40 新たな傀儡、かつての傀儡
遠くから爆発音が聞こえて、山下は掴んでいた手を離した。
はっとして見ると、高層ビルが炎を上げて燃えている。外壁が抉られ、今にも倒壊しそうだ。
「トリックスターの仕業か」
こんなときに、と舌打ちしたくなるのを堪え、谷崎を一瞥する。
「話は後だ。早く現場に……」
だが、彼の姿は既に消えていた。
バッグからパールを取り出し、身体能力を拡張。驚異的なジャンプ力で、民家の屋根から屋根へ飛び移って進む。
「……現れたな、クソ野郎」
何かに取りつかれたように、谷崎は道を急いでいた。
突如として市街地に降り立った、二体の怪人。そのうち一体が鞭を振るい、ビルを次々と薙ぎ倒していく。
「いいぞ、メラリカ。その調子だ」
真紅の甲冑に身を包み、女戦士は命令に従う。ジェルに操られ、表情一つ変えずに破壊活動を続ける。
彼女の傍らで、純白の皮膚をもつ怪人は愉快そうに笑っていた。
「もう待つのには飽き飽きした。エドマが現れないのなら、こちらから行くまで。止められるものなら止めてみろ!」
ジェルの効力により、メラリカの戦闘能力は限界を超えている。おそらくはエドマとも互角にやり合えるはずだ。
逃げ惑う人々と、降り注ぐ瓦礫。混乱に陥った街を、ヴィルディアスは我が物顔で闊歩していた。
建物の陰に身を隠し、エドマは様子を窺っていた。
やっとヴィルディアスの居場所を突き止めたところだったが、いきなり派手なデモンストレーションに出てくるとは予想外だった。
(さて、どうするべきか)
正面から戦いを挑んでは、勝算は低そうだ。一人ずつ相手にするならともかく、能力を強化されたメラリカとヴィルディアス、二人同時に相手取るのは困難をきわめる。メラリカを傷つけないよう注意する必要があれば、尚更だ。
ヴィルディアスの用意した戦力は、操り人形にしたメラリカだけではない。弓を構えた兵士たちが動き回り、彼女を援護するように攻撃を行っている。傀儡にされた人間たちだろう。
しかし、この状況を放置するわけにもいかない。増援を呼ぶにも時間がない。
(委員会はヴィルディアスに対処すると約束してくれたが、まだ到着していない。やはり、俺一人でやるしかないのか)
不利な状況なのを覚悟したうえで、エドマは戦場に躍り出ようとした。
だが、何者かの気配を感じ、再び物陰に隠れた。
一陣の風が吹き込み、すれ違いざまに弓兵に斬りつけていく。ジェルを裂かれた兵たちは動きを鈍らせ、やがて静止した。
「誰だ」
敵に一早く気づき、ヴィルディアスが問いかける。
「俺のことを忘れたとは言わせないぜ」
鋭い眼差しを投げかけ、谷崎は彼を睨みつけた。
「お前には今まで世話になったな。ここでケリをつけてやる」
(奴は何者だ? 見たところ、七つ道具の使い手の一人にも見えるが)
エドマには、彼と面識がなかった。
先の展開が読めない以上、しばらくは戦況を注視することに決めた。
「せっかく私が情報を与えてやったというのに。自分の役目を忘れたのか?」
谷崎にパールの先端を向けられても、ヴィルディアスは怯まなかった。
「勘違いするな。お前から聞いた話は、一つ残らず記憶している」
新たな脅威を確認し、メラリカがゆっくりと谷崎の方を振り向く。
「だがトリックスターを潰す前に、お前の悪事を止める必要がある。俺はそう判断した」
「……なるほど。確かに、私の教えたやり方では、私自身を倒すことはできないな」
ヴィルディアスがおかしそうに笑う。そして、隣に立つ傀儡に目を向けた。
「この程度の雑魚でも、準備運動くらいにはなるだろう。メラリカ、彼を始末しなさい」
「はい」
抑揚のない声で、彼女は承諾した。
