春風
夕暮れの町道を、蒼龍と瑠宇は並んで歩いていた。
空は沈み、山際に僅かな茜色が滲む。ふたりの影は、細く長く、石畳の上に伸びていた。
「影札の内容を思い返しました」
瑠宇が静かに切り出す。
「玄作の生死ではなく、あくまで符材の回収だったな」
蒼龍がうなずく。声は低いが、どこか憂いを帯びている。
瑠宇は一歩前に出ると、夜の気配を吸い込むように言った。
「しかし、霊潮域で玄作殿が話していました。青磁テックの符材は、すべて使い切ったと」
「……ならば素直に伝えるしかないな」
蒼龍は重く息を吐いた。
「もっとも……」
足を止める。
「玄作の長屋を改める価値はある。使われなかった符材が残っているかもしれん」
瑠宇は「承知しました」と返事をして、ふたりは町はずれの湯屋へ向かった。
湯屋の灯りは柔らかく、庭には春吉の小さな影があった。
彼は一人、庭石に腰を下ろし、苔むした岩をじっと見つめていた。
蒼龍は無言で近づき、そっと春吉の隣に腰を下ろした。
瑠宇も少し遅れて並んだ。
「あれ、お二人ともお戻りですか? ──それで師匠は見つかりましたか?」
春吉の明るい声が、夜気に溶けた。
蒼龍は、心して聞けと伝え、霊潮域で起こった出来事を言葉を選びながら語った。
霊潮域や鎮潮柱のこと、九式護符の件、そして暴走した玄作のことはかかわりのない春吉が知るべきことではない。戦いのこと、玄作が最後まで護符にすべてを懸けたこと──そして玄作が硯を託して死んだこと──
話し終えると、蒼龍は懐からそっと硯を取り出した。
「玄作から預かった。あやつの形見だ」
春吉は目を見開き、それを両手で受け取った。
小さな肩が震えたが、泣きはしなかった。ただ、深々と頭を下げた。
「玄作は最後にお前のことを心配していた。霊気が扱えず符が書けぬゆえ、しばらく預かってやってくれとな。お前の好きにすればいい。うちに来て瑠宇の筒仕事を覚えるもよし、ほかで弟子入りするもよしだ」
やがて顔を上げると、春吉は小さく、しかしはっきりと告げた。
「わかりました……、師匠の指示に従います。蒼龍庵で、働かせてください」
蒼龍は柔らかく頷いた。
「わかった。かしこまるな。もう身内だ」
瑠宇も静かに目を細めた。
続いて札の任務について話すと、春吉は「はい」と素直に応じた。
三人は並んで、長屋へと向かった。
歩きながら、瑠宇は少し重くなった雰囲気を変えようと、栞姫の病の話とそれを救った治療法を話した。春吉は内容を聞き、驚くとともに一つ問いかけた。
「姫様の治療……もしかしたら、別の手もあったかもしれません」
「別の手?」
蒼龍が聞き返す。
「はい。葛籠に霊気を籠めた青丹鉱を詰め、それを姫様と繋げれば、霊気供給の補助ができたかと……直接霊気を結ぶよりは、負担も少ないかと」
「霊気を籠める?」
蒼龍も瑠宇も春吉の話が今一つ理解できなかった。
「私は霊気操作ができないのでお二人のように符を書くことはできません。……かわりに枕元に置いた箱と私を接続符でつなぎ、箱の中に青丹鉱を詰めるんです。一晩たったら私の身脈から霊気が漏れ出て青丹鉱に霊気がたまるんです。それを符に使うと師匠や皆さんと同じような使える符が出来上がるんです。見つかった時師匠には酷く叱られましたが……」
春吉は、子供のように小さく笑った。
「未熟者が楽をすると変な癖がつくと言いますし。とはいえ符が書けないと弟子を名乗れませんから、師匠に隠れて一日一枚作って、あとは筆の運びをずっと練習してましたね」
「師匠……」
「春吉、長屋でその青丹を見せてくれるか?」
やがて長屋へたどり着いた春樹とはいいですよと言って中へ入っていった。
黒火に破壊されていた長屋は補修されており、新たに据えられた戸の内部は以前より整理され、かすかに生活の気配が戻り始めていた。
春吉は自分の机から道具箱を引きずり出し二人に渡した。手早く金具を外し、蓋を開ける。
「いくつか、入っているはずです。どうぞ、見てください」
遠慮がちに言う春吉に、瑠宇が頷き、箱の中を覗き込んだ。
「これは……!」
蒼龍の声がわずかに裏返った。
