謁見と診察
早朝の町はまだ静かだった。
蒸気馬車の中、蒼龍と瑠宇は正装を整えて座っていた。
蒼龍の礼服は墨染めの僧衣で、肩口には銀糸で縫い取られた芦原藩の家紋が浮かんでいる。これは符術による治療活動を藩が公認した際、特別に許された紋だった。
瑠宇は濃緑の狩衣風の上衣に紋付き袴を履き、帯には筆筒と護符を差し込んでいる。どちらも礼を失わず、実務にも適った装いだ。
蒸気馬車が城下に入り、車窓から芦原城の白壁が見え始めた。
巨大な石垣と漆喰の壁が整然と並び、櫓は朝日を受けて眩しいほどに輝いている。
街路に並ぶ青磁製の霊気街灯、城門の両脇に立つ衛兵が構える霊気槍――西洋技術の流入を感じさせるこの城の景色に、瑠宇は軽く息を飲んだ。
馬車が止まり、ふたりは石畳を踏みしめて本丸へ向かった。城門をくぐり、天守の高く伸びた軒先を見上げる。金鯱が朝日にきらめき、異国の香りを帯びた技術の融合がもたらす、荘重で奇妙な美しさがそこにあった。
本丸に到着すると、広間で待つ藩主・芦原典膳との謁見に通された。
襖が開くと、年配の男が奥座敷に座していた。緋色の紐で結わえられた白髪混じりの総髪、威厳ある表情には鋭い目が光っている。黒地の裃には、芦原家の家紋が鮮やかに描かれていた。
「久方ぶりであるな、蒼龍。よく参ってくれた」
穏やかな言葉だが、その瞳はまるで値踏みするような色を浮かべていた。
蒼龍はかつて藩政の許可を得るために一度だけこの場に参じている。今回もおそらく、その記録を引き出し、改めて目を通した上での挨拶だろうと感じていた。
「お目通し、ありがたく存じます。以前、公許の件でお世話になりました」
「うむ。才ある者の動きは、間が空こうとも目に留まる。さて……早速本題に入ろう」
典膳はゆっくりと言葉を継いだ。
「姫のことだが、この二月ほど夢に囚われ、覚醒せぬ日々が続いておる。医師も薬も効かぬ。霊気によるものではと考え、符術師である貴殿を呼んだ次第だ」
蒼龍は低く頷いた。
「差し支えなければ、医師の診断や普段の姫君の様子をもう少し詳しく」
「医師の見立ては“心の病”で一致しておる。だが病というには様子が異なる。姫は目を開けても虚ろで、声も届かず、まるで魂だけが夢の中に置き去りのようだ」
蒼龍は黙考し、静かに口を開いた。
「霊夢干渉符による症状に似ております。霊脈の攪乱か、誰かによる干渉か……。診断と療治のため、七日ほど姫君を拝見するお時間をいただけますか」
典膳はわずかに表情を硬くしたが、すぐに承知した。
「よかろう。七日間、全てを委ねよう。ただし、手荒は許さぬ」
「承知いたしました」
診察のため、二人は姫の私室へ案内された。
薄紅色の帳の向こうに、姫は静かに横たわっていた。
肌は透けるほど白く、長い睫毛が閉じられている。目は僅かに開いていたが、光はなく、深い夢の中に囚われているようだった。
蒼龍が脈を取り、瞳孔を確認する。
「……深く、霊夢に囚われている。外的干渉に違いないが、問題は術者だ」
そのとき、女官が進み出て声をかけた。
「お二人様、姫様のことをお伝えしても?」
「ぜひ聞かせてください」
女官は小さく頷き、語り始めた。
「姫様はお優しく聡明な方ですが、時にお転婆で、よく町へお忍びになりました。民と触れ合うのがお好きで、いつも笑顔が絶えませんでした。ただ、このところ夢を見て以来、目を覚ましても言葉を発せられず、まるで心がどこか遠くへ行ってしまわれたようで……」
女官の言葉に瑠宇は静かに胸を打たれていた。
(優しく、聡明で自由な姫君……こんな状態になってしまうなど、絶対に許せない)
瑠宇の決意が、胸に火を灯した。
蒼龍が顔を上げ、瑠宇に目配せをした。
「診療を始めよう。瑠宇、手伝え」
「はい」
瑠宇は筆と紙を手に取り、蒼龍は姫の額に護符を添えた。霊気が穏やかに姫の身体を包み始める。
(絶対に助ける……。何があろうと、この人を元に戻してみせる)
瑠宇は胸に強く誓った。その眼差しは、すでに診療を超えた熱を帯びていた。
窓から差し込む光が、静かな寝台を明るく照らし始めていた。