右手が振り上げられ、鞭がターゲットへ勢いよく叩きつけられる。
後ろへ飛び退き、谷崎は間一髪で鞭を躱した。
しかし、メラリカの動きは予想以上に速かった。続けざまに鞭が振るわれ、上下左右、あらゆる方向から衝撃が襲いかかってくる。
メラリカの鞭は、インパクトの瞬間に鋭利な刃へ変化し、確実にダメージを与える。実質的に、非常にリーチの長い剣だと考えて良い。
「ぐっ」
さすがに、全ての攻撃を防ぐことは不可能だった。足を何か所か斬りつけられ、谷崎はよろめいた。
「……甘いね。がら空きだよ」
アスファルトを蹴り、ヴィルディアスが高速移動する。瞬時に谷崎の背後へ回り込み、大ぶりな蹴りを放つ。
咄嗟に振り返ったが、防御が間に合わない。胸部に凄まじい衝撃を受け、谷崎は吹き飛ばされた。
無様に地を転がり、力なく倒れる。七つ道具の力が傷を癒しつつあるものの、すぐに再生できるほど軽い怪我ではなかった。
血の混じった唾を吐き、彼は憎々しげにヴィルディアスを見上げた。
「しかし、君も馬鹿だね。私とメラリカ、トリックスター幹部級の二人を相手に、君一人で何ができるって言うんだ。命は大切にしないといけないよ」
白く大理石のような皮膚をもった怪人は、乾いた声で笑った。屈み込み、谷崎へ顔を近づける。
「さあ、大人しくするんだ。……幸い、ジェルにはまだ予備がある。すぐに元の姿へ戻してあげよう。そして再び私に従うのだ」
パールを握った不良少年の顔を、恐怖がよぎった。
飛来した円錐形の何かが、ヴィルディアスの手を貫く。
痛みに顔をしかめ、怪人は腕を引っ込めた。そして素早く辺りを見回した。
「そこまでだ、ヴィルディアス」
彼と谷崎の間に割って入り、山下が静かに言う。先行した谷崎の後を追って、彼も戦場へ駆けつけたのだった。
谷崎が驚いたように目を瞠る。
山下に続いて、八束たち六人も走り寄ってきた。皆それぞれの武器を構え、いつでも戦える態勢だ。
「……一人で突っ走るな。俺たちはチームなんだ。力を合わせなければ、奴らには勝てない」
谷崎にそう言い捨て、山下はヴィルディアスへ向き直った。
「ところで、何故お前がメラリカを連れている? トリックスターを離反したんじゃなかったのか」
「勘違いするな。もちろん、エドマたちのことは裏切った。メラリカが私に従っているのは、彼女の意志によるものではない」
ヴィルディアスが意味ありげに笑う。その表情から、八束は大体の事情を察した。
「……まさか、彼女にもジェルを?」
「ご名答」
隣に立つメラリカの肩を、ポンポンと叩く。ヴィルディアスに馴れ馴れしく触られても、彼女は嫌がる素振りを見せなかった。
「あらかじめ仕込んでおいた自己増殖型のジェルで、私はメラリカの精神を完全に掌握した。今の彼女は、身も心も私に捧げている」
「……何てことをしやがるんだ」
悪態を吐き、新田がまくし立てた。ジェルによって操られる苦痛を、彼は身をもって理解している。
「八束たちに聞いたが、トリックスターにいたとき、そいつは仲間だったらしいじゃねえか。てめえ、良心の呵責も何も感じてないのか」
「メラリカを傀儡にすることは、私にとって必要不可欠なことだった。彼女を人質にすれば、トリックスターに対して有利に交渉を行える。さらには戦力増強にもつながり、君と谷崎勇を手放した損失を補って、お釣りがくるくらいだ。良いことづくしじゃないか」
一方、ヴィルディアスは淡々と応じる。
「エドマに足りなかったのは、目的のためなら手段を選ばず、冷酷に部下を切り捨てられるリーダーとしての素質だ。……私こそが、新時代の指導者にふさわしい。メラリカを使ってこの時代を制圧し、私の望む世界を実現してみせようじゃないか」




