番外編 同棲一ヵ月目 前編
同棲二週間目。
「来栖、お風呂わいたぞ。先入って来いよ」
「ん、ありがと」
「そうそう。泉さんから入浴剤もらったから、よかったら使ってくれ」
「わかった」
「それじゃ――……って、ん? どうした、俺のことジッと見て」
「お風呂、覗いちゃダメだよ?」
「の、覗くわけないだろ! バカなこと言ってないで、早く入って来いっ!」
同棲三週間目。
「おわぁ!? な、何でリビングで着替えてるんだよ!?」
「あー、ごめん。私の部屋、虫出ちゃって」
「だったらまず、退治してくれって俺に頼めよ! も、もしくは脱衣所を使うとか……!」
「ん、次からそうする。ってか新、別に私のこと気にせずこっち向いていいよ」
「いやいや、気にしないとか無理だから!」
「私の着替え、見るチャンスなのに」
「喋ってないで、さっさと服着てくれ!」
同棲一ヵ月目。
「……新?」
「ん……? ど、どうした? こんな遅い時間に……」
「寝てるとこごめん。怖い夢見ちゃって……それで、その……」
「あぁ、わかったわかった。……ほら、んっ」
「一緒に寝ていいの?」
「来栖が怖がってるのに、俺が一人で寝られるわけないだろ」
「……お礼に変なとこ、ちょっとくらいなら触ってもいいよ」
「ど、どうでもいいから早く寝ろっ」
◆
「どうでもいい……? はぁ? どうでもいいってなに? 酷くない?」
休日の昼間。
所属事務所の社長――泉ぼたんをランチに誘ったあたしは、料理を注文するや否や、溜まっていたものをぶちまけた。
「私、彼女だよ? 彼女が一緒のベッドに入って、それとなく誘ってさ……なのに……っ」
ギリッと奥歯を噛み締め、心の中でここにいない新を睨みつけた。
お互いに好きだと確認し合って、同棲が始まって、キスまでして。
そして、早一ヵ月。
いまだ私たちの間には何もない。キスだって、あの日以降一度だってない。まったくもって意味がわからない。
「き、気持ちはわかるけど、ちょっと落ち着きなよ。天城さん、顔すっごく怖いよ……?」
不意に目が合った店員さんが、「ひっ」と小さな悲鳴をあげて逃げて行った。
そ、そんなに……?
顔を軽く揉んでっと……よし、これでいいか。
「どうでもいい、かぁ。うんうん、確かにそれは折村くんが悪いね」
「ぼたんもそう思う?」
「彼女相手にそれはないって。天城さんだって、色々覚悟決めて誘ったのに」
「そう! ホント最低だよねっ!」
「…………でも」
ボソッと、ぼたんが呟いた。
私が首を傾げると、彼女は困ったように腕を組み息を漏らす。
「いや別に、天城さんに非があるとかそういう話をしたいわけじゃないんだけど……天城さんの彼氏って、あの折村くんだよ?」
「…………」
「水分と真面目と誠実で身体ができてるような男を誘惑するのに、そういう回りくどいことしても意味ないんじゃないかなぁ……とか、思ったりして?」
「……まあ、確かに……」
一緒に温泉旅館へ行って目の前で水着になった際、あのバカ真面目は鼻の下を伸ばすことなく、どれだけ似合うか真顔でレビューし始めた。
折村新は、そういう男だ。
そういう男だから、たぶん私は好きになった。
「イチャイチャしたいなら、素直にそう言うのが一番早くない? もう恋人同士なんだしさ」
「それは何か、負けた気がするっていうか……新の方から、求めて欲しいっていうか……」
「宵奈ちゃんの一件、もう忘れたの? そうやってちゃんと言葉にしないで、お父さんまで巻き込んで大変なことになったんじゃなかったっけ?」
「うっ……」
ぼたんの放った正論に、私は視線を落とした。
宵奈ちゃん。御年五歳の、新の可愛い義理の妹。
私はたいして話も聞かず、あれこれと勝手に想像して、宵奈ちゃんに嫉妬し散らかした。新が欲しくて、だけど自分から手を出す勇気はなくて、あれこれと作戦を決行しては全て失敗した。最終的にはお父様まで変な勘違いをして、危うく新が大怪我をするところだった。
「物静かで、いつも涼しい顔してて……天城さんのそういうクールなところ、あたしは大好きだよ。ファンの皆だって、そういう天城さんだから推してると思うし」
「う、うん」
「でもさ、好きな相手の前でくらいはっちゃけてもよくない? 折村くんだって、その方が喜ぶと思うけどな。来栖の可愛い一面は俺しか知らない、的な?」
「俺しか、知らない……」
「そうやって天城さんの可愛いところ見せちゃったら、きっと折村くんだって我慢できなくなっちゃうよ! 好き好きーってなって、独占欲とかもやばい感じになって、家じゃずっと引っ付いたりしちゃうかも!」
「あの新が、私にベタベタ……」
「そう、ベタベタ! よくない!?」
…………いい。
うん、いい!!
何それ、ちょーいいじゃん!?
新が私にベタベタ! 新が私抜きじゃ生きていけない!
