48 和解、そして戦場へ
今度は首筋を狙う。躱されなければ首の骨をへし折り、即死させられる。文字通り、必殺の一撃だった。
だが首に触れる寸前で、谷崎の腕は止まった。ぷるぷると震え、思うように動かない。
本気で殺し合う中で武器を振るえば、ためらわず命を奪えただろう。けれども、無抵抗の人間に一方的に攻撃を加え、惨殺するような真似はできなかった。否、彼の良心が許さなかった。
八束は微動だにせず、運命に身を委ねたままである。
「……くそったれが」
だらりと腕を下ろし、谷崎がへたり込む。その目は僅かに潤んでいた。
「俺はどうしようもない意気地なしだ。お前を殺せば世界を救えると分かっていても、やっぱりできない。体が動かないんだ」
うなだれた彼を、八束は黙って見つめた。
「ジェルから解放されて以来、俺はお前と戦うときのことをずっと意識してきた。そのために、あえて仲間とも距離を置いてきた。それなのに、俺は自分の使命すら果たせていない」
非情に徹し切れない自分を、谷崎は責めていた。しかし、それが弱さではないことに、彼はまだ気づいていない。
彼は心の底に優しさを隠している。戦士に必要なのは、腕っぷしの強さだけではないのだ。
「まだ僕を倒したいと思っているなら、好きにすればいい。僕も抗ったりしないつもりだ」
シルバーの剣を鍵のかたちへ戻し、ポケットへしまう。
「でも、それで本当に問題は解決するのか? エドマに代わる別の指導者が、トリックスターを率いないと言い切れるのか?」
「それは……」
思ってもみなかった可能性を指摘され、谷崎は口ごもった。あと少しで、自分は何の意味もない犠牲を出していたかもしれない、と気づかされたのだろう。
「僕に流れているのと同じ血がエドマにも流れているというのなら、僕はその運命を変える。運命と戦って、勝ってみせる」
対して八束は、堂々たる決意で言い放った。
はっと顔を上げ、谷崎は気圧されたように彼を見た。
「……お前、面白い奴だな」
ややあって、谷崎が目を逸らす。ぷっと軽く吹き出し、おかしそうに笑った。
「お前みたいなタイプ、嫌いじゃないぜ」
「奇遇だね。どうやら僕も、君のことを嫌いになれないみたいだ」
八束もくすりと笑う。谷崎が秘めた優しさに、彼はずっと前から気づいていたのだ。
「俺が間違っていたよ。ヴィルディアスにそそのかされ、取り返しのつかないことをするところだった」
大きく息を吐き出し、谷崎は腰を上げた。それから、八束の目をじっと見た。
「……今この瞬間から、俺はお前を信じる。お前を消すことでエドマを滅ぼせるかもしれないなんて、不確かな希望には二度と縋らない」
彼は今や、戦士の逞しい顔つきになっていた。
「エドマを倒す方法が、他にもきっとあるはずだ。俺はそいつを諦めない。俺たち七人が力を合わせれば、絶対に勝てる」
「その言葉を待っていたよ」
にっこり笑い、八束が手を差し出す。
諍いは終わり、二人の戦士は固い握手を交わした。
既に、八束の肩の傷は治癒している。戦いの準備は万全だと言えた。
「……皆のところへ向かおう」
「ああ」
どちらからともなく頷き合い、八束と谷崎は走り出した。目指すは戦場、仲間たちがトリックスターと交戦している地点である。
「俺たちの力で、エドマを倒すんだ」
「お前たちごとき、俺が手を下すまでもない。……やれ」
玲たちを一瞥し、エドマが軽く手を振った。配下の怪人らが、唸り声を上げて五人へ突進していく。
「馬鹿にしないでよね」
けれども、玲は余裕を崩さなかった。敵は数こそ多いが、固有の能力を持たない下級の怪人。岩のように硬い皮膚と、強い腕力のみを武器に戦うタイプだ。
今までに何度も戦い、その都度勝利を収めてきた相手である。普通なら、苦戦はあり得なかった。
「そんな奴らじゃ、あたしたちを止められないわよ!」
怪人の殴打をひらりと躱し、玲は相手の懐へ飛び込んだ。そのまま一気にかぎ爪を振るい、胴体を切り裂く。
