第29話 限られた選択肢の中でその一つを選ぶ
こんにちは魂夢です。百日後っ!
「お、お兄! どしたの?」
家に帰ってから私服に着替えて飲み物を取りにリビングに行くと、運悪く妹の真莉に鉢合わせてしまった。
無駄な心配かけたくないから今日は会いたく無かったんだがな……。
「いや、ちょっとな」
「ちょっとどころの怪我じゃないでしょ。ほら座って」
無理矢理に俺をソファに座らせると、真莉は棚から救急箱を持ってきて消毒液だの絆創膏だのを取り出す。
それを見て俺は真莉の手をバッと掴む。
「自分でやるから要らない」
「……そ」
言って、彼女はそのまま俺に背を向ける。数年前までは小さかった背中も、今は少し大きい。
「……なんかあったんでしょ」
真莉は背を向けたまま俺にそう問いかける。
「大したことじゃない。なぁに、世界滅亡の危機とかじゃないから安心しな」
俺は少し笑いながら、そう口にする。安心させるように少し茶化して。
真莉は俺の方に身を翻すと、いつもより数段キツい視線で俺を睨む。
「お兄は心が不安定になるとすぐ茶化しすよね。そんなに知られたくないならもういい、寝る」
言うだけ言って真莉はリビングを離れる。ドアを抜ける直前、すこし俺を憐れむような目で見た。
ガチャリと、ドアが閉まる。
「…………なんだよ」
俺は独り言をこぼした。俺は自分にできるやり方でやるべきことをやったのだ。それを攻められるいわれは無い。
俺は頭が良くないし、運動神経も良くない。だから俺の切れる手札は限られていて、俺はその手札の中で最も良い結果を生むカードを使ったのだ。
俺には他の選択肢なんてなかった。
真莉の用意してくれた消毒液をティッシュに付けてから、傷口にあてがう。
「イテッ」
やはり痛い。まぁ俺は男の子だから耐えるけど。
絆創膏やらなんやらを使って傷の手当てを終えて、俺はゆっくりと立ち上がる。
テーブルに真莉が作ってくれた夕食が見えるが、正直今は食欲が無い。明日の朝にでも食べるとしよう。
自室に入ってすぐ、俺はベットに体を預ける。明日も、やることはあるのだ。早く寝よう。
○
大倉が学校に来るのは大体俺が学校に着いて少し後だ。
俺が自分の席に鞄を置くと、いつものように鶴城が寄ってくる。
「おはよって、お前その怪我どうした?」
目を点にし口をあんぐり開けてオーバーリアクション気味に驚く鶴城。
いつもと変わらない彼に、俺は少しだけ安心した。
「あぁ、ちょっとな」
俺がそう言うと鶴城は顔色を変え、真剣そうに口を結ぶ。
「ちょっとでそんな怪我しないっしょ」
彼は真剣になると視線が鋭くなる。今の彼がまさにそうだった。
俺は目を伏せて、首を横に振る。
「……まぁ言いたくないならしょうがないな」
いつものようなニカッとした笑みを浮かべると、彼は自分の席に踵を返した。
俺は少し不思議思いながらも彼を見送ると、廊下から大倉の声が耳に滑り込む。
聞いた俺はすぐに立ち上がって、大倉の席へ。
「それで──」
昨日の仲間と談笑している大倉の目が見開かれるのを尻目に、俺は彼の机を蹴り飛ばす。
机が倒れ大きな音が教室に鳴り響くと、周りの喧噪が一瞬にして止む。扶桑花や恋綺檄の視線が痛い。
大倉は俺の元まで駆け寄り、胸ぐらを掴んで壁に叩きつける。
「てめぇなんのつもりだ」
俺は俯いて答えない。だが一つはっきりしたことがある。
彼は人前では殴ってこないということだ。
恐らくは先生に怒られるとか、そんなガキ臭い理由じゃない。彼は失いたくないのだ。柳との関係性を。
柳は大倉のイジメを見て見ぬふりをしているが、それは現場を見ていないことも理由としてあるのだろう。
そして大倉が、スクールカースト上位にいるのは柳と行動を共にしているから。その地位を失いたくないならここで殴ってこないと思った。
それにここで俺にさらにヘイトを向けることで田中をイジメの対象から完全に外すことも目的の一つである。
「……後で覚えてろよ」
負け犬クサイ捨て台詞を吐いて大倉は俺から手を離した。
忘れるわけねぇだろ。くそ野郎。