第38話 全力でぶつかればチャンスはある
こんにちは魂夢です。早くに投稿するって言ったのに結局昼ですね……。
部を退部して、一日が経過。朝学校に来ると、恋綺檄は俺に話しかけにきたが、話を始めると俺はすぐに無言で席を外すようにしていた。
きっと、この対応は相手に不快感を与えるだろう。だけど、彼女が俺を嫌ってくれた方が、都合が良い。
俺は彼女をどうしても嫌えないから、彼女が嫌って、関係を絶ってくれれば、それがきっとお互いにとって一番楽だ。
授業と授業の合間で、俺は席を立ち、トイレに向かう。
用を足して、教室までの廊下を歩いていると、目の前から一人の少女が、こっちに向かってきた。
黒茶色の髪と深紅の瞳。紛れもなく扶桑花 麗良その人。彼女は真っ直ぐ前を向いて、こっちに来る。
俺は俯き気味に、教室へ足を動かした。彼女が俺に近づく。そして……。
──すれ違う。
彼女が俺に目すら向けていないのかはわからない。でも、俺と彼女の関係はもう無くなったことがわかった。
俺は自ら進んで彼女との関係を絶つために、ぼっち部を退部した。それなのに、なんでこんなにも……。
……涙が出そうなるのか。
○
チャイムが鳴り響き、六限目の授業が終了する。そしてすぐ、小原先生が来て帰りのホームルームを始めた。
いつもより少しばかり早く、ホームルームが終わる。クラス委員長の合図で、あいさつをした。
俺は授業終了後とホームルーム開始までに終えられなかった帰りの支度をしようと、ロッカーと自分の席を往復している。
その間に、俺は扶桑花と恋綺檄がぼっち部へ向かうのを見てしまう。
本来なら、俺はあの輪の中にいたはずだったと、少しだけ羨ましくなった。
俺は支度を終えて、そそくさと教室を出る。二人から遠ざかるように。
「松葉」
後ろから声をかけられ振り返れば、そこにいたのは、少し着崩したスーツ姿に、チクチクとした顎髭が特徴的な小原先生だ。
「ちょっと来い」
先生はそう言うと、返事を待たずに俺に背を向け、歩き出す。その後ろを、俺はついて行った。
○
連れてこられたのは屋上だった。屋上は生徒に向けて解放されておらず、俺をここに連れてくるためだけに小原先生は鍵まで借りているようだった。
さっきまで俺に背しか見せていなかった小原先生が俺に向き直り、何かを投げてくる。
俺はそれをギリギリの所でキャッチして、それを見た。
「コーヒー……、ですか」
貰ったのはコーヒーだ。いや、ミルクと砂糖が入ってるからカフェオレと言うべきかも知れない。
俺の言葉に返事をせず、小原先生は柵に寄りかかり、両肘を乗せると口を開く。
「あの退部届は受理できない」
最初に先生の口から出た言葉はそんなことだった。それを言うためだけに、俺を屋上に連れてきたのか?
