魔術師メイアーナ
魔術研究所の五階。
日当たりのいい真昼の窓際で中庭を見下ろしながら、メイアーナはうっとりとため息をついた。
「あぁっ……!見て、キャス。今日もレナトス様、本当に素敵……。」
自慢の長い栗色の髪をかきあげ、窓にぴたりと張り付く。
窓のはるか下に見えるのは、魔術研究所の支給の漆黒のローブを纏った背中と、その上に乗っかるこれまた黒い後頭部だ。
「よくそんな遠くからの後ろ姿だけでレナトス様だって分かりますね……。」
呆れ声を出すのは、助手のキャスだ。
この魔術研究所の最上階、召喚魔術の研究室に在籍する唯一の仲間だ。
私が毎日毎日昼休みに飽きもせず憧れのレナトス様の姿を探しては喜んでいる事に、いつもうんざりしている。
「わかるわよ!彼は素敵だもの。ほら見て、今日も庭の猫に餌付けしようとして冷たくされてる!格好いい!」
「ほんと、メイアーナ様は……。あんなやたらと背が高いばっかりの女顔、どこがいいんだか。目つきも悪くて何か冷血そうだし。」
キャスはこう言うが、彼女にレナトス様の魅力がわからないのは好みのタイプが違いすぎるせいだ。
キャスの夫はガタイがよく筋肉だらけで、街で食堂を営む料理人。
健康的に日焼けして明るくざっくばらんで、理知的で涼やかな目元に横にわけた長い前髪がセクシーなレナトス様とはあまりにかけ離れている。
だけど私は、その頭に魔術がぎちぎちに詰まっているクールな天才のようなタイプこそが好みなのだ。
レナトス様の素晴らしさは、論文を見れば一目でわかる。
斬新な視点、自由な発想、そこから構築される綿密な魔術論理。
彼の紡ぎ出す魔術式は驚くほどシンプルで機能的、それでいて優美だ。
もはやひとつの芸術ではないかとすら思える。
「あんなに美しい魔術式を見ても、まだそんな事言える?誰もが実力者だって認めてるし、地下に研究室を持ってるもの彼だけじゃない。」
魔術を研究するものの多くが、魔力を含む大地に近く、一定の気温と防音性に優れた地下の部屋を好む。
この研究所も地下室のほとんどは貴重な資材の倉庫になっているが、一つだけある特別な研究所は彼のものだ。
ついでに研究所の階というものは、上に行けば行くほど|位〈くらい〉が低い。
そして自分がいるここは、夏は熱く冬は寒風吹きすさぶ最上階だった。
「いやでも、性格とか彼の人となりとかはどうなんですか?いつも遠くから眺めて勝手に妄想しているだけで、どんな人か分かります?」
「知らない。でも賢くて魔術のセンスがあって天才だし!絶対完璧超人よ!きっと自分の魔術にすごく自信があって、私を引っ張ってくれて、デートはスマートで洗練されてて、ちょっと冷たいけど誕生日には大きな花束を贈ってくれて……。」
私が興奮してまくし立てていると、キャスは呆れたようにため息をついた。
「まぁ……派閥に取り込もうとした魔術師を追い返したとか聞きますしね。あんな風にお高くとまった感じで人と全然関わろうとしないのに、地下の研究所を貰えるのは、凄いですけど。普通もっと他の魔術師との繋がりがないと出世なんて出来ませんよ。」
「ふふん、実力って事よ!」
研究所だって、やっぱり態度の使い分けが巧みで口のうまい魔術師が出世する。
流派だの出身魔術学校が何だのと下らない派閥があるが、彼だけは孤高の存在だ。
悲しいのは、私と彼の研究室が遠く離れている事だろうか。
「研究室が近ければ、もっと仲良くなれるかも知れないのに。例えば私が一階に研究室を構えたら、偶然を装って廊下でばったり会ったりできるじゃない?」
「毎日言ってますよね、それ。メイアーナ様も出世できるタイプの性格じゃないんですから、下の階に研究室が欲しかったら魔術研究で一発当てないと。」
自分の専門である召喚魔術というのは、存在をどこかからどこかへと呼び出す物だ。
一見簡単そうだが、現代で召喚魔術を成功させた例はまだ無い。
