最終話 そして彼は瞼を閉じた
こんにちは魂夢です。最終話ですね……な、涙が……。
扶桑花が俺を好きだといってくれてから、数日が経過していた。あの日、俺たちは一緒に帰ったが、その後連絡をすることは無かった。三年生の卒業式までの数日は学校が無くて、夢か幻か判然としないあの日の記憶を時折思い出しては、頬を緩めている。
でも、なんだか連絡をすることはできなかった。なんと声をかけたら良いかわからなかったし、この記憶は実は幻想なんじゃないかと恐れる自分もいる。何より少し……気恥ずかしかった。
そんな曖昧模糊とした時間も終わりを告げて、もう卒業式は終わっている。部活は無くとも、俺は今日扶桑花に会うつもりだった。
小原先生が廊下でササッと連絡事項を話すと、すぐに解散となって、みんなが狭い廊下でぐちゃぐちゃになりながら帰路に就く。人と人とが密集する中で、俺は扶桑花を見つけることができた。
「……なぁ」
なんと声をかけたら良いか刹那悩んだあと、結局不審者のような声が出る。でもそれで扶桑花は俺に気付いて目を合わせるが、恥ずかしそうにすぐ目を逸らした。
「あぁ……お、おはよう」
モゴモゴと、何を言っているかすらわからないくらいの声でそう言う扶桑花。俺も曖昧な返事をすることしかできなかった。
やがて靴を履き替えて、人が散ける。俺も少し心が落ち着いた。それは扶桑花も同じだったのか松葉、と声をかけてくれる。
「ちょっと……遠回りして帰らないか?」
チラチラと俺に目を向けながら、ひどく恥ずかしそうに言う扶桑花の頬は朱色に染まっていた。
「あぁ、いいけど……」
心から彼女の申し出を嬉しく思う。なのに、恥ずかしさが邪魔をして、出した声はなんだかフンワリとしてしまった。
「じゃあ……その、行こうか」
扶桑花は俺の三歩前に出る。それに追いつくように俺も隣に並んで歩いた。
何分か歩いていると、やがて俺たちと同じ制服を着た人も減っていく。扶桑花の言う寄り道の方向は駅とは逆、しかしながら扶桑花の住む寮ともまた違う方向だった。
どこに行くのか。なんて疑問はほとんど抱かなかった。そんなことよりも扶桑花の隣を歩いているだけで、ドキドキして、不思議と心地良い。
言葉は交わさない。でも沈黙という感じもしなかった。車通りが多い通りに沿って歩いていたからかも知れない。けど、違う気がした。
信号が赤になって、今までの騒がしさが噓のように車通りがピタリと止む。さっきの車も、走り去るバイクも無くなって、ただ聞こえるのは扶桑花の穏やかな呼吸。感じるのは彼女の暖かみ。
実際に触れている訳ではないけれど、なぜか彼女の隣は他の場所より少し温度か高いような気がする。
「おい松葉、なにやってる」
気が付くと信号は青くなっていて、車も一斉に走り出していた。扶桑花は俺よりも前にいて、優しげな瞳を向けてくれている。
「……早く行くぞ」
突然、彼女は小走り気味に俺の所までやってきて、手を取った。触れ合う手と手、その瞬間俺の頭は真っ白になる。
扶桑花は何も考えられなくなった俺を引っ張るようにして歩いた。少し俯いているが、その軽く見える頬や耳は真っ赤なのが見て取れる。
そして、やはり俺の予想は当たっていた。彼女の細く、力を入れればすぐに折れてしまいそうな指は、確かに暖かったのだ。さっきは気がしていただけだったが、今ではその暖かみを本当に感じることができていた。
思考が停止して、何分か経った。だが正確な時間はわからない。数十分間ずっと手を引かれていたような気がするが、数分だけな気もする。
そんな失いかけた意識を引き戻したのは鼻腔をくすぐる匂いだった。これは……潮風だろうか。海の匂いが微かに匂う。
「着いたぞ」
扶桑花は言って顔を背ける。俺から顔を背けたと言うより、何かを見ようとしていることに気付いて俺もそっちに目をやる。
そこにあったのはインクを混ぜてたような、狂おしいほど真っ青で、規則的に波を立てる海だった。地平線の向こう側まで見渡せるくらいには大きな海。
俺たちは人の居ない見晴台のような所から、その海を見下ろしていた。静けさの中にある波音が耳に心地良い。
「綺麗なものだろう? 人も少ないしな」
扶桑花は自慢げにフフンと胸を張った。俺はその様子を頬笑みつつ見ていると、彼女も微笑みを返してくれる。
「でも、なんでこんな場所知ってるんだ?」
「それは……」
言いながら、彼女は手すりに肘を乗せて、海へと目を向ける。でも、海を“見ている”とは思えなかった。海では無い、どこか遠くを見ている、そんな印象を受けるのだ。
「昔、津々慈と来たんだ。その、彼に……誘われて」