整然とは言い難いが、緩衝材代わりに詰め込まれた布の下から、拳ほどもある蒼晶石がごろりと7つばかり顔をのぞかせた。
青白く、透き通った結晶は、まるで蒼月の欠片を削り出したように輝いている。
蒼龍は慎重に一つを持ち上げ見聞する。
ずしりとした重み。
表面には霊気がほとばしるように脈動している。
これほどのサイズと純度をもつ蒼晶石など、尋常の地脈では到底産出できないはずだった。
「これが青丹鉱だと……? もはや蒼晶石と同じ……いや、それ以上の……」
蒼龍が珍しく声を低く震わせた。
その後ろから覗き込んだ瑠宇も驚きのあまり口がきけずにいた。
「これは、本来なら……地脈の奥、あるいは霊潮との境界でしか手に入らぬ代物だ。しかし、これほどの大きさなど見たことがない……!」
常識を逸脱した光景が、そこにあった。瑠宇が再度道具箱に目を落とすと、青丹鉱の下に隠れて木彫りの判子が敷き詰められていた。
「春吉さん、この判子は何ですか? 見たところ符の一部が彫られているようですが」
「ああ、よく使う符の筆跡を掘ってるんですよ。普通の符は霊気を籠めながら書くので筆でないと霊気がこめられなくて判子はご法度らしいですが、霊気を使えぬ私には関係ないですし、霊気を先に籠めた青丹鉱なら判子でも符として機能するので助かっています。師匠の身の回りを世話をしながら符の練習もするなんて、こうでもしなきゃ時間が足りないですからね」
春吉の口から話される内容に瑠宇と蒼龍は理解が追い付かず互いに言葉を失っていた。
だが、その当の本人は気にも留めず、隣の小箱をごそごそと探っている。
「おっ! ありました、これです」
春吉が嬉しそうに小さな葛籠を取り出した。
「これが、青磁テックから送られてきた荷を詰めた葛籠です」
固まっていた瑠宇は気を取り直すと、小さく礼を言って蓋を開ける。中には、袋が一つと白紙の符束、幽絹虫の筆が数本。
袋には、青磁テックの家紋がくっきりと焼き印されていた。
「……あれっ?」
袋を手に持った瑠宇が首をかしげた。
ずっしりと重い。なにかが入っている。
戸惑いながら袋を開き、中を覗く。
小粒の蒼晶石が、ざらざらと音を立て、袋の底に半分ほど残っていた。
「玄作殿は確かに使い切ったと……」
蒼龍は、険しい顔で袋を受け取ると、指先で中身を確かめた。
「──おそらく、青磁の荷だ。黒火が奪ったのは……」
「すみません、青磁テックの葛籠に青丹鉱が入ってませんでしたか? 10あったのに3つなくなってるんですよ。確か入りきらずにそっちに入れた気がするんですが」
「符の判子に一式・時裂を作る青丹石か……、玄作のやつ何が護符匠にはなれん、筒の手入れ仕事をさせろだ。とんだ傑物じゃないか」
二人は春吉の言葉に答えず、慎重に結晶を指でつまみ上げる。
透き通った小さな石の中心には、うっすらと渦巻く霊気の核が見えた。
春吉は首をかしげながら二人を気に留めず、蒼龍庵へ移るための支度をし終わると、再度声をかけた。
「準備できました。後の荷物はおいおい取りに戻ればよいでしょう。あと蒼龍様、いえ師匠。できれば蒼龍庵では筒の手入れ仕事と、できれば師匠の符を教えていただけますでしょうか。霊気を扱えぬ身ですが符を書くことは楽しいのです」
「もうお前は玄作から免許皆伝をもらっている。私からもそう教えられることはないだろう。群符の書き方を覚えたら私からも免許皆伝をやる」
春吉はきょとんとした顔で蒼龍をみつめる。
「瑠宇、春吉に一週間で群符の書き方を叩き込んでやりな。そのあと藩主様に報告と春吉の開業免状をもらいに行くよ」
「わかりました」
「えーとそれでは? 蒼龍庵で働くというのは?」
「お前はさっさと独り立ちして玄作を安心させるんだよ。名前もくれてやる。そうだね……、お前は今日から春風と名乗りな。春風庵。よし決まりだ」
春吉あらため、春風は筒仕事を習うのを楽しみにしていたと泣き崩れ、兄弟子、瑠宇がそれも教えますからと弟弟子を宥めた。
結果的に春風は群符を2日で覚え、残りの5日で筒仕事も瑠宇から免許皆伝と太鼓判を押された。




