02. テンプレヒロインの要望は予算承認
「「レオニール様!」」
満面の笑みで駆け寄ってくる二人の少女を前に、僕――この国の王子、レオニール・カナタであるらしい――は、引きつった笑みを浮かべることしかできなかった。
先に僕の傍に辿り着いたのは、聖女アンジェラだった。彼女は、僕の数歩手前で、まるで予定調和であるかのように、自身のドレスの裾に愛らしくつまづいた。
「きゃっ!」
短い悲鳴。計算され尽くした角度で、彼女の華奢な身体が僕の胸の中に飛び込んでくる。ふわりと、陽だまりのような甘い花の香りがした。
「申し訳ございません、レオニール様! わたくしったら…」
潤んだ瞳で上目遣いに見上げてくる姿は、庇護欲をかき立てる小動物そのものだ。部屋の隅に控える護衛騎士が「おお…聖女様…!なんと可憐な…!」と胸を押さえている。
( …な、なんて、完璧な……完璧すぎるドジっ子アピール!練習したのか!?この聖女、底が知れない…! )
僕がその完璧な様式美に声もなく慄いていると、パチン、と扇子を閉じる鋭い音が響いた。
「なんてみっともないんですの、アンジェラ様。王子殿下の御前ですわよ」
冷たく言い放ったのは、令嬢ローザリアだ。彼女は、アンジェラを僕から引き剥がすように間に割って入ると、非の打ち所のない完璧な淑女の礼をして見せた。
「ごきげんようございます、レオニール王子殿下。ご健勝なご様子、何よりですわ。わたくし、貴方様にお目通りが叶うのを、今か今かと待ち焦がれておりましたのよ」
(こっちはこっちで、テンプレ悪役令嬢の高慢ムーブ! なんなんだこの世界は! 乙女ゲームのチュートリアルか!?)
二人の火花散るアピール合戦を前に、僕の精神は早くも限界を迎えようとしていた。しかし、その甘い(ただし、僕にとっては地獄のような)雰囲気は、唐突に終わりを告げる。
「ところで、レオニール様」
「ところで、王子殿下」
二人の声が、ぴたりと重なった。その瞳から、先ほどまでの熱烈なアピールの光は消え、代わりに、冷徹なまでの鋭い光が宿っている。
アンジェラが、祈るように胸の前で手を組み、悲痛な表情で訴えかける。
「貴方様の慈悲深いお心であれば、きっとご理解くださると信じておりますの。冬を前に、食料に事欠く民への『緊急食糧支援計画』…。今日こそは、どうか、ご裁可をいただけないでしょうか?」
すかさず、ローザリアがそれを鼻で笑う。
「相変わらず、わかっておいでにならないようですわね。我が国の喫緊の課題は経済。王子殿下、こちらを。我が商会と王国が共同で進める『北方交易路整備計画』。これにご承認を頂ければ、王家の資産は今の倍になることをお約束いたしますわ」
アンジェラは、困ったように眉を下げて反論する。
「まあ、ローザリア様。あなたこそ、お分かりになっていらっしゃらないようですわ。その交易路のために、どれほどの農民が土地を追われることになることでしょう」
「ええ、もちろん理解しておりますわ。ですが、それは国が豊かになるために必要な『コスト』。あなたの計画こそ、ただ国庫を食い潰すだけの、底の抜けた水瓶ではありませんこと?」
先ほどまでの恋する乙女の姿は、どこにもない。そこにいるのは、自らの正義と利益を背負い、一歩も引かぬ覚悟を決めた、二人の為政者だった。そして、その視線が、再び僕に突き刺さる。
「「さあ、王子!!わたくしと彼女(の施策)、どちらをお選びになりますの!?」」
僕に選択を迫る、鋭い視線が突き刺さる。
( コレは……最初の、ルート分岐……!選択を誤れば、身の破滅か…!?)
