影札の霧と消えた護符匠
符術師・蒼瀧は、弟子の瑠宇と共に霊気を操る「護符」を使い、町人の治療をする傍ら、危険な影札仕事を請け負っていた。
小雨が降る朝、江戸の一角にある甘味処《霊菓堂》の裏手。木造の小さな離れ蒼瀧庵に、戸を叩く音とともに、腰をさすりながら老婆が入ってきた。
「尼さま、また腰が痛くなってねぇ。動くのもつらくてさ」
「無理をしたんだろう。腰を見せてごらん」
蒼瀧は引き出しから霊符を取り出し、老婆の腰に貼った。符がふわりと青く光り、じわりと消えていく。
「おお、楽になった……ありがとねぇ。あたしらは、もう尼さまに頼るしかないから」
「私も似たようなもんさ。でも重い荷物は若い者に任せること。腰をやりすぎると、符でも間に合わなくなるよ」
「そうかい。じゃあ次からは瑠宇さんにでも頼もうかね」
奥で火縄銃を手入れしていた瑠宇が顔を出した。
「筒の預かり仕事がなければ、いつでも声をかけてください」
「そうは言うけどこの子も毎日客が来るんだ。筒が減ったことがない」
老婆と蒼瀧が笑い合う。老婆は礼を言い、霊菓堂の方へ戻っていった。
すぐに次の来客。火縄銃を背負った若い猟師の荒牧が入ってきた。
「瑠宇いるか。山に入る。急ぎで鉛玉と火薬、早合を二十、干し飯があればあるだけ頼む」
瑠宇が準備を始める。
「荒牧の旦那、山から戻ったばかりでしょう。もう山に入らないはずでは?」
「札仕事だ。隣の山に銀狼が出た。山のヌシと呼ばれる熊が、食い殺されてたって話だ」
「その土地の猟師たちは?」
「すでに二人やられたらしい。人手が足りんのさ。よねの出産が近くて、当分山に入るつもりはなかったが、札とあっちゃ断れん」
「お前さんの女房のことなら心配いらない。産婆も手配してある。あんたがいなくても、子どもはちゃんと生まれるよ」
蒼瀧は立ち上がり、護符を数枚取り出して渡した。
「問題はあんたの方だ。そんな銀狼、手に負えないかもしれないよ。霊符、使えるんだろう? 持って行きな」
「いくら渡せばいい」
「銀狼の毛を一掴み。二掴みあれば、買い取ってもいい」
「毛なんぞ持って帰っても仕方ない。いずれ渡すもんだろ」
「ただの狼と思うなよ。腕一本で済めばいいけどね。奴に手足をもがれても必ず生きて帰ってくるんだよ。よねの腹の子に免じて全部生やして治してやる」
瑠宇が風呂敷に荷を包みながら口を開いた。
瑠宇「旦那は銀狼狩りは初めてでしょう。鉛と早合は霊印付きで用意しました。よく効きます」
荒牧「ありがたいが、今は金がない」
瑠宇「差額は銀狼の爪と骨でいいです。もし手足がなかったら――」
ちらりと蒼瀧を見る。
瑠宇「師匠に生やしてもらったあと、私の筒仕事を手伝ってください」
荒牧は苦笑しながら風呂敷を背負い、礼を言って出ていった。
蒼瀧「朝の診療が終わったら、よねの長屋に行くよ。留守を頼むね」
瑠宇「はい、師匠。銀狼の毛が手に入れば助かりますね。霊符の筆を買い足さなければと思っていたところです」
蒼瀧「霊符を書くには銀狼の筆がいる。符を数枚渡しただけで一掴み手に入るなら、安いもんだよ」
瑠宇「旦那のことだから、手足もがれても口にくわえて毛を持ち帰りそうですね」
蒼瀧「私は賭け事をしないと何度言ったらわかるんだい」
ふたりが笑ったちょうどその時、戸が乱暴に開いた。息を切らした青年が飛び込んでくる。
青年「尼さま! 師匠がいなくなりました!」
札仕事:町や村、企業などが出す正式な仕事の依頼書。お札の形状。指名の場合断ると厄介なことになる。
筒:火縄銃の普段読み。
早合:火縄銃の装填を早くするために作った火薬と弾丸の包み。
銀狼:地脈に住む大型の霊獣。毛は霊符を作る際の筆になる
霊符:霊気を帯びて反応する特別な護符。書き方により様々な効果を載せられる。
霊印:霊符と同じ原理で作られた刻印。弾丸に刻むと霊獣に効きやすい。