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その世界は、二つの領域に分かれていた。人族の住む人界と魔人の住む魔界とに。
二つの世界は互いに接していても、混じり合うことはない。時折、迷い込んで来るもの以外は。
そして、人族にとって迷い込んできた魔人は脅威であった。彼らは尋常ではない魔力を有し、一人でも人が築いた王国の軍隊一個師団に相当したからだ。
魔人のなかには魔獣を操るものや天候を操るものなど、人の知識や魔力では到底及ばない力を有した者がいて、魔人が現れる度に人は恐怖した。
そのせいで魔人は異質であり、人族とは相容れないものだと、はるか昔から言い伝えられてきた。
ある時、人界の南の果て、人族の王様の治めるアウレリア王国の、さらに辺境の、とある小さな村で一人の赤ん坊が産まれた。
赤ん坊は若い夫婦の初めての子供だった。夫婦は生まれてきた女の子に、リリアージェと名付け、大切に慈しんだ。貧しいながらも親子三人は幸福だった。
そう、あの選別の日までは…。
人族を統治するのは王様とそれぞれ領地を持った貴族である領主達である。彼らは国を維持するために税を徴収し、有事には民から兵を徴収した。その代わり、人々は外敵や魔獣といった脅威から暮らしを守ってもらうのだ。
そうした政から一線を画し、人々の心の安寧をはかり、町や村で暮らす人々から尊敬と崇拝を集めるのが教会であった。
人は生まれてから七年の間は“神の子”と考えられ、七歳の誕生月になって初めて、一人の人として見なされる。
何故なら、幼児は、ほんの少しの病気や怪我であっても、容易く命を落とすからだ。
そこで七歳の誕生月を迎えてることは寿ほがれることであり、教会において、同じ誕生月の子供らを集めて祝う習慣があった。
同時に、子供達は自身の魔力量と持って生まれた祝福、”神からの贈り物“が何なのかが調べられる。
それを行うのは教会の司祭だ。彼らには生まれ持った“選別の神”からの祝福があった。
それが司祭となる条件の一つであり、その力によって子供達は選別されるのだ。
「おお。この子は”豊穣の神”からの祝福がありますな」
おお、と周りから小さなざわめきが漏れる。
豊穣の神からの祝福は、農民にとって最高に栄誉ある祝福である。豊作や豊漁の加護がもたらされるからだ。
小さな、この村では農業に従事するものがほとんどで、豊かな実りが約束される祝福は、農民達にとって、至極、ありがたいものであった。
「さすがは地主様のご子息だ。羨ましい限りです」
「本当に!先々、安心ですわね」
そう言って、おもねるように地主の息子をもちあげるのは地主から土地を借りて農業を営む、小作人の夫婦であった。
今日、教会に集った子供はわずか三人。地主の息子と小作人の息子。そして、リリアージェだけだ。
総人口が千人にも満たない、小さな辺境の村では生まれる子供の数も少ない。生まれてきても、厳しい環境ゆえに七歳まで育たない子供もまた、少なからずいた。
子供達に付き添うのは、大抵が両親だけであるが、地主の家では祖父母も一緒であった。大概の祖父母は遠慮するからだ。
だが、地主だけあって教会への寄進も多く、公平であれと言う教会の教えはあっても、少なからず、優遇されていた。
「いやいや。祝福だけあっても本人の器量次第だからな」
父親は謙遜しつつも、ワッハッハッと嬉しさを隠しきれない様子である。
続いて小作人の息子が選別された。彼は、大抵の人が持っている”大地母神の祝福“があった。周りからは無難な拍手が起こった。人族の守護神である大地母神からの祝福は、あって当たり前でその他の神からの祝福が重要なのだ。
「さて…、最後はリリアージェですね。さ、おいでなさい」
司祭が母親のスカートに掴まってこちらを見上げていた、小さな女の子に声を掛けた。
リリアージェは同い年の男の子達と比べて、体が小さく目ばかりが大きな女の子だった。
先祖代々からの痩せて小さな土地を耕して暮らす、どうかすると小作人よりも貧しい暮らしゆえに栄養がゆきわたっていないのだろう。
母親に背中をそっと押され、リリアージェはおずおずと司祭へと歩み寄る。
「その魔法陣の上に立って。怖いことなどありませんよ。心を落ち着けて」
教会の中には選別を行うための小部屋がある。人数が多ければ、全員が入らないだろうが、この村では少人数であるため、大抵、一緒だ。
本来、選別の結果は本人と家族にしか告げられない。けれど、この小さな村では秘密などなく、お互いに助け合うことで暮らしが成り立っているので当たり前のように公開されていた。
司祭が祝詞を唱えると、リリアージェは暖かな魔法陣の光に包まれた。
すると、声が聞こえてきた。
『見つけた!私の…、私達の愛しい子!』
不意に頭の中で、そんな声が聞こえる。
「え?誰?なに?」
リリアージェは戸惑う。
聞いたことのない、その声は優しくて、まるでお母さんのような温もりに溢れていた。
「なんてことだ!この子は“魔神の祝福”を持っている!」
悲鳴のような、司祭の声にリリアージェはふっと我に返った。
「ええ!ま、魔神ですって!なんて、恐ろしい!」
甲高い地主の奥さんの声が狭い部屋に響く。
「ま、まさか、そんな!な、何かの間違いじゃ?」
リリアージェの父親が、狼狽える。
「選別に誤りなどあろうはすがありません。あなたは神を疑うのですか?」
司祭が父親を嗜める。彼は村人の信仰の要である。怒らせるなど、もっての他だ。
「い、いえ!そんなことは…」
そう言って、チラリと幼い娘を見遣る。その目には戸惑いと困惑、そして、少しの嫌悪があった。
「リリ、こちらにおいで」
お母さんだ!大好きな母親に呼ばれて、リリアージェはトトトと歩み寄り、いつものようにスカートの端っこを握る。
「ああ。このことは早急に村の大人達を集めて話し合わなければいかんな」
地主さんの口から、そんな言葉が聞こえてくる。司祭を含めて、大人達がざわつくなか、リリアージェだけが何も知らない子供のようにキョトンとしていた。
魔神の祝福―、それは破滅の予兆なのか、それとも?
