いらないよ
紗央莉さんは善の女。
今日は娘の美愛13歳の誕生日。
私の手には娘が欲しがっていた最新のタブレットと、人気のスイーツ店で買ったバースデーケーキ。
金で幸せは買えないが、少しでも娘が喜んでくれるなら安いものだ。
三年前まではプレゼントを贈るしか出来なかった。
別れた妻と、奪った男の住む娘の元に送るしか...
「ただいま」
「お父さんお帰り。
そんなに急いで帰って来なくても大丈夫なのに」
急いで帰宅した私に、素っ気ない言葉と対照的な笑顔で美愛は迎えた。
娘の気持ちは痛い程分かる。
親権を取られ離れていた5年間、娘が6歳から10歳まで元妻は誕生日どころか、一度も私と会わせようとしなかったのだ。
「13歳の誕生日おめでとう」
「ありがとう!」
娘が自分で作ってくれた食事を食べ終え、待ちに待ったプレゼントを渡す。
美愛は嬉しそうな笑顔。
再会以来三度目の誕生日。
美愛が横道に逸れる心配は無いだろう。
それは母親という反面教師が居たからだ。
配偶者を裏切り、愛人と共謀し離婚原因をでっち上げ、俺から慰謝料と養育費を巻き上げて自分達の懐に入れる様な屑とは...
「お父さんに紗央莉さんから手紙が来てたよ」
「紗央莉から手紙?」
善野紗央莉と俺は高校時代の友人。
因みに元妻と紗央莉は中学時代からの親友だった。
俺達三人はいつも一緒だったが、高三の夏に紗央莉は転校して、姿を消してしまった。
再会したのは四年前、俺が離婚をしたのを高校時代の友人から聞きつけ、連絡が来た。
弁護士になっていた紗央莉に俺は全てを打ち明けた。
妻の浮気、DVのでっち上げ、親権を取られ、絶望の縁にいること。
『分かった、任せて』
紗央莉はそう言うと、親権変更を家庭裁判所へ申し立ててくれた。
そして三年前、美愛の親権は俺に移った。
それから紗央莉と何度か交流をしている。
美愛も、たまに連絡を取り合っているそうだ。
「きっとアイツからだよ、また会いたいとか書いてるんじゃない?
私は嫌だからね」
「分かってるよ」
手紙を差し出す美愛の表情が歪む。
親権が移って以来、何度か元妻や義両親から面会を希望する手紙が来たが、一度も会っていない。
娘が断固拒否をしているのだ。
手紙の事を最後に言ったのも、誕生日を嫌な気分で過ごしたく無かったからだろう。
「ん?」
開封した封筒には一枚の便箋が入っていた。
紗央莉から自筆の手紙。
[泰江が亡くなりました、病気療養中だったそうです。
遺言書がありました。遺産の事で、一度連絡を]
そう書かれていた。
泰江は元妻の名前、病気療養中とは知らなかった。
そうだと知っていたら、美愛と会わせていた...
いや、それでも美愛は拒否していただろう。
「どうしたの?」
手紙を読む私の態度に不安を隠せないのか、美愛が聞いた。
「...死んだってさ」
「死んだ?誰が」
「アイツだよ、お前の母親だ」
「...嘘?」
さすがに驚きを隠せない様だ。
なんだかんだ言っても、血を分けた母親の死。
どんな気持ちで美愛が聞いたのだろう。
「病気だったそうだ」
「...へえ、良かった」
「美愛?」
意外にも娘はスッキリとした笑顔で私を見た。
「それはつまり...」
「神様って居るのね、ちゃんとアイツに罰を与えたんだ」
笑顔のまま美愛が呟いた。
私に気遣っている様子では無い。
「お父さんは嬉しく無いの?」
「俺が嬉しい?」
なんと返事をすれば良いんだ。
確かに妻は浮気をして、私がそれに感づく前にDVやモラハラをでっち上げられた。
一年を掛け、周到に用意された偽証拠の前に、俺はなす術も無く、全てを失った。
何より悲しかったのは、当時5歳だった娘を奪われた事だった。
絶望の余り、死のうとまで考えた。
今生きてるのは偶然に過ぎない、そう思える程に。
「私は絶対赦せない。
お父さんを裏切ったアイツと、あの男を。
アイツは私を、あの男に差し出そうとしたんだよ?」
「そうだったな」
娘の親権が俺に移った決め手になったのは、美愛が紗央莉に被害を訴えたからだ。
奴等の留守中に美愛の元を訪ねた紗央莉。
どうやって奴等の家を調べ上げたのか。
それより、まだ10歳に満たない実の娘を、自分の愛人に差し出すなんて正気の沙汰じゃない。
「とにかく紗央莉と会って来るよ」
「紗央莉さんと会うのは大歓迎だけど」
「大歓迎?」
一体どういう意味だ?
