006 問、未知の概念の摂取には構造主義は役に立つか否か
長い牙、尖った耳、蝙蝠の翼、極め付けに蛇目。上半身を隠すようにブラウスを前から掛けた後輩は、簡単に言えば吸血鬼の姿だった。
ところで思ったけど翼大きくない? 広げたら4メートルあるんじゃ?
「……こりゃまたとんでもない……」
ここまで来て一瞬だけ自演を疑ったけど、こんな仕掛けを拵える方がよっぽど面倒だし、降参して素直に信じる。
それはそうと、何だか話を続けられるような雰囲気でもなくなった。馨は今にも泣き出しそうだし、先生も先生で狼狽えている。察するに、この変化は不慮の事故だと思われ。
もしかしたら変化は恒常性がないかもね。じゃなきゃ、さっきまで後輩がどう見ても人間でしかなかったことの説明が付かない。
「何と言うか、」
左頬を右親指で掻きながら言うと、後輩はぴくっと耳を動かした。変な所でリアルのぜ。
「こんな状況は初めてだし、よく分からん。だから敢えてこう言おう。『ご馳走さま』!」
「お粗末さまでしたね、ああもう!!! 先輩のアホーー!!」
見事な叫びっぷりだった。
馨はバシッと音が聞こえそうなくらい、バシッと湯呑みを掴んでお茶を一気に飲み干した。そしてその勢いのままダンッとテーブルに湯呑みを叩き付けた。うおー、モーレツ。
うん、ひとまず吹っ切れさせることはできたな。
ついでに、できればその翼を止めて欲しい。風で紙が舞い上がってしょうがない。ばさばさ翼、妖精の翼か。いや、あれは妙な踊りがメインだった。
「んで? 翼を見せに来たって訳じゃないんでしょ?」
「当然違います。違うに決まっているじゃないですか」
おっおう。そこまで否定するか。
「馨がこうなりましたし、先輩ももしかしたら何かあるんじゃないかと思いましてですね」
「そこで私の出番って事」
「理解」
確かに辻褄が合う。昨日という昨日まで。それまで何も知らず人間として生きていたのに、実は吸血鬼。混乱しない訳がない。周りを疑うのも無理はない。
その上で自分の所まで来たということは、家族も友達も既に調べ終わったか。午後のこの時間に来たということは、午前はそこら辺にでも行っていたんでしょう。
ん? 待て。認識の齟齬があっちゃ困る。
吸血鬼って、夜行性で、日光に弱くて、当たると灰がちになってわろくて、ここまで来れないんでは?
あと、可能性の話として吸血鬼って遺伝するものなのか? 聞いたことはない、というか実際にいた例を初めて見たから、そこは仕方ないけどさ。
……まあ後回しでもいいか。真っ先に訊く程の問題じゃない。
「それで、自分は何でしたか?」
別に人間でもいいんだけど、人狼とかだったら面白そうな気がする。或いは天狗とか、現人神とか。……何か東方に毒されている気がする。
「安心しなさい、光莉ちゃんはただの人だよ」
「人」
「そう、人」
……あっそう。奇跡なんてなかったんや。
地道に行くか。何が地道なのかもよくは知らないけど。
「何とも、面白くなりそうもないですね」
その後は馨の方が大変だった。
光莉先輩のことだから、絶対何かしらの凄い正体だと思っていたらしい。何じゃその理論は。自分、何かしたっけ?
と言ったけど、実際にも何もしていないんよね。最初に見掛けたのだって入学式でだし、会話したのもその2週間後が初めてだし。「IT技研はどこですか?」ってね。丁度自分が部員だから色々案内したけども。
だがこれだけだ。特段、敬われたり、慕われたりするような事はない筈なんだよ。うーん謎。
でも、思い返すと地味に凄いな、この後輩。
魔窟なんて誰も近寄りたがらないから、29年の歴史の割に知名度は高くない。精々不気味な所としか思われていない筈。
それ以前に、図書館自体行かない人はとことん近寄らないし。片っ端から上級生を捕まえては訊いて回ったんだろうな。強心臓過ぎる。
確かに物怖じする所はそこまで見ない。
話を戻そうかね。
こんな感じで不機嫌になった後輩だが、不機嫌だけならまだ良かった。
来たからには帰る訳だが、翼が何故か露出したままだった。どうやら、翼が出ている時だけ吸血鬼としての性質を帯びるようだけど、逆に言えば、翼が出ているので日が沈むまで待たなければならなくなった。
コスプレだぜ、とか言って翼の言い訳はできるけど、抑々外に出られないんじゃ、この案も意味がなかった。
全く。世話の焼ける。
しかし、よく考えたら東江先生、最後までエルフの姿にはならなかったな。むぅ。証拠の話も有耶無耶だし。
結局は、あくまでも馨が吸血鬼であることが分かっただけ。何を根拠にそう断じ得たのか、これは分からないまま。
となると、自分が本当に人間なのかについても怪しい。別に何でもいいけど。ネタが増えるから、人外なら寧ろ大歓迎ですらある。先生の自信具合からして、多分ただの人間だろうけどさ。
余談だが、吸血鬼は遺伝しない。はっきり分かるとさ。本能的な何かがそう言っているらしい。
そりゃそうだよな。
さて。こんなことがあったので、もしかしたらこの前保健室で見た夢、あれも現実かも知れない。ていうか現実じゃなかったら訴訟だ! もう蓋然性が、とてもとても高まっている! おら、わくわくすっぞ!