少なくとも、人族のみが暮らす、この世界にあっては忌み嫌われることだけははっきりとしていた。
それから、三年の月日が流れた。相変わらず骨と皮ばかりの、やせっぽちのリリアージェであったが、手足と背もそれなりに伸びた。
魔神の祝福を持っていることで、災いが降りかかるのを怖れて村人のなかには追放すべきだと言う声もあったが、リリアージェには大地母神の祝福もあったため、辛うじて却下された。
元々、小さな村の外れに住んでいたこともあり、家の中から出さないことを条件に村で暮らすことを許されたのだ。
「お母さん。赤ちゃん、かわいいね」
リリアージェは母親の隣にちょんと寝かされた、生まれたばかりの小さな弟を嬉しそうな眺める。
「そうね。かわいいわね。リリはお姉ちゃんだから、守ってあげてね」
リリはリリアージェの愛称だ。今では母親しか、その名前で呼ばない。かつては父親もそう呼んでいたが、選別の日を境に父親はリリアージェをいないものとして扱った。
何故?どうして?と悲しく思わないでもなかったが、彼女には大好きな母親がいたから、辛くはなかった。
「お母さん、また、残してる!」
倹しい食事でも、産後の体を労るために栄養があって食べやすいようにリリアージェは工夫を凝らす。
彼女は母親に代わって台所を任されていた。もちろん、小さな彼女に出来ることは限られているのだが。
それでも懸命に与えられた仕事をこなしていた。朝晩の食事作りも、その一つだ。
「ごめんなさいね。でも、もう、お腹が一杯なの」
「…そう。なら、仕方ないね」
食べられないと言うならば、そう言うしかない。
けれど、リリアージェの胸のうちは不安で張り裂けそうだった。
この春、母親は弟を出産した。けれど、二番目の子供ではない。リリアージェと弟が生まれた間に三人の赤子が生まれたが、いずれも死産であったり、幼いうちに亡くなっていた。
この子は数えて五番目の子供だ。母親はお産をし、赤子を亡くす度に細くなっていった。
生まれた赤ん坊は、今のところ、健康そうで安心している。このまま、すくすくと育って欲しいとリリアージェは願う。
「家の掃除を済ませたら、森に行って薬草をとってくるね」
「大丈夫?この季節は村人も森に入るから…」
「大丈夫だよ。見つからないように気を付けるから」
家の外に出さないこと。それがこの村で暮らす条件だ。だけど、そんな酷いことは出来ないと母親は周囲に気を付けながら、リリアージェを森のなかへと連れ出し、生きる術を与えたきた。
薬草や食べられる木の実や茸などはもちろん、危険な魔獣の避けかたなど細部に渡る。
もしも、この先、一人になっても森の中で暮らしていけるように。
それは母親の予感であったのかも知れない。いずれ、この子はこの村を出ていかなければならなくなると言う。
「十分に気を付けてね。村人もそうだけど、春は魔獣がたくさん姿を見せるから」
魔獣の多くは森の奥深くに住む。寒い冬の間は魔獣であっても、冬眠するなどして過ごすことが多いが、春になると活発に活動し始めるのだ。
「うん。魔獣避けも持っていくし、心配しないで!」
魔獣が嫌う匂いがする雑多な薬草を包んだ『魔獣避け』は、森での活動には必須だった。基本の作り方はあるが、そこに各家や作り手が手を加え、効果を高める。
薬草を用いて薬師をしていた祖母を持つ母親は、薬草に詳しく、魔獣避けも他とは比べものにならないくらい効果的だった。
「それじゃあ、行ってきます!」
母親に元気に告げ、リリアージェは家から外に出る。
「本当は魔獣避けなんて必要ないんだけどね…」
幼かった、あの頃はよく分からなかったが、今ではリリアージェは自分が異質であると理解していた。
「魔神の祝福、か」
確かに祝福されているのだろう。何故ならば、自分は魔獣に好かれるのだ。
どんな狂暴だと恐れられているような魔獣でも、自分には尻尾を振って近寄って来る。
最初は恐ろしかったが、今ではもう慣れた。
幼い日は常に母親と一緒で魔獣も近寄っては来なかった。
けれど、一人で森に入るようになると、魔獣の方から近寄って来るのだ。撫でて、と催促するものさえいる。
リリアージェは面倒くさいなーと思いながらも、それらを撫でてやる。すると、お返しとばかりに珍しい食材を持ってくるのだ。