だが、予想とは異なる手応えに違和感を覚えた。
引き抜いたかぎ爪に目を向け、ぎょっとする。粘ついたダークグリーンの物質が付着していたからだ。
遠目には分からなかったが、下級怪人たちは薄いジェルの膜を纏っていた。
それが鎧の役割を果たし、玲の攻撃のダメージを減らしたに違いない。さほど怯んだ様子もなく、怪人は再び殴りかかってきた。今度は避け切れず、拳が玲の胸へヒットする。
「……嘘でしょ。前よりも強くなってる⁉」
鈍い痛みに顔をしかめ、ふらふらと後ずさる。彼女が消耗しているのは明らかだった。
他の仲間たちも苦戦している。山下のくさびも、薫のレーザー光も十分なダメージを与えられていない。奈央がロープで敵を縛り上げても、力づくで解かれてしまった。
唯一、新田だけは敵とやり合えていた。彼の使う小型ハンマーは一撃の威力が高く、またジェルを砕くのにも向いている。接近戦に限れば敵なしである。
だが、いかんせん多勢に無勢。五人は徐々に劣勢となっていった。
「強くなったのも当然だ。彼らには、ヴィルディアスが使っていたものと同じジェルを投与してあるからな。並みの怪人に匹敵する戦闘力を発揮できる」
奮闘する玲たちを嘲笑うように、エドマは言った。部下に危険なジェルを使わせたことを後悔しているのか、その表情には陰りがある。
歴史改変の悲願を達成するためには、もはや手段は選ばぬということだろうか。
「ヴィルディアスが残した技術を閣下が解析し、我らは自在に活用できるようになった。……諦めろ、旧人類。お前たちの力では、我々トリックスターを倒すことなどできん」
両の拳を爆炎で包み、エドマが咆哮を上げる。アスファルトを蹴り、一瞬で玲の側へ踏み込んだ。あまりの速さに、回避も防御も間に合わない。
凄まじい衝撃とともに、超高熱の殴打が腹部へ突き込まれた。
「……かはっ」
内臓が潰され、骨が砕かれる。激痛に体が震え、涙が零れる。
直接戦うのは初めてだったが、彼女は身をもって知ることとなった。
これこそが、トリックスターの王の実力。八束たちに一度は致命傷を負わせ、強敵ヴィルディアスさえも退けた圧倒的な力。
玲の体が宙を舞い、アスファルトへ叩きつけられるように落下する。吐血し、力なく横たわる彼女へ、下級怪人たちは蟻のように群がった。そして、容赦なく殴り蹴りを浴びせた。
エドマの攻撃を受け、一人、また一人と戦士たちは倒れていく。弱ったところを他の怪人が取り囲み、追撃を喰らわせる。
「次はお前だ」
最後に残った薫へ、エドマは残忍な視線を向けた。
薫は青ざめ、ガタガタと震えている。手鏡をエドマへ向け、かろうじて抵抗の意志を示してはいるが、それがほとんど通用しないことは分かり切っていた。
彼女の視界の隅に、山下が膝を突くのが映った。
「……これじゃ、あのときと同じじゃない」
脳裏をよぎったのは、初めてエドマと相対したときのことだ。ヴィルディアスに騙され、薫と山下、八束は和平交渉を行うつもりでトリックスターの戦艦へ乗り込んだ。
だが、それは巧妙な罠だった。袋の鼠にされた三人は、襲いかかってきたエドマになす術もなく倒された。瞬殺されたと言っても良い。たった一撃喰らっただけで、自分たちは致命傷を負わされたのだから。
「確かに似たような状況だ。お前たちは愚かにもこの俺に挑み、惨敗した。だが、一つだけ違う点がある」
エドマの方も、彼女のことを覚えていたらしい。にやりと笑い、その懐へ飛び込む。
「あのとき、お前たちはヴィルディアスのワープ装置を使って逃れた。今度は逃がさん。ここがお前たちの墓場となるのだ!」
力強く拳が繰り出される。
悲鳴を上げ、薫は無我夢中でレーザー光を連射した。しかし、元々高熱を帯びているエドマの皮膚は、熱攻撃にめっぽう強い。
薫の猛攻をものともせず、エドマのパンチが迫った。




