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Jet Black Witches ー 萌芽 ー  作者: AZO
1.芽生え。3.回想、ソフィア編
15/60

民間機撃墜事件

 ケネトの謀略が渦巻く頃、そんなことは露ほども知らない平常運転のソフィア。

 このときソフィアは16歳。


「お外に出た~い」

「ソフィア姫? それならば、中庭の植物園のお花が今大変見頃ですわ」


「違~う。ターニャ、私は街に出掛けたいの」

「それはどのようなご用件でしょうか?」


「買い物したい。映画観たい。お茶したい。本屋さんで本を見たい。ウィンドウショッピングした~い」

「何度も申し上げておりますが、欲しいものがあれば、仰っていただければ、可能な範囲で善処いたします。もし姫さまが外出なさる場合は、行く先々を吟味検討の上、厳戒態勢を敷く必要がございます」


 ソフィアは、飽き飽きした変わり映えしない王宮ではなく、見たことのない、一瞬一瞬が変化に富む世界、通り過ぎる知らない人たち、その行動に予測し得ない変化をもたらす乗り物、見たこともない食べ物の嗅いだことのない匂いと味わったことのない食感、それらすべてが眩い体験となるような、そんな世界に足を踏み入れたい。ただそれだけの願いなのだが、厳戒態勢を敷かれてしまっては、途端に目映さも消し飛んでしまいそうな予感を抱くソフィア。


「うっ」

「それに、仮に今の姫さまのご意向を実現すべく行動したならば、我々は良いとしても、行く先々の国民の皆様方に多大なる行動制限を強いることになってしまいますが、それでもかまいませんか?」


「うぐっ、誰にも迷惑は掛けたくないわ」

「それならば、お慎みいただきますようお願いいたしますね。ソフィア姫?」


「むぅ、やはりぶらりもダメなのね。それなら、コレとコレとコレが欲しいわ。入手困難な日本製よ? 果たして手に入るのかしら?」

「ウフフッ、姫さまのお求めのものはこちらでよろしかったかしら?」


「なっ! なぜ今ここに?」

「姫さまがお求めになるもの、その傾向と対策は常に万全ですの。何年お仕えしているとお思いですか?」


「傾向と対策? 私は受験か何かなの? って、こ、これ! まだ日本でしか手に入らないはずじゃあ? キャー、これはマニア垂涎の超レアものだよ? あぁぁーっ、これはまだ発売前のはずなのに?」


「あぁ、これは失礼。間違えました。まだお見せする予定ではないものが混じっていたようです。お下げしますね。それに言ったではありませんか? 対策は万全ですと。日本に強力なコネクションも確立済なので」


「あ、あ、あ、持って行かないで~。ターニャ!」

「では慎ましく過ごしていただけますか?」


「するする、するから~。困らせたりしないから」

「わかりました。では、こちらをどうぞ!」


「ありがとう、ターニャ。しばらくお部屋に籠もるから、ゆっくり休んでらしてもいいのよ?」


 まだまだ遊び盛りな年頃だが、自由に出歩くことのできないソフィアの目に留まるのは、ゲーム、アニメ、マンガで、特に秀逸なものを世に送り出す『日本もの』だ。


「あー、コレコレ。このアニメのビデオ、欲しかったんだぁ! よくターニャはわかったわね。しかもβ派だって。世の中、VHS派が席巻しているから、ビデオテープの入手も困難なくらいなのにね」


 このときはすでに一族の伝説的歴史を理解し、日本人の血を引くことからも、さらに日本贔屓をしてしまいがちなのだが、贔屓目に見なくても、日本製のクォリティーは高い。だからこそ、内心で誇らしく思う自分を認めている。やっぱり日本はいい。


「日本人が作ったものは、なんでいちいち心に刺さるのかしら? あ、刺さるって痛い意味ではなくて、心に響いていつまでも残ってるような? そんな感じ。私にも日本人の血が混じってるから惹かれるのかしら? いや、アニメについては、最近少しずつ世界が影響を受け始めてるらしいからね。いつかアニメ大国として、世界を席巻する日がきっと来るよね? うん。間違いないね」


 いつか行きたいと願う、そんなソフィアの目の前に、ふと舞い下りる日本との交換留学生の話。


「え? ……い、いいなぁ、交換留学生かぁ。私も年齢的には高校一年生なんだけど、飛び級しちゃったからなぁ。いいなぁ、いいなぁ」


 これは中流家庭以上の高校生向けのため、王女であるソフィアが参加することは通常ありえない。

 しかしソフィアは「通常ありえない」の言葉の向こう側にある、たわわに実る果実の存在に気が付いてしまう。


「あれ? 日本に滞在できる、ということは、ぐふふ。周りすべてがお宝ってことじゃない?」


 通常、ソフィアの目に入るものは全て選別済のものだ。衣食住はもちろん、友人関係も、信用度の高い者しか近付けない。そう、すべてが管理された無菌室、それがソフィアに許される周辺状況なのだ。


