04. 令嬢と聖女と王子、それぞれの綻び
翌朝、僕はすぐに行動を起こした。
対象はもちろん、昨日僕が提示した業務連携…『国家安定化計画』の実行についてだ。最初にすべきことは、関係各所――すなわち、ローザリアとアンジェラとの個別調整だ。彼女たちの協力なくして、このプロジェクトの推進はあり得ない。
場所は、城の一室にある豪奢な応接室。昨日、二人が舌戦を繰り広げた因縁の部屋だ。テーブルを挟んで向かい合った令嬢――ローザリアの完璧な微笑みは、昨日の険しさが嘘のように柔らかだった。
「レオニール様、本日はお時間いただき、ありがとうございます」
「いや、こちらこそ。昨日は急な提案で、君を困惑させてしまったかな?すまなかった」
「はい。驚きましたのは事実ですわ。ですが、困惑よりも…むしろ感嘆いたしました。殿下が、あれほどの慧眼をお持ちだったとは。わたくし、己の不明を恥じるばかりですわ」
完璧なフォローだ。僕が内心で感心していると、彼女は早速、事業計画の資料をテーブルに広げた。仕事が早い。
「昨日の殿下のご提案、早速我が商会で精査いたしました。交易路の整備とインフラ利用税の導入、極めて合理的です。こちらが、事業の概算とスケジュールになります」
僕たちは、それから半時ほど、具体的な事業計画について詰めていった。彼女の理解力と提案の的確さは、そこらの官僚を遥かに凌駕している。これなら、事業は問題なく進むだろう。
「―――ありがとう。事業については、君の協力があれば問題なさそうだ。信頼している」
僕がそう締めくくると、ローザリアは「光栄ですわ」と優雅に微笑み、こう付け加えた。
「……この事業を成功させるには、王家と我がクラウゼル家の、長期的で安定した関係が不可欠ですわ。レオニール様とわたくしが結ばれることは、王国にとって、これ以上ないほどの利益をもたらします。王家の権威と、我がクラウゼル家の財力。この二つが合わされば、隣国がどれだけ軍備を増強しようと、揺らぐことはないでしょう」
彼女が語る言葉は、理路整然としていた。婚約によって王国が得る利益を、淀みなく語っている。
だが、その完璧なプレゼンテーションの中に、『彼女自身の感情』という肝心のピースが、ぽっかりと、そして恐らくは意図的に抜け落ちていることに、僕は気づいてしまった。
「この縁談は、王国にとって最も効率的な『事業投資』。我がクラウゼル家との結びつきが、王国に盤石な経済基盤をもたらすことを、お約束いたします」
(事業投資…か)
確かに、政略結婚とはそういうものなのだろう。彼女の瞳が熱を帯びるのは、僕について語る時ではない。「王妃としての権限」や「王家の資産運用」について語る時なのだ。
まるで、これは恋の話ではなく、企業合併の最終プレゼンであると言われているかのようだ。
探るように見つめる僕の視線に気づくと、彼女は、その日一番に美しい微笑みを浮かべていった。
「……王妃の座とは、国を支えるための最も重い『責務』。わたくしはその重責を、クラウゼル家の名誉にかけて、生涯背負い続ける覚悟がございます。ですが、もちろん、聖女様の持つ民衆への影響力も、国にとっては代えがたい資産ですわね。殿下には、この国の未来を見据えた、最善のご選択をなさっていただきたい。そう、切に願っておりますわ」
◇
続いて、場所を移し、中庭に面した陽光溢れるテラスへ向かうと、そこは既に彼女ー聖女アンジェラのために完璧に整えられていた。
彼女の配下なのだろう、数名の騎士と教会の書記官たちが、大量の資料を運び込み、既にテーブルセッティングを終えている。僕が到着すると、彼らは一斉に、しかし音もなく恭しく頭を下げ、すっと控室へと姿を消した。
静かになったテラスには、僕とアンジェラ、そして僕の護衛騎士だけが残される。その組織力と統率力に、僕は内心で舌を巻いた。
「お待たせいたしました、レオニール様」
アンジェラは、まるで後光が差しているかのように、太陽を背にして、慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
「昨日、殿下がお示しくださった『国家安定化計画』は、まさに神の慧眼です。ローザリア様の交易路がもたらす富で、民を恒久的に救う…。なんと素晴らしい光の道筋でしょう。民は、殿下への感謝の祈りを捧げておりますわ」
彼女は一度、僕の計画を最大限に賞賛してみせた。しかし、その上で、深い憂いを瞳に宿らせる。
「……ですが。その光が民に届くのは、一体いつになることでしょう。交易路の建設には、年単位の時間がかかります。税収が上がり、基金が潤うのは、さらにその先…。されど、民の飢えは、今この瞬間も、彼らの命を削っているのです」
その言葉は、ローザリアの長期的な計画の正しさを認めながらも、その「遅さ」という一点を、鋭く、しかしあくまで穏やかに突きつけていた。
「ああ……聖女などと呼ばれながら、わたしくは無力ですわ。今日の糧なく倒れていく民に、何と声をかければよいのでしょう…」
アンジェラの悲痛な訴えは、テラスの空気を震わせた。僕の背後に控える護衛騎士の表情が、同情の色を帯びて揺らぐのが気配で分かる。
見事なものだ。彼女の言葉は、僕だけでなく、この場にいる全ての者の心を掴もうとしている。だが、その完璧すぎる聖女の姿に、僕は逆に冷静になっていた。
