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第76話 彼の感情が届くことは決して無い

こんにちは魂夢です。今回はクライマックスともあって少し長めです!


 ここまで憂鬱な朝を俺は体験したことがあっただろうか。だが教室の外は春を迎え、あらゆる木や花のつぼみはその鮮やかな色を暖かな日が朧げに彩っている。にもかかわらず、俺の胸の奥は黒く淀んだヘドロのようなものが渦巻いていて、ひどく気分が悪い。


 このヘドロの正体は予想できる。恐怖と怯えと不安と、そして若干の期待。もし、俺に一ミリの期待すら無ければきっとこれはヘドロではなく、純粋で潔い負の感情だったはずだ。


 期待するから、汚く穢れたドロドロとした物体となって胸の裏側に張り付き、俺を息苦しくさせる。でも期待しないのも、嫌だった。


 教室で答案を返されている最中も、俺は気が気でなく、ソワソワとするしかない。

 取れた点数は大体が九十から九十五。俺の人生では最も良い点数なのはわかりきっていても、あとの五点が十点が、俺の不安を煽って心配が心に重くのしかかる。


 やがて全ての教科の答案が返却され、一応の自由時間がやってくる。俺はすぐさま椅子から立ち上がって廊下の掲示板に向かった。


 だが決して走ることは無かった。早く結果を知りたいと思いながらも、その思いは結果を知る恐怖と混ざり合い、歩みは早歩き程度の速度にしかならなかった。


 辿り着くなと思いながらも到着した掲示板には、数十人の生徒がひしめき合っている。そこにいる人たちは、やれ俺は何位だお前は何位だだの口々に言い合ってこの場所だけ騒がしい。


 掲示板は目の前なのに人が邪魔で絶妙に見えなかった。俺はそんな奴らの間を縫うように、時には少し無理矢理に割り込んで前へ前へと未だ悩む足を動かして進んだ。


 掲示板に記されている総合一位に────俺の名前は無かった。


 口の中が急速に乾いていく。声が出せない。息もままならない。心臓が胸を内側からノックする。俺は瞬きすら忘れて、下へ視線を落とす。一位じゃないならせめて。そう願いを込めて。


 二位も、俺では無かった。だが……同時に柳でも無かった。俺は逃げだしそうになる足をグッと抑えて三位の名前を見る。


 三位には──────俺の名前があった。紛れもない俺の名前だ。松葉荻野、何一つ間違いの無い俺の名前。


 俺は息を吹き返した気分だった。悲しみで騒いでいた心臓は今喜びで狂い悶えている。だが少し落ち着けて、その更に下を見た。


 柳の名前を見つけることができたのは、四位にもなってようやくだった。彼は今まで一位を死守していた癖に、この勝負では一位どころか四位になっているのは、少し笑える。


「……松葉」


 後ろから声が聞こえた。喧噪の中でもよく聞こえる透明な声。その声は脳みそを溶かそうとしているのか疑ってしまいそうになる声音だった。


「扶桑花……」


 振り返って、目を合わせる。深紅の瞳に黒茶色の短髪、雪のような白い肌と淡い朱色の頬。紛れもない彼女だ。


「……俺は、柳に勝てた」


 事実だけを淡々と述べるように心掛けた。これ以上何か俺の気持ちを話そうものなら、きっと止まらなくなって余計なことまで口走ってしまいそうだったから。


「だから……柳の所に行ってくれ」


 違うだろ。もっと……もっと良い言い方があるはずだろ。そうは思っていても、なんでか言葉の刺は鋭さを伴って口から出ていく。


「好きだったんだろ。なら……行ったらどうだ」

「…………あぁ」


 彼女は踵を返す。喧噪の奥へ進んでいく。人と人との間に入り込んでいく。


 手を……掴むべきだったかもしれない。行かないで、俺は扶桑花ことが──。そんなことを無責任に言ってしまいたかった。


 もし今この気持ちを言葉にすれば、扶桑花に伝わるのだろうか。……いいや、言葉にしても、この気持ちが本当の意味で伝わることは無いだろう。異性としてなのか、友達としてなのか、どのくらい好きなのか、本気なのか、解釈のしようはいくらでもある。


 だから……言葉ではどうしてもこの気持ちを正確に表すことはできない。どのように弁を弄しても、策を弄しても、この感情が届くことは決して無いのだ。


 そもそも、こうなることは予想できていたのだ。扶桑花も、柳も、お互いを愛し合っている。本当は、彼女らはいずれ結ばれる運命だったのだろう。避けようのない、決められた運命。そこに凡人の俺が介入することなんてできない。


