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三年ぶりの再会③

 自分を婚約者に選んでくれたヴァルラムのことが好きだった。大好きだった。でも、もう一緒にはいられない。


 父の死によって男爵位だった家門は没落した。とうの昔に父に愛想を尽かして妹を連れて家を出て行った母親は、自分を引き取ることを拒絶した。


 寄る辺の無い自分の存在は、彼の足を引っ張るだけ。


 その悲しい現実を受け入れたクラーラは、ヴァルラムから婚約を破棄する通知を受け取る前に、彼の元を去った。


 別れを告げられるより、告げるほうがきっと辛いと思ったから。優しい彼に、辛い決断をさせたくなかったから。


 永久に続くと思っていた陽だまりのような時間が消えて無くなってしまったのは耐え難いことだけれど、これで良い。何も間違っていない。別れを告げたあの日から、後悔はただの一度もしていない。


 ヴァルラムのことで願うのは、いつも一つだけ。彼が一日も早く自分のことを忘れて、輝かしい未来を歩んでくれますように。


 そんなふうに過去のことだと割り切っているクラーラに対して、ヴァルラムはまったく別の表情を浮かべている。


「会いたかったよ、ララ。ずっと君を探していた。さぁ、おいで」


 両手を広げて更に笑みを深くする彼に、まるで3年前に時間が戻してしまったかのような錯覚を覚えてしまう。   


 ぐらりと視界が揺らいだのは、自分がよろめいたからなのだろう。


 顔色を無くしたヴァルラムは、大丈夫かと慌てた様子で大股に距離を詰めてくる。


 クラーラは両手で口を覆ったまま、後ずさる。


「どこに行こうとしているんだい?ララ。ん……もしかして婚約者を前にして、緊張しているのかい?可愛らしいな」


 あっという間に向き合う形となったヴァルラムの顔は、逆光で良く見えない。


 ただ、この再会を喜んでいるのは手に取るようにわかる。


 でも目の前の光景を、クラーラはどうしたって信じられなかった。彼が紡ぐ言葉も。


「私……もう、あなたの婚約者じゃない。破棄したはず……です」

「ああ、君の代理人が一方的な手紙を寄越してきたけれど、たちの悪い嫌がらせだと思ったから破り捨てたよ。もちろん承諾なんてしていない。だから、ララは今も私の婚約者だ」

「なっ」


 淡々と告げられた内容があまりに信じられなくて、クラーラは大きく目を見開いた。


「……嘘」

「嘘じゃない。だからこうして会いに来た」


 柔らかい口調なのに、ミントグリーンの瞳は冴え冴えとしていた。


 間違いなく彼は怒っている。でも、こんな怖い顔のヴァルラムなど過去の一度も見たことがなかった。 


 静かに、深く怒っているヴァルラムがあまりに恐ろしくて、クラーラは思わず踵を返して廊下に逃げようとした。


 けれど、素早い動きで手首を捕まれてしまった。


「ひどいなぁ、ララ。こんなに邪険にされたら、さすがに傷つくよ?」 


 壁に押し付けられた身体に、ぐいっと近づくたくましい胸板を前にクラーラはなす術もなくぎゅっと目を瞑った。


 嗅ぎ慣れていたベルガモットの香りが鼻孔をくすぐる。


「私が怖いかい?……でも起こらせたのは、君だ。そして、もう、逃がさないよ」


 在りし日の情景が瞼の裏に蘇ったと同時に、頭上からひやりと冷たい声が振ってきた。


 クラーラはここで、彼が自分の記憶とはまったく違う人間になってしまったことに気付いた。


 かつての彼に対して怖いと思うことなんて一度もなかった。記憶に残るヴァルラムはいつも穏やかな声で名前を呼んでくれたし、苛立つ素振りすら見せたことはなかった。まして、こんな強引な態度を取ることも。


 力任せに掴まれた手首が、ギチギチと悲鳴を上げとても痛い。


 せめてと思って背けた顔はすぐに顎を捕まれ、いとも簡単に視線を合わされる。


「本当につれないね、ララ。僕は君と再会できるのを今か今かと待ちわびていたのに」

「……ヴァ……いえ、ヒーストン卿」

「は?ヒーストン卿?」


 ヴァルラムは信じられないといった感じで目を大きく開いたが、すぐに酷く傷つた顔になり呻るような声を出す。


「……今、何て言ったんだ?もう一度言ってごらん?ララ」 


 言えるもんなら言ってみろ。そう言いたげな口調に、クラーラは唇を噛む。掴まれた手首の力が更に強まった。


 ───あ……どうしよう。私、そんなつもりじゃなかったのに。


 そう伝えたくても、ヴァルラムの冴え冴えとした眼光と僅かに震えている唇がクラーラから言葉を奪う。


 常に穏やかだった彼が、初めて感情のままに口を開いている現実を受け入れることができない。


「ララ。謝るなら今のうちだよ」

「……ごめんなさい。私……あなたを怒らせたかったわけじゃないの。でも、もう婚約していたのは過去のこと。それだけは、わかっ」

「ふざけるな!」


 どうしても譲れない主張を押し通そうとすれば、ヴァルラムの叩き付けるような怒声に遮られてしまった。頭が真っ白になる。


 彼に怒鳴られたことなど、一度も無かった。


 目を見開いて体を強張らせるクラーラを、ヴァルラムがどう受け止めたのかわからない。


 ただ怒りは治まるどころか、更に激しさを増していった。


「何度言えばわかるんだっ。君は私のただ一人の婚約者だ!」

「……違う……違う」

「はっ、違わない。君が理解できないなら、何度だって言ってやる。私は気が長い。……ああ、それとも、もう他に結婚したい人でも現れたかな?」

「まさかっ」


 あまりに見当違いなことを言われ、咄嗟に叫んでしまった。


「そうか……安心した。もし、そんな人がいたら、私はその男を処分しなくてはならなかったからね」


 ほっとしたように笑ってはいるが、それはぞっとするほど冷ややかなものだった。


「震えているね。本気でそうすると思った?ま、するけどね」

「……っ」

「でも安心して良いよ、ララ。今すぐ君が私の婚約者だと自覚してくれれば、私は誰も傷付けないし、赴任期間は君を束縛したりもしない。これまで通り大好きな研究に打ち込めるよ」 


 まるで散歩でも行こうかと提案するような軽い口調だった。


 でも、そのミントグリーンの瞳は、今にも食い殺さんばかりに尖っている。


 これが取引ではなく一方的な脅しであることは、ぐちゃぐちゃの思考でいるクラーラでも容易に理解できた。


「……できない。私に婚約者なんてもういない」


 ───だから、もう手を放して。解放して。


 そう言葉を続けようと思った。でも、できなかった。


「ふぅん。君は存外頑固者だったんだね。知らなかった。なら私も手段は選ばないよ」

  

 独り言のように呟いたヴァルラムは、掴んでいたクラーラの手を離した。けれど逃げ出す間は与えられず、床に組み敷かれた。


「赴任期間中は、疎遠になっていた君との時間をゆっくり埋めたかったけれど、仕方ないよね」


 何が。


 そんなことを聞かなくてもわかった。ギラギラとしたヴァルラムの目が、雄弁に語っていたから。

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