過去
鎮潮柱の内部は、想像を超えて深かった。
湿った石に刻まれた螺旋階段が、柱の内壁を縁取りながら底へと吸い込まれていく。
一段一段を踏みしめるたび、足裏に冷たい霊気が跳ね返り、呼吸は自然と浅く速くなった。
階段の途中、護符板が銀の紋様を幾重にも重ねて隙間なく埋め込まれていた。
霊気を受け止め、上層へ向かうたびにその光を静かに浄化して放つ──
まるで大河をいくつものせき止めで小さな支流に分け、人々の手の届かぬ深淵へと導く仕掛けのようだ。
見上げると、闇に覆われた天井が遥か遠く霞み、
見下ろせば、玻璃のように透き通った蒼白の光が、底なしの海のように揺れている。
それは霊潮の気配──大地の深層を奔る霊気の奔流。
一歩、また一歩と下るたび、肌に触れる空気は重く、霊気の圧がじわじわと体を押してきた。
「……不思議な感じですね」
瑠宇がぽつりとつぶやく。
「上は闇。下は光。普通は逆だろうに」
蒼龍は足を止めずに答えた。
「この柱は、霊潮を地中深く封じるためのものだ。
上に行くほど霊気を薄めて逃がし、下へ向かうほど純度が濃くなる。造りとしては正しい」
二人の足音だけが、霊気に満ちた螺旋の空間に微かに反響していた。
「これほどのもの、誰が作ったんです?」
瑠宇が問うた。
蒼龍は足を止めず、淡々と答えた。
「三百年前。霊潮が噴き上がり、大地が裂け、富士が噴火し、国が傾いた。その後、幕府は十二本の鎮潮柱を築いた。地脈と霊潮を抑え二度と繰り返さぬためにな」
瑠宇は護符の光に照らされる蒼龍の横顔を見上げた。
小さな背中に、何か途方もないものを感じた。
しばらく黙って下り続け、瑠宇がまた口を開く。
「でも、どうして師匠は、こんなにも詳しいんです?」
蒼龍はふと立ち止まり、壁に手を触れた。
護符板から伝わるわずかな霊気の脈動に目を細める。
「話してもいい頃合いかもしれないな」
蒼龍は階段脇のわずかな踊り場に腰を下ろした。
青白い光に照らされたその横顔は、どこか遠い世界を見ているようだった。
蒼龍の過去
「私は伊賀の山奥にある修験寺──万覚院の門前に捨てられた子だった。雪の積もる寒い夜だったそうだ。生きるため、私は符の扱いを叩き込まれた。
やがて才を見込まれ、幕府の直轄研究班に引き取られた。童女のうちからだ。そこでは、九式護符の開発が行われていた。私は六式──血契の研究班に配属された。血で命を結び、力を束ねるやがて禁忌符となる研究の一つだ」
瑠宇は蒼龍が普段使う治療符の穏やかな力を思い出し、それがどれだけ異質な出自を持つかを初めて知った。
「……一式・時裂については?」
「一式・時裂については、別の研究班の管轄だった。九式護符はそれぞれ相互に影響するが、ただの研究員だった私には断片的な情報しか知らされなかった。時間を裂き、操る――それだけをな。」
短く笑った蒼龍の笑みは、ひどく寂しげだった。
「そして、八式まで護符が完成し、いよいよ九式・破星。最後の護符は試射と同時に暴走したと聞いている。それがわかったのは柱をも砕き、大地を、江戸を、灰に変え研究班が壊滅した後だ」
蒼龍はしばし沈黙した。
ほの暗い闇の中、彼女の声だけが静かに続く。
「今、私が庵で使っている治療符は、その副産物だ。私は偶然、瓦礫の中から生き延びた。しかし、禁忌符研究の一人として追われ、隠れ、流れ着いた先で治療院を開き、流れ流されしたあげく、何の因果かまた江戸に舞い戻った。命を救うため、そして私の命を繋ぐために血塗られた技を作り直した。だから──、そこらの町人よりは正しい知識を知っている」
瑠宇は、ひとつ、深く頭を下げた。
「……私は、師匠の弟子です。その血塗られた技で救われた人の顔を隣で見てきました」
蒼龍はかすかに微笑み、さらに歩みを進めた。
螺旋階段の終わりが近づいてきた。
蒼白い光は足元を覆い壁面を覆いつくさんばかりとなった。霊気の震えが胸の奥まで突き抜ける。
そこは、霊潮の底だった。
大地の傷口から溢れ出す霊気の奔流。
湖面のように、青く、白く、どこまでも果てしなく続いている。
二人はそっと足を踏み入れた。
これまでのすべてを背負いながら──