「...それは良いとして、後は何が書いてたの?」
「遺言書が、なんでも遺産があるみたいだ」
「ふざけるな!!」
テーブルに両手を叩き付けた美愛が叫んだ。
「冗談じゃないわ!今更なんなの!!
遺言?遺産?反省なんかしてないくせに、どうせ上辺だけの言葉でこれで赦してとか書いてるんでしょ!!」
「落ち着きなさい」
そんな事は手紙に書いて無い。
「絶対赦しちゃダメだからね、お父さんは優し過ぎるから」
「...そうだな、分かったよ」
優しいか、そんな事は無い、アイツが死んだ事実に何も感じない。
あれ程愛した人だったのに。
翌日、紗央莉に連絡のアポを取った。
「久しぶり」
「そうですね」
2日後、俺は有給を取り、事務所の応接間で紗央莉に会った。
俺達が住む街から車で3時間。
裁判所から程近くに建つビルの一室、そこに紗央莉の経営する弁護士事務所が入居していた。
「美愛ちゃんは元気?」
「すっかり元気だ、ありがとう」
「良かった」
親権変更は紗央莉が担当してくれた。
俺が支払った養育費の事や、美愛の現状等、徹底的に調べ上げ、元妻は全てを認めた。
義実家は真実を知り、俺に謝罪をしたが、今更だった。
元妻を絶縁にしたのも孫に会いたいだけ。
間男は美容品の会社を経営しており、羽振りが良さそうに見えたのか、義実家に金を渡していた。
被害を訴える美愛を助けもしなかった奴等の鬼畜っぷりに反吐が出た。
「それで、泰江の事は」
軽く雑談を済ませ、本題に入る。
半年振りに紗央莉と会えたのは嬉しいが、余り業務の時間を割いては気の毒だ。
元妻の最後が全く気にならない自分に驚いていた。
「泰江が死んだ病院のベッド下に、手紙と保険書類が」
「保険書類?」
「ええ、亡くなったら美愛ちゃんが受け取れる様にと」
「いつの間に?」
美愛を受取人にして保険を入っていたなんて全然知らなかった。
親権が移ってからでは無理だから、それより前にか。
「三年前に保険料は一括で支払われてました」
「そうでしたか」
よくそんな金があったな。
それより、間男や義実家に取られたりしなかったのか?
「向こうサイドはどう言ってますか?」
「どうとは?」
「いや、受取人は私とか」
間男の伊藤亮二は狡猾な奴だった。
主婦を集めての美容セミナーで元妻に狙いを定め、僅か二年で俺は全てを奪われてしまった。
「死んだ人間は何も出来ません」
「死んだって、間男と義両親も?」
「はい、愛人の伊藤亮二は泰江が親権を奪われて、金が入って来なくなったと捨て、また別の主婦に手を出そうとしましてね。
今度は女性の親族から徹底的に追い込まれた様です。
会社も倒産に追い込まれ、借金を残して失踪。
最後は謎の死、死因までは詳しくは分かりませんでしたが」
「...なるほど」
紗央莉は一枚の書類を読み上げる。
つまり二匹目のドジョウを狙って失敗したのか。
奴に相応しい最期だ。
「義両親は?」
「男の会社に随分とお金を注ぎ込んで援助してた様ですね。
泰江と切れても援助を止めず、男の失踪に莫大な借金を押し付けられ絶望し...
