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第2話 女のオナニーを笑うな

 「オカズとは、オナニーに用いる視覚や聴覚に訴える類のパッション、でしたよね?」

 「満点だ、ロニ」正史郎は大胸筋を隆起させた。「よく覚えていたな」

 初めてのオナニー、その強烈すぎる快感は、未だにロニの四肢を痺れさせていた。それ故に、よろける。

 逞しい大胸筋に支えられ、ロニのロニは再び熱を持った。

 「ごめんなさい、正史郎様」謝罪しつつも、なお深く身を預ける。「こんな弾力、初めて」

 生まれたての夜気が窓から入り込んでくる。淫乱の種はまかれたようなものだ。

 くどいようだが、ロニは美しい。一夜の過ちを犯すことは赤子の手をひねるより容易い。ちんこが付いているって? それが良いのではないか。

 ロニが足を絡めた。やる気だ、こいつ。妖艶が美を際立てる。

 快楽の扉は既に半開き状態。しかし、正史郎はロニの体を優しく突き放した。史上稀にみる紳士ムーブであった。

 伊達に39年も生きてきたわけじゃない。愛に責任が伴うことは知っている。俺は自由でありたいんだ。それでこそのオナニスト。

 「ズボンをはけ」全裸で指示を出す。「ロニ。お前は俺の依頼を受けたんだ。オカズの作成、今はそれだけに集中してくれ」

 「集中なんて出来ません!」再び、逞しい大胸筋に身を投げる。「こんな事になってしまっているんだから!」

 ロニのロニから溢れ出す痴情の潤滑油が、正史郎の腹部を光らせた。

 上目遣いの目が、ゆっくりと閉じられる。小さく突き出される唇。こんなかわいい顔、そうそう拝めるもんじゃないぜ。

 それでも、事ここに至ってさえ愛を放棄するオナニストの鏡。再び、正史郎はロニの体を優しく突き放した。

 「オナニーは己を律するためにもある」真っすぐな目で、言った。「猛り狂う衝動を鎮めたければ、シコれ」

 ロニは従順だった。そうして、本日二度目の発射。恍惚として、清潔な足指までもが反り返った。

 「若いのだな。三分足らずのインターバルでこの量とは」

 「獣が、去りました」言葉通り、ロニは憑き物の落ちた顔をしていた。「信じられない。欲望がこんなにも綺麗さっぱりと」

 「人類が正しいオナニーを身に付けられたならば、悲劇は消えてなくなるだろう」

 「ラブアンドピース・・・・・・」

 「ロニ。仕事に取り掛かれるな?」

 「今なら最高の絵が描けますよ!」

 筆が、走る。絵の具の一滴にまで魂が宿る。キャンバスが、震えた。

 一時間足らずで力作は仕上がった・・・・・・ペニスがしっかりと見えるアングルでサイドチェストを決める正史郎の絵・・・・・・。

 正史郎の頬を冷や汗が伝った。

 「オカズです」ロニは胸を張った。「正真正銘の」

 「ロニよ。聞いてくれ」努めて冷静な声で、言う。「オカズは十人十色。俺の裸体で発情する者もいれば、馬の尻で発情する者もいる」

 「馬の尻を描くのが正解でしたか!?」

 「違う。それは例えだ」腕を組む。「お前にはまずエロのインプットが必要だな」

 「エロのインプット! 僕、何をされちゃうんですか!?」ロニのロニが三度熱を持った。「ナニを!?」

 「ロニ。己を律しろ」

 ロニは従順だった。そうして、本日三度目の発射。もう、慣れっこだった。

 「ロニよ。風俗はどこにある?」

 「ごめんなさい。分かりません。絵のこと以外には疎くって」

 「ならば仕方あるまい。町を散策してみるか・・・・・・」

