あの時の手紙
その声に、私は耳としっぽをピンと立てた。
ピンチの時に憧れのひとが駆けつけてくれるなんて物語のようだと感激しすぎて、立てた尻尾がしびびと震える。
横目でじろりとレナトス様を睨んだヒューゴルは、ふんと鼻で笑うと「絡みつく蔦」をしゅるりとほどいた。
その拍子に、何かきらりと光る小さなものがこちらの方へと転がってくる。
(ん?これは……。)
近寄ってみると、それは魔術師のこの研究所での位を表す水晶飾りだった。
無色透明のそれは、現在では私以外誰も使ってはいないものだ。
(あぁ、これ失くしたら大変じゃない。身分証の役割もあるのに……。)
思わずそれを口で拾うと、思ったよりも近くからヒューゴルの声が聞こえる。
「ははは、嫌だな、誤解ですよレナトス魔術師。彼女がよろけて転びそうになったから、こうしてとっさに魔術でつかまえてお助けしたんです。」
「……そうか、それは良かった。彼女の助手が探していてね、頼まれているから代わりに連れて行くよ。」
レナトス様がそう言うと、さすがのヒューゴルも格上の魔術師にはさすがに逆らい辛いのか、それ以上は言い返さなかった。
そして苦々しい表情を浮かべると、くるりとその場に背を向けて去っていった。
(あぁ、レナトス様素敵……!でもどうしてここに?)
ヒーローの登場に私はうっとりとして彼を見つめるが、彼が見ているのはこちらではない。
「あの、メイアーナ魔術師。大丈夫だったかな、何か乱暴な事をされているように見えたから……彼の言ってた事が本当だったらすまない。」
声をかけられた私の姿の猫は、ぴたと体を硬直させて警戒するようにじっとレナトス様を見ている。
何も言葉を発しない私に、レナトス様は焦ったように目を泳がせて言葉を重ねた。
「その、昼間は本当に申し訳無かった。意識を取り戻した時に驚いて怪我をしないようにと……でも、勝手に触れるべきでは無かったと思う。信じてもらえないかも知れないが、決して君が怖がっているような……その、変態だとかそういうんじゃないんだ。」
レナトス様が必死でそう言っても、目の前の私は目をかっぴらいたままじりとも動かない。
返事がない事に動揺してるレナトス様が可哀想すぎて、私は彼の足元へと移動した。
慰めるようにちょいちょいと脚を手でつつくと、彼ははっとして私を抱き上げた。
「あ、ほら!ここに来たのも、猫を探しにきただけだから。猫の首輪に指先程度の小さな水晶飾りをつけていて、居場所がわかるようにして……。」
彼が猫になった私を、私の姿の猫の目の前にぶらんと掲げる。
「ギッ?!」
すると目の前の「私」が奇声を発し、その目がカッと開かれ、ざっと顔にまで鳥肌が立ったのがわかった。
「ギェーーッッ!」
「えっ?」
(ああぁ、レナトス様の前でギエーなんてそんな可愛くもない声を……。)
自分の姿が目の前に現れて驚いたのだろうか、それとも単に他の猫だと思ってその存在に怯えたのか、私の姿をした猫は絶叫した。
そしてそのまま、手を地面について四足で雑木林の方へと走り去って行ってしまった。
「……そんな、天敵を見るような目で……しかも這って逃げるだなんて……。……もう帰ろうか、スピエ。」
レナトス様は私の頭上でがくりと肩を落とすと、私を抱きしめてとぼとぼと宿舎へと戻って行った。
***
部屋に戻ると、レナトス様は私を床におろした。
はぁとため息をつきながら、魔術師のローブをばさりと脱ぎ捨てる。
下には生成りのシャツと、足首まである黒いゆったりとした下履きを身につけている。
女性に怯えられたと言う事がよほど堪えているのか、彼はベッドに腰掛けるとその膝にひじをつき、両手で顔を隠すように覆った。
「……完全に裏目に出た……。」
「にゃーん。」
私はさっき拾ってからずっと咥えていた水晶飾りを失くさないよう自分の寝床のカゴの中に置いて、返事をするように相槌を打つ。
その鳴き声に顔をあげたレナトス様は、どんよりと落ち込んだ表情で語りかけてきた。
「メイアーナ魔術師を助けたくって勇気出したけど、俺空回ってたのかな。何か彼女、ヒューゴル魔術師よりも俺のほうに怯えてたよな?スピエも見てたろう。」
「にゃう。」
「あ!もしかして二人のあれが乱暴じゃなくて、合意の上の何かだったのか?恋人同士の、何か……いちゃいちゃみたいな……それでも拘束してするとか、ちょっとあれだけど……。」
「んにゃにゃー!!」
「だとしたら俺は、メイアーナ魔術師が恋人とひとけのない場所を選んでこっそりしていた、二人だの秘密の遊びを邪魔した事に……。いや彼女に限ってそんな事……うぅ……。」
「にゃうー。」
レナトス様はおかしな妄想を始め、頭を抱えてどんどん落ち込んでいってしまった。
私が勝手に想像していたよりも、どうやら彼はずっと不器用で純粋だ。
天才なのに、何だかちょっとだけ頼りない。
魔術の研究は規格外だが、それ以外ではごく普通の年相応の悩める青年という感じだ。
私はそんな彼を慰めようと、ベッドへ飛び乗るとその脇腹に頭をこすりつけた。
彼は押し付けられた私の後頭部を優しく撫でると、ぽつりと言った。
「……メイアーナ魔術師はね、昔俺に手紙をくれたことがあるんだ。」
(手紙?レナトス様に?そんなストーカーじみた事、まだ一度もしたことないけど。)
私の頭から手を離したレナトス様は、ベッドの横に置かれているサイドテーブルに手を伸ばし、その引き出しをがらりと開けた。
そして中から砕けた封蝋の痕跡のある一枚の魔法紙を取り出すと、ぱらりとそれを広げる。
(あっ……これって!)
彼の太ももの上に手を置いて覗き込むと、紙の上には見覚えのある文字が並んでいる。
手紙の書き出しは、「親愛なる有能な魔術師、そして解呪研究の第一人者である誰か様へ」だった。