自分達で自らの始末をしたという事です」
結婚していた頃から義両親には、なんだかんだと金をせびられたからな。
守銭奴を悪いとは言わないが、度を過ぎた奴等には相応しい最期と言ったところか。
「どうしますか、お金に罪はありませんけど」
紗央莉は受け取れる物は貰っておけと言う考えか、それは分かるが。
「今更関わりを持ちたく無い」
「政志ならそう言うと思ったわ、放棄の手続きしておくわね」
紗央莉の口調が砕けた物に変わる。
予想通りって事か、幸い金には困っていない。
なにより、美愛が喜ぶとは思えなかった。
「泰江の手紙、どうする?」
「一応は見るか、折角書いた物だから」
紗央莉から手紙を受け取る。
封筒の表には山口政志と美愛、そして善野紗央莉と、三人の名前が書かれていた。
内容は俺と美愛へ謝罪の言葉に始まり。
間男との出会い、洗脳状態になってしまった事。
離婚理由のでっち上げは男の指図で、自分は関与していない。
美愛に対して本当に申し訳無いことをした。
親権を奪われて、両親から詰られ、ようやく目が覚めた事等が書かれていた。
途中途中に、[どうしてそんな事を私は...]
[戻れる物なら愛する私の元に戻りたい]
[あなた、美愛、愛してる]
そんなフレーズが入っていた。
「ポエムだ。
こんな物、美愛に見せられる訳無い」
一人になって目が覚めた?
男と両親が死んで、自分も病気、気持ちが弱っていただけだ。
封筒には紗央莉の名前もあったが、手紙には一行も触れられて無かった。
別に書いてあったのだろう、どうでも良い。
でも一つだけ、確認しよう。
「紗央莉」
「なに?」
「死ぬ前の泰江と会ったな?」
「それは...」
どうやら図星か、ポーカーフェイスを装うが、俺には分かる。
「恋人だった男の目はごまかせないよ」
「降参ね」
紗央莉は両手を上げ首を振った。
俺は高一から高三の途中まで紗央莉と付き合っていた。
しかし、紗央莉の父親の転勤が決まり、離ればなれになり、そして1ヶ月俺は振られた。
[好きな人か出来ました、別れて下さい]
着信も拒否され、呆気ない恋の幕切れだった。
「亡くなる半年前かな、急に連絡があって」
「へえ」
よく紗央莉に連絡出来たな。
親権変更の時アイツは紗央莉に『裏切り者』とか、『浮気はお前もしただろ』って裁判所前で叫んで警備員に叱られていたのに。
「私が病室に着くなり泰江は泣き崩れてね、ごめんなさいって」
「謝ったのか、アイツがか?」
「うん、それで政志をお願いって」
「はあ?」
なんで紗央莉はアイツにそんな事を言われなきゃならんのだ?
「...手紙」
「手紙?」
「政志さんへ、お別れを書いた」
「ああ、あれか」
好きな人が出来たと書かれていた紗央莉からの別れの手紙、苦い思い出。
「直ぐに嘘って気づいてたって、でも政志を奪うチャンスだから利用したんですって」
「馬鹿らしい」
手紙の真相は再会した紗央莉から聞いていた。
お互いに新たな人生を歩む為に書いたと。
独り善がりだったと、半年後気づいたが、後の祭り。
俺が泰江と交際を始めたと聞き、諦めたそうだ。
「それだけしながら、浮気するか?」
「全くよね」
どこまで人をバカにするのか?
呆れて物も言えない。
「まだ33歳だろ?」
「そうよ、たくさんの経験をしてきたわ。
もちろん恋もね」
「そうだな」
泰江は大学時代に美愛が出来たので、遊び足りなかったのだろうか?
二年遅れで卒業し、就職もしないまま、家庭に入ったので、社会経験が無いから騙されたのかもしれない。
恋だって、俺が初恋だと言っていた。
色々な恋を楽しんでいれば、配偶者を裏切ったりしなかったのかも...
「嘘よ」
「嘘?」
何が嘘なんだ?
「私が付き合ったのは後にも先にも政志さんだけ。
笑っちゃうよね、初恋を引き摺って、気づけば30過ぎのオバサンだもん」
「...紗央莉」
それは初耳だ。
俺の後付き合ってきた人は居たのか聞いたが、『内緒、今は居ないわよ』そう言ってたのに。
「あー誰か居ないかな、私の王子様。
お姫様は待ちくたびれちゃった」
背伸びをしながら、なぜ横目で俺を見る?
「...バツイチ、こぶつき、30過ぎの王子様なら」
いかん、何を俺まで何を...
「お互い厚かましいわね」
「全くだ」
こうして俺達は再び交際を始め、結婚を決めた。
美愛は紗央莉が新しい母親になった事を大賛成で喜び、
『妹か弟がほしいな』
そう言った。
翌年にそれが叶うのだった
亮二はどうしても亮二