新たな符
日が経つのはあまりにも速かった。
蒼龍と瑠宇が城内で極小霊気だまりを解消する新たな符の研究に没頭するうちに、与えられた七日間は瞬く間に残り少なくなっていた。
研究を始めてから既に三日が過ぎたが、状況は芳しくなかった。蒼龍はこれまでの治療符を応用して、極小の霊気だまりを一つずつ消すことには成功していたが、それはあまりにも非効率だった。一人の人間の体内に無数に散った極小の霊気だまりを、個々に処理することは現実的ではない。何より、患者自身の体力が持たない。
四日目の昼、そんな焦燥の中、蒼龍と瑠宇は藩主・芦原典膳に呼び出された。謁見の間には前回と同じ静謐な緊張が漂い、典膳は静かな目でふたりを迎えた。
「蒼龍よ、栞の容体はどうだ。診療が進んでいる様子だが、見通しは立ったか?」
芦原典膳は穏やかな声色で問いかけたが、その目は鋭く、二人を射抜いていた。蒼龍は慎重に言葉を選んだ。
「典膳様、栞姫様の症状については原因を突き止めておりますが、難儀しております。姫様の体には極小の霊気だまりが無数に存在しております。ひとつひとつ消すことは可能ですが、体への負担が大きすぎます。複数を同時に消す符を作成中ですが、未だ手がかりすら得られておりません」
典膳は黙って蒼龍の言葉を聞き終えると、静かな口調で瑠宇に目を向けた。
「瑠宇といったな。お前はこの状況をどう見る? 若い目から見た意見を聞かせてくれ」
瑠宇はまさか自身に話が振られるとは思っておらず、わずかに動揺した。それを察したのか、典膳の表情が柔らかくなった。
「遠慮せず、正直に言え」
瑠宇は息を整え、慎重に答えた。
「典膳様、栞姫様の容体は確かに深刻です。ただ、この新たな符の研究が進めば必ず回復できると信じております。師匠が難儀されているのは、それだけ繊細な霊気操作が必要という証です。若輩者ですが私も身を粉にして研究の供をしております。何卒、今しばらくのお時間をいただければと存じます」
典膳は僅かに微笑み、頷いた。
「ふむ。お前の師への信頼と献身、確かに伝わった。引き続き任せるが、お前たちに預けた日はもう少ない。くれぐれも頼むぞ」
二人は謁見の間を辞し、自室へと戻った。瑠宇の顔色には焦りが見え隠れしていた。
翌朝、蒼龍は夜明け前に起き出し、城内を歩いて庭園へ向かった。庭の中央には見事な枯山水が広がり、朝日に照らされて静かな輝きを放っている。その整然とした美しさを眺めつつも、蒼龍の胸中には解決策が見つからない焦りが渦巻いていた。
その時だった。ふと視線の先に小さな影が舞い降りた。一羽のメジロだ。その鳥は軽やかに枯山水の砂の上に降り立つと、あたりを窺いながら羽を休めた。しばらくすると、もう一羽が舞い降り、さらに一羽、また一羽と続いた。やがて、小さな鳥たちは自然な輪を作り、砂の上で小さな群れを形成していた。
蒼龍はその様子をじっと見つめていた。ふと、その光景から霊気だまりを一つずつではなく、一度にまとめて処理するための符が浮かんできた。
(霊気だまりを一つずつではなく、全体として捉えればよいのだ……鳥が群れを作るように、小さな霊気だまりを群として扱えば……)
蒼龍の目が鋭く輝いた。彼はすぐさま自室へ戻り、瑠宇を呼び寄せた。
「瑠宇、符の仕組みが見えたぞ。今すぐ作る」
蒼龍の声には確信が満ちていた。瑠宇もその表情に気づき、即座に準備を始めた。
朝の光が射し込む静かな城内の一室で、蒼龍は筆を取り、慎重に新しい符を書き進めていた。紙の上に細かな文字が流れるように描かれてゆき、やがて複雑で繊細な図式が浮かび上がっていく。
瑠宇はその手元を、息を詰めて見守っていた。
符を半ば書き終えたところで、蒼龍がふと口を開いた。
「瑠宇、私が今書いているこの符の仕組みをお前に詳しく教えておこう。これは通常の符とは異なり、霊気の流れそのものを再構築する仕掛けだ」
瑠宇は興味深そうに身を乗り出した。
蒼龍は筆を一度置き、軽く息を整えると続けた。
「これまで我々が扱ってきた符は、単純に霊気の流れを一点に集中させるものだった。だが一式・時裂の影響で形成された極小の霊気だまりは、通常の符のように一つずつ個別に処理していてはキリがないし、体がもたない」
瑠宇は深く頷き、その説明を黙って聞いていた。
蒼龍は再び筆を取り、図式を指し示しながらさらに詳しく説明した。
「だが、私は今朝、庭で群れを成していた鳥たちを見て気付いたのだ。一羽一羽ではなく、鳥が自然に群れとして一体になるように、これら無数の霊気だまりも『群れ』としてまとめることが可能なのではないかと」
蒼龍の目は輝きを帯び、声に熱がこもった。
「この符は、体内に散らばった極小の霊気だまりを個別ではなく全体の『群』として捉える。そして、この符が作用すると、個々の小さな霊気だまりは自ら自然と一つのまとまりに統合されてゆくのだ」
瑠宇の顔に驚きと理解が広がった。
「つまり、群れを作る鳥と同じように、小さな霊気だまりが符の誘導により、一つの霊気だまりにまとまっていく……」
「そうだ、その通りだ」
蒼龍は頷き、さらに筆を慎重に進めていった。
「この符が重要なのは、それぞれの霊気だまりを強引に消すのではなく、群自体に“正しい流れ”へ戻るように促す点だ。霊気とは元来、本来あるべき自然な流れに戻ろうとする性質を持っている。それを符が後押しするだけでよい」
蒼龍の手が止まり、符の形が完成に近づいていく。
「最後にまとまった霊気だまりを通常の符で解消すればよいということでしょうか?」
蒼龍は微笑み、軽く頷いた。
「その通りだ。これが完成すれば、栞姫の症状も必ず改善できる。何より、符が2枚で済むため、体への負担が少ない」
瑠宇はその説明に感動すら覚え、心の中で深くうなずいた。
蒼龍は最後の一筆を書き終え、符が完全な形となった。
「完成だ。瑠宇、さっそく試すぞ。お前の体で効果を確かめる」
瑠宇は頷き、心を落ち着かせて符を受け入れる準備を整えた。蒼龍が符を瑠宇の胸元に置き、ゆっくりと力を込めた。
瞬間、瑠宇の体内にあった極小の霊気だまりが一斉に動き出し、一つの流れとなってまとまっていく感覚が走った。ほんの数秒のうちに体が軽くなる。
「師匠……これなら、いけます!」
「よし、まとまった霊気だまりをほどくぞ。この符が効いているうちにほどけば霊気調整の符は必要ない」
蒼龍は瑠宇の体内で固まった霊気だまりを探り当てると、解きの符を取り出し慎重に力を込めた瞬間、瑠宇の体内で霊気が急激に流れ始める感覚があった。
瑠宇の体を覆っていた重苦しさがみるみる消え、次第に意識が澄んでいった。だが次の瞬間、強烈なめまいが襲い、視界がぐにゃりと歪んだ。
(何だ……!?)
目を開くと、瑠宇は薄暗い第五倉庫の内部に立っていた。