 そもそも、ソフィアの頭脳は優秀すぎるため、16歳にして、国内の難関大学への飛び級入学済、その大学でも、エキスパート分野以外は履修不要なほどに学習済の状態だ。要件が満たせば、大学も飛び級で卒業する予定だ。それゆえに、既に高校生ですらないソフィアにとって、留学生の資格があるのかさえ微妙なところだ。


 しかし、ものは考えようだ。もしも、何かの任務を帯びる場合、学生の本分たる勉学に手一杯では為せることも少ない。ところがソフィアの場合は、異文化、異国語以外に必修科目はないのだ。これを逆手に任務さえ生み出せれば、大義名分が成り立つのだ。


 国命による潜入調査のようなものだ。学歴はよしなに整えて、そこそこ優秀な成績を修めていれば、誰にもとやかく言われない。まぁ、SPくらいが付くのは仕方ないが、そこは王室ではないし、比較的平和で安全な国、日本で、他国がそれほど大袈裟な警備などできようはずがない。しかも、身分を隠して、という前提設定がここで効いてくる。静かにほくそ笑むソフィア。何か悪い顔をしているような気もするが、今は捨て置く。


 そして、気付いた果実とは、次のような得難い経験ができることだ。


―・身分の垣根のない友人ができるかも? しかも日本人

― …(身分を越えて付き合える友を欲す)

―・生きた日本語を学べるチャンス

― 外交はもちろんだが、アニメ・マンガに役立つ

―・本家本元のアニメ見放題

― 何を観たいか、絶賛苦悩中

―・聖地秋葉原の闊歩と、買い物

―・和食グルメを堪能

― 寿司、ラーメン


 もちろん、自国の未来のあり方を模索(これが建前)


―・平和で安全な日本を体感

―・モノヅクリ日本の探求

―・無宗教国家の現実

―・日本との未来の交流


 ちょうど良いところに両親がいた。早速、行動開始だ。


「お父様、お母様。昨日、日本との交換留学生のお話が届いていることを知りました」

「あぁ、来ていたな」


 おっ、国王まで通りかかるとは。


「あっ、おじい様もよろしければ一緒にお聞きいただけますか?」

「おっ、ソフィアか。何事かな?」


「はい、交換留学生のお話です。それで、私をこの交換留学生に参加させては貰えないでしょうか? というお願いなんです。それを妨げる要因として、私が王室の一員であり、通常であれば大掛かりな警護を必要とすること。そもそも王室からの参加が許されてはいないのかもしれません。私は年齢では高校一年生ですが、飛び級で既に大学生であること、などがあるのは存じています」

「うむ。そこはわかっているのだな。続きがあるのだろう? 述べなさい」


「はい。私は王室の中からこの国を見つめてきました。今は国中が比較的、穏やかな暮らしを行えていると思います。世界的な風潮もありますが、それはおじいさまや先代のご尽力の賜物であると思っています」


 おじい様はニコリと微笑む。掴みはOKみたいだ。ソフィアは話を続ける。


「私はこの国と、今の平穏な状況を大変好ましく思っています。しかし今、世界はゆっくりと、そして確実に、大きな変貌を遂げようとしています。当たり前の話ですが、人は、その瞬間、その場所に、唯一の個体として存在しています。交通機関の発達により、飛行機などで遠く離れた場所に行くことが可能となってきました。どこに行くにも時間が掛かっていたものが、比較的短時間で遠くの人にも会うことができるわけです。しかし、それでも人は時と場所に唯一ユニークな存在です。どこかに向かうということは、今まで居たところを離れるということ。常識的な道理です。身体はひとつなのですから」


 まだまだ反応は平静だ。このままの状態が保持できればよい、っと話を続ける。


「しかし、常に国民と共に在りたい、国王を始めとする王室にとっては、国民との対話を至急行いたいと思うなら、速くなったとはいえ数十カ所の移動だけで何日もかかることを考慮する必要があります。人は時と場所に唯一ユニークな存在だからです。情報伝達するにも、昔は人を配し数日から数ヶ月をかけていたのが、時は流れ、現在においては、手紙や電話・FAXにより、即日から、長くとも数日以内に伝達は完了できるようになりました。今や電話はお家の常備物とも言えますから。文明の発達によるこのような変化は、すべての者にただただ喜ばれるものだと思います」


