21 反逆の兆し
「そういえば、どうやって僕の傷を治したんだい?」
肝心なことを聞き忘れていた。
玲と言い合いをするのを中断し、八束は尋ねた。
「あたしがやったんじゃないわ。ヴィルディアスさんが治療してくれたの。正確には、アリュレイーさんっていう、彼の部下が治してくれたんだけどね」
頬の紅潮を少しだけ収まらせ、玲が応じる。その答えは、八束にとって信じがたいものだった。
「……ヴィルディアスさんが?」
てっきり、彼は自分たちを罠にはめ、全滅させようと目論んだのだと思っていた。だが彼は、負傷した自分を助けたらしい。
一体、彼の目的は何なのだろう。八束たちに七つ道具を渡したのは、本当に地球を守るためなのだろうか。
メラリカを退けた喜びに浸りたいのはやまやまだった。しかし、八束の中では疑念が渦を巻き始めていた。
「計画通りだ」
トリックスターの戦艦内、彼個人用に与えられた研究室。
背もたれ付きの椅子に深く腰掛け、ヴィルディアスはほくそ笑んだ。机の上には、複雑な構造をした実験器具が所狭しと並べられている。
エドマには、今回の作戦について「七つ道具の所有者を騙し、船内へ誘い込む」と伝えてある。したがってヴィルディアスは、組織にとっての反逆者ではない。むしろ、敵勢力に打撃を与えた功労者であった。
ワープ装置を通路に置き忘れたことについては、エドマから軽い注意を受けた。あと一歩で奴らを仕留められたのに、と悔しがっていた。
『お前はいつもそうだ。七つ道具を紛失したときといい、肝心な場面で詰めが甘くなる。注意不足なんじゃないのか』
(……まただ。またしても、私は彼に認められなかった)
作戦上、エドマから小言を言われるのは仕方がない。そう割り切ろうとしたが、駄目だった。
認められなかったという事実が、過去を呼び覚まし、ヴィルディアスを心の奥を抉る。無意識に、彼は唇を噛んでいた。
はっとして我に返る。
エドマに投げかけられた言葉を、思い返している場合ではない。自分にはなすべきことがあり、そのために着々と準備を進めてきたのだ。
「ラゼの行動は少々予想外だったが、ともかく、彼らが戦闘意欲を取り戻してくれて何よりだ」
椅子から立ち上がり、独り言ちる。
それから、必要な材料や器具をスーツケースにありったけ詰め込んだ。特に、緑色の液体が詰まった瓶は多めに入れなければならない。
「あの子たちには引き続き、トリックスターの侵攻を食い止めてもらわなければならない。戦意を喪失したり、傷を負って死亡したりはもってのほかだ」
出発する用意は整った。ヴィルディアスは小型ワープ装置を手にし、野心に満ちた表情を浮かべた。
「……それが、私自身の目的を達成することにもつながるのだから」
玲と奈央が、メラリカと交戦してから数日が経つ。
その間、トリックスターは目立った動きを見せていなかった。各国への攻撃はほとんど行われず、七つ道具の所持者が集まっている日本にも、下級戦闘員を一度派遣するのみにとどまった。
その唯一の襲撃も、人知れず戦う八束らの手で防がれている。つまるところ、何の成果も上げられていないわけだ。
トリックスターの動きが鈍ったのには、理由がある。
歴史改変を妨げる存在が、八束たちだけではなくなったからだ。
「これはどうして、辺鄙なところに隠れたものですねえ」
嫌味ったらしい台詞を吐き、ラゼが歩みを進める。彼の横にはメラリカも立っている。
彼らが今いるのは、西アジアにある砂漠地帯。草木が一本も生えておらず、延々と砂丘が続く光景は、彼らのいた荒廃した未来を連想させた。
「……ですが、残念でしたね。私は、自分の発明にこだわるタイプなんですよ」