 「話は聞かせてもらったぞ、正史郎!」勢いよくドアを開いた男が、叫んだ。「色をお求めか!」

 「マルコ!」

 「そう、私はディープシュナイダー家8代目当主、マルコだ!」胸のエンブレムが輝く。「喜べ! 私の行きつけの風俗店に君たちを招待してやろう!」

 「必要ないよ、風俗なんて!」

 「何奴!?」

 振り向いて、マルコは闇夜に全裸の女を見た。

 「パイオツが丸出しではないか!」言うや否や剣を抜く。「見るに堪えん。切り落としてやろう」

 高々と上がった刃が灯火に煌めく。そうして、全力の振り下ろし。乳房に対する慈悲は皆無だ。

 刃が鼻先をかすめた、刹那に、全裸の女は呪文を唱えた。そうして、吹き飛ばされるマルコ。どこからともなく吹き荒れた強風によるものだ。種も仕掛けもない、俗に言う魔法ってやつだ。

 壁に強く打ち付けられ、マルコはそのまま前のめりに倒れた。

 「マルコ!」

 「正史郎様! 大丈夫です!」マルコに駆け寄ったロニが言う。「気を失っているだけです!」

 「あたいはサキュバスのチナツ!」

 全裸の女が名乗った。なるほど、一見したところではSNS上に存在する令和ギャルだが、よく見ると羽根と尻尾が生えている。コスプレの類ではないことが一目瞭然な生々しさだ。

 「嗅いだことのない甘い精液の匂いがしたんでね。レアなポコチンを食い尽くしに来てやったよ」

 「サキュバスか。お前らのことはエロ同人で熟知している」正史郎が前に出た。「夢魔の縛りがないのもエロ同人仕様だな」

 「おっさんのくせに綺麗なポコチンしてるじゃないか」舌なめずり。「絞ってやんよ!」

 言うや否や、下半身目掛けて襲い掛かる。オナ禁20日目の童貞より獰猛だ。

 細い指先が亀頭をかすめた、刹那に、正史郎は口を開いた。

 「チェンジだ」その声は落ち着き払っていた。「お前じゃイケない」

 細い指先は、睾丸に触れる直前で止まった。

 リアルで、ネットで、かわいいと持てはやされてきた。都内をぶらぶら歩いて、集めた芸能関係者の連絡先は二桁に達している。インスタのフォロワー三万人は、アンチを抹殺するキラーマシーンだ。称賛だけを浴びてきた人生。そんな順風満帆をぶち壊す、チェンジ、の侮辱。お前じゃイケない、のダメ押し。

 チナツの整った顔が、怒りで歪んだ。

 「このジジイ! 目ん玉くさってんのか!? あたいのどこが気に入らないっていうんだい!?」

 「処女だろ、お前」

 断言だった。チーズの犬種はマルチーズではないと断言するくらいに断言だった。

 ギャルメイクに、少女の顔が透けた。

 「イカれてるのかい!?」上擦った声。「あたいはサキュバスだよ!」

 「処女膜が丸見えだ」

 言われて、隠して、すぐにハッとして、また露にする。

 「でたらめを言いやがって! 見える訳がないだろう! おっぴろげてる訳じゃあるまいし!」

 「俺の生まれ育った島国は狂っていてね。この世のありとあらゆる性器にモザイクをかけちまうのさ」正史郎の顔は悲しみに満ちていた。「望まずとも、心眼は鍛えられる。そんな哀れな侍にかかれば、処女膜はおろか恥骨まで丸見えなのだよ」

 深い悲しみが、言霊となった。事実だけを述べているのだと、誰もが理解できた。

 サキュバスとして生を受けた以上、裸族スタイルがデフォルトだ。大陰唇の色彩から肛門の皺まで見られてなんぼ、どんとこい! そんな天然のメンタルセットでさえ、否、そんな天然のメンタルセットだからこそ、暗部を透視されている事実に、恥じらう。免疫がない。視姦に免疫がない。