 まだ反応は平静だが、なんとなく「何を当たり前なことを?」みたいな表情にも見えなくはない。ここから気を引き締めて話さないと、っとソフィアは話を続ける。


「ところが、今より先、文明の発達は一気に加速していきます。交通なども発達するでしょうが、大きく変動するのは通信世界です。さらなる発達により、これからの電話は家から人の手に、どんどんシフトしていくでしょう。そしておそらくテレビも。テレビ電話もひとつの形ですが、おそらくもっとすごい変革が訪れるとみています。それがどういうことかおわかりいただけますか? 時と場所に唯一ユニークな存在である人。それ自体は変わりませんが、世界中のどこにいても、顔を見せ声をかけられる、もちろん会話もできる、そんな時代がすぐそこまで来ています。国内で起こる様々な問題も、現場に行けずとも、より詳しく知り、対応を図ることができます。他の民主主義国家なら、そんな変革にうまく乗ることができた人が国を牽引していくでしょう。しかし、我が王制国家はそうはいきません。媚びたり、へりくだる必要はありませんが、国王を始めとする王室は、常に国民と共に在らねばなりません。そして国が豊かになるための方法を、国民と共に考えていく必要があるでしょう」


 おじい様の口から「なるほど。しかし、そ、そうなのか?」っという呟きが小さく零れ、顎に右手をやり、少々視線を下げて考え込む姿勢になる。構わず説明を続ける。


「そのためには何が必要か。新しい社会に適応するための先進的かつ強固な通信インフラ整備が必要です。そのための人員育成も必要です。また新しい社会での労働基盤となる社会環境も必要です。私たちの国が、今までの漁業や林業だけでなく、国民全体が豊かになるための新しい産業を根付かせたいとも、考えています」


 お父様がピクリと反応を見せる。もしかしたら近い考えを持っているのかもしれない。


「それにはいろいろな方法があると思いますが、今考えているのはエンターテイメントです。そのひとつは、金髪碧眼の超絶スタイルの美男美女や美しく響かせるシンガーがこの国には多く埋もれていると思っています。彼らがモデルやシンガー、アイドルとして活躍できる環境を整え、世界に飛躍するようになれば、外貨も多く獲得できるようになるでしょう」


 お父様の思惑とは重ならなかったようだが、お母様が急に反応を見せる。ニコニコし始めたのだ。お母様には嬉しい話題だったかな?

 一方、おじい様の目が点になっている。理解してもらえるかどうか、ここが肝になりそうだ。


「もうひとつは、アニメーションやマンガです。ここまででお気付きになられると嬉しいのですが、わが国に必要と考えたもの、その答えはすべて日本にあると思っています。日本国民の人間性や素養の高さもさながら、資源の少ない日本が経済大国となりえたのは、その技術水準の高さと真摯な精神性にあると考えています。またアニメやマンガは、世界的には子供が観るものといった嘲笑を含む低評価も多いですが、実際の日本の中では、子供から大人まで楽しめる、あらゆるジャンルでの土壌がどんどん育っていってます。おそらく10年後、20年後には一大産業となって世界を席巻することでしょう。世界が気付いていない今、わが国でも推進するなら、日本以外の諸外国に先んじて、やがてはわが国の一大産業にもなりえるものなのです」


 お父様もお母様もおじい様も、少し目の開きが大きい、少し意表を突けたようだ。なかなか海外の、特に年嵩の世代から理解されにくい話題なのだ。この説明でどこまで理解を得られるかが鍵かもしれない。


「そしてもう一つ、おじい様、お父様がご存知かどうかはわかりませんが、お母様と私には、遠い過去の時代に日本人の血が混ざり、それ以降、先祖代々、その優秀性を継承してきたと思っています。その血筋ゆえか、日本人に根付く感性の在り方が他の民族と異なることを肌で感じています。今、その血筋を受け継ぐ私の前に、舞い降りる、日本との交換留学生。まさに我が国の明るい未来を照らすための、運命の分岐点にあるのではないかと思わずにはいられません」


 なぜだか、妙に説得力があったように感じるこの話題。もしかして「頓珍漢な話の根底はそれなのか?」というような腑に落ちる心情でもあるのだろうか?


