第三章 鴨川浮音、佐原有作、謎を追う②
それから二日経った木曜日の昼下がり、昼食を済ませた浮音と有作は、食器の返却口で出くわした編集部員の学生から、沢村さんが呼んでますよ、と伝えられ、顔を見合わせた。
「ルポ、昨日のうちに渡してあったよね?」
「ああ、間違いなく、午後の四時きっかりに持ってったで」
心当たりがない二人は何事だろうと思案していたが、ひとまず瑞月の元へ行った方が早いだろうということになり、講義をフケて編集部へ向かった。
「――やあ、なにかあったんかいな」
文化部のブースで、机にもたれてかけ時計をにらんでいた瑞月の姿を見出すと、浮音は息を弾ませながら声をかけた。
「案外早かったわね。あなたたちに会いたいって言う人が、応接室に来てるのよ」
「おや、それはもしかして『大漁旗』の……?」
店長が気を利かせてくれたか、と早合点する浮音に、瑞月は忌々しげなため息を吐く。
「そうじゃなくって、来てるのは京都府警の刑事さんなのよ。府警本部の牛村さんっていう警部さん」
「なに、警察……?」
浮音は腕を組み、しばらく眉間にしわを寄せて考えていたが、心当たりがまるでない浮音は髪を掻きまわし、とにかく行くわ、と言って、有作共々、警部が待っているという応接室へと急いだ。
すりガラスのはまった応接室の戸を開くと、太い眉の下にタカのような鋭い目を携えた、ゴリラのような体躯の男が、腕を組んで待ち構えていた。
「――鴨川浮音さんと、佐原有作くんですね。府警本部の牛村というものです」
ドスの聞いた声で警察手帳を見せると、牛村警部は二人に座るよう促し、つぎだらけのソファへ腰を下ろした。そのまましばらく、牛村警部は一言も発さず二人をジロジロと見ていたが、やがてじれたような声で、どうして来ているか、わからないかね、と二人に問いかけた。
「――さあて、トンと覚えがありませんな。生まれてこの方、おまわりさんのお世話になったのは迷子になった時だけですワ……」
「あいにく、きみに覚えがなくとも、こちらには覚えがあるんだ。君たちは火曜の晩、北署の管轄内にある『大漁旗』で聞きこみを行っていたようだが……」
「なんや、そのことでしたか。いやあ、なんてことはない、ただの取材活動で――」
「ではどうして、ただの大学新聞が殺人事件のことを根掘り葉掘り聞いていたのかね?」
落ち着いた、しかしひどく押しの強い牛村警部の声に有作などはすっかり委縮して、ソファの上でちぢこまってしまった。
牛村警部は軽く咳ばらいをしながら、足を組みかえてなおも続ける。
「さっき、おたくのデスクやキャップから事情は聞いているから、事件そのものと君たちがシロなのはわかっている。それはそれとして、だ。我々としては、殺人事件の捜査線上に君たちのような民間人の影がちらつくのは非常に迷惑だ。ハッキリ言えば――」
「目障りだからとっとと帰れと、こう仰りたいわけですかな」
それまでつくねんと黙り込んでいた浮音の言葉に、有作は袖をつかんでカモさん、と非礼を詫びるよう促す。
「わかっているなら話は早い。大学生のマナー向上に関する記事は大いに結構だが、我々の邪魔をしないでほしい。ただ、それだけを言いに来たのだよ」
「なるほど、そりゃ失礼をいたしました。――時に警部さん、そこまで言うならもう、おたくは犯人の見当はついてらっしゃるんですかいな?」
「なんだと――」
牛村警部の眉間にしわが増え、有作はのけぞるように背もたれへ身をつける。だが、浮音は物おじせず、なおも警部へ質問を浴びせていく。
「もしも犯人に見当がついていて、それがかなり容疑濃厚ということで逮捕まであと一歩、というなら、僕らは邪魔だから身を引きますわ。せやけど、そないでなしにただただ気に障るからっちゅう理由で出ていけ、と言われちゃ、ちいとばかり不満が残りますわなあ」
「怪しげな人間については目下調査中だ。それ以上は言えん」
用件を告げてさっさと帰るつもりだったらしい牛村警部は、イライラしながら浮音の問いに答える。が、浮音はひるむことなく、警部の神経を逆なでるような言葉を浴びせてゆく。
「となると、まだまだ犯人には手が届いとらんわけですか。そんなら話は別や、僕らがなにしたって構へんでしょう。そういうことは、捕縛目前になってから言ってほしいですなァ――」
「じゃあなにか、貴様らなら犯人を捕まえられるというのかッ!」
そこでとうとう警部の堪忍袋が破けてしまい、応接室一杯に怒声が轟いた。その残響を耳の裏で感じながら、浮音はひるむことなく口角を上げ、にやついた笑みを警部に向けている。
「その通り、と言ったら、京都府警のメンツにかかわりますかなァ。まあひとつ、官が勝つか民が勝つか、勝負の行方を御覧じろ……てなとこですワ」
下駄を鳴らして出入り口へ向かうと、浮音はドアノブをひねり、警部に向かってどうぞ、とジェスチャーをしてみせた。牛村警部はそれを見て何か言いかけたが、あきらめて口を閉ざすと、そのまま唇を一文字に結んで、部屋を出ていってしまった。
「――呆れた、あなた京都府警にケンカ売ったの?」
校了になり、製版の済んだ紙面が小型の輪転機の中で回る音を背に、瑞月は浮音が牛村警部と演じた一幕を有作から聞き、ひどく驚いていた。ひと気のない編集部の休憩スペースの一角、吹き抜けの下で動く印刷機の低い音の中で、浮音は悪びれる様子もなく、悠然とカップのジュースをすすっている。
「どういう目算であっちが犯人を追っかけとるかはわからんが、少なくとも店員はシロや。店の中の見分結果がそれを物語っとるし、だいいち、あの店の店員にはホトケと同じ大学の学生がおらんのや。なあ?」
調査の進捗を知っている有作が頷いてみせると、瑞月は空のコップを屑籠へ入れて、
「じゃあ、あの歓迎会にいた誰かが、恨みを持って殺したって言いたいの?」
「そう考えるのが妥当でしょォ。だいたい、店員の誰かがなんかしとるのを見たら、他のバイトが怪しがるからねえ。明日にでも、O大のアド研に顔出してみるわァ」
飲み終わった紙コップをまるめ、そのまま屑籠へ放り投げると、用事は済んだとばかりに、浮音は有作を連れて、編集部を後にした。