 初めて味わう恥ずかしさは、快感を伴った。ギュッと丸めたつま先まで頬と同じ色に染まる。処女膜が、湿った。

 「お前はまだ何も失っていない。リアルのポコチンは百害あって一利なし。生きるためか繁殖のためでなければ、関わるな」

 「あたい・・・・・・あたい・・・・・・」

 「チェンジだ! 三度は言わんぞ!」

 気圧され、チナツは表に出て、夜空へと飛び立った。

 「ロニよ」ドアを閉めながら、言う。「マルコの容体は?」

 「回復魔法をかけました。明日の朝には目が覚めるでしょう」

 「回復魔法? エロ同人に出てくる、無限にイケるようにする呪術のことか?」

 「ごめんなさい。よく分かりません。でも、似たようなものだと思います」

 「それなら安心だ」正史郎は遠い目をした。「風俗は、明日以降か」

 「必要ないよ、風俗なんて!」勢いよくドアを開いたサキュバスが、叫んだ。「これからキンタマが空っぽになるんだからさ!」

 灯火が、サキュバスの黒ずんだ小陰唇を照らした。

 「俺はフジコ! ここいらのサキュバスを束ねている者さ! よくも内の新入りに恥をかかせてくれたね! あんたら、干からびたって許さないよ!」

 女の花盛りは四十代、とは正史郎の座右の銘である。だというのに、どうであろうか、この正史郎の陰った顔は!? 憂いている! 心の底から憂いている!

 「念のため、聞いておこう。フジコよ、お前はどれだけのポコチンを食らってきた?」

 「聞いて縮み上がるんじゃないよ。千さ! サウザンド!」

 「サウザンドポコチン・・・・・・」ロニは身震いした。「胃もたれしそう」

 女の笑い声はよく響いて、筆の豚毛さえもがなびいた。悔いていない、誇っているのだ。三国時代やら戦国時代やらの武将が千人切りを誇るように。

 笑いの連鎖反応で、ロニも笑い出した。笑いにはそういう力がある。しかし、正史郎は一向に笑わない。むしろ、泣いている。

 「何を泣いてんだい!?」笑い声は怒声へとスムーズにシフトした。「キンタマむしり取ったろかい!?」

 「初なクリトリスをしているからさ」こぼれ落ちた涙がイグサに染みを作る。「お前の男運のなさを哀れんで泣くのさ」

 あなたのために泣いてくれる人はいますか? います、と答えられる人は幸せ者です。この世知辛い世の中においては、いない、と答えるのがスタンダード。フジコもまた、スタンダードの枠から外れることのない女だった。だからこそ届いた、涙の思い。フジコは、レディースの総長みたいだった先程までが嘘のようにしおらしくなった。

 「Gスポットを探り当てるのは金脈を見つける以上に困難。Gスポットの開発はロケットの開発以上に困難」正史郎はフジコの肩にそっと手を置いた。「クリトリスこそが快楽のフリーパス。当然、個人差はあるがな」

 「でも、俺、世界一の床上手を自称する男とも関係を持って、それで、その男、ポコチンの挿入とピストンしかしなかった」

 「フジコ、よく聞け。その男は噓つきだ。床上手はポコチンに依存しない、手と道具を使う」

 「でも、俺、何度もイって・・・・・・」

 「フジコ! お前も嘘つきか!?」

 何度も、自分に言い聞かせてきた。どれだけ痛くても気持ち悪くても、自分に言い聞かせてきた。これが気持ちいいのだと。自分はイっているのだと。噓に塗り固められた、千の思い出。真実へと帰還するのは、今。