「わが国の未来に向けて、次のことを学び取り、肌で感じ、わが国にどのように活かせるのか、その足掛かりとなる第一歩として、お忍びにて、交換留学生として日本に行ってみたいと考えました。


―・平和で安全な日本を体感

―・モノヅクリ日本の探求

―・無宗教国家の現実

―・日本との未来の交流」


「私は飛び級にて高校生ではないですが、国家を隔てている以上、詳細は先方にはわからないだろうし、必要ならば、一時的にどこかの高校に編入するでも良いです。大事なことは、私は16歳で誰の目にも実質、高校生に見え、留学生としての成績も特に心配はない、ということと、その分、目的に邁進できるということです。また、この調査はお忍びである必要がありますが、日本はとても治安が良いため、警護も最小限で問題ないと思います。是非ともこの機会を私にいただけないでしょうか?」


 言いたいことは全部言えた気がする。お三方、さぁ、どのような反応をくれるのか?


「おぉ、ソフィアよ。さすがは私の孫娘じゃのう。そこまで我が国のことを考えてくれていたか。うん。確かに美男美女は多いが、アイドルとは日本式のキャピキャピしたアレじゃろう? 我が国で成功するようには思えぬがの」


「あぁ、おっしゃる通りで、アイドルに関してはそのまますぐには成功しないでしょう。それはまだこの国の人たちには感受性が不足しているからなんです。仮にそれを説明しようとしても、おそらく大半は理解不能でしょう。それゆえに、アイドルに関しては、国内ではなくアイドルの本場である日本で特訓して、デビューして日本での上位を目指してもらいます。アイドルになる側も根本的な心構えから叩き直さないと絶対に日の目を見るどころか、デビューすらできないと思います。チャラチャラしているように見えて、かなりシビアでハードな世界なんです。まずはアイドルとなる人たちが日本の文化に溶け込めるかどうかが鍵です」


 お父様もお母様も、ソフィアが現実を見据えたうえでの提案であることがわかってもらえているのか、聞きながら頷きを返してくれる。うれしい反応だ。おじい様の瞳からも険しさがなくなってきたように見える。いけそうかな?


「そうして日本で活躍できる人材が育つ頃には、我が国の国内から少なからず応援する者たちやメディアを通して、ゆっくりと国内の人たちに浸透していくと思います。もしも日本である程度名声と人気を得ることができるようになってきたら、逆輸入方式で国内でも理解が進むと思います。マンガやアニメも同じで、すぐには正当な理解を得ることは難しいと思います。その魅力は理屈で説明できるものではないのです。時間をかけてゆっくりと浸透していった先に、ようやく日本人の感じ方が理解できるようになるのです」


「そういうものなのか?」

 おじい様の瞳が大きく開き、思わず言葉を漏らす。


「えぇ、なかなか日本人の中に眠る本質的な良さ、凄さは、理屈では語れないのです。個々の日本人の能力が凄いかどうかは別ですが、おそらく長い歴史の中で培われ育まれた素養のようなもので、本人たちも意識しない感性のようなものが潜在しているように思います。時間をかけた先に、あぁ、そういうことなのか、という理解に行き着くことができるかもしれません。ほんの些細な違いに思えるようなことなのですが、そう簡単には理解できない、悟りの境地みたいなものかもしれません。少し大袈裟かもしれませんが。あぁ、簡単に言うなら、日本人の感性に対してそれ以外の国の人の感性は大味、というか雑なんですね」


 おじい様の瞳から、ひとまずの納得は得られたようで、言葉を返してくれた。


「そうか。なんとなく理解したから、交換留学生として参加しなさい。より具体的な結果が報告されるのを期待しているよ。そのほかの、通信基盤や労働基盤、日本との協力体制の実現可否、それからものづくり日本の現状など、可能ならば情報を得て来てほしい。ソフィアの考えるわが国の未来構想、少しワクワクしたよ。ありがとう。まだまだ私も死ねないな」


 やったぁ、偶然通りかかったおじい様だったけど、一緒に説明できて本当に良かった。

「ありがとうございます。私も思うところをお話しできて嬉しいです」


「良かったな、ソフィア」

「ソフィア、良かったわね。でもあなたのことだから、きっと他にも狙いがあるのだろうけど、まぁ、いいわ。無理は禁物よ。楽しんでらっしゃい」

「お父様、お母様。ありがとう」


 N国の未来の一角を担う王女としては、建て前を前面に押し出し構築した理論武装により、心の内では、これまさに運命とばかりに心を踊らせながら日本留学を推し進め、見事勝ち取るソフィアだった。


