9話 彼と彼女たち
「ヘタレ」
皇さんは僕を蔑む。
その言葉にぐうの音も出ず、ただ落ち込んだ。
結局――昨日柑崎さんを誘うことはできなかった。特に理由なんてなく、勇気が出せなかっただけ。
はぁ。
どちらからともなく溜め息がこぼれる。
「ま、過ぎたことは仕方がないでしょ。もう一回誘えばいいだけだし」
彼女は投げやり気味に言葉を吐く。
失望しているのか、励ましているのか判別はつかなかった。
にしても、誘える気がしない。誘って成功する自信がない……。だから昨日も誘えなかったのだけど。
弱気な気持ちが心を支配していく中、皇さんが委員会室の小窓を覗き見る。
「可愛いけど、気に食わない」
部屋には柑崎さんしかいない。
だから、彼女のことを言ったのはわかるけど、気に食わないってのは……。というか、いまの僕たちの格好は大分怪しいことに気づいた。委員会室の外――扉の左右に張り付いて一人の少女を観察する男女二人。
ヤバイ、人が通りかかったら絶対に怪しまれる。少し焦りながら皇さんに声をかける。
「ねぇ、そろそろ離れない? 僕の……気になる人は見れたしもういいでしょ」
懇願するように言った。
でも、皇さんは彼女を見つめたまま首を振る。
「レンって目の付け所は良いわよね。私は美人だし、柑崎さんって子も可愛いし。……可愛さを隠そうとしてるのが気に食わないけど。っていうか、どっかで見たことあんのよね」
皇さんはしばらく彼女を眺めたが、ため息をこぼしながら手で前髪を抑える。
どうやら思い出せなかったらしい。
「同じ学校にいるわけだし、見たことくらいあるんじゃないのかな」
至極真っ当なことを言った。我ながら面白味がない。
「そういうんじゃなくて、昔よく見てたような……」
「はぁ」
的を得ない発言に困惑で返す。
そしてそのあとに「遅刻はしたくないんだけど」と柑崎さんを見ながら言った。
昨日遅刻したことを彼女は責めなかったけど、連日遅れるのは申し訳ないし、良いイメージには繋がらないだろう。
僕が内心で考えていると、皇さんはこちらを見た。
「柑崎さんの正体は置いとくけど、あんたがあのレベルと付き合うのはキツいっしょ」
皇さんは僕の全身を眺める。
足のつま先から頭のてっぺんまで、隅々をくまなく観察する。
彼女の視線に思わずたじろぐと、そこで僕の顔に視線を止めて口を開いた。
「制服だし、ファッションのことをとやかく言うつもりはない」
ただ、
「その気の抜けた髪型よ。人に見られることをまるで意識してないその髪型で、あんたのレベルっていうのが丸わかりなの」
「うぐっ」
僕は自分の髪を撫でるように触る。
適当にヘアワックスをつけた適当な髪型。場合によってはワックスすらつけず、ありのままの髪型でいることも度々ある。
火坂のようにカッコイイ……自分に似合う髪型というのはまるでわかっていない。
だからこそ、皇さんの発言にショックを受けているのだけど。
昨日はテンションの上がる日だったけど、今日は――昨日の委員会活動からボロボロだ。
「……別にあんたを責めるつもりはないから。ただ、今のダサい自分を認識しろってこと。顔も……悪くはないけど、一部にしか人気出なさそうな顔だし」
突っ込まないぞ……。
僕は自身の顔に関してのツッコミは全スルーの姿勢である。
男前とは程遠いからな。
「で、レンの現状じゃあの子と付き合うのは相当に厳しいと思うのよ」
「はいっ……」
ん? あれ、いつの間にか付き合おうとしてるみたいな流れに。
あくまで柑崎さんは気になる対象なだけだ。
「だから私が協力してあげる。その協力の一つとして、カラオケのセッティングをしてきてあげる」
そう言って、皇さんは委員会室の扉に手をかけて――。
「ちょっちょっと待って! それって皇さんが僕たちの遊ぶ予定を取り付けるってこと?」
「ええ、そうよ。といっても今のレンだと二人っきりは厳しそうだし、三人でカラオケに行けば都合いいでしょ」
無茶苦茶だ。
どうしてそんなに強引なんだ。火坂と皇さんをこの前似てると言ったけど、やっぱり違う。火坂は……火坂も強引だけど、最後は僕に判断を委ねてくれる。
でも彼女はもうその判断すらさせてくれない。
だから、怒った。
「そんなのおかしいよ! いくらなんでも勝手すぎる!」
僕の怒声に皇さんは体をビクッとさせる。
その姿を見てすぐに冷静になった。
「ご、ごめん。こんな大きな声を出すつもりじゃなくて」
「……ううん。レンも怒るんだね」
彼女は花が萎れるように身を小さくした。
僕は慌てて言葉を続ける。
「その、皇さんの今やろうとしたことはおかしいと思う。無茶苦茶強引だと思うよ」
だけど、その強引さの裏にあるものも感じ取れた。
「だけどね、僕のために世話を焼こうとしてくれた優しさは伝わったから」
微笑むように――苦笑いにならないように――言葉を送った。
皇さんはそれに対して唇をツンっと上向きにする。
「そんな優しさとか、そういうつもりじゃないから」
「……そう? 僕は皇さんを優しいと思ったよ」
自分の頭を掻きながら、言いたいことを言う。
彼女の優しさを無碍にしないためにも。
「僕自身が柑崎さんを遊びに誘う」
柑崎さんとデュエットを夢見たのは嘘じゃない。僕自身が望んだことだ。