 「イケません! ポコチンでは!」フジコは泣き出した。「一度だって気持ちよかったこと、なかった!」

 「正直な奴は好きだぜ」

 正史郎はフジコの額にキスをした。赤ん坊にしてやる類のキスだ。

 月並みなセックスしか知らない、故に愛を知らない。初体験の幸福感で、フジコの心はほぐれた。

 「イキたい」切実だった。「イキたい」

 「イケるさ」涙はもう、枯れていた。「そのためにオナニーがある」

 そうして始まる、オナニー伝授。サウスタウンもびっくり。

 「さあ、クリトリスを触るんだ。ただし、優しくだぞ。人によっては刺激が強すぎるからな」

 促されるまま細い中指で触れ、全身に電流が走った。霊長類も哺乳類であることを裏付ける獣の声がフジコの口から放たれる。

 ショート寸前、なんて生易しいものではない。。既にショート中だ。その証拠に、ほら、骨格が透けて見えている。

 「サウスタウンはブランカの縄張りじゃねえ!」正史郎が叫んだ。「フジコ、指を放せ!」

 指を放し、電流という名の快感は収まった。

 「こんなの初めて」声までもが痙攣している。「こんなことを本気で言ったのも初めて」

 「恐怖を好奇心で払拭していたな。考え方はおかしくない。だがセックスで得ただけの度胸をオナニーで試すもんじゃない。だから感電など起こすんだ。そもそもお前はショートに向いていない。マゾのスリルをサドを曲げて吸収する癖がある。どちらかというとロング向きだ。だが中指の腹は見事だった・・・いいセンスだ」

 最高の台詞をなぞっていた。これ以上ないってくらい最高の台詞をなぞっていた。しかし、フジコはきょとんとしている。この世にはメタルギアが通じない女が存在する! これは筆者の実体験でもある。この世にはメタルギアが通じない女が存在する!

 焦って、しかし流石の39歳、素早くリカバリーを試みる。再び、額にキスだ。

 「お前はかわいい、ってことさ」

 それは理解できた。フジコは満足そうに微笑んだ。

 徐に、正史郎は布切れを拾った。ロニのオカズを買って出たさいに破いたタンクトップの切れ端だ。それを、フジコに差し出す。

 「臭いが、清潔だ。こいつの上からクリトリスを触れ。刺激を和らげられる。直に触るのは慣れてきてからだ。焦るな。オナニーは逃げない」

 言われた通りのアクションで、感電は避けられた。しかし確かにある快感。オナニーの門は真に開かれた。

 そこから始まるロングストーリー。遥か彼方の頂を、あっちへふらふら、こっちへふらふら、迷い迷ってなお目指し続ける、君のペースで歩む道。いいんだよ、急がなくて。これはセックスじゃないんだ。男の顔色をうかがう必要はない。君は君らしく、イケばいい。

 立っていられなくなって、仰向けに寝そべった。体が伸びて、快感もアップ。どんどん、どんどん、よくなっていく。

 自ずと、布切れは放り投げられていた。快感に慣れ、しかし快感はより強まっている、人体の不思議。涙が流れるほど、フジコはよがった。

 「ロニ! この有り様を目に焼き付けろ!」

 そう命じられるも、ロニの瞳はフジコを映していなかった。

 「ロニ! 見ろというに!」

 「正史郎様。僕は女の醜い体など見たくありません」

 「ロニ! 後生だ! 見てくれ! 見て、エロを理解してくれ! オカズを作るためだ!」正史郎は土下寝した。「この通りだ!」

 腐っても中世ヨーロッパである。土下寝はおろか土下座の文化すらない。それでも、熱意だけは万国共通、通じるものがあった。

 ロニは、嫌々ながらもフジコを見詰めた。

 美青年に見られている、その意識が、図らずもオカズとなった。オナニーは、進んだ・・・・・・。

 カモノハシは接吻にて円を描き、マグマのほとりに清水をたらす。おお、シルクの衣より現出せし紅玉よ。約束された地に根を張るエデンよ。果実は虚空に映りて、美酒に浸るは真心。蒸気の叫びが汝を打ち上げる天使なれば、盤上をくすぐるもまた天使なり。楔を震わす真実に祝福あれ。

 「ウホ! オホ! オホーツクカイ!」

 足指が大きく開いた。重度の外反母趾だというのに。正しく絶頂であった。

 激しい吐息は、じきに寝息に変わった。アトリエの隅に置いてあるベッドまで、正史郎はフジコを運んだ。

 「これが、エロ」振り向き、ロニを見やる。「今あったことを、ありのまま描いてくれ」

 小鳥のさえずりが聞こえる。夜明けなのだ。しかし、男たちの戦いはまだ始まったばかりだった。

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