 それから数日のうちに、交換留学生の担当者にコンタクトし、他の交換留学生の選出から、旅程、予算、学習要項、その他の計画全般について、担当者と議論を重ね、担当者以上に担当者らしく取りまとめるソフィアだった。


 その頃、水面下で情報を細かく掴むV国調査員たちは、日本行きの情報を当然キャッチする。スパイ天国に等しい日本ならば、接触や連れ去ることも容易であることから、日本を舞台に作戦を練っていくV国調査員たち。


 そして移動日の2日前、外交上の都合でイタリア滞在中の留学同行予定者が帰国してから合流する予定だったが、とある事情で帰国できなくなった。


 それならば、とソフィアがイタリアで合流するよう調整し、即訪伊することになった。ソフィアはイタリアでも遊びたかったらしく、胸を躍らせながら、意気盛んにイタリアに向かった。


 そんな急な予定変更にも柔軟に追従するV国調査員たちだが、一人を除き、同一便への調整はかなわなかった。イタリアへの国賓級VIP一行の集団が座席の大半を占め、空席にも余裕がなかったため、ソフィア一行でほぼほぼ満席となったようだ。しかし行動予定は把握しているので問題ない。しかも一名だけでも繋ぐ者がいるなら、もう完璧だ。そう確信するV国調査員たち。


 そうしてソフィアたちは意気揚々とイタリアに向かう。


 しかし、ソフィアたちを乗せた飛行機がイタリアの空港に到着する直前の最終進入経路上でそれは起こる。


 バーンと大きな音が轟いたあと、機体が大きく傾き制御を失う。


「何が起こった? みんなは大丈夫?」

「だだ、大丈夫です」


「シートベルトはしっかり装着してなさいね。あと、今のうちに救命胴衣着けて! 周りの皆も死にたくなかったら、救命胴衣を直ぐに装着して! 早く!」

「は、はいっ!」


 音が響く左翼側の窓をとっさに振り向くと、左翼のエンジンから向こう側の翼がない? と思ったら、その向こうには海。飛行機の姿勢が異常であることは明らかだ。


 また直ぐにドカーンと後方からの爆音とともに一筋の火炎が客室内に伸びる。立て続けに今度は何? 伸びた炎は一瞬後に退いていくが、客室内に熱が籠もる。ヒリつく熱さだ。ベルトを外して立ち上がった乗客はパニックどころか機内でしっちゃかめっちゃかに振り飛ばされている。半無重力状態では地上の常識は通用しないため、慣性と機体の不規則な挙動に翻弄される。


 誰もが死を予感する。そんな阿鼻叫喚の悲鳴が客室内の恐怖感をマックスまで押し上げる。状況は不明だらけだが、たぶん撃墜されたのではないか? このまま落ちるしかないのか? このまま機体ごと落ちれば、海面への激突の衝撃だけで、まず一人の生還も望めないだろう。


「そんなことにはさせない」


 ソフィアは意を決して機体をオーラで包み込む。そうするには機体はあまりにデカ過ぎる。魔力の制御限界を超えそうになり、身体の防衛反応が抑止へと働きかける。魔力はすなわち生体エネルギー。完全な枯渇は死を意味する。しかし何もしなければ、みんな一緒に死ぬだけだ。ならば、答えは一つ。ひとりでも多くの命の灯火を守りたい。


 右翼側窓側席にいるソフィアの髪が黒くなり、周りは一瞬淡い光に包まれるが、ほとんどの乗客は左翼側を注視し、目まぐるしく変化する状況に何が何だかわかっていない様子。ただそんな中でも、監視対象であるソフィアに違和感を感じるV国調査員が時折視線を向けてくる。


「誰? こんな時に。もしや私の変化に気付いてる?」


 ソフィアは後方からの誰かのそんな視線に気付くが、座席に隠れるように身体を小さくまるめながら、構わず続ける。


 錐揉み降下の回転を止め、上下を正す。落ち続ける勢いを止めようとするが、なかなか止まらない。


 あと100mくらいだろうか? 上下を正して落下に逆らう力を与え続けるから、かなりのGでみんな苦しそうに床方向に圧しつけられる。


「死ぬよりいいでしょ? みんなガマンだよ」


 おそらく瞬間最大8Gくらいはいっただろうか? かけている私でさえ意識が飛びそうなくらいだ。


「まだ止まらないの?」


 もうすぐ落下を抑えられるかと思ったところで、機体が構造上の強度限界を超えたのか? バキバキっと音がした直後に機体がバラバラにはじけ散る。散らばったままだが、包み込んだオーラごと落下速度はギリギリ抑えられたようだ。


