであればありがたい。
加えて、もう一つ欲をいうとすれば、夢でいいから、現実じゃなくてもいいから、もう一度だけあの夢が見たい。もう一度、アイリーンさんに会いたい。あの景色を、あの世界を見たい。不安な現実から僕を逃がしてくれるほんの少しの現実逃避を、短い間だけでも見せてほしい。眠気に襲われながらも、僕はそう強く、強く願う。
今日も今日とて何もない無駄な時間を過ごした。2日しかない休みの内半分を浪費した。
次に目が覚めた時、僕の目に映るのは現実なのか、それとも夢なのか、僕には全く分からないが、後者であることを願って、今日もまた深い眠りにつくのだった。




