第59話 彼らの真上をジェットコースターが通る
こんにちは魂夢です。何気に昨日忘れていましたね……。
涙を流しながら口元を抑えて、金城は俺たちの横を走り、イルミネーションとは反対の闇へと消えていった。
彼女から伝わってくる悲壮感は尋常ではなく、それを感じ取ったであろう恋綺檄は、迷わず立ち上がって、金城を追う。
一方の柳は金城を追うことはせず、ただ彼女の背を、俺が過去に見た、眉を八の字にした表情で、哀しそうな瞳で見つめているだけだった。
特にこれといった動きをすることなく、喧騒に溶けていく金城を見ているだけ。
俺の握っている手に力が入るのがわかる。だがそれとは対照的に、扶桑花の掴む手の力は弱くなって、紐が解けるよう俺の袖から手を離した。
手を離したことでようやく自分が俺の袖を掴んでいたとわかったのか、扶桑花はオロオロしながら袖のシワを必死に伸ばそうとする。
「すまない、ちょっと気分が悪くて」
すっと顔を上げた扶桑花と目があって、視線と視線が絡み合う。じっと見つめて初めて、彼女の真紅の瞳が潤んでいて、目尻からは涙が零れ落ちているということがわかった。
俺は人差し指で涙を拭う。けれど涙は止まっていなくて、また頬に涙の道ができる。それを見て、俺には彼女の涙は止められないと知ってしまった。
どれだけ彼女の涙を拭おうと、どれだけ彼女を見つめようと、俺にできることは何にもないのだ。
胸が痛くなると同時に、俺は歯を食いしばった。そんなことしたって涙は止まってはくれないと知っているのに。俺にはそうするしかなかった。
なんだか俺まで泣きそうだ。扶桑花の涙は見ていられない、彼女の涙を止めるためなら、なんでもできるような気さえする。
でも、こんなにも胸が苦しいのに、こんなにも心が痛いのに、何故俺がここまで扶桑花の涙を止めたいのかは、どうしてもわからなかった。
そうしていると、俺たちが隠れているベンチがミシッと軋む音がしてそっちに顔を向けてみれば、柳が座っているらしいことがわかった。
「……ずっと見ていたよね。どうだった?」
柳は俺たちに顔を見せず、後頭部を背もたれから覗かせてそう訊いてきた。その言葉には不思議と嫌味な感じは伝わってこず、ただただ純粋にどうだったか聞いているように思える。
俺が扶桑花に顔を向けて柳と話すか訊いてみると、彼女は微かに首を左右に振って答えた。俺は扶桑花に頷いて柳の質問に答える。
「……お似合いそうだったが、なんで応えてやらなかった」
ガタガタと轟音を立てながら俺たちの真上をジェットコースターが駆け抜ける。そして遅れて寒風が俺たちに襲いかかった。
「君もわかっているはずだよ……。グループの関係性が崩れるし、もし梓が僕と付き合ったらどうなると思う?」
柳は頭の上のカチューシャをゆっくりと取って、まるで自分が言った通りの結末になると知っているかのようにその言葉を紡いだ。
「……嫌味じゃないけど、僕を好きって言ってくれる人はたくさんいるんだ。もし一人の女性を選べば、ほかの女の子たちが僕の彼女をいじめるのは……君も知ってるよね」
まるで先生が教え子に対して優しく教えてあげるかのような口調なのに、その言葉はどこか誰かを責めているような気がしてならない。責めているのは俺か、金城か、女子か……それとも柳自身か。
誰かはわからないが、一つわかることがある。柳の言うことはおそらく正しいと言うことだ。
過去に俺が見てきたイジメも最初は嫉妬からのものは多くあったし、嫉妬が転じて嫌がらせに変わり、嫌がらせがさらに時間が経ってイジメへと変貌していくのは想像に難くない。
それにきっと彼は経験者なのだろう。人気者故の宿命と言うべきか、人気者と仲がいいのはある一種のステータスになりうる。
そしてそのステータスを妬み、蹴落とそうとする人間は一定数出てくるのだ。アイツより私の方がイケてる、なんて思っている奴は特に。
私はアイツより可愛いのに、私はアイツより賢いのに、私はアイツよりお淑やかなのに。アイツは自分より下だと、そう思い込んでいたからこそ人気者といい関係を築けていることを素直に許容できず、蹴落とそうとする。
ある意味で、柳は被害者であるのだ。自分の知らないところで、自分のせいで悲劇が起きるのは、きっと苦しいだろう。
そして、関係性が崩れるという理由もまた、わかる。俺も過去に関係性を守るために自らイジメを受けることを許容したが、それと同じようなものだ。集団が大きくなればなるほど、個は蔑ろにされていく。個の幸福よりも集団の幸福を優先した結果、個が損をしなければならないことは日常茶飯事だ。
今回は、金城が付き合えないという損をすることで、グループの空気を悪くせずに済んだ。幸いここは学校からも遠いし、俺たちの誰かが言わない限り人にバレる心配はないだろう。
金城が損をしなければならないのは理解できる。けれど無性に腹が立つ。それは柳にでもあると同時に、俺にも。
あんな努力好きの愚か者と、綺麗事しか言えないような軟弱者と、同じ思考をしていることがどうにも許せなかった。
柳はゆっくりと立ち上がると、ため息や伸びもせず、まるで慣れていますと言わんばかりに、空のジェットコースターに視線をやった。
「僕は帰るよ。梓には悪いことをしたしね」
言い残して、柳はイルミネーションが煌めく方へと歩み始めた。そしてすぐに彼は俺の視界から消えた。最初からいなかったみたいに。
俺は涙は止んだが、未だに息が荒い扶桑花に対して何もできずに、ただ震える彼女をすぐそばで感じることしかできなくて、薄く下唇を噛んだ。