これには驚いたし、喜んだ。病んだ母親に滋養のつくものを食べさせてあげれるからだ。
村の外れに住むリリアージェにとって、森は恐ろしいものではない。いつも側にある、お隣さんのようなものだ。
「チ、チ、チ、チ、チ」
外見は栗鼠のようだが、一回りは大きい魔獣が森の中で薬草を摘んでいたリリアージェの元に食べられる木の実を運んで来てくれた。
「あ、スズリの実だね!まだ、あったのか〜」
スズリの実がなるのは秋だ。おそらく、魔獣が棲みかに蓄えていたものの残りだろう。
「ありがとう」
ナデナデ。
「チ、チ!」
頭を撫でられ、ご満悦になった魔獣は森の奥へと去っていく。
「スズリの実は頭痛にきくからね〜」
お年寄りの偏頭痛や女性の婦人病などに効果がある。
リリアージェは母親から薬草を見分ける術と同時に薬の作り方を学んだ。
作った薬は家用にと取り置くと、残りを村人に売った。それは父親の役目だった。
あの日以来、リリアージェを一人には出来ないと母親は村人との交流を控えるようになった。
それに加え、ここ最近は寝込むことも多くなり、ますます、村人と接する機会が減った。
その代わり、父親は頻繁に村人との交流をはかった。自分達、家族が見捨てられないように。血を分けた娘であるリリアージェを省みない父親は、母親のことだけは心の底から愛していたからだ。
母親は本来、村人に忌まれるどころか、薬作りの腕を買われ、有り難がられていた。
なのに、リリアージェの大好きな母親は、リリアージェを思って、村人との付き合いを避けた。
村人からリリアージェの悪口を聞きたくなかったからだ。
「お母さん、早くよくならないかな…」
思わず、涙ぐみそうになるのをこらえ、ゴシゴシと目もとを手のひらでこする。
サクリ…。草を踏む音が聞こえた。
顔を上げるとそこには一匹の魔獣がいた。
「あ、ヒュージ!」
「グルルル」
低く喉を鳴らす。
「元気だった?しばらく、森のなかに来れなくてごめんね」
コテリと鼻先を下に向ける。まるで頷いているかのようだ。
サクサクと草を踏み分け、ヒュージがリリアージェの側へと近寄り、ふわふわとした体をリリアージェへとこすり付けた。
「あはは!ヒュージってば、甘えん坊さん!」
「グル!」
心外だ!と言わんばかりに、ヒュージが飛びずさる。
魔獣は総じて、知能が高い。森の動物達に似通った姿形をしているものも多く、大きな体と尖った牙や爪さえなければ、見た目はさほど変わらない。
けれど、決定的に違う点が知能の高さだ。幼児並みのものがほとんどだが、このヒュージのように賢い個体もいる。
ヒュージは銀色の毛並みを持つ、狼に似た魔獣である。ただし、
普通の狼にはない角が耳と耳の間に二本生えている。
それ以外にヒュージの特徴を述べるなら、ヒュージは右目が綺麗な青で左目が漆黒の黒であった。
リリアージェはヒュージの、黒い目が好きだった。暗い闇のような黒ではなく、星が瞬く、夜空のようだと思えるからだ。
「ほら、おいで。干し肉があるよ」
冬の間に貯蔵してあった、干し肉の切れっばしをポケットから出す。
「グルル」
ヒュージがリリアージェの手から干し肉をもらい、咀嚼する。ヒュージは力が強く、狩も上手なので飢える心配はしていない。
だけれど、嗜好品として人の手が加えられた食べ物を好んだ。
「ヒュージ、今日は獲物のお裾分けはないの?」
時々、ヒュージは狩りのお裾分けをくれた。野うさぎやら、野ねずみなどの小さな獲物だ。
こうした小さい獲物はヒュージにとって、単なる暇潰しに過ぎない。獲っても捨てるのを目撃したリリアージェは、いらないならちょうだいと言ってみると、時々、成果を披露してくれるようになった。有難い。
動物の肉は滋養になる。今回も母親に食べさせてあげたくて、そう聞いてみた。
ヒュージが目を瞬いた。リリアージェの方から、おねだりすることはこれまでなかったからだ。
クルリとヒュージが背中を向けた。
「グル」
と、一声。
あ、付いて来いってこと?
リリアージェは薬草を摘んだ籠を木の枝にかけると、ヒュージの後を追った。
この時はこんなことになるなんて、思いもしなかった。ただ、母親のことを思って行動しただけだ。
後悔は、起こってからするものだ。リリアージェは、その事を身をもって知ることとなる。
新作です。良かったら、感想聞かせて下さい。よろしくお願いします。