「でも、確かに二人っきりでカラオケに行くとか緊張して死にそうだから、もし誘えたら……皇さんも付き合ってくれる?」
いいに決まってるでしょ。
彼女は顔を俯かせたまま、でも強気な口調でそう言った。
僕はその言葉を聞いて笑顔を浮かべる。
そして、扉を開く――
開く前に一言。
「僕って歌下手なんだけど、大丈夫かな……」
「ばかっ。マラカスでも振ってればいいじゃないっ」
皇さんの呆れた言葉が耳に届いた。
僕は――マラカスを振っていた。
薄暗いカラオケルームに鳴り響くシャカシャカ音。
そんな安っぽい音を青空から舞い降りた天使の声が包み込んでいく。
あぁ、もう天に召されてしまうのか。
この魂を震わすような歌声で逝けるのなら、もうそれでさえ構わなかった。
目を閉じ――マラカスは振ったまま――至福の時間を味わっていると、曲のサビがきた。テンポの良い明るい曲調にウィスキーボイスが重なり合う。
元気が、生きる気力が湧いてきた……! やっぱり死ぬのはもう少し後にしよう。
考えを改めていると、曲が終わりを迎えた。
一瞬の静寂のあと、天使――柑崎さんの安堵の吐息が漏れるのと同時に、僕と皇さんはキャー! と黄色い悲鳴を上げる。
「彩乃めっちゃ歌上手いじゃん! こんな綺麗っていうか、心に響く歌を聴くの初めて!」
「そ、そんな。褒めすぎ……っですよ」
「謙遜すんなって! そこらの歌手よりよっぽど上手い感じしたし」
あ、でも。
皇さんは口元に手を置きながら、こちらを見る。
「レンの歌を聞いたあとだと特にねー」
ぷうクスクスと笑う彼女に言葉を返す。
「だから僕は今マラカスを振ってるの!」
「はいはい、鼻歌が上手いから歌も上手いと思ったんだけどなー」
皇さんの罵倒に傷つく自分。
くぅ、昔からその台詞を言われるんだよな。
それで馬鹿にしてくるタイプはまだいいのだけど、失望の目線に晒された時はそりゃもう……。
悲しい雰囲気を纏っていると、柑崎さんが声をかけてれくれる。
「水原さんの鼻歌、私はとっても好きですよ!」
ふんす。
胸の前で両手をぎゅっと握り締める柑崎さんの姿は、愛らしかった。
というかこんなポーズもするんだな。なんか新鮮だ。
僕は彼女に「ありがとう」と返事をしつつ、励ましてくれた優しさと鼻歌にしか触れない残酷さに泣いた。
「彩乃の好きな物って――」
「えっとフルーツパフェが」
女子二人の仲睦まじい会話。
それをよそに僕は店員さんが運んできてくれた飲み物を各自に渡す。
にしても、皇さんといい火坂といい下の名前で呼ぶのが早い! これが人種の違いか……! そんなことを考えていると丁度火坂からメールが来る。内容は『カラオケ行かね?』返信は『進行形』。
「私はピザとかイタリアンが好き。でもトマトがダメなんだよね、笑えるっしょ! あ、飲み物サンキューね。レン」
「あぁ、うん。どういたしまして。そういえば……」
柑崎さんの温かい飲み物を見る。
「ホットの紅茶だよね。この時期に珍しいような」
「それ私も思ったー! もしかして冷え性? ってか部屋寒い?」
「えっと、そうですね……。あっ、水原さん、お部屋の温度はちょうどいいので」
その言葉を聞き、再び腰をソファーに下ろす。
「辛いねー。タイツも年中履いてる感じだよね」
「足元は特に冷えやすいので。でも、タイツを履いているのは素肌を見られるのが恥ずかしくて……」
つい、テーブル越しに足元を見てしまう。
柑崎さんは言葉通り黒いタイツを履いていて、皇さんは短いソックスを履いていた。性格ってこんな所にも出るんだ。と妙な関心をしていたら、
「ねえ」
皇さんから声をかけられた。
思わずジロジロ足元を見てました。すみません。と口走りそうになる。
「そういえば、レンは彩乃の歌どう思った?」
「へっ、あっ、もうそりゃ最高だったよ。なんか天使ってこんな近くにいたんだみたいな!」
「み、水原さん!?」
あっ。
柑崎さんの反応を見て、自分の発した言葉の意味を理解した。
恥ずかしさと後悔に悶え苦しみつつ、彼女の反応を覗き見る。床をチラチラ僕をチラチラ、終いには目をギュッと閉じてしまう。
「その今の天使っていうのは」
弁明の言葉を言い切る前に、柑崎さんが口を開いた。
「そんなの……恥ずかしすぎるばい!」
……
…………ばい?
「ちっちが! その、私熊本出身で! 今のはその名残がつい出てしまったというか……うう」
あわあわと喋る彼女は、そのあとも自爆を続ける。
「実は好きな物もフルーツパフェだけじゃなくて、辛子蓮根やお母さんが作ってくれるだご汁が好きなんです」
あまり女の子らしくないですよね。
話す度に声のトーンは下がり、最終的には床と会話をし始めた。
「いいじゃん。私は甘いものより給食で出されたバタピーの方が好きだしさ! ちょーオヤジくさいよね」
「い、いいなー。僕が住んで場所はそういう郷土料理? みたいなのないから」
僕たちのフォローはカラオケの終了時間まで続いた――
「すみません……」
全体の会計を皇さんに任せたあと、僕たちは店の外で待つことにした。
「気にしてないよ。僕は方言って良いと思うけど」
嫌味かな。
頬を掻きつつ言葉をポツリと呟く。
夕暮れの風は心地が良かった。
「ありがとうございます。でも、方言を使うと目立ちますから」
隣にいる彼女は視線を地面に下ろす