にやりと笑い、ラゼは手にした通信機の画面を見た。
「私がプロジェクトリーダーとして開発した『タイムワープ・システム』には、装置の現在位置を知らせる機能があります。もちろん、あなたに貸したものにもね」
隠れても無駄ですよ、とラゼは砂漠を見回した。
「そこにいるのは分かっているんです。大人しく姿を現しなさい……ヴィルディアス」
「いやはや、さすがはラゼだ。まさかワープ装置に、発信機のような仕掛けを施していたとは」
おどけたように肩をすくめ、ヴィルディアスが突然姿を現す。砂以外に何もなかった空間に、青年はマジックのように出現した。
これは蜃気楼ではない。彼自身の能力で生み出された、精巧な幻だった。
「上っ面だけの称賛はいらないわ。それより、質問に答えてもらえるかしら」
メラリカの手には、拳銃型デバイスが握られている。
「……何故あなたはトリックスターの戦艦を抜け出し、行方をくらまそうとしたわけ?」
「さあ、どうしてでしょうか」
へらへらと笑っているヴィルディアスを前に、ラゼは怒りを隠さなかった。
「答えるつもりはないようですね。実力行使と行きましょうか」
雄叫びを上げ、蔦を纏った悪魔が飛びかかる。勢いよく突き出された拳は、しかし空を切った。
ヴィルディアスの姿がぼやけ、やがて完全に消滅する。あとには何も残らなかった。
無論、今の一撃で倒したわけではないことは、ラゼも理解していた。注意深く辺りを見るが、敵の姿はない。
(不死の能力を持つ君と戦っても、決着がつくはずがない。そうやって消耗させたところを、メラリカが攻撃するという作戦だろう? 私はね、無意味な戦いはしない主義なんだ)
どこからか、ヴィルディアスの声が響いてくる。
「君たちの持つ特殊能力は、完全に把握している。君たちへ力を授けたのは、他でもないこの私なのだからね」
次の瞬間、彼は二人の背後へ立っていた。
振り向きざまに、メラリカが銃を連射する。この距離ならば即死させられるはずだったが、やはりヴィルディアスの姿は霧となって消えた。弾丸は明後日の方向へ飛んでいく。
「どうしたのかな。まさかとは思うが、それで終わりじゃないだろう?」
やや離れた位置に再び現れ、ヴィルディアスは挑発するように手を叩いた。
悟られぬように、メラリカは彼の足元を見た。そして確信を得た。
ヴィルディアスの立っている部分だけ、砂が僅かにくぼんでいる。先ほどまでに現れた幻影は重量を伴わず、砂のかたちを変化させていなかった。
つまり、今度は本物。いたちごっこに飽き飽きし、彼はより直接的な戦闘を望んでいるようだ。
「……ええ、もちろんよ。望み通りに叩きのめしてあげるわ」
真紅の甲冑を揺らし、メラリカはヴィルディアスへ突進した。
「武器の開発はあなたの専売特許じゃないのよ、ヴィルディアス!」
メラリカは拳銃を鞭に持ち替え、横に薙ぎ払った。青年はそれを、バックステップで躱す。
右手で鞭を振るいながら、メラリカは左手にレイピアを構えた。二種類の斬撃が交互に繰り出され、ヴィルディアスをじわじわと追い詰めていく。
紙一重での回避を続ける彼へ、後ろからラゼが迫る。トリックスターの幹部、両名に挟み撃ちにされ、さすがのヴィルディアスも手こずっているようだった。
「……私たちを舐めてるの? 本気でかかってきなさい」
けれども、それは演技である。
苛立ったようなメラリカの口調が、彼の実力を示唆していた。
「君たちごときに、私が全力を出す必要はないさ」
飄々と応じたヴィルディアスだったが、僅かに眉根を寄せる。右手を掲げ、パチン、と軽快に指を鳴らした。
「しかし、二対一では少々やりづらいね。秘密兵器を使うとしようか」