僕は、一度、静かに目を閉じた。ゆっくりと思考を巡らせる。
一つは未来の『経済』を、もう一つは現在の『人命』を救うための施策。目的が、そもそも違う。単純な比較はできない。王子としての基準は、どちらが、この国の未来にとってより大きな価値をもたらすかだ。
けど、今の僕には材料がない。そして、どちらかを選べば、角が立つ。なら、答えは一つしかない。
僕は、覚悟を決めて口を開いた。
「―――両方だ。両案とも、採択しよう」
「「え?」」
「ただし、無条件にじゃない。段取りは僕に従ってもらう。まず、ローザリアの交易路計画を国家事業として承認しよう。公共インフラ整備事業と位置づけ、予算を執行する。しかし、国庫から補助金を出す以上、その収益の一部を国庫に納めるのは当然の責務だ。収益の10%を『インフラ利用税』として徴税する」
「次にアンジェラの食糧支援。これも、民の不満を解消し、治安を維持するための危機管理対策と位置づけ、予算を執行する。その財源は、先の『インフラ利用税』を充当。これにより、恒久的な財源が確保できるだろう」
「二つの計画は、敵対するものではない。連携させることで、その真価を発揮するんだ。双方、協力して事業にあたること。いいね?」
僕の言葉に、二人は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、目を丸くして固まっている。やがて、我に返ったローザリアが、信じられないものを見るような目で言った。
「……いつもと、まるで違いますわね。いつもの王子でしたら、『面白い! 二人で競い合え! 俺を満足させた方に、褒美として妃の座をくれてやる!』と、高笑いなさるのに…」
(前任の僕、想像の10倍は酷いバカだったーーーーー!!!)
内心で絶叫しながら、僕は引きつった笑みを浮かべるしかない。
「は、はは…。少し、思うところがあってね。そう、まるで生まれ変わったような気分なんだ。これからは、国とも、君たちとも、真剣に向き合おうと思う」
その言葉がどう響いたのか、二人は一瞬、顔を見合わせ、そして再び完璧な笑顔を僕に向けた。その瞳の奥の光までは、今の僕には、まだ読み解くことができなかった。
◇◇◇
嵐のような二人がようやく退出していくと、部屋には嘘のような静寂が訪れた。僕は、全身の力が抜けていくのを感じながら、その場にへたり込みそうになるのを必死にこらえる。
(……疲れた……)
なんだこれは。まるで、前世の、地獄のような国会対応じゃないか。連日連夜、必死に答弁書と格闘していた日々を思い出す。
政治的な駆け引きと、丁々発止の言葉の応酬。まさか、異世界に来てまで、こんな腹の探り合いをすることになるなんて。
それを何の事前準備もなく、完全なワンオペでこなしたのだから、疲労も一塩だ。
僕がぐったりとしていると、部屋の隅に控えていたメイド(リラというらしい)が、静かにテーブルの方へ歩み寄った。彼女たちが飲んだ後のお茶のセットを、手際よく片付け始める。その姿を見て、僕はつい、口を開いてしまった。
「あ、僕がやりますよ。そういうのは、慣れてるんで」
会議室の後片付けは、いつも若手の仕事だった。それに、女性にだけこういう役を押し付けるのは、どうにも座りが悪い。僕の言葉に、リラはぴたり、と動きを止め、ゆっくりと振り返った。そして、くすり、と花が綻ぶように笑う。
「いえ、王子殿下がそのようなことをなさる必要はございません。お客人をもてなした後の片付けは、わたくしたち使用人の仕事ですので」
その丁寧な拒絶に、僕は「ああ、そうか。僕は王子なんだった」と、今更ながらに思い出す。リラは「ですが、そのお心遣い、嬉しく思いますわ」と続けると、再びテーブルに向き直った。
「すぐにお下げしますね」
彼女はそう言うと、ティーカップには指一本触れず、ただ、トレイに向かって、すっと優雅に手をかざした。その瞬間だった。
ふわり、と。
テーブルの上にあったティーカップとソーサー、ポットまでが、まるで意思を持っているかのように、ひとりでに宙に浮き上がる。そして、まるでバレエでも踊るかのように、お行儀よく回転しながら、寸分の狂いもなくトレイの上へと着地していく。
(!?!?!?)
僕が唖然と口を開けている間に、全ての食器を載せたトレイは、音もなく浮遊し、リラの後を従うようにして、静かに扉の向こうへと消えていった。
(……ま、魔法…!?だよな、今の!間違いなく)
この世界では、メイドさんまでがファンタジーの住人なのか。僕の常識は、この部屋を一歩出た瞬間から、もう何一つ通用しないのかもしれない。
さっきとは比べ物にならない、深い深いため息が、僕の口から漏れ出た。ハードモードだなんて生易しいものじゃない。これはもう、根元的なルールからして違う、異次元のゲームだった。
第二話もお読みいただき、ありがとうございます!
一癖も二癖もありそうなヒロインズと公務員王子・カナタ。これからどうなる!?
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▼別作品もぜひ!
『調和の女神はデバッグがお好き(連載中)』https://ncode.syosetu.com/n8235kj/
『天界再生計画(完結済み)』https://ncode.syosetu.com/n5419ks/