……何も返すことはできなかった。何か言葉を探しても、薄っぺらいものしか出てこなくて、それならば声に出さない方が良いと思ったのだ。
だから俺も黙って海を見て、昔の彼女らもこうして一緒に海を見ていたのだろうか、なんてことを考える。いや、考える必要すら無いかも知れない。きっと、扶桑花と柳は笑いながら、たわいないのに一言一言が大切に思えるような、そんな会話をしていたに違いなかった。
「……なぁ」
波音にかき消されそうなほどに力無い俺の声。それは扶桑花に伝わってくれたようで、彼女は俺に目を向ける。
「俺たちって……付き合ってるのか?」
「へ? あ、いや……」
扶桑花はしきりに髪を撫でつけながら、曖昧な笑みを浮かべた。
「私は……柳のことが好きだった。今はもう好きじゃないし、未練も無い」
自分の手元を見て、気持ちを整理するように、自分自身に言い聞かせるように、扶桑花はポツリポツリと言う。
「柳と過ごした三年間よりも、松葉と過ごした半年の方がよっぽど楽しかったと、そう思ってる」
嬉しいとは思う。でもなんだか、素直に受け取れなかった。そのあとに否定的なことを言われると予感しているからかも知れない。
「木原が来た後、色々考えたんだ。だから気付いた。私は松葉が好きなんだろうって」
好きな人が自分のことを好きだと言ってくれている。それは喜ばしいことで、幸せなこと。そうは思うのに、彼女の発する言葉の一つ一つが寂しげで、儚げなことが、俺の胸を締め付ける。
「でも、今付き合うのは、都合が良すぎる気がするんだ。津々慈に振られたから、だから松葉と付き合うみたいで……」
きっと扶桑花は津々慈のことを本気で好きだったのだ。だから、すぐに俺と付き合うことは、過去の自分の恋心を汚すような、そんな気がするのだろう。
「松葉のことは好きだから、もっと時間をかけて、自分の気持ちに自信を持ちたい。だから……少し、時間をくれないか」
扶桑花は真剣だった。それは俺への気持ちに対して真剣だからこそだと思うのは、都合が良すぎるのだろうか。
正直…………時間をかけてどうにかなるとは思ってはいない。もしかしたら、付き合ってもいない曖昧な状況のまま時間が経って、お互いに忘れたふりをして、気付かないふりをして、そのままどちらからも言い出すことができないかも知れない。
でも……きっとそうはならない。何度だって、俺はその曖昧な関係に振り増されてきた。それを利用したこともあったし、それのせいで関係が無くなりそうになったこともある。
しかしその中のどの状況でも、最後には必ず決着をつけてきた。時には俺が、時には扶桑花が、だから今回も大丈夫なのだという、根拠も確証も裏付けも無い確信がある。
それにもし、そのまま関係が終わりそうなのだとしたら……。
「……ああ。わかった。たとえ何かあったとしてもその時は────」
今発そうしようてしている言葉は、俺の中で最も恐れる言葉だ。今まで俺はそれを人生から遠ざけていたし、それを見つけては貶していた。
でもだからこそ、それを知る彼女にはきっと俺がどれだけ本気なのか伝わるはずだ。
「──どんな努力も厭わない」
扶桑花はハッとして俺を見た。それが気恥ずかしくて、瞳を揺らす彼女をそっと自分から抱き寄せる。強く、痛いくらいに抱き締めた。
「扶桑花、好きだ」
「私も……好きだ。大好きだ」
今度は泣くことは無かった。無く必要なんて、無かったから。今のこの状況はきっと幸せなことだから。
俺はもう一度扶桑花を忘れぬよう強く抱いて、瞼を閉じた。
○
もうすぐこの物語は終わってしまう。けれどそれは俺たちの関係が終わるわけでは無い。
いつになるかはわからないが、来週か、来月か、来年か。でもきっといつの日か、扶桑花は俺の彼女になって『好きだよ』って、そう言ってくれるような気がしていた。
<了>
今回後書き長くなるので、面倒くさい人は読み飛ばしてください。
最後なので謝辞をさせていただきますね。
まず私にアイデアをくれた友人様。あなたたちと考えたドリョコメももう最終話です。心より感謝いたします。
次にドリョコメのイラストとデザインを担当してくれた鮫沼あさぎ様。あの可愛らしいキャラクターたちのおかげで物語はきっと面白くなったと思ってます。色々衝突もありましたが、魂夢を見捨てないでくれるとありがたいです……。(;_;)
最後になってしまいましたが、約十五万文字にも及ぶこの物語を読んでくださった読者の皆様。本当にありがとうございました。ブクマの数に一喜一憂したのも今となっては良い思い出です。
しつこいようですが本当に皆様ありがとうございました!
また近いうちに次回作を出すのでもしよろしければそちらも是非!お願いします!
それでは次に会うときまで!
さようなら!