数千年前の大魔術師イプセムがドラゴンを呼び出したという記録が残っているだけだ。
だけどもしも成功したら、一発逆転。
魔術研究の中でも、最高に夢のある分野なのだ。
「うん、でも今日は行ける気がする!魔術式に全く新しい論理を組み込んだから!」
「普通に本人に声かければいいだけって気もしますけどね。」
「無理!!高位の魔術師に媚を売る計算高い女みたいに思われて軽蔑されたらどうするの!」
彼に近づくためには、私はまず自分を磨かねばならない。
庭から去っていく彼の姿を見送り、さぁ今日も頑張るかと窓から離れようとすると、部屋にノックの音が響き渡った。
「やぁ、メイアーナ。」
返事をする前にドアがガチャリと開き、姿を現した男に私たちは眉をひそめた。
目に痛いほどに輝く金髪をなびかせた、背の高い男だ。
彼の纏うローブの胸元には、この研究所の中で二番目に高位……つまり一階に研究室を持つ魔術師たちだけに与えられる、紫色の水晶飾りが光っている。
「……あら、ヒューゴル様。まだ入って下さいとも言ってないんですけれど。」
ずかずかと室内に足を踏み入れたヒューゴルは、そのすけべそうな顔ににやりと笑みを浮かべ、私の顔の横の窓に手をついた。
やたらと白く整った白い歯が目の前できらりと光り、うわ、と心の中で思ったらその向こうでキャスが同じくうわ、という形の口をした。
「ふふ、相変わらずの照れ屋さんだ。でも今日は素直になれない君にぴったりの、最高のお土産を持ってきたんだ。」
その言葉に、キャスの顔がぴくりとする。
レナトス様のような天才の足元にも到底及ばないが、この男も紫色の胸飾りをつけている以上は優秀な魔術研究者のはずだ。
そのヒューゴルがそこまで言う土産には、確かにちょっと気になる。
「何でしょうか、叫ばないマンドラゴラですか。それとも|黄金蝿〈おうごんバエ〉の詰め合わせか、そうじゃなかったら流星のかけら?」
窓とヒューゴルの間に挟まれて腕に閉じ込められてしまったのを、身をさっと屈めて抜け出し、距離を取る。
すると目の前の男は、人差し指を立てて首を降った。
「いや、魔術実験の材料なんかじゃなくてもっと素敵なものだよ。僕と休日を過ごすお誘いさ。首都の魔術演劇団がこの街に来てるから、一緒にどう?あまりに人気で席なんてなかなか取れたもんじゃないけど、僕はちょっと顔が利くからね。」
「はぁ、そうなんですか。」
魔術演劇とは見栄えのする魔術を見せて楽しませる娯楽だが、使われるのはどれも普遍的な珍しくもない魔術ばかりだ。
正直、お土産としては普通の蝿の詰め合わせのほうがまだ使い道があってよほど素敵だ。
「じゃあ、次の休日の昼前頃に迎えに来るよ。もちろんその魔術師のローブは脱いで、僕のためにお洒落な格好をしておいてね。」
気のない返事を前向きにとらえられ、話が勝手に進んでいることに気づいて私はぎょっとしてしまった。
「あー、私しばらくは研究をしていたいので。休日も全部。あと魔術演劇も実はそんなに好きってわけじゃなくて。」
「うーん……いくら恥ずかしがりでも、その態度はだめだなメイアーナ。もっと同僚と積極的に関わりあって、親しくならないと。一階に研究室が欲しいんだって、さっき聞こえたよ?」
「え……。」
長い腕が伸びてきて、ヒューゴルの指が私の髪に触れ、一房を指に絡める。
「こんなに上の階じゃ、床に魔力も少なくてろくな魔法陣も敷けないだろう?君はシャイだから僕みたいに広い交友関係を持つのは難しいかもしれないけど、僕が後ろ盾になってあげるからさ。」
そう言った男は、絡めた髪をくんと軽く引いて、私の耳に口元を寄せた。
「きみはかわいい女の子だものね。価値のある女の子は、立派な男に守られていないと。僕と親しくすれば、一階にある一番大きな僕の研究室の隣、君のために空けてあげてもいいんだよ?」