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満月の丘

 猫という生き物は、夕方や明け方に活動的になる。

 私が体が猫になっても人間の気持ちがまだ残っているように、逃げた私の体もまた猫の気持ちが残っているに違いないと予想した私は、日暮れを待って捜索を開始する事にした。


(でも、何かやっぱり猫の体に引っ張られる所はあるわよね……。いつもの私と全く同じって訳ではないわ。)


 今私は、ベッドに横になったレナトス様の顔の横に寄り添うように丸まって、手の甲の柔らかい毛皮を指で撫でられている。

 こんなに美味しい状況なのに、猫の体のせいかなんだか眠くて仕方がない。

 もし人間の私が同じ状況に置かれたなら、興奮に目をかっぴらいて彼の顔を凝視し、その甘やかな吐息を一秒でも長く浴びようとするだろう。


(うぅ……いつも五階から見つめてた憧れの人が……目の前で微笑んでるのに……。猫ってこんなに眠いのね……。)


 肉球をぷにぷにと優しくマッサージするように押され、あまりの気持ち良さに気が遠くなる。

 瞼を閉じまいとして抗うが、もう寝落ち寸前だ。


「スピエ、目がしょぼしょぼしてきたね。でも君がようやくうちの猫になってくれて良かった。外は魔力を持たない生き物には危ないから。」


 これからは家族だね、と言って彼は私とこつんと額を合わせた。

 神話の美青年のようなお顔が限界まで近づいて、私は目をかっぴらいてその絶景を脳に焼き付けた。

 鼻筋が細く薄い唇のすっきりとした顔立ちだが、優しく細められた目がそこに黒蜜のようなとろりとした甘さを添えている。

 その氷の美貌が微笑むと、その愛らしさたるや大魔術師イプセムの落雷魔法並の破壊力だった。


(あああぁぁ……。これは……確かに普段は隠さないとまずい美しさ……。美の女神も嫉妬したも……う……。)


「そうだ、君のために前から首輪を用意していたんだ。ヒルコウモリを寄せない魔術とか、色々ついてるからね。」


 ちょっと待ってて、という彼の声を遠くで聞きながら、私は眠りに落ちてしまった。



***



 満月が明るく照らす、静かな丘。

 栗色の髪の美しい女が、花びらとローズマリーの敷き詰められた地面の上を歩いている。


 朝露グモの糸で織られた光り輝くドレスに、頭をぐるりと囲むドワーフの里で作られた純金のギンバイカと水晶の髪飾り。

 手には白薔薇とヴァーベインの花束を持ち、その表情は幸せそのものだ。

 それもそのはず、彼女の隣には世界一の素晴らしい魔術師が正装して立っている。


(レナトス様……。)


 二人が仲睦まじげに腕を組み向かっている先には、幾人かの人々が待ち構えていた。

 よく顔が見えないが、そのうちの一人にキャスがいる。


 幹が不思議な形に捻れた薄青く光る実のいくつもぶら下がる樹の下で、二人は歩みを止めた。

 二人は互いの両手を取って一度ほほえみ合うと俯き、なにやら静かに言葉を紡ぎ始める。

 足元に敷いてあったらしい魔法陣が光り、二人の周囲を取り巻くように光の帯を伸ばすと、キャスや他の人たちから小さな歓声があがった。


 陣の中の二人の髪がふわりとなびき始めるほど陣の魔力が高まると、頭上にぶら下がる木の実が呼応するようにして光を強め、柔らかく点滅しはじめる。

 幻想的なこの夜の秘密の儀式は、誰もが憧れる伝統的な、魔術師の結婚式だ。


(そっか、私ついにレナトス様と結婚できる事に……!そういえば召喚魔法も成功して、魔術学会の懇親会で彼から話しかけてくれたんだったわ。)


 私の魔術に感激してくれた彼に、私はずっとずっと尊敬していた事を打ち明けたのだ。

 そしてあっという間に私達は打ち解けて、まるで最初から星にそう定められていたかのように愛し合うようになった。


 陣の光に照らされたレナトス様のいつもの長い前髪がふわりと舞い上がり、とろけるような甘い微笑みが花嫁に向けられる。

 魔力が最も高まった陣の中で、彼は花嫁の頬をそっと手のひらで包んだ。


(あぁ……ここで口づけしたらついに結婚だわ。そして新居の魔法鍵になっている指輪をプレゼントされて、レナトス様が私の夫に……!ん?何あれ?)


 自分の後ろ姿、ドレスのお尻あたりを見ると薄く繊細な生地の下で何かがもっこりしている。

 せっかく高級な魔法の生地のドレスを身に着けているのに、こんな状態では台無しだ。

 何が入っているのやら分からないが直さなければと駆け寄ろうとすると、ぐっと何かに阻まれた。


「こらこら、今は良いところだからじっとしときなよ。二人は夫婦になるんだから。」


(え?何言ってんのよキャス、結婚するのは私よ。私とレナトス様の結婚式でしょ?最高の瞬間なんだから衣装を直さないと!)


 じたばたとすると、キャスが頭上で苦笑いする。


「レナトス様が結婚するから妬いてるのか?今日からはあそこのメイアーナ様もお前のご主人になるんだぞ、スピエ。」


 頭を撫でられ、はっと自分の手を見る。

 白い毛皮に、ピンク色の肉球。自分の手のはずなのに、どこからどう見ても猫のものだ。


(どうして……!でも、じゃああそこにいるのは?!)


 魔力が限界まで高まった魔法陣の中の二人は、もう口づけする寸前だ。

 目を見開いて凝視していると、花嫁のお尻のあたりがもにょりと動いて、ドレスの縫い目を突き破って白い尻尾が出てきた。


(あーーーっ!!猫ぉ!!)


 レナトス様が猫花嫁の頬にそえた手で、顔をそっと持ち上げる。


「メイアーナ……愛してるよ。俺の最高の魔術師……一生の伴侶。」


 少し照れたようにそう言ったレナトス様は、その長いまつ毛を伏せた。


(ちょ、ちょっと待って!それは偽物よ!本物の私はここよ!)


 幻想的な光景の中で、ふたりの唇が重なる。

 レナトス様が自分の小指に2つついた指輪の片方を外して、花嫁の手を取った。

 叫ぼうとするが、声が出ない。

 まぶたを開いた花嫁の金色の大きな目が、ぎょろりとこちらに向く。

 私がキャスに抱えられて身動きができないのをみると、そいつは白く光る牙を見せてにやりと笑った。


「あなた、素敵な首輪を貰えて良かったわね。とってもお似合いよ。でも彼の指輪を貰うのはわ、た、し。」


(嫌ぁ!レナトス様やめて!お願い、猫と結婚なんてしないでーーー!!)


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