「あんなにクシャクシャになったの、受理できる訳がないだろう」
「なら、書き直して再度提出します」
俺が言うと、先生はそっと目を伏せ俯き、首を左右に振った。
「それだけじゃない。理由がそもそもダメだ」
先生は俺に目を向け、そうため息交じりに言う。先生の口から息が漏れた息は、まるで見えるのではないかというようなため息だった。
俺は理由の欄に「家事をしなければならないため」と書いた。もちろんこれは噓だ。家事はしているが、それは部活終わりでも問題は無い。
「今まで大丈夫だった奴が、急に退部して、しかも扶桑花や恋綺檄と不仲になってる。家事だけが理由じゃないだろう。あまり教師を舐めるな」
ぴしゃりと先生が言い放つ。そして、先生の目が鋭くなったのがわかった。
噓が暴かれたのに少し動揺して、俺は目を逸らしてしまう。
「……お前、いじめられてんのか?」
鋭くなった目元を急に穏やかにしながら、小原先生は俺に尋ねる。
「いじめられてませんよ」
「嘘だろ」
先生は穏やかな目元とは裏腹に、冷たい声音でそう言った。
「……だったらなんなんですか。俺がイジメを否定して問題視していないなら、それはイジメにならないですよ」
「詭弁だな」
あらかじめそう言われることを予想していたように、先生はすぐにその鋭い言葉で俺を刺す。
「まぁたしかに、被害者が否定して、周りからも何も無ければイジメは成立していないな。お前が言わされてるのならの話だが」
「なら、もうい──」
「でも、今のお前を見てあいつはどう思うだろうな」
言って、小原先生は上を見上げる。風がぴゅうっと吹いて、先生のネクタイが揺れた。
先生は具体的な人名を出さなかった。きっとその名前を出せば問題になるから。おそらく先生の言うあいつとは、過去に俺をイジメから救ってくれた人物だろう。
俺を助けたせいで、今度はあいつが標的にされ、俺が彼を救おうと先生に助けを求めた。そして、イジメが激化した。
そして、彼は鬱病を発症し、転校。それ以来、彼とは会っていない。
彼が今の俺を見たらどう思うか。そんな例え話に意味は無い。だから、考える必要も無い。
「知りませんよ、そんなの。いじめられてませんし」
「ならなんでぼっち部を退部する?」
俺の目を真っ直ぐ見て、先生が俺に言い訳や噓を述べられないほどに直球の質問を投げてくる。
でもその質問には、答えられない。
「なんだっていいじゃないすか……」
「良くない」
言って、先生は大きく息を吸う。
「……人間関係だろ」
言われて、俺はポケットに入れていた手をグッと握りしめる。
きっと先生は知っているのだろう。俺が扶桑花をどんな少女として見ていたか、どんな評価をしていたか。それを先生は知っている。
けど、一つだけ先生ではどうやっても知り得ないことがある。
それは、俺の罪だ。
「ずっと同じ感覚だと思ってた友達と、見てる方向実は違って、嫌いになりたくないから距離置くなんてことは、よくあることだよ」
言って、小原先生は目を伏せた。おそらく先生も経験があるのだろう。仲の良かった友達を嫌いたくないから距離を取ったことが。
だから、自らの経験則に則って、俺に何か助言を与えてくれようとしている。
俺は経験ほど強いものは無いと思っている。いくら勉強したって、経験がものを言う方が多いだろう。
例えば音楽。いくら音階や楽譜を読めても、楽器に触れて、知って、心を通わさなければ、きっとどんな楽器だって奏でられない。
そして勉強は、先人の経験を知識として俺たちの頭に入れる行為だ。先人の経験を疑似体験する行為だ。そうやって、先人の苦労を取り込み自らの糧とする。
そして勉強はきちんと社会においてその役割を果たせている。
ならば、経験は往々にして正しいのだろう。経験が正しいのなら、きっと小原先生の言うことも正しい。
「でもな、真剣に言い合って、話し合って、お互いをすり合わせ、わかり合っていけるのは若いうちくらいなんだ。年齢あがるとすぐ距離とるようになるからな」
目をそっと開け、どこか遠くを見る小原先生。俺は先生の過去に何があったのかは知らない。
真剣に言い合って喧嘩別れのようなことをしてしまったのか。それとも大人になってわかり合おうとしてもわかり合えなかったのか。それはわからない。
俺が思うのは、別れる決意じゃないと本気でぶつかれないと、知ってしまったんじゃないかと思う。それは先生とその周りも同様に。
「だからな、松葉」
言いながら、先生は俺の元までやってくる。そしてすれ違う直前、俺の肩にポンと手を乗せた。
「扶桑花や恋綺檄に、全力でぶつかれ。きっと彼女たちは受け止めてくれる。そうすればチャンスがあるかもしれない。大人になれば、誰も受け止めてくれないから、今しかできないぞ」
諭すような、優しくて、柔らかな声で、小原先生はそう言って歩き出す。
コツコツと足音が離れていって、一度止まる。数秒間立ち止まり、また歩き出してドアを開けて、重そうなそのドアをバタンと閉めた。
そうして、俺は曇り空の下に一人取り残される。静かで、何にも無い世界に置き去りにされた気分だった。
冬初めの生ぬるい風が、俺の頬をそっと撫でた。