第70話 彼は知っている
こんにちは魂夢です。梅雨明けで暑すぎです……。
小原先生に連れられて隣の教室に入ると、先生は机を挟むようにして席を適当に見繕い、座るように促した。
「えーと、進路希望は文系。生活態度と成績も良好っと……」
ブツブツと何か言いながら、先生はペンを走らせる。その様子を見ながら、俺は眉をひそめた。
「これなんの面談すか。他の生徒にはやってないですよね」
「部活のだよ」
紙に目を向けたまま先生はぶっきらぼうに言い放ち、やがてペンを置いて、俺を見る。黒ずんでいる疲れた大人の目なのに、その目はやけに真っ直ぐだった。
「お前また最近部活出てないだろ」
「いや出てますよ……」
噓は言っていない。でも昔は毎日行っていたけれど、今はあの頃に比べるまでもなく、行く回数は減っているのは確かだ。
でも……俺は目を背ける。
「回数が減ってる。なんかあったろ?」
「先生部活来てないのになんでそう思うんですか」
言われるのはわかっていたから、既に心のどこかで用意していた答えを投げつける。だが、俺の答えなんてお見通しだと言わんばかりに、先生はすぐに投げ返す。
「よく見ればわかる。オレら教師はお前らのことをよーく見てるからな」
言って、先生はどこか遠くを見つめ、薄く微笑んだ。夕日が当たって、先生のボサボサの髪に反射する。
……俺の胸の中にふっと湧き上がる言葉があった。いつだったか、先生が俺に言った言葉だ。
「先生、その件については心配無いですよ」
訝しむような視線を向ける先生を、俺は真っ直ぐ見て言葉を紡ぐ。
「全力でぶつかる準備をしてるだけっすから」
優しそうな瞳で、相変わらず崩さない笑みのまま、小原先生は深く深く頷いた。その所作にはどういうわけか胸の蟠りをそっと解いてくれる力がある。
「でも……」
視線だけでどうしたか訊く先生。
「それには努力しなくちゃならないんです。けど努力すれば……誰かが不幸になるかもしれません。俺には……才能が無いから」
才能無き者の努力は……いや、俺の努力は俺だけで無く人を不幸にする。そんなことは……もうわかりきったことだった。あの事故だってそうだ。俺が努力をしていなければ、きっと真莉は車に乗らなかった。車に乗らなかったら……あんな事故なんて起きなかったはずだ。
もしかすると、今度の俺の努力でまた誰かを不幸にさせるかも知れないと考えると……。
「オレは」
変わらない優しい瞳のまま、口を開く。チクチクとした顎髭が歪む。
「お前の才能を知ってる」
黒く光の無い空間で電気をつけたように、一瞬頭の中が真っ白になる。先生が何を言っているのか、全く理解ができなかった。
「なんですか、それ」
飛び出した言葉。それがゆっくりじっくり溶けていくのを待つように、先生は息を吸った。
「それは────努力する才能だ」
先生はさも当然かと言うように、いたって普通に、そっと花瓶に花を生けるように、そう言う。その言葉は、俺の息を止めさせるのには十分過ぎた。
「そ、それって、どういう?」
「それは自分で考えなさい」
俺は自分の中で答えを探すが、すぐには出てきてくれない。でも、なにか得られたような気がする。それはきっと小原という、数年もの間俺を見ていた教師の言葉だからこそだろう。
努力する才能……。小原先生のことだ、きっと何か大きな意味を持っているはず。それは絶対、努力をするしないとか、才能があるないとか、そういうことじゃない。背中を押してくれる言葉の裏に隠されているのは、もっと大事なことだ。
「ヒントをあげよう。お前は何度も才能と努力に裏切られてきた。でもまた努力するんだろ? そういうことだよ」
言い終わって先生は机に手をついてゆっくりと立ち上がってくぅ~っと伸びをする。さっきまでのカッコイイ大人が台無しだ。
けれど、それは逆に小原先生らしかった。