 あと30メートルくらいだったから、うまく海に落ちれば死ななくても済みそうかも? と思った次の瞬間にオーラの包みは解けて、乗客もチリジリに飛ばされる。


「ごめんみんな。限界みたい。うまく生き延びてね……」


 ソフィアは力尽きて気を失う。こんな巨大なものを操った経験もなく、限界を超える魔力行使だったためだろう。ソフィアが飛ばされたのは、南向きの方向だが、この瞬間、周囲の一行はみなソフィアを見失う。それでなくとも誰もが着水寸前の海面を気にしないはずもないが、ひとりだけ異なる方向への高速離散は、人間の追える動態視力の範囲をはるかに超えるものだったからだ。


 地中海にバラバラになった機体の破片と乗客が散らばって落ちる。


 ほどなくして救助ヘリが到着して救出を開始する。無残に粉々に散った機体残骸からは、壮絶な爆発を連想させるが、乗客は散り散りになってはいるものの、ほぼ全員が収容される。ほぼというのは、ソフィアだけが行方不明で、未だに痕跡すら掴めない状況だった。


 ただ、ソフィアの奮闘虚しく、後部座席の爆発の直撃を受けた14名だけは、助からなかった。ソフィア行動時には既に瀕死だったためだ。そのほかの乗客は、ベルトを外して、機内で残骸に巻き込まれたための重傷者6名を除けば、奇跡的に比較的軽症で済んだようだ。


 この事故は、国賓級VIP一行の集団を狙う国際テロリストにより、ロケットランチャーで撃墜されたことが報道される。しかし国賓級VIP一行の集団はみな無事だったことと、女神が降臨して救ってくれた証言もあったようだが、根拠が見つからないため、女神降臨説は報道されることはなかった。ただ唯一の行方不明者がN国王女であり、報道される写真の容貌が金髪碧眼なうえ、誰もが見惚れる可愛らしさの少女であったため、世界中が注目しソフィアフィーバーが巻き起こる。


 しかし、捜索隊の懸命の捜索にもかかわらず、まったく手掛かりが掴めないまま、時間だけが過ぎていく。


 3日間が過ぎ、通常なら捜索規模が縮小されるか、打ち切られるところだが、N国王室からの資金投入と、世間の関心が高かったため、さらに範囲を広げて大がかりに捜索は続く。


 しかし2週間が過ぎ、世間の関心も薄れていき、捜索現場の諦め判断とともに、巡視船による1日一回の巡回捜索、というように規模は縮小されていく。


 2ヶ月を過ぎる頃には、捜索打ち切り。報道もほぼされなくなり、捜索騒動は幕を下ろすことになる。


 北の軍事大国:V国調査員はというと、乗り合わせた一名は、魔力行使したかもしれない疑惑を持つが、その疑惑が正しければ、危険を顧みずに自分たちの命を救ってくれたことになるソフィアを恩人として、他の調査員たちへの報告は行わなかった。

 他のV国調査員を含め、後味の悪い結果と、ソフィア以外に標的を変えて行う接触、調査の継続は、世間の矛先が自分たちへ向かうことを恐れて、N国に向けた調査そのものを打ちきることを決定する。


 ケネトはというと、その企み自体が明るみに出ると、在らぬ容疑をかけられることを恐れて、苦虫を潰す思いで、いったんは成り行きを静観する姿勢をとることを決める。


 結果、N国王室自体は、そんな謀略があったことすらも、全く気付くことなく、事態は終結する。ただ、ソフィアに陰ながら同調していたシャナだけは、そのような陰謀が渦巻いていたことを掴んでいたが、思わぬ終結にひとまず安堵する。


 肝心のソフィアだが、この事件勃発の時点では、シャナとの同調度が高くないため、ソフィアはシャナを認識できていない。

 なので、会話ではなく、意識への本能的な語りかけによるため、片言ことばのようなかんたんな意志疎通に限られる。

 ただし、語りかけられるほうにとっては、神のお告げだとか、精霊さんの語りかけ、のように認識されることが多いため、過去の別の誰かへの語りかけでは、思いもよらない大げさな状況となることが多かったことから、ソフィアにも、これまで必要以上に語りかけることはしなかった。

 しかし、今回ばかりは何をおいても紛うことなき緊急事態のため、シャナも躊躇なく語りかける。


 ソフィアには、V国調査員の目や、派手すぎる乗客救出劇への世間からの追求をかわすのは困難であると推測し、この機を利用して、行方を眩ます方法しか、他に良案は思い当たらない。飛行機が落下し分解、乗客が分散する場面で、離散時、思いっきり離れるよう、語り掛ける。


