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猫になったわたし

(猫になるって最高〜〜!!レナトス様の呼気を耳のさきっぽに感じる〜!)


 私は彼の腕の中で、ごろごろと喉を鳴らしつづけていた。

 その胸板に寄りかかると、きらりと視界で漆黒の水晶飾りが光る。

 私とは全く逆の意味で、この研究所でひとりしかつけていない最高位魔術師の証だ。


「良かった、何でだかご機嫌みたいで。このまま俺の部屋に行こう。」


(うそー!レナトス様のお部屋に連れて行ってもらえるだなんて素敵すぎるよ!人生最良の日、もうずっと猫でいい!)


 喋り方がちょっと奥手なおたくっぽかったとはいえ、レナトス様はレナトス様だ。

 数分前にした体をすぐに取り戻すという決意もむなしく、憧れの人の私室へと連れて行かれる事を知った瞬間に、私の理性は紅茶に沈めた角砂糖のように脆く崩れ落ちた。



 この研究所で働く魔術師のための宿舎のすみに、彼の部屋はあった。

 彼が魔力で施錠された扉のノブに小指の指輪を押し付けてそこを開けると、中からふわりとレナトス様の纏うのと同じ香りが溢れ出してくる。


(彼がどんな香りがしたとか今まで全然知らなかったけど……あぁそっか、猫だから普段より鼻がいいのかな。レナトス様の香りを感じられるなんて、幸せすぎる!)


 部屋の中は、ごく普通の宿舎の一室だった。

 男性の一人暮らしだからさぞ散らかっているのだろうと思いきや、どちらかと言えば殺風景で私物らしいものがあまり見当たらない。


 小さなテーブルと椅子、湯を沸かせる程度の簡素な魔術調理台と、奥には備え付けのクロゼットとベッドがある。

 うちの研究所で働く魔術師の中では最も高ランクで報酬も桁違いに高いはずのレナトス様なのに、街に家を持たずにここに暮らしているなんて驚きだ。


 レナトス様は私を抱えたまま調理台の脇から|籐〈とう〉のかごを持ってきて、それを部屋の隅に置くと中に畳んだブランケットを詰めた。

 そして私をそこに座らせ、すっと離れる。


「にゃー……。」


 こちらに背を向けて簡素な棚の中をごそごそとやっていた彼は、私の声に振り向くとふっと笑った。


「本当にどうしたんだ?今までは一度も触らせてくれた事なんか無かったのに。いつもエサを食べ終わったらすぐ逃げてしまってさ。ほら、背中の傷口を見せて。」


 長い革手袋をはめて戻ってきた彼にそう言われて、おやと思う。

 言われて振り向いてみれば確かに自分の背中には、ほんの少しだけ血のようなものがこびりついていた。

 首根っこをちょいと掴まれて、母猫に咥えられたように保定される。


「ヒルコウモリに噛まれたんだろう?万が一病気を貰ってたら死んでしまうからね、嫌だろうけど治療するよ。あまり暴れないでくれるといいんだけど。」


 彼は濡れた布地で背中を丁寧に拭いて汚れを落とすと、小さな丸薬のようなものを取り出す。

 そしてそれを背中に押し付けると、魔力を丸薬ごしの指先にぎゅっと凝縮した。


「フギャーン!」


 薬の成分が溶けた魔力が針のようになってびゅるんと体内に入ってくる感覚に、つい悲痛な声を出してしまった。

 魔術師になる時にも病気の予防でやった事があるが、何度やってもこの不快感には慣れない。


「よし終わった!手遅れになる前に間に合って本当に良かった。」


 すかさず顎を指の腹でぐりぐりと労るように撫でられて、私はなんだか胸がジンとしてしまって治療の痛みを少し忘れた。


(レナトス様って、実はすごく優しいんだ……。猫の命がかかってたから、捕まえて治療しようと追いかけてたのね。いつもは餌で釣ってじりじり接近するだけで、無理強いはしてなかったもの。)


 私をかごに戻して手袋を取った彼は、部屋の奥へと歩いてベッドにどさりと腕を広げて仰向けに倒れこんだ。


「はぁ……。今日はもう仕事にならないだろうな。」


 片膝を立ててぐったりとした様子の彼は、疲れ果てたように目元を手でおおった。

 猫を追いかけ回したせいだろうか、何やらずいぶんとしんどそうに見える。

 私はベッドにひょいと飛び乗ると、手で隠された彼の顔を覗き込んだ。


(こんなに接近できるなんて……!近くの研究室を手に入れるどころか、もはや同棲じゃない。もう私は一生猫でいいわ!)


 ふんふんとその頬を嗅ぎ、甘美な香りを楽しむ。


(うふっ。好き!)


 たまらず鼻をちょんとくっつけてキスもどきの事をすると、指の間からちらと覗くレナトス様の黒い瞳が、黒蜜のようにとろりと甘く細められた。


「スピエ、追い回してしまって悪かったね。余計に嫌われるだろうと覚悟してたんだけど……猫は気まぐれで良く分からないな。」


(レナトス様は猫には相変わらず嫌われてるけど、私は大好きだから大丈夫ですよ!思ってたよりも繊細でシャイっぽいところだって素敵ですっ。)


 元気のない彼の頬に、自分の額をぐりぐりとこすりつける。

 くすぐったかったのかたまらず笑いだした彼に、私のハートは踊った。

 ちらりと見える白い前歯は清潔感があって、同じ整った歯でも胡散臭く感じるヒューゴルのやつとは大違いだ。


「ふっ、あはは。……もしかして慰めてくれてるのか?」


 彼は私の両脇に親指を差し込んで持ち上げ、仰向けになった胸の上に私を座らせるようにちょこんと乗せた。


「俺が落ち込んでるのが君にも分かるのかな。……ほんと、今日はここ数年でも最低の日だよ。暗くて魔術おたくの俺が、よりによってメイアーナ魔術師にあんな事……。」


 はーあと長いため息をついた彼の、長い前髪が流れ落ちる。

 形のいい額が出て、憂いを帯びた端正な顔にどこか隙のある色気が漂う。

 私はにゃあと鳴いて、彼の話を聞くように相槌を打った。


「……でも、もう完全に嫌われた……よな。気を失ってる女性の体を触って喜ぶ、気持ちの悪い変態だと思われてるかも。……あれは誤解で危害を加える事は絶対にないって、ちゃんと明日説明しに行かないとな。きっとすごく怯えているだろうし。」


(そんな……私はレナトス様を怖がったりしない!どうしよう。せっかく会いに来てくれても中身が猫じゃあ、レナトス様が悲しい思いしちゃう!そんなの絶対だめ!)


 優秀で完璧な魔術師だと思っていた憧れの彼の素の姿は、思ったよりもずっとナイーブで心の優しい青年だった。

 そして今その彼が、私のせいで傷ついている。

 そんな事、彼をずっと追いかけてきた私に到底許せるわけが無かった。


(今晩中に、私の体を見つけに行かないと……!)



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