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8.それが人という生き物ですから

 龍晴様が内廷に戻られたあと、わたくしは後宮の最奥にある寂れた宮殿のなかにいた。

 少しサビ臭い寂れた部屋。ここには、我が国の歴史――特に後宮にまつわる記録が残されている。



(5年前、管理人に就任した当初は、よくこの部屋に入り浸っていたっけ)



 当時はまだ妃の数も少なくて、割り振りや人間関係に悩むこともなかったし、龍晴様もいつかはわたくしを妃にしてくださるだろうっていう期待に満ちていた。だから、日中の暇な時間を後宮を知るために費やすのは、いわば当然のことだった。


 この宮殿には記録を管理するために配置された専門の宦官たちがいて、わたくしのことを温かく迎え入れてくれる。滅多に客が来ないため、彼らは人に飢えているのだ。



「こうして桜華様がいらっしゃるのは2年ぶりでしょうか?」


「そうね……この2年、とても忙しかったから」



 挨拶を交わし、互いに微笑む。わたくしの返答は半分本当で、半分は嘘だ。


 2年前、魅音様が上級妃として入内した。後宮内の勢力が一気に変わった。それと同時に、わたくしが妃となる可能性も小さくなった。だから、この宮殿に来づらくなってしまったのだ。



(ここの宦官たちは、わたくしのことを可愛がってくれていたから……)



 わたくしが妃になれなかったことを残念がられるのが嫌で、自然と足が遠のいてしまった。期待を裏切ったことが心苦しかったのだ。



「なんでも今日、後宮史に記すべき出来事が起きたとか」


「……さすが、耳が早いのね」



 事件はつい先程起きたばかりだ。もちろん、彼らは後宮内の出来事を記録するのが仕事だし、箝口令が敷かれているわけでもないから、当然といえば当然なのだけれど。



「後宮はじまって以来の女性管理人としてだけでなく、あなた様の名前は他の形でも歴史に残りそうですなぁ」


「そうね……あまりいいことではないけどね」



 皇帝陛下を惑わし、複数の妃を罰した悪女――――事実だけを切り取れば、そういう表現にならなくもない。

 宦官たちはふふ、と目を細めてから、わたくしに向かって拱手をした。



「よいではございませんか。あなた様がその気になれば、この国を裏から掌握することもできましょう。陛下は桜華様のご意見ならば耳を傾けます。歴史に名を残した皇后たちと同じことができるはずです」


「そんなこと、考えたこともないわ」



 首を横に振りそっと微笑む。


 龍晴様の即位以降、わたくしは後宮から出たことがない。だから、現在の国の状況は、人から漏れ聞いた情報でしか判断できない。


 けれど、龍晴様の治世は、過去の名君たちに劣らない素晴らしいものだと聞いている。妃やわたくしからの干渉が必要だとは思えないのだけれど。



「陛下のまつりごとは、初代皇帝地龍様によく似ていらっしゃいます」


「え……? 地龍様に?」



 思いがけず、今日ここに来た目的の人物の名を言われて、わたくしは目を丸くする。



「ええ。陛下の打ち立てた政策は、地龍様の功績をなぞるものばかりです。もちろん、うまくいっているのですから、それ自体が悪いわけではございません。けれど、人は、人々の価値観は、時代は着実に動いている。いずれ、陛下があなた様の力を必要とするときが来るのではないでしょうか?」


「わたくしの力を?」



 なぜだろう? 以前のわたくしならば、心から嬉しいと感じただろう。

 こんなふうにわだかまりを抱えることはなかったに違いないのに。



「それで、本日はどのようなご用向で?」


「ああ。初代皇帝とその生母の――神華様の記録を調べたいの。できるだけ詳細に」


「ならばすぐにご用意しましょう。どうぞ、そちらでお待ちください」



 宦官たちはすぐに、ありったけの資料を用意してくれた。庶民に伝わるおとぎ話に、後宮の住人たちの日記、伝記、それから学者たちのまとめた考察まで、ラインナップは多岐にわたる。それらすべてに目をとおしながら、わたくしは静かに息をついた。



「神華様って、本当にすごい人だったのね」



 どの資料を見ても、こぞって神華様のことを褒め称えている。彼女の起こした数々の奇跡に加え、穏やかでとても懐が広く聖母のような人柄だったこと。それから、人々に慕われていたということが記されている。



(わたくしが彼女の生まれ変わり? ……やっぱり信じがたいわ)



 だってわたくしは、こんなに完璧な人間じゃない。嫉妬や自己顕示欲に塗れた、ただの人間だもの。もしかしたら、普通の人より余程ひどいかもしれない。恋に焦がれて心を乱し、涙を流すなんてこと、神華様はきっとならなかったに違いないもの。

 さっきだって、わたくしは魅音様のことを助けてあげられなかったし。



「ねえ、あなたたちは神華様に夫がいたという記録を見たことがある? もしくは、初代皇帝地龍様に父親がいたという記録は?」



 すべての資料に目をとおすだけの時間はさすがにない。わたくしが尋ねれば、宦官たちはそろって首を横に振った。



「いいえ。わたくしどもは後宮内のすべての書物を拝見しておりますが、そういった記述は残っていません」


「なるほど……やっぱりそうよね」


「けれど、当然いらっしゃったと思いますよ。神華様がどれほど神秘的なお方だとしても、この千年間、脈々と彼女の血が受け継がれてきているのです。根本的なところは普通の人間と同じでしょう」


「そうかしら?」


「そうですとも。人には言えない想いも、悩みも、当然あったと思いますよ」



 まるでわたくしの心を見透かすかのようにして、宦官たちが微笑む。心臓がドキッと小さく跳ねた。



「……本当に?」


「もちろんですとも。それが人という生き物ですから」



 資料に視線を落としたまま、わたくしは小さくコクリとうなずく。



 宮殿を出たときには、夕日はすっかり地平線の向こう側に沈んでいた。

 今夜は龍晴様はいらっしゃらない。昼間あんなことがあったのだもの。当然といえば当然だ。



(天龍様との約束の時間まであと少し)



 トクン、トクンと胸が騒ぐ。息を吸い、目をつぶり、ゆっくりと前を見据える。

 それからわたくしは、見送りの宦官たちに向かって手を振るのだった。


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