 気を失う直前の、神の啓示のごとき指示に、ソフィアは、自分自身を包むオーラごと、思いっきり移動するよう魔力を込める。

 すると南の方角の斜め上方へと、勢いよく飛んでいく。あまりの勢いに誰の目にも留まることなく、大空へ飛翔していった。

 とっさに決めた南の方角。なぜか呼んでいる気がしただけで、その他に理由はない。たまたま南だったが、それ以外の方向だった場合は、どこかの監視網に捉えられる可能性が高まるから、南方離散はなかなか適切な判断だったとも言える。


 そのままの勢いを保ちながら、いや少しずつ加速しながら、ソフィアの身体は高速で南に向かっているが、ソフィア自身はまだ気を失ったままだ。シャナが語りかけても気付く気配がない。延々と飛び続けるソフィア。

 あっという間に地中海を抜け、アフリカ大陸を南進していく。

 高度も徐々に上げながら、さらに加速する。さすがに宇宙空間まではいかないと思うが、スピードがあまりに速すぎる。このままでは南極やその向こうの太平洋まで行ってしまいそうな勢いなので、シャナは必死に呼びかけるがソフィアは気付く気配がない。


 ソフィアは仰向けで高高度飛行しているから、シャナにも地上や進行方向は見えない。が、かなり高高度で寒いはず、と思っていたらようやくソフィアも寒がって意識が戻りそうになる。

 これで意識が戻るから問題ない、と思っていると、今度は暑いと言い出して、意識が戻った。

 超高速度域の状態なので、身体を動かすのは危険だ。「そのまま、そのまま」と促しつつ進む方向の魔力行使を抑えるよう語りかける。

 次第に今度は「熱い」を激しく連呼するソフィア。ソフィアの視覚から見える状況は火事だった! ソフィアを包むオーラの外側が燃えていた。


――<解説>――

――ソフィアもシャナもおそらく知らないが、超高速飛行には、『熱の壁』というものが存在する。

――『音の壁』ならば、現代人であれば衝撃波という言葉とともに、比較的認知度は高く、音速を超えるために乗り越えなければならない壁のことだ。

――さらに音速を超えるほどの高速で移動する場合、航空機にぶつかる部分の空気は急激に圧縮され、その断熱圧縮による高温空気が、機体の表面を加熱する(空力加熱)。

――『熱の壁』はマッハ3付近で350℃を超える高温となることで航空機の主要素材であるアルミ合金の強度的な限界温度を軽く超えてしまうため、航空機は飛行が困難となる問題のこと。

――極超音速といわれるマッハ5以上になると、困難度はさらに跳ね上がる。空力加熱だけ捉えても、数百から数千℃となる。隕石やスペースシャトルの大気圏突入時に激しく燃えるのは、この現象によるものだ。

――今のソフィアに起こっているのは、この燃える隕石のような現象だが、おそらく熱の壁となるマッハ3より少し手前の段階。意識が戻らないまま速度を増し続けていたら、一瞬で燃え尽きるほどの火焔に包まれていたかもしれない。

――<解説終わり>


「落ち着いて、スピード落として」

 と、語りかけると、少しパニック気味のソフィアは、思いっきり魔力を遮断する。あまりに熱すぎたのと、気が付いたら炎の中にいたことも、たぶんかなりショッキングで怖い出来事に違いない。ただ、魔力を閉ざせば、あとは飛ぶ勢いに任せた自由落下となる。

 そういえば、ソフィアは魔力を使ったことはほとんどない。当然空を飛んだこともない。これはかなりまずい事態だ。意志疎通がとれるなら問題ないが、会話すら難しいこの状況では、助言すらもままならない。しかしこのまま何もしなければ、ソフィアは間違いなく地上に激突して死ぬだけだ。


「ソフィア! 私はシャナ。私の声は聞こえるか?」

「しゃ、シャナ? うぅ、熱い」

 お? うまく認識できたか? 


