19 よみがえる闘志
テーブルの上の空間が歪み、ヴィルディアスの姿が現れる。
彼の背後には、水晶のような皮膚をもつ怪人が付き従っていた。透き通った水色のボディーに、赤く小さな目が一対ついている。
「今回の作戦を立案した私にも、責任はあるからね。せめてもの償いだ」
「……逃がしたか」
閃光の明るさが薄れ、視力を取り戻す。エドマは室内をくまなく見回したが、八束たちの姿はなかった。
「とはいえ、かなりのダメージを与えたのは確かだ。奴らが完全に回復する前に仕留め、七つ道具を奪還すれば、トリックスターの計画は大きく前進する」
ヴィルディアスの作戦は、まずまずの成果を収めつつある。そのことに一応は満足し、彼は部下たちを振り返った。
「メラリカ。地上へ下り、あの者たちの息の根を止めてこい」
「……ご命令のままに」
真紅の鎧を纏った女騎士は、優雅に腰を折った。
もし、この場にいるのが玲と奈央だけであったなら、彼の言葉を疑いなく受け入れていただろう。
しかし、薫は違った。涙をぐいと拭い、来訪者へ迫る。
「ヴィルディアスさん。あなたは本当は、トリックスターと組んでいたんじゃないんですか。交渉を決裂させて、私たちを皆殺しにしようと企んだんじゃないんですかっ」
「私が?」
対して、金髪の美青年は怪訝な顔をする。
「冗談はよしてくれ。確かに私の取り計らいには不備があったかもしれないが、そんなつもりはないよ」
それより治療だ、と独り言ち、ヴィルディアスは横たわっている二人へ近づいた。
「頼んだよ」
「はっ」
彼の指示に、配下の怪人がかしこまって頷く。
透き通った水色の皮膚をもつ彼は、八束と山下の体へ手をかざした。そこから降り注ぐ青い粉末が、二人の肉体へと吸い込まれるように消えていく。
「……我が名はアリュレイー。司るは『成長』と『衰退』。船団トリックスターの一員にして、ヴィルディアス様の配下」
みるみるうちに傷が塞がり、血が止まっていった。
薫はまだ釈然としていなかったが、玲と奈央はヴィルディアスを疑ってなどいなかった。むしろ、治療を施してくれたことに感謝さえしていた。
「ありがとうございます!」
何度もペコペコと頭を下げる奈央。彼女を横目に、玲は何か思い詰めたような顔つきをしていた。
「大したことではないよ」
にこやかに笑い、ヴィルディアスが言う。その側では、配下がせっせと治療を続けている。
「私の腹心、アリュレイーは治癒能力に特化していてね。時間はかかるかもしれないが、彼らは必ず回復するだろう。……ただ、懸念材料がなくなったわけではない。彼らが傷を癒す前に仕留めようと、トリックスターは新たな刺客を送り込んでくるはずだ」
ふと笑みを消し、表情を陰がよぎる。
「残念ながら、私たちは治療を終えたらすぐに戻らなければならない。あまり長居しすぎると、エドマたちに背信行為を見抜かれかねないからね」
要するに、「後のことは君たちに任せたよ」ということか。
立場上、ヴィルディアスが自分たちを常にサポートするわけにいかないことは理解できる。彼はいわば、この時代の人類に味方した裏切り者であり、スパイなのだから。
それは分かるのだが、彼の言葉にはもやもやとした曖昧さが含まれている。
やがてアリュレイーが治療を終え、ヴィルディアスは彼を伴って帰還した。
(……そういえば)
気になることがあって、薫は二人の消えた虚空を見つめた。
あのとき、彼女はトリックスターの船内で小型ワープ装置を発見した。ほとんど直感で操作し、八束家へ戻ってくることができた。
けれども、よく考えると不自然な点がある。ワープ装置の移動先の座標は、最初からこの場所に指定されていた。だからこそ、薫が難しい操作をしなくてもワープできたのだ。
何故、あらかじめ座標が定められていたのか。その答えは一つしかない。
(私たちを連れて来るときに使った装置を、ヴィルディアスさんは通路へ置きっぱなしにしていた?)
几帳面そうな彼が、うっかりワープ装置を忘れたとは考えにくい。おそらく、ヴィルディアスは意図的に装置を残し、万が一のときに薫たちが脱出できるようにしたのだ。
しかし、仮にそうだとすると、ますますヴィルディアスの目的が分からなくなる。
彼が自分たちを殺すつもりで全てを仕組んだとするなら、脱出経路を確保した意味がない。もし本当に和平交渉を行わせたかったのなら、あまりにも準備不足だ。
思考の迷路に陥りかけた薫を、奈央の声が現実に引き戻した。
「皆さん、大変です。街でトリックスターが暴れているみたいです!」
彼女が見せているスマートフォンの画面には、ニュース速報が流れていた。
つい数分前、都心にトリックスターの怪人が現れ、破壊活動を行っているという。
相次ぐ襲撃に対応すべく、政府はしばらく前から緊急事態宣言を発令。国民へ外出を控えるよう呼びかけ、またトリックスターが標的としている東京都心からなるべく離れるよう勧告している。
その成果か、街に通行人はまばらで、今のところ死傷者は出ていないとのことだった。現在は警察機動隊が応戦しているらしいが、せいぜい時間稼ぎにしかならないだろう。
やはり、自分たちが戦うしかないのだ。
「うん、分かった。行こう」
ヴィルディアスへの疑惑はひとまず保留し、薫は頷いた。さっそく歩き出そうとした彼女の肩を、玲が掴む。
「……待って。トリックスターには、あたしと奈央ちゃんで対処するわ」
「へっ?」
戦意を喪失し、打ちのめされていたのではなかったのか。
いつの間にか、玲の瞳の奥には熱い闘志が復活していた。
「薫ちゃんはここに残って、二人の看病をしてほしい。傷は塞がったけど、まだ油断できない状況だと思うから」
真剣な眼差しで見つめられると、断れなかった。
玲に考えがあるのだろう、ということは推測できる。そして薫は、仲間を信じることを躊躇しなかった。
「……分かった。気をつけて行ってきてね」
「もちろんよ」
玲の勝気そうな微笑みを見るのは、何だか久しぶりな気がする。彼女は奈央の手を引っ張って、八束家の玄関へ急いだ。
「……って、あれ? 私も行くことになったんですね」
三つ編みにした髪を揺らし、奈央は困ったように笑った。
八束と山下は倒れ、傷が癒えるのを待っている。男たちが戦えなくとも、彼女らは使命を果たす。
早足で道を進む玲は、再び戦士の顔になっていた。
八束は玲のためを思い、玲は八束のためを思って戦う。そういう構図をやりたくて、このようなストーリーにしました。
前回、圧倒的な力を誇るエドマに、八束たちは大苦戦を強いられました。
ですが、辛い展開もそろそろ終わりです。
次回、復活を遂げた玲の活躍に注目していただければと思います。