霊気の謎
夕刻の光が城内の一室を静かに染め上げていた。障子の向こうには赤く燃えるような夕陽が広がり、壁には淡い影が揺れていた。
瑠宇は一通り城内で集めた情報を蒼龍に伝え終え、やや疲れた様子で座り直した。
「結局、姫が意識を失ったのは二月前、城下の倉庫街で舟遊びをした直後のことでした。場所はちょうど第五倉庫の近くです」
蒼龍は煙管の灰を軽く叩きながら、静かに聞いていた。
「第五倉庫……。だが、玄作が囚われたのはほんの数日前のことだ。二月前とは時期が合わぬな」
「ええ。時期を考えると、玄作殿が直接関わっている可能性は低そうです。彼は第五倉庫で一式・時裂を使いましたが、それはついこの間のこと……」
ふたりはしばし沈黙し、それぞれが考えを巡らせた。
ふと、蒼龍が静かな声で口を開いた。
「……時期が外れているとしても、玄作と九式護符――一式・時裂が関係している可能性は捨てきれないな。あの男は半年前に影札で一式・時裂の作成依頼をされておったのだろう。試作品を作り、誰にも気づかれぬよう、人通りの少ない第五倉庫で試射していたのではないか?」
蒼龍の言葉に瑠宇が目を見開いた。
「試作品を……?」
「そうだ。玄作が一式・時裂を完成させる前段階で、試作品を使って効果を試すのは自然なことだ。場所は適度に人気がなく、霊気の流れも安定している倉庫街だ。さすがに人に向けて使ったとは考えられないが、その辺の野犬や野良猫だかに向けたのだろう。だが、試射の影響が予想以上に強く、余波が川の上まで届いてしまったとしたら?」
蒼龍は眉間に皺を寄せ、思考をさらに巡らせた。
「試作品とはいえ腐っても九式護符だ。並の者はただでは済まん。もし栞姫が余波とはいえ舟でその影響を受けたのだとしたら、姫の霊気が乱れ、この症状になったとしても不思議ではない」
蒼龍はすぐに袖をまくり、自身の身体に手を当てた。そして、ゆっくりと指を滑らせる。
「我々も玄作の一式・時裂の影響を受けた。姫の時よりずっと高度なものだ。まずは自分の霊気の状態を調べる必要がある」
蒼龍は慎重に、自身の霊気の流れを辿り始めた。その表情が徐々に険しくなっていく。
「瑠宇、お前の体も見せろ」
蒼龍は瑠宇の身体に手を当て、霊気を確かめ始めた。瑠宇は緊張しながら、その様子を見守っていた。
「……これは」
「何か問題が?」
「これは……予想以上に深刻だ」
蒼龍は声を低く絞り出した。
「お互いの体内に、極小の霊気だまりが複数ある。通常、符によって乱された場合、霊気だまりは大きな一つの塊として現れるものだが、だがこれは異常だ。これほど小さな霊気だまりが複数存在するのは、診たことがない」
瑠宇も眉をひそめ、考え込んだ。
「複数の極小の霊気だまり……。師匠。もしかすると、それこそが一式・時裂の本質なのでは?」
蒼龍は興味深げに瑠宇を見つめる。
「続けてみろ」
瑠宇は集中して推理を巡らせた。
「一式・時裂の本質が“強力な霊気の波”であるならば、それは対象の体内に複数の極小な霊気だまりを作り、肉体への負担は抑えつつも認識のみに作用する仕組みかもしれません。それにより意識を刈り取り時を裂く、記憶の忘れもそれなら説明がつきます。そのためには、極めて緻密で繊細な霊気の制御が不可欠で、高度な技術と希少な素材が必要になるはずです」
瑠宇の言葉に、蒼龍は深く頷いた。
「妥当な推論だ。一式・時裂は単なる時の操作ではなく、人の認識を狂わせる巧妙な仕組みであれば納得がいく。玄作ならば、確かにその筋で作成を試みるだろう」
蒼龍は静かに立ち上がり、符面台に向かった。
「この極小霊気だまりを解くための新たな符を考える必要がある。姫を治療する前に、まずは我々自身の霊気を正気に戻さねばならない」
瑠宇は蒼龍の隣に座り、手伝いの準備を整えた。
「師匠、私にもできることを教えてください」
蒼龍は軽く微笑んだ。
「よい機会だ、お前にも頭を使って符を書いてもらう。お互いの体を実験台として、符の効果を確かめるぞ。今回の仕事は繊細かつ複雑だ。気力も頭脳も限界まで使え」
瑠宇は覚悟を決めて頷いた。
「姫様のためです。必ずやり遂げます」
蒼龍ろ瑠宇は筆と紙を広げ、夕陽の下、符の構造を緻密に考察しはじめた。長く伸びる影には揺るぎない決意が陽炎のごとく滾っていた。