03. 経営と福祉と行政と魔法
僕がソファにへたり込んで頭を抱えていると、静かな足音と共にリラが部屋に戻ってきた。空のトレイを抱えた彼女は、僕の様子に気づいているのかいないのか、相変わらずの完璧な笑みを浮かべている。
僕は、おそるおそる、震える指先を扉の方へ向けた。
「あの…。今のって…………魔法……ですよね?」
喉から絞り出した声は、自分でも情けないほどに上ずっていた。僕の問いに、リラは「あらあら」と小さく声を立て、くすり、と悪戯っぽく笑う。
「ええ、さようでございます。ほんの初歩的な生活魔法ですわ。驚かれましたか?」
(驚いたか、だって?当たり前だ!!)
内心で絶叫しそうになるのを、奥歯を噛み締めてこらえる。落ち着け、と自分自身に言い聞かせる。パニックは、的確な判断を鈍らせるだけだと、前世でも、嫌というほど学んだはずだ。
僕は、すーっ、はーっ、と意識して深呼吸を繰り返す。混乱しきった頭の中で、無理やり思考のスイッチを切り替えると、目の前の少女を見据えた。案の定、彼女は、僕の言動に少しも驚いてはいなかった。
よし。
僕は覚悟を決めると、目の前に立つ、この世界で唯一の手がかりである少女の名前を呼んだ。
「リラさん」
僕の、先ほどまでとは違う、落ち着いた声色に、彼女はわずかに目を細める。
「単刀直入に聞きます。……この国は、今、どうなっているんですか? さっきの二人も、君が今見せた魔法も……ここは、僕の知らないことだらけだ。僕がここで『王子』として生きていくために、必要な情報を、すべて教えてほしい」
僕の真剣な眼差しを、リラは静かに受け止めていた。そして――次の瞬間、彼女は「家庭教師」の顔になり、完璧な笑みで、こくりと頷いた。
「かしこまりました。それでは、カナタ様。このヴァイスハイト王国の現状について、ご説明いたします」
それから、まるで、有能な秘書官のような口調で、彼女の講義が始まった。
「現在、王家を支える力は、大きく二つに分かれております。一つは、先ほどのローザリア様のご実家、クラウゼル侯爵家を筆頭とした【貴族派】。古くからの領地と富を背景に、王国の経済と物流を支配しています」
(なるほど。ローザリアの交易路計画は、長期的な利益を追求する『ビジネス』の論理、か)
「そして、もう一つが、聖女アンジェラ様を象徴とする【教会派】です。全国の教会ネットワークを通じて、民衆の信仰と生活を深く掌握し、慈善事業も手掛けておられます。民からの人望は絶大ですわ」
(アンジェラの食糧支援は、目の前の命を救う『公共の福祉』の論理、と)
「国王陛下がご健勝であられた頃は、王家がその両者をまとめ上げておりました。しかし、陛下が病に倒れられて以来、両者の力は王権を脅かすほどに増大し、互いに国の主導権を握ろうと、対立を深めているのが現状です」
(そして、財源も権限も限られた中で、両者の要求の板挟みになるのが、王家という『行政』か……。前世で散々、経験させられた構図だ)
僕が内心で頷いていると、リラは窓の外に視線を送り、声を潜めた。
「さらに言えば、国境を接する隣国、ガルア帝国とは、常に一触即発の状態にございます。本来、内輪で揉めている場合ではないのですが…」
そこまで聞いて、僕は素朴な疑問を口にした。
「そんなに問題が山積みなら、いっそ魔法で、えいっと解決できないものなの? 例えば、お腹を空かせた人たちのために、パンを出すとか」
僕の言葉に、リラは「ふふっ」と愛らしく笑った。
「カナタ様は、本当に面白いことを仰る。残念ながら、魔法は決して万能ではございませんのよ」
彼女はそう言うと、テーブルの上の空のティーポットに、すっと手をかざした。何もないはずの空間から、きらきらと光る湯気が立ち上り、ポットの中へと熱いお湯が注がれていく。
「こうして、物質を『呼び寄せる』ことはできますが、無から有を生み出すことはできません。つまり、食料も、どこかに実在していなければ呼び寄せられないのです。そして、その実在する食料を手に入れるためには…元手、すなわちお金が必要になりますわ。他には…」
続けて、彼女はくるり、とその場で優雅に一回転してみせた。
すると、彼女が着ていた質実剛健なメイド服が、一瞬で、星空を縫い込んだような深い紫色の、きらびやかな魔女のドレスへと変化する。そして、もう一度回ると、元のメイド服に戻っていた。
「こうして、見た目の印象を少しだけ変える『目眩まし』くらいが関の山。これで敵兵が騙せるほど、世の中は甘くはございませんわ」
「……」
「ね、大したことないでしょう?」
(いや、十分すぎるくらい凄いと思うけど…!これが日常!?僕の常識が、どんどん上書きされていく…!)
僕が魔法の衝撃に言葉を失っていると、リラの雰囲気が、ふっと変わった。楽しげな笑みは消え、真剣な、まるで僕の魂を覗き込むような瞳が、まっすぐにこちらを射抜く。
「さて、カナタ様。あなた様は、どちらの派閥にお味方なさいますか?」
彼女は、一呼吸おいて続けた。
「……あるいは、もっと単純にお聞きしましょうか。ローザリア様とアンジェラ様、王子のお好みは、どちらでして?」
試されている。その問いが、ただの好奇心から来るものではないことを、僕は直感した。これは、僕という人間を値踏みするための、彼女からの「試金石」なのだろう。
僕は、今日一日の疲労を全て吐き出すように、深く、長いため息をついた。そして、飾らない本音を口にする。
「お好み、か…。正直、どちらも遠慮したいかな」
僕がそう言うと、リラの眉がぴくりと動く。僕は、構わずに続けた。
「というか、僕には不思議で仕方ないんだ。どうして、あの二人は、手を取り合って協力しようとしないんだろうって」
その答えを聞いた瞬間。リラの目が、これまで見せたことのない強い興味の光を宿して、キラリと輝いた。
第三話、お読みいただき、ありがとうございます!
謎のメイド・リラ。彼女は、果たして敵か、味方か…?
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▼別作品もぜひ!
『調和の女神はデバッグがお好き(連載中)』https://ncode.syosetu.com/n8235kj/
『天界再生計画(完結済み)』https://ncode.syosetu.com/n5419ks/