 俺は喧噪から押し出され、耳にへばりつく声を振り払いたくて、静かな方へ静かな方へと独りでに足が動き出す。


 程なくして俺が気が付くと、とある教室の前ににやってきていた。ここは、少し前に恋綺檄が俺に告白してきた薄汚い教室だ。


 何でか、俺は意識せずにその教室の扉に手をかけて、開く。外の空気よりも少し暖かい空気が中からブワッと漏れ出して、俺を暖めた。


 薄汚かったこの教室は、来年使われるのか、この前よりも掃除されて綺麗になっていて、あの時は雨でまったくと言っていいほど見えなかった窓からの景色もよく見えた。


 綺麗な景色だ。桜が一足先に咲いている。ピンク色の綺麗や桜が淡く咲いているのだ。俺は桜を感じようと窓を開けた。


 風が入り込んでくる。そしてその風には甘い花の香りがあって、仄かに香しい。風に運ばれた花びらが教室の中に運ばれて桜の雨が降っても、俺は何ら気にすることは無かった。


 なんだか、さっきまでの陰鬱な気持ちが浄化されるような気持ちだ。へばりついたヘドロが洗い流されていく。それを感じながら、俺は──。


 涙を流した。


「なんで……」


 思わず声が漏れる。流さないと、心の奥底でそう決めていた。俺が自分で決めたこと、自分のためにしたこと、だから泣くべきでは無い。俺は扶桑花に笑って、笑顔で、おめでとうと、そう言ってやるべきなのだ。


 なのに……なのに……。なんて自分勝手なのだろう。なんて……自己中心的なのだろう。でも……やるべきことはやった。


 涙を拭う。でも、その涙は止まること無く再び流れ落ちた。止まらない。さっきまで匂っていた桜の香りも鼻が詰まってわからなくなってきている。


 もう少し……もう少しだけ泣いたら、ぼっち部に行こう。そしたら、彼女に──────。


 ────その瞬間、俺は後ろから誰かに抱きつかれる。仄かに暖かい、その誰かを、俺は知っていた。


「もう……泣くな」


 透明な声、何度も聞いた声。その声を俺の耳はしっかりと捉える。涙は止まらないけれど、それでも嬉しさで胸が弾けそうだった。


 しかし、彼女はここにいてはいけない。俺は彼女と向き合った。扶桑花と……向き合った。


「なんでここにいるんだよ……。柳のとこに、行ってくれ。じゃないと……」


 君を引き留めてしまいそうだったから。そう口に出すことはできなかった。


「いいんだ。柳には……断った」

「なんで……なんでだよ」


 握っている手に力が入る。息も荒い。心臓だって叫び声を上げている。俺はただ、初めて扶桑花を見たときのように、彼女の姿をこの目に焼き付けていた。


「私は……」


 再び、彼女は俺に抱きついた。彼女の温もりが、彼女の匂いが俺を取り囲む。けれど俺はその感覚に戸惑って、抱き返すことはできなかった。


「……松葉が好きなんだ」


 そんなこと……言わないでくれ。でないと、俺は……。そんな言葉が喉の奥でつっかえている。


「木原から……聞いたんだ。その……」

「俺が扶桑花を好きだってことをか……?」


 抱きついたまま、扶桑花は俺の胸に頬ずりするように頷く。その一つ一つの動作が、俺の心臓の鼓動を早くさせる。


「それに訊かれたんだ。私のことを本当に大事に思ってくれる人は誰か……そう訊かれた」


 俺は震える唇を抑え、荒くなりそうな呼吸を穏やかにするよう心掛けつつ、扶桑花の言葉を待った。


「私の人生の中でそんな人は一人しかいなかった。それで色々考えて……気付いたんだ」


 扶桑花は上を見上げて、俺と目を合わせる。ついさっきも見た深紅の瞳。ずっと見ていられるような気さえする、その瞳を、じっと見つめた。


「私は……松葉、お前のことが好きなんだ」


 俺も抱き返した。ゆっくりと、溶けるようにお互いの境界線が曖昧になって、まるで一つになったかのようだった。彼女の心臓の鼓動や、息遣いが、はっきりと伝わってくる。


「俺も扶桑花のことが……好きだ」

「知ってるよ」


 花の雨が俺たちを包み込む。ピンク色で、鼻が詰まって花の香りなんてわからなかったけれど、きっと桜の香りもしたはずだ。したと思う。


 でも俺はそんなことはどうでもよくて、ただ今の、この幸せな時間を、噛み締めるように感じていた。

これでドリョコメはほぼ!完結でございます!

寂しいような悲しいような……。

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