「そうシャナ。そなたの祖先だ」

「ご、ご先祖さまですか?」


 ソフィアがシャナをキチンと認識できたなら、今までよりも明瞭なやりとりができるはず。


「そうじゃ。今そなたは危険な状態にある。わしの言うとおりに行動できそうか?」

「危険なのですね。わかりました。指示をお願いします」


「いい子だ、ソフィア。では魔力を行使して、まず身体が沈まないようイメージしてみなさい」

「こ、こうですか? ひゃん?! うわっ! 熱い!」


 前方上方への斜めのベクトルが大きめに加わったようで、クィッと上昇に切り替わり、直ぐに少し戻す返しの挙動が少し乱暴だったのか、フッと一瞬浮く感覚にビックリしたようだ。仰向けならなおのことだ。しかし、前方への加速も加わったから、また発熱が始まってしまった。


「慌てないで。あぁ、そうか。上向いてるから感覚がずれるんだな? 今仰向けになっているから、うつ伏せになってみて! ゆっくりと、回転軸がブレないように捻り込む感じで、そうそう、そんな感じ。いいぞ。さっきは前方上方に力が向かってたから、前方、前に進む成分は減らせるか?」


「やってみます。うぅ……アチチチ」


 少しずつ減速している。熱もみるみる下がっていく。いい感じだ。


「いいぞ。そんな感じで合ってる。今度は、上下の調整をしようか。今の状態は少し上昇しているから、少し上向きの力を減らしてみようか」

「はい、こんな感じですか? はぁはぁ……」


「おぉ、初めてにしてはなかなかうまいな。そろそろ飛行は安定してきたから、大丈夫そうだな? 今この辺りはアフリカ南部かな? 南極まで行くのかとヒヤヒヤしたぞ。何にせよ、いったん降りようか?」

「それがいいと思います。もうあまり力が出せないようです。なんか、電池切れみたいな……」


「わっ、バカ! それを早く言え! 前方下方に草原がある。そっちに向かいながらゆっくり降りるぞ」

「は……ぃ」


「もう少しだ、頑張れ! 着陸前に、少しだけ上向きの力を当てて沈みを抑えるのと、後ろ向きの力を調整しながらスピードを止めるぞ! 最後が肝心で難しいからな!」

「は……ぃ」


「今だ、沈みを止めろ」

「……もう……ダ・メ……」

「ソフィアー、しっかり……」


 沈みの返しはやや大きくて、フッと浮く。スピードはかなり殺しているが、まだ全力疾走くらいの勢いが残っている。と、次の瞬間、接地して前方に派手に転がる。


 幸い包み込むオーラが緩衝材となって、大ケガは避けられたようだが、転がりの後半では、そのオーラも解けて草や小石で小キズだらけとなった。派手に転がっていたから、頭を打ったり、骨折などしていないか心配だ。


「ソフィアー、大丈夫か?」


 返事がない。ホントに魔力、というか生命エネルギーが枯渇に近いから、かなりシビアな状況かもしれない。身体も冷たくなってきているようだ。


「ソフィア、頑張れ!」


 しかし、私には意識のみで、身体への干渉はできないため、何も施すことができない。どうすれば……。何か方法はないのか? 

 完全に枯渇し、回復できない状況は、すなわち死ぬことに等しく、私の意識干渉も強制切断される。私が今ここに意識を繋げられているということは、まだ死んでいないし、回復の可能性がある、ということだ。

 しかし、今まさに身体の機能が停止しかかっているのがわかる。いったい……


 と、必死に知恵を振り絞っていると……


「大丈夫かー?」


 と英語の男の声で駆け寄ってくるのに気付く。助かった、とは言えないが、よい人間であることを神に祈る。


「お? 髪が黒いな? 日本人? 女の子か?」


 髪の色を見て日本語に変わった。どうやら日本人のようだ。


「気を失っているのか? あちこち怪我してるし、血色が悪い。ん? 身体が冷え切っている。これはヤバいぞ! 呼吸もしてないぞ!? 脈も感じられない!」


 男は慌てて、胸骨圧迫と人工呼吸を繰り返す、心肺蘇生を試みる。


 ……


「心音が聞こえるし、脈もある。良かった。何度も何度も諦めないで蘇生を繰り返したかいがあった」


 男は、はぁはぁ言いながら、その場にへたり込む。


「本当に良かった」


 ひとつ掴めた安堵感を握りしめ、再び緊張感を纏いながら、経過を見守る。まだ連れて行かれないように引き戻しただけに過ぎないからだ。


「小さくゆっくりだけど、呼吸もできている。うん、なんとか心肺蘇生に成功したようだ」


 しかし、意識は戻らない。それと身体が異常に冷たい。男は着ているシャツとたまたま持ち合わせていた布で身体をくるみ、お姫様抱っこで駆け出した。


 付近でキャンプしていたらしく、テントの中の寝台に寝かせられた。


 まさに九死に一生とはこのこと。どれもふつうなら死んでいた、死線ギリギリをいくつも潜り抜けて、でも最後は絶体絶命、もう死にかけていたけど、運は尽きてなかったみたい。

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