「……なら、こうしよう。教会が保有する備蓄穀物を先行して放出し、その費用は、基金の設立後、国庫から補填する。それでどうかな?」
あくまで冷静に告げた僕の提案に、アンジェラは、まるで救いの神託でも受けたかのように、はっと目を見開いた。
「まあ、『国庫』から…!? そのようなお考えが…!わたくし、感動で胸が震えておりますわ。殿下の慈悲深さは、まさに神の御心そのもの。すぐに、そのように手配いたしますわ!」
彼女は、僕の「慈悲」を最大級に賞賛したかと思うと、すぐさま控室にいた書記官に指示を飛ばした。彼らの動きに一切の無駄はない。
僕が提案した、というより、彼女の不思議な力によって、そう言わされたような気さえしてくる。その手腕と、そつのない行動に呆気にとられていると、彼女はおもむろにこう切り出した。
「レオニール様…。わたくし、昨夜は一睡もできずに、ずっとあなた様のためにお祈りを捧げておりましたの」
僕をまっすぐに見つめながら紡ぐ言葉は、情熱的だ。だが、その瞳にはどこか冷たい光が宿っている。
「わたくしとあなた様が結ばれれば、きっと神のご加護が、この国を隅々まで照らすことでしょう。きっと、この国から悲しみをなくすことができますわ。わたくしも、およばずながら、この祈りのすべてを、レオニール様の御魂をお支えするために捧げると誓いますわ」
その声は驚くほどに平坦で、まるで聖書の言葉を読み上げるかのようだ。昨日とは全く違うその事務的な響きに、僕は奇妙な違和感を覚えていた。
探るように見つめる僕の視線に気づくと、彼女は、悲壮なまでに美しい、聖女の微笑みを浮かべた。
「……王妃の座とは、神がわたくしにお与えになった最も尊い『試練』です。より多くの民の魂を救うため、わたくしはその運命を、喜んで受け入れる覚悟がございます。ですが、もちろん、ローザリア様の持つ経済基盤も、民の暮らしを支えるためには不可欠な力。殿下には、この国の未来を見据えた、最善のご選択をなさっていただきたい。そう、切に願っておりますわ」
◇
自室に戻り、僕はソファに深く沈み込んだ。
「どうなってるんだ…。昨日の激しいアピール合戦が嘘のように、今日の二人は揃って、婚約を遠回しに拒絶しているように見える」
二人とも『僕個人』に興味がないのは明白だ。なら、彼女たちの目的は『王妃の座』であるはず。でも、それにしては。
「今日の二人の態度は、その目的を達成するにはあまりに消極的すぎる。むしろ、失敗するリスクを高めているような…。…いや、もしかしたら……僕に『選ばれないこと』が目的なのか…?」
僕が考え込んでいると、静かにお茶の準備をしていたリラが、そっとこちらに視線を向けた。その全てを見通しているかのような瞳に、僕は導かれるように問いかけていた。
「…リラ。君には、この状況がどう見える?」
僕の問いに、彼女は待っていましたとばかりに、完璧な笑みを浮かべて耳打ちをする。
「お察しの通りかと存じます、カナタ様。お二人とも、立場上、王子との婚約者候補を辞退することはできません。ですから、表向きは熱心に求愛するフリをしつつ、内心では『どうか、王子の方からわたくしを切り捨ててください』と願っておられるのです。実に、矛盾した難しいお立場でございますわね」
リラの言葉に、僕は新たな疑問に突き当たる。
(辞退したがっている? なぜだ? そんなに、本来のレオニール王子は嫌われているのか? とんでもない暴君だったとか…?)
◇
早速、僕は、王子についての情報を集めるため、城の中を歩いてみることにした。しかし、聞こえてくるのは、僕の予想とは真逆の、王子への賞賛ばかりだった。
「王子がいれば、隣国の侵攻など恐るるに足らず!」
「王子の知略は、まさに天才の発想だ」
誰もが、レオニール王子を英雄として、完璧なカリスマとして称えている。民からの人気も絶大らしい。僕が混乱していると、一人の恰幅のいい年配の貴族が、僕に気づいて駆け寄ってきた。
「おお、王子! 本日もなんと勇ましいお姿か! その知略、そのカリスマ、そして、その陽光のように輝く金髪と、空を映したような碧眼は、まさに我が国の至宝 ……?」
そこまで一気にまくし立てた貴族は、僕の顔を真正面から見て、ピタリ、と言葉を止めた。彼の視線が、僕の黒髪と黒い瞳の上を、数秒間さまよう。
「……あ、いえ! その、近頃の殿下の、その、大地のように落ち着いた黒髪と、夜のように深いお色の瞳! ええ、実に思慮深く、親しみやすい! さすがは王子でございます!」
必死の形相で取り繕い、汗を拭いながら去っていく貴族の後ろ姿を見送りながら、僕はついに、この世界の決定的な「違和感」にたどり着いた。
完璧な英雄として、誰もが称える王子。
その完璧な王子に、なぜか嫌われたいと願っている、二人の婚約者候補。
そして、皆が知る「完璧な王子」とは、明らかに違う、僕の容姿。
一体、何がどうなっているんだ?この世界の綻びが、少しずつ、見え始めてきた気がした。
第四話!引き続き、お読みいただき、ありがとうございます!
令嬢ローザリアと聖女アンジェラ、彼女たちの見えざる真意と、真実の王子の影…。
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