第30話 何も持っていない自分が嫌になる
こんにちは魂夢です。こんばんは!
ホームルームも終わって、あとは部活に行って帰るだけ。
俺はクラスを出て部活棟へと足を運ぶ。サッカー部やら野球部やらの運動系が軒を連ねる一階の奥。そこにある階段を上がって角を曲がればそこにぼっち部の部室があった。
二階にはそんなに人が居ない。そもそも二階なんかほぼ使われてないのだ。ぼっち部以外に。
だからそこを、大倉に狙われるのは必然だ。
「……てめぇ、そんなに俺が嫌いか?」
俺の髪を掴んで引っ張りながら、大倉は訊いてくる。
だがそんなのに答えてやる必要は無い。苦しそうな顔だけして俺は答えなかった。
「けっ」
彼は最後に俺の腹に拳をのめり込ませると、用は済んだのかさっさと消えてしまう。
足音が遠のき、彼らが場を離れたのを確認したら、俺は静かにゆっくりと起ち上がった。
さっさと部室に行かなければ、なにか言われそうだ。
部室の扉の前に来て、何度か深呼吸をして心と体を落ち着けて中に入る。
中にはもう恋綺檄と扶桑花がいた。二人は何も話していない。いつもなら、談笑に花を咲かせているだろうに。
俺も話をするような気にはなれずに、無言で椅子に座って、本を取り出す。
先が気になっていた本だ。それなのに、内容が全く頭に入ってこない。
二人の沈黙が俺の首を締め上げる。彼女たちのことが気になっても、どうしても目を向けられなかった。理由はわからない。
二人にも、大倉が何かしたのか? それならまだわからなくもない。それで俺を恨んでるのか?
ここにはまるで生き物のいない部屋のように静かだった。聞こえるのは遠くの吹奏楽部の下手な音楽や運動部のかけ声、時計の針のカチカチとした音と時々本のページをめくる音だけ。
音がまったく無いわけでは無いのに、この部室は酷く窮屈だった。きっとそれはいつもなら騒がしいはずの部室が静かなことに起因するのだろう。
俺が一つ、こほんと咳払いをすると、扶桑花は電源を入れたおもちゃのように動き出し、俺の方に向き直る。
「松葉、どうしてそんなに傷だらけなんだ?」
「…………あぁ、ちょっとな」
俺がそう言うと、扶桑花の視線がキリッと鋭くなった。
「はぐらかすな。ちょっとで済むような傷じゃないぞ」
「そ、そうだよ。どうかしたの?」
さっきまで何も発さなかった恋綺檄も話に加わって俺を問い詰める。
俺は扶桑花の目を真っ直ぐ見た。
「田中を助けるために、俺が大倉の標的になったんだよ……」
綺麗な深紅の瞳には噓は通用しないと直感で理解して、俺は真実をそのまま口する。
ただ一つ、ぼっち部の関係性を守ると言うことを隠して。
扶桑花は一瞬目を見開き、恋綺檄は悲しそうに眉を寄せた。
「なんでだ。なんで勝手にそんなことしたんだ」
語気が少し強くなった扶桑花が、俺を叱るように言う。
俺はそんな扶桑花の言い方が気に食わなくて噛みつく。
「お前らには出来ないことだ」
「なぜ?」
「田中を助けるには柳に頼むかこうするしかなかった。柳と大倉の関係を崩さないで田中を助けるには俺のやり方しかない」
俺が言うと、扶桑花は机を両手で叩いて勢い良く立ちあがる。
「その考えが傲慢なんだ! 私たちのこと何も考えないで!」
彼女の声は絶叫に近かった。でも、彼女の言うことは間違っている。
「お前らのことを考えてのことだ! 大倉に直接言ってイジメが加速したら? お前がイジメの対象になったら? その時はどうする気だったんだ」
語気を荒げて言うと、そ、それは、と彼女は口ごもる。
女が男からイジメられれば何が起こるか、そんなのはすぐわかる。
……辱められるのだ。扶桑花も恋綺檄も美少女なんだから、それは火を見るより明らかだろう。
「……それでも、少しくらい相談してくれたっていいだろう」
少ししょんぼりした扶桑花がそう言った。それを聞いて恋綺檄は頷く。
確かに、俺は一切相談しなかった。けれど、それには理由がある。
俺がやろうとしてることを否定して手を出して、そして結局何もできず何も残らずに終わってしまう可能性もあった。
だから何も言わなかった。勝手に同情して、勝手に心配して。俺の考えを蔑ろにして最終的に誰も救われないなんて。
そんな悲しい結末はいらない。
「なんでそんなに俺を心配するんだ」
単純な疑問だった。たぶん、扶桑花にとって俺はなんでもない存在にすぎない。
クラスメイト、あるいは部活仲間、よくて友達。けれど彼女は人と距離を取りたがる人間だ。ならきっとクラスメイト程度にしか思われていないと思う。
扶桑花は俺の言葉を聞いて眉を数ミリだけ上げた。それを俺は見逃さなかった。
「…………それもそうだな」
伏せ目がちに彼女はそう言い、ゆっくりと座った。恋綺檄は目を見張る。
「なんで? 心配してあげないの?」
彼女はキョロキョロ俺と扶桑花とを交互に見やった。
まだ理解していない。言葉では無く空気で俺はそのことを伝えていたのに、彼女はそれに気付かない。
「…………心配すんのが鬱陶しいって言ってんだよ」
言葉に出して、俺はしまったと思った。少し強く言い過ぎたかもしれない。
恋綺檄は口を結び、碧眼を揺らす。ぎゅっとスカートの裾を握っている手は小刻みに震えている。
「そ、そうだよね! 鬱陶しいよね! ごめん」
彼女はいつもの弾むような声音でそう口にする。無理矢理にいつものように振る舞おうとする彼女が見てられなくて、俺は目を逸らす。
恋綺檄が扶桑花に話しかけ、部室は今までように戻った。でも、空気は今でもぎこちない。
俺は本に視線を戻す。本の中では幾多の試練を乗り越え、主人公は富と名声と、そして愛を手に入れていた。
昔から本を読むのは好きだった。だけど努力を重ねて成長し、何かを得た主人公に比べ、何も持ってない自分が嫌になる。
そして自分の愚かさに気付く。昔も今もその繰り返しだ。