イルに奇想、天外より落つ
「痛いのは我慢。渡したタオルはまず目に付いたのを拭くんだけど、拭ったらダメだよ。できるだけ吸わせるようにして」
イルからの思いやる言葉を噛みしめるように、黙って頷くニョロ太達を見遣ると、イルは私に視線を移す。
「あと、これから移動させる必要があるけど、マコちゃんは周囲を見てうまく移動させる方法がないか、まわりを見てみてくれる?」
イルが指示し始めると、面白いようにテキパキと事が進んでいく。二人で分担するのって、なんか凄くない? できることが広がるっていうか……
「わかった。できれば医者に診てもらうのがベストだからね。まぁ、仮に診てもらえるとしても、すぐにではないから、まずは応急処置しとかないと、医者に診てもらう前に取返しがつかなくなるのはかわいそうだもんね」
マコがそういうと、イルは次の手筈の指示も含めて言った
「一旦、応急手当できたなら、次は移動と連絡だね。できればご家族? ……おうちの人に任せたいけど、もしも医者が近くて状況がよくないなら医者に直行しよう」
っと、イルと言葉を交わしながら辺りを見てみると、あれっ? もしかしてリヤカー?
「200mくらいかな? かなり離れているけど、林の木陰にリヤカーみたいなのが見えるよ?」
マコがそういうと、
「ど、どこ? そんなのどこにも見当たらないよ。ん? あーーっ、言われてみればリヤカーみたいにも見える気がするわね。でも遠すぎて豆粒よりも小っちゃくしか見えないけど、マコちゃんはとても目がいいのね」
「えへへ。そんなにいいわけじゃないけど、意識して気合を入れて見ると、最近は結構遠くも見えることがあるんだ」
イルは借りたい旨を伝える。
「近くにもし持ち主がいたなら、緊急事態であることを伝えて借りてきてくれないかしら? もしいなくても、一刻を争うから、目立つところに書き置きをして、借りてきちゃおう。筆記具は持ってる? もしなければ、そこの私のカバンにメモ用紙とボールペンが入っているから、一緒に持っていってね。今日中に返すことと、私の名前と連絡先も書いておいてね。連絡先は筆記用具入れの裏に書いてあるから……」
「わかった。ちょっと行ってくる」
「お願いね」
すぐに救護に専念しようとニョロ太達に視線を移しながら、マコが飛び出していくのを視界の端で見届け……る……っと思ったら、マコが走っていった方向の遠いところで、「チュドーン」って大きな音がして体がビクッとした。
「えっ? えっ……、なに? 何が起きたの?」
慌てて、マコの方向を見遣ると、何やら、目的のリヤカーの近くの木にぶつかったみたいで、転んですぐ立ち上がって、「大丈夫」って大声で聞こえた気がする。
「うん、大丈夫ならいいの。すごく大きな音だった気がするけど……、ホントに大丈夫?」
「……」
イルは視線をニョロ太達に戻しながら、マコの心配をしつつ、何かすごい違和感に包まれたような……不思議な感覚に襲われる。
「ん? あれっ? マコちゃんが飛び出して、2、3秒くらいしか経ってないはずなのに、なんで200m離れたところにいるの? もしかして、私、意識が飛んでたかしら?」
「ただいまっ! リヤカー借りてきた」
「……」
「えっ? えっ? えぇ? えーーっ!」
あまりの出来事に、それ以上、声も出せなくて、イルは口をパクパクさせた。
マコが飛び出しておそらく5秒も経っていないはずなのに、200m先にあったと思われるリヤカーとともに今ここにマコがいる。
オリンピックの選手の世界なら、100mを10秒くらいだから、200mの往復なら、少なくとも40秒以上はかかるはずである。それが普通のしかも小さな子供なら、その3~4倍はかかるのではないか?
別に時間を計ったわけではないけれど、身体に浸み込んでいる時間感覚的常識が、そこから異常なほどに乖離していることに全力でアラートを発信しているのがわかる。この異常事態を解消すべく、イルの心の中では、自問自答の諮問委員会が開催される。
……わっ、わたしがおかしいの?