科白は完全に記憶しているな? さあ行くぞ。ふぅ。
「テレビス ロベイオ サーロラメッハ デゥ スレム」
――ジ、ジジージー、ジジジージ、ジー
ぅおう? 電波障害?
テレビの砂嵐みたいな音が聞こえる。
――ッザーーーーー
チャンネルが変わったようだ。
うーん、テレパシーなんてないのか。いやでも、少なくとも反応はあるし。
もうちょっと検証するか。
……何をどう検証するんだ? 何をどう変えたらいいのか、ってか何かを変えたとして、何が変わるのかも分からないし。困ったな。
と思った瞬間。突然、目の前の空間が歪み出す。視界が有り得ない屈折光でおかしくなる。
「……デルテ ソウーフェ ナン ゲテラ スレム メルへランジェ コーンゼ!」
そして謎の生き物的な何かが、歪みから湧き出た。謎言語と共に。
……ふー、驚かんぞ。驚かないからな?
何とか意識を保つ。この程度で失神しては敵わん。
「……えっと」
スライム……なのか? 水色のぷよがあったらこんな感じかも知れない。ぷよぷよにしては、丸くないし、不定形だし、目だけじゃなくて眉と口まであるし、ぷよぷよではないけども。何なら体が透明だし。水色透明物体。
言語を操るようなので、知能はある模様。意思疎通できっかな。言語知らないけど。
と言うか、どこからこいつは湧いて出た? 急に空中に出てきたんだけど?
「……」
お、何か床に書き始めた。えーと。
[er fiwsdog loi cehnak]/qopt=e→[er wevdan loi cehnak]/al≡ju⇔iweш→→denxe↓l ste doi[nef]
……読めない。まず抑々これって、本当にローマ字アルファベットなのかすら怪しい。いや、違うな。
地球産の文字なのかどうか、そこすら怪しい。
まず、スクエアブランケットとか同値記号って絶対言語じゃないよな。論理演算子だと思いたい。てか下矢印なんて沈殿物生成以外で見ないんだけど。クロム酸銀、計算がキモくて好きです。誰だモール法考えた奴。
いや、モール法なんて時代遅れは、今はどうでもいい。これが一体何なのかが問題だ。もしかしなくても魔法関連だろうな。じゃあ術式かな。
取り敢えず、初めの矢印で左辺と右辺を分けるとして、すると共通する文字列があるから……。
ここまで考察した時、
「オル フィウスドッグ ロイ チェナック コプテ ウェヴダン アルュ イウェシュ デンヘ レ ステ ドイ ネフ」
スライムは勿体ぶった仕草で、また謎言語を発し始めた。途端に文字列が光る。
訳が分からないよ。どうして文字が光る道理が罷り通るんだ。でも実際問題光っている。
それによく考えたら、字だって某口寄せの術みたいに湧いて出てやがるし。――いや、あっちは確か血がインク代わりよな? こっちは“どこからともなくインクが出てきている”んだけど。
ちょっと常識が壊されますね。これは良くないことです。精神衛生の観点から、これ以上の観察、及び考察は避けたほうが無難でしょう。
「えっと、言葉分かる?」
だからこれも幻聴に違いありませ、いや待て。待て待て!
「ちょっと、どうやったら知らない言語をその速さで分かるようになった?!」
明けましておめでとうございます
今年は投稿頻度が上がるといいなぁとか
天狗は鴉天狗派です(先代録に毒された)
文の能力なんて、あれ絶対強い(
てか先代録の文やばい、あれはやばい、もう完全に母親じゃん
現代風に言うと、尊さがやばいし、萃香の騒動が終わってからのあれとか風神録編の終わり間際のあれとか、すこすこスコティッシュフォールド
はたてもいいよね〜