11 不死身の悪魔
少女の目が、恐怖に見開かれる。
だが、間一髪で矢は弾かれた。山下の投げたくさびが、薫の鏡から放たれたレーザー光が、数本の矢を吹き飛ばす。
「大丈夫か?」
彼女を振り返り、山下は言った。怯えきった少女は、ただこくこくと頷くばかりである。
「よし、さっさと片付けるぞ」
それ以上問いかけるのを諦め、敵へと向き直る。
見れば、ニースはビルの屋上から飛び降り、十メートルほど先の歩道へと着地したところだった。遠距離からの射撃では、撃ち落とされるだけだと判断したのだろう。
「山下君、ダメ」
さっそく攻撃を仕掛けようとした彼の袖を、薫がくいと引っ張る。
「相手は普通の戦闘員じゃない。私たちだけじゃ、倒せるか分からないのに」
「……くそったれが。勝手にしろ」
刹那の逡巡ののち、山下は顔を歪めながらも恋人の意見を受け入れた。薫が携帯端末で連絡を取っているのを横目に、両手にくさびを構える。
「とにかく、あいつらが来るまで奴を食い止めるぞ!」
玲と八束が密着し、危うくアクシデントが起こりかけてから十数分。
恥ずかしい思いをした直後ではあったが、何故だろう、玲には「すぐ帰宅する」という選択肢はなかった。むしろ、もう少しここにいたいとさえ思った。
(あれ? どうしちゃったんだろう、あたし……)
彼女はぼんやりとソファに座っている。
八束はというと、退屈そうに携帯をいじっている。来客が帰ってくれたら受験勉強に励めるのになあ、と不満そうな表情である。
薫から電話がかかってきたのは、そんな折だった。
『もしもし、八束君? 街にトリックスターが現れました。今、私と山下君で対処してるんですけど、ちょっと苦戦してて……』
事態が事態だけに、かなり慌てた様子だった。連絡先を交換しておいて、本当に良かったと思う。
「分かった。僕たちもすぐに向かうよ」
「何? どうしたの?」
「敵襲だよ」
通話を終了し、玲を促して玄関へ急ぐ。説明はごく簡潔に済ませた。
どうやら戦士に選ばれた者には、休息は与えられないらしい。
ボウガンから光の矢を連射し、ニースはじわじわと間合いを詰めてくる。対して山下と薫は、直撃を避けるのが精一杯だった。
くさびを撃ち出し、七色の光を放ち、矢をアスファルトへと叩き落す。少女を守りながら戦っていることが、二人に制限をかけていた。下手に動けば、避けた矢が彼女に当たってしまう。
「これじゃキリがないぞ」
山下が悪態を吐いたのと同タイミングで、新たに二組の足音が近づいてきた。
「……ごめん、遅くなった」
手に持った鍵束のうち、一つが輝きを放つ。銀色の剣へと変化したそれを構え、八束はニースへと突進した。
「あんただけに、かっこつけさせないわよ!」
彼に続き、玲も疾駆する。両手には黄金に光るかぎ爪を装備し、側方から敵へ近づく。
「おのれ。仲間を呼んだか」
歯ぎしりをし、ニースがボウガンを構える腕に力を込める。射出速度をさらに速くし、無数の光の矢が放たれた。
舞うように両のかぎ爪を振るい、玲が矢を次々に砕く。刀を振り下ろし、また素早く振り上げ、八束も手際よくニースの攻撃を弾いていく。
全ての矢を受け流し、二人が敵の眼前へ迫る。至近距離からの斬撃を受け、ニースはよろめいた。
頑丈そうな皮膚から、激しいスパークが飛ぶ。
「驚いたな。凸凹コンビかと思ってたが、あいつら息ピッタリじゃないか」
「感心してる場合じゃないよ。私たちも行かなくちゃ」
薫にせきたてられるかたちで、山下も彼らに続く。彼の繰り出したくさびが、ニースの両足に突き刺さった。
金属質な皮膚を破られ、彼女が呻く。ついに膝を突いた敵へ、薫が手鏡を向ける。
「これでとどめです!」
虹色の光が勢いよく放たれ、四人は勝利を確信した。
ところが、そこへ別の影が現れる。
黒い影は、薫とニースの間に立ちはだかった。薫は動揺したが、それでもレーザー光の威力を落とさなかった。
はたして、光に貫かれた乱入者の体は、炎を上げて燃えた。火が全身に回り、原型が分からないほどである。
「……仲間を守ろうとしたのか? だとしたら、ずいぶん呆気ない最期だな。一撃でやられるとは」
怪訝そうに、山下が呟く。
「まあ、片付いたのなら構わない。次はニースを倒すまでだ」
「おやおや、勝手に死んだことにされては困りますねえ」
冷ややかな笑い声が、炎の中から聞こえる。ぎょっとして、四人は火だるまになった怪人を凝視した。
全身を燃やされてもなお、彼は倒れていなかった。ニースの前に立ち、盾となり続けている。
徐々に火は消え、焼けただれた肉体が再生されていく。皮膚が繋がり、そこから蔦のようなものが伸びる。
修復された体は、悪魔に酷似していた。ざらざらとした漆黒の皮膚。長い耳と尾。口からは鋭い牙が覗いている。また各部からは蔦が生え、それが全身を覆っていた。
何事もなかったかのように、悪魔の体には傷一つ残っていない。
「ニース、君は退きなさい。この場は私が引き受けましょう」
「了解しました」
うやうやしく腰を折り、ニースが文字通り姿を消す。出現したときと同様、何もない空間へ溶け込むようにして消失した。
「お前、何者だ?」
低い声で山下が問う。よくぞ聞いてくれました、というように、悪魔は笑った。
「私の名はラゼ。船団トリックスターの幹部にして、『生』と『死』を司る者」
四人に包囲されても、彼は余裕の笑みを崩さない。
「君たち七つ道具の使い手も、少しずつ強くなっています。それどころか、仲間を集めるようになりました。メラリカの部下だけに相手をさせるのは、少々心もとなかった次第でしてね」
いたって慇懃な口調だが、にやにやとした笑みも相まって、油断ならない印象を与える。残忍な本性を今にも剥き出しにしたくてたまらない、といった風だ。
「……さてと、前置きが長くなりました」
細められたラゼの目に、凄まじい殺気が宿る。背筋がぞわりとするのを感じ、八束たちは身構えた。
「狩りを始めるとしましょうか」
アスファルトを蹴り飛ばし、ラゼは手始めに薫へと襲いかかった。