……これは夢? そうだ、きっと夢に違いない!
……はっ? もしかして、幻覚を見るかもしれないってマコちゃんが言ってた。
……特に痛みも痺れも感じていないから、気付いていないうちに私も毒を受けてしまったのかしら?
……若しくは、既に幻覚の中にいて、痛みすらも気付かなかったとか?
時間にして約1秒間。
マコの「ただいま」の直後から、そんな考えが走馬灯のようにイルの頭の中で超高速で駆け巡った。
当然、何の整理も付いていない状態だが、返事だけは返す必要があることが染みついている。
「はは、は、早かったのね。お帰り。ところで、私、今起きてる?」
「えっ? マコには起きているようにしか見えないけど、イルは寝ながらお話しできるの? もしかして今は眠っている状態なの?」
……えーっ! マコちゃんにドン引きされちゃったぁ?
……
……早く自分を取り戻さないと
……落ち着け! わたし!
イルの様子ははたから見ても不自然極まりない感じで、かなり挙動不審に見えた。
「アハハハ、変なこと言ってるよね、私。なんか、マコちゃんの動きが異常に速く感じて、私の時間感覚がおかしいみたいなの。私も毒に冒されて、幻覚見てるのかな? ごめんね、役立たずだね」
悲しそうに話すイル。
「あ!」
思い当たったマコが、慌てて、堰を切ったように話し始める。
「チ、チ、チ、違うよ。おかしいのはマコの方。緊急事態だから、って、もう無我夢中で、急がなきゃ、って、必死だったから、というのと、まだ慣れてないから、感覚がつかめないで、速すぎたみたい」
「ぇ? そ、それはどうゆうこと? 速すぎるのは、見間違いじゃないの? ? ?」
イルにはもう訳がわからない。生きてきた中で自然に培われてきた感覚的常識が目の前の現実に叩きのめされたからだ。そんなところに、自分は間違ってないかもしれない言葉が届くが、全く整理はついてないままだ。
「あ! あ、あの、イルは口が固い? 秘密を守れる?」
コクコクッ。イルは大きく頷く。それを見届けて、ニョロ太たちに聞こえないくらいの小声で、マコが口を開く。
「あのね、イルは魔法って信じる?」
「な、なに? 藪から棒に。信じてないよ。あるはずないって思ってる。でも、その言い方は、本当はあるって言いたいのよね?」
静かにこくりと頷き、マコは地面の小石を拾う。
「イル、いーぃ? ちょっと見てて」
イルが頷くと、手のひらの小石にオーラを纏わせる。うっすらとだが、小石がふんわり灯る。
「ぅぁーっ」
イルは目を丸くしながら、思わず声を漏らす。マコはすかさず、小石をゆっくりと浮かしていく。
「ゥナッ」
言葉にもならない声を発して、イルは呼吸するのも忘れて、口をハクハクさせる。たぶん認識してくれただろうから、とマコは、力とオーラを解き、小石を手のひらに戻す。
「イル、落ち着いた?」
ハッと我に戻るイル。っと、急に思い出したかのように、激しく呼吸する。
「ゼェゼェゼェ。息の仕方を忘れてた。あー、びっくりしたぁ。死ぬかと思ったよ」
「アハハハ、何事かと思ったよ~。呼吸忘れたら、そりゃやばいよ~。アハハハ」
「だってー。だって、だってぇ。生まれてから一度も経験したことのない、奇跡的なできごとが、目の前に繰り広げられるんだよ? 誰だってびっくりするよぉ。もしも、おじいちゃんおばあちゃん100人の前で突然やってたら、たぶん30人くらいはお亡くなりになるくらい衝撃的なできごとだよ?」
「え? あー、そうなのかな? うーん、教えないほうが良かったかな?」
「ううん、教えてくれて嬉しい。ありがとう。でも、今やることだったの、これ? ニョロ太たちのこと、急がないとだよ!」