私がそばにいなきゃ落ち着かなくて、つい触っちゃって、謝るけど止まらなくて!!
真面目なとこも誠実なとこも全部ほっぽり出して、強引に求めちゃったりして……!!
でもって、でもって……!!
うっひょ~~~~~~~~!!!!
大人にされちゃう~~~~~~~~!!!!
「おぉ……天城さん、すごい気迫だ。やる気満々だねっ」
言われて、私は頷いた。
静かに、そして深々と。
心の中に、闘志を灯して。
◆
「来栖が可愛い」
「……は?」
「だから、来栖が可愛い」
「お、おう……」
「来栖が可愛いんだ。すごくすごく、可愛いんだよ」
中学から付き合いのある友人――犬飼陽太。
彼を駅前のマックに呼び出し、ポテトをつつきながら俺は口を開いた。
「お前……惚気話をするためだけに、わざわざオレを呼び出したのか?」
「いや別に、惚気話をしたいわけじゃなくて……ほら、来栖って可愛いだろ? 可愛いんだよ、来栖は。いや本当に可愛くって可愛くって、朝も昼も夜も可愛いし、最近じゃ抜け毛すら可愛く見えてきて――」
「それを惚気話だって言うんだよ! 王子が可愛いのはわかったから、さっさと本題に入れ!」
「…………来栖が、可愛いんだっ」
「オレの声、聞こえてるよな? 寝てるなら叩き起こしてやろうか?」
バシッと頬を叩かれた。
痛い。
「やっと折村が王子とくっついて、こっちは安心してたのに……んで、何がどうしたんだよ?」
「いやその、来栖……家だと結構、無防備なことが多くて……」
「そりゃあ、家の中じゃ誰だって無防備だろ」
「風呂覗いてもいいとか言ったり、リビングで着替えてたり……俺の布団に入ってきて、変なとこ触ってもいいとか言い出したり……」
「……あの王子も、お前の前だとそういうこと言うんだな……」
「困るんだよ! 可愛いから、可愛すぎるから、俺だって触りたいけど……! い、一回触ったら歯止めが効かなくなりそうな気がして困るんだ! キスだってまだ俺からはまともにできてないのに……なぁ、俺はどうすればいい!?」
「もう付き合ってるんだし、手ぇ出せばよくね?」
「付き合ってまだ一ヵ月しか経ってないのに!? ダメだろ、流石に! 早過ぎるって!」
「王子もその気がなきゃ、んなリスキーなことしねえよ」
言われて、「あっ」と声が漏れた。
……確かにそうだ。
来栖は誰よりもカッコよくて、聡明で慈悲深くて努力家な、俺が最も尊敬するひと。
そんな彼女が、考え無しに自らの身を危険に晒すようなことをするだろうか。
いや、しない。
犬飼が言うように、その気があったから――俺に触れたいから、触れて欲しいから、そういう行動に至った可能が高い。実際最初のキスだって、向こうからして来たわけだし。
「もしくは……」
フッと、犬飼の顔に陰が落ちた。
深刻そうな瞳で、俺を真っすぐに映した。
「折村を試している……とか?」
「……えっ?」
不穏なその言葉に、俺は眉をひそめた。
「わざと身を危険に晒して、それでお前がどう行動するか見てるんだ。付き合い出した途端に豹変する男とか普通にいるからな」
「俺の安全性を測ってる……って、こと?」
「ただでさえ王子は、いいとこの生まれで超絶金持ち。身内になる可能性がある男がどういうやつか試すのは、当然のことだと思うぞ」
「た、確かに……!」
言われて、納得しかなかった。
このまま順調に行けば、俺は本当の意味で彼女の身内になる。天城家の家系図に組み込まれる。
俺みたいな庶民と来栖の家では、身内になることの重みが違う。付き合った途端に手を出すような獣程度の理性の男が、彼女の家の敷居を跨いでいいわけがない。
「そうか……俺は、来栖にテストされてたのか……!」
「可能性があるってだけで、まだそうと決まったわけじゃ――」
「ありがとう! 俺、全力で紳士に徹するよ! 来栖を誰よりも大事にする!」
「お、おう……まあ、頑張れよ……」
「あぁ!」
きっとまだ、来栖からのテストは続く。
だけど俺は、絶対に負けない。
来栖に相応しい男だって、証明するんだ!
◆
ぼたんと別れて、私は今後のためドラッグストアに来ていた。
「ん? あれ、王子じゃない?」
「すっごい真剣な表情してる……」
「買い物してるだけなのに、カッコよすぎない……!?」
ぐふっ、ふひひひっ!! いひひひひっ!!
やっぱりゴムは、薄ければ薄いほどいいのかなー!
悩ましいなぁー!
お久しぶりです!!
後編は明日投稿します。その際、ちょっとしたご報告がございます……!!
あと宣伝ですが、本日より、私の新作ラブコメ『お隣さんのギャルが僕を惚れさせたくて全力すぎる』が、オーバーラップ文庫より発売されます!!
お近くの書店、ネットショップ等々で、手に取っていただけますと嬉しいです!!
よろしくお願いします!!