黄昏の使者
穏やかな風が、初夏の気配を乗せて芦原城の城下町を吹き抜けていく。青く澄んだ空の下、城の周囲を囲む緑の木々は瑞々しく輝いていた。玄作をめぐる騒動から数週間が経ち、町は普段の穏やかな姿を取り戻しているようだった。
城の謁見の間では、藩主・芦原典膳が静かな威厳をまとい、蒼龍たちの報告を待ち構えていた。畳にはかすかな檜の香りが漂い、障子から差し込む日差しが室内を柔らかく照らしている。蒼龍の脇には瑠宇が静かな面持ちで座り、その後ろでは春吉が落ち着きなく緊張を浮かべていた。
報告を始めるべく蒼龍は、深く礼をとり、静かな声音で語り出した。
「藩主様、前回の件についてご報告いたします」
蒼龍の静かな声が謁見の間に響いた。芦原典膳はわずかに頷き、鋭い視線を向けて返す。
「承ろう。玄作の一件、その後の処理は?」
「玄作の行いについてはご容赦いただきたいと存じます。彼は確かに護符術の道に傾倒しすぎ、道を踏み外しかけましたが、最期はその過ちを自らの命で清算したものと思います」
典膳は目を細め、ゆっくりと頷いた。
「よかろう。もとより、そなたらが収めた問題だ。こちらとしてもこれ以上の追及はいたすまい」
「ありがとうございます。そして、もう一つお願いがございます」
「ほう、それは?」
蒼龍は背後をちらりと振り返る。緊張した面持ちの春吉が、小さく喉を鳴らした。
「彼を改めてご紹介いたします。玄作の弟子、春吉──本日より名を春風と改め、護符師として独り立ちさせたいのです」
典膳は僅かに眉をひそめ、春風を見やる。
「独立、か。玄作の弟子とは聞いているが、年も若い。いささか早計ではないか?」
「春風は確かに霊気を直接扱う術を持ちません。しかし、霊気を用いずに特殊な方法で青丹鉱を生成するという稀有な才能を持っています。いまや、その成果は尋常ならざるものとなっております」
「尋常ならざる、と言うが?」
蒼龍はその問いに応じるように、一度周囲を見回した後、静かな声で告げた。
「藩主様、恐れながら人払いをお願いいたします。事が事ゆえ、慎重を期したく」
典膳はすぐさまその意味を察知したらしい。軽く手を上げ、傍らの家臣らに合図する。
「全員、下がれ。ただし栞姫、お前は残れ」
家臣たちは深々と頭を下げ、速やかに謁見の間を後にした。栞姫が僅かに頷いて典膳のそばに静かに控えると、蒼龍は懐から包みを取り出し、畳の上に置いた。それをゆっくりと開くと、青白い輝きが室内を柔らかく照らした。
「これは──蒼晶石か? しかし、これほどの大きさは見たことがない」
「いいえ、これは春風が独自の方法で作り出した青丹鉱です。地脈から採取する通常の青丹鉱とは比較にならぬ純度と霊気含有量を持ちます」
典膳はわずかに息を飲み、春風を改めてじっくりと観察した。
「春風よ、これは本当にお前が?」
春風は緊張のあまり声を震わせつつ、はっきりと頷いた。
「はい、藩主様。私は生まれつき霊気の扱いに不自由しておりますゆえ、師匠に隠れて霊気を間接的に籠める方法を研究しました。その結果、このような結晶ができた次第です」
「これは非常に重大な成果だ。しかし同時に、外に漏れれば非常に危険なものともなり得る。ふむ……、春風よ、聞け。お前がこの生成法を秘匿しなければ、即座に蒼龍、瑠宇ともども極刑とする。蒼龍、瑠宇も同じくこのことは秘匿せよ」
春風は顔を青ざめさせ、がくりと肩を落とした。
「あ、あんまりです藩主様……」
その姿に瑠宇が小さくため息をつき、軽く春風の背をはたいた。
「しっかりしろ、春風。藩主様の御前だぞ」
春風は「は、はいっ!」と慌てて背筋を伸ばし直した。典膳はその様子を微笑ましく見つめつつ、小さく頷いた。
「よかろう。免状を出してやる。春風よ、これからも蒼龍と瑠宇の教えをよく聞き、精進するがよい」
春風は深々と頭を下げ、声を震わせながら力強く告げた。
「ありがとうございます。必ずや、師匠たちに恥じぬ護符師になってみせます!」
「それにしても蒼龍、お前がそこまで認めるとは珍しい。こやつの才能は本物なのだな?」
「はい、藩主様。未熟ながら、本物です。きっと我々の助けとなりましょう」
典膳は満足げに頷いた。その傍らで栞姫が優しい笑みを浮かべている。場はようやく和やかさを取り戻しつつあった。
その時、部屋の外から慌ただしい足音が響き、戸口が軽く叩かれた。
「殿、失礼いたしまする。蒼龍庵にお客様が来られました」
「どこのどアホだ、ここはワシの城、芦原城だぞ! 蒼龍の客がどう間違えばこの城に来る!」
「それが……、黄昏通信の者だと申しております」
典膳と蒼龍の視線が交錯した。典膳は怒気を収めわずかに目を細める。
「黄昏通信か……厄介な。蒼龍、心当たりは?」
「いえ、特には……」
典膳は座り直し、瑠宇と春風に目配せを送った。
「本日は大儀であった。蒼龍、今後も弟子ともども符術に励め」
「藩主様、失礼いたしまする。改めて感謝申し上げます」
典膳は軽く手を上げて応じた。
「うむ、またいつでも参れ。また文でもよこすがいい」
蒼龍たちは深々と頭を下げると、静かに謁見の間を退出した。
蒼龍庵に戻ると、玄関先には見知らぬ男が待っていた。男は静かに蒼龍を見据え、深々と頭を下げると一枚の影札を差し出した。
「蒼龍様、本来ならば黒神棚より届けるべき札ですが、事情が事情ゆえ、直接参りました。黄昏通信からの極秘の影札仕事でございます」
その言葉に蒼龍の目が僅かに険しくなった。瑠宇も緊張した表情で影札を見つめている。後ろで春風が興味津々に覗き込もうとするが、瑠宇に肘で軽く制され、うっすらと唇を尖らせる。
「極秘、か……」
蒼龍は男から札を受け取り、慎重に封を開いた。記された内容を一瞥するや、彼の眉がさらに深く刻まれた。




