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影札商売  作者: To-Marigi
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霊潮域

足元一面を満たす青白い光が、濃い靄となって揺れている。

霊気の流れは川ではなく、海底の潮流のように緩急をつけながらうねり、光の表面を不規則に波立たせていた。

流れの中には壊れた(はり)や瓦、箪笥の抽斗(ひきだし)など人間の生活を思わせる瓦礫が混じり、ときおり光の渦に巻き込まれては闇へと沈んでいく。頭上は果てしない暗黒で、柱壁の護符板がほのかに銀光を返す以外、影すら判別できない。それらの間をキラキラした青い光が連なり流れていく。目を凝らすと大きいものでは拳の大きさほどもある蒼晶石の塊だった。


「まるで陸地を飲み込んだ海ですね」

瑠宇が息を潜めると、吐息はすぐ白い霊気に溶けた。


蒼龍は頷き、前方を指す。

光の地平線に、煤煙(ばいえん)のような黒い(もや)が一筋立ちのぼっている。


二人は靴底を確かめながら、光の浅瀬を渡った。

近づくにつれ、靄の奥にぽつんと古びた平屋が現れる。

土壁はひび割れ、瓦は半分崩れ、柱脚(ちゅうきゃく)の周囲を霊気の波が洗っていた。

入り口の柱に掲げられた表札は朽ちかけていたが、「研究班」の字だけがかろうじて判読できる。


戸を開けて中へ入ると、薄暗い土間の中央に玄作がいた。

机を畳に置き、筆を握ったまま全身を前屈みにして符面を埋め尽くす細字を書き込んでいる。周囲には黒火の義肢兵が半円を描くように立っていたが、刀は鞘に収めたままだ。

玄作が「手出し無用」とでも命じたのだろう。兵たちは不満げに口角を引きつらせつつも、刀を抜く様子はない。


「玄作、第五倉庫での試射は悪手だった。藩主の娘にまで影響が及んだぞ」


玄作は顔を上げず、筆先も止めない。

「……試射? 藩主? 知らん話だ」

声はかすれているが、書の勢いは一分の揺らぎもない。


不意に義肢兵の隊長が笑い声を漏らした。


「教えてやろうか。冥土の土産だ」


蒼龍と瑠宇が身構えるのも気にせず、隊長は淡々と告げた。


「半年前だ。玄作、この爺は青磁テックから影札で依頼を受けた。一式・時裂の試作だ。できた符は順次、青磁に送たんだろう。爺が自身が試したことはない。文のやり取りだけで改良を加えていたわけだ。藩主の娘がどう当てられたのかは知らんが、第五倉庫で暴れたのは、青磁の研究員どもが持ち込んだ試作符だった。この爺じゃない」


瑠宇は拳銃のグリップを握り直した。


「それで黒火がどうかかわる」

「半年もそんなことをしていたら嫌でも何処かが嗅ぎつけるさ、たまたま最初に異変を察知したのが黒火だっただけだ。俺らの上役が倉庫の急襲を命じて情報収集さ。そこにいた青磁の連中を捕らえて拷問にかけた。おかげでな……、協力している護符匠の存在も、霊潮での作業計画も、何から何まで全部白状させたってわけだ」


「……!」


義肢兵隊長は鼻で笑う。


「ただここから先は誤算でな、いつもだったら最後にこの爺を山に埋めて終わりだが、一式・時裂を作れるほどの腕前があるなら殺すのは惜しいと、せっかくだから一式・時裂を作らせてすべての手柄を上役が独り占めしたいと言い始めてな。だから今ここで爺の子守をしているってわけだ。青磁から奪い取った符材ごと、完成品をかっさらうためにな」


「──つまり、すべての黒幕は、青磁テックだったというわけか」


「その通りだ。青磁のやつらも太っ腹だ。自分のところの研究員には砂みたいな蒼晶石を渡して、この爺には見たこともない大きさの蒼晶石をくれてやるんだからな。あの霊気の満ち具合を見せてやりたかったぜ。霊潮から引き上げたばかりだと言っても俺は信じるね」


男は宝物を見つけた子供のようにしゃべり続ける。


「それにお前たちも奴らから影札をもらってるんだろ? 青磁の荷を奪還せよってな ああ違う違う、青磁にいる間者が教えてくれただけだよ。そりゃそうさ、あんな貴重な蒼晶石をまんまと盗まれちゃそうなるわな。向こうさん方は大方こうなると思ってたみたいだぜ。お前ら良い道化だったな」


火縄銃を握る理宇の手に力が入る。


一方の玄作はと言えば相変わらず机に張り付くように筆を走らせ続けていた。

全身から湯気のような霊気が立ち昇り、滝のような汗を床に垂らしている。


蒼龍が一歩進み、玄作の机上を覗く。

そこで走る文字は、螺旋と格子を何重にも重ねた細密な符。

その呼吸のような脈動は、今まさに四層目へ展開しようとしている――時裂の本符だった。


「四層も重ねるとは、極小霊気だまりは導入部に過ぎんのか」

「そうだ。あれは“刻種”。まだ一割にも満たん」

筆を止めないまま、玄作は淡々と語る。


「刻種で時間を区切り、縫合して糸を作り、断裁で不要な年数を削る。

最後に再束――これで若返りが完成する。青磁の材料もこれで使い切った」


蒼龍の手と比べ、玄作の手は白く、皺が消え、まるで壮年の職人のものだった。


「試作で手に使ったが震えがなくなって助かった。仕上げは……これで終わりだ」


玄作の声音は狂気すれすれの熱を帯びていた。


書きあがった時裂の本符を、彼は躊躇いもなく自分の胸に貼り付けた。


ぴしり──


空間に亀裂が走ったような音が響いた。

同時に、霊潮域全体が脈動し、強烈な霊気の波が吹き荒れた。

瓦礫が舞い、光の流れが渦を巻く。

だがすぐに、鎮潮柱の護符群が作動し、暴走する霊潮を強制的に吸い上げる。

柱全体が鈍い銀光を放ち、世界を押さえつけるかのように沈静化していった。


玄作は、膝を突き、しばらく荒い呼吸を繰り返した。

汗まみれの顔をゆっくり上げると、そこには明らかに若返った彼の姿があった。

頬のこけた線はふくらみ、白髪の根元にはかすかに黒い色が戻っている。


だがその目は蒼龍と瑠宇を見ても、微塵も懐かしさを覚えなかった。

代わりに、むき出しの警戒と怒りを浮かべた。


「何者だ貴様ら! 職人の作業場に土足で踏み込むとはいい度胸だな!」


「玄作……」


蒼龍が手を伸ばしかけた瞬間、義肢兵たちが刀を抜いた。

刀身に張られた霊符が霊潮の光を弾き、刃が青白く光る。


「ははは! よし、思い出せなくても構わん。命令も撤回だな、まとめて斬り捨てろ!」


瞬間、数名の義肢兵が飛びかかってきた。

その動きは鍛え抜かれた軍犬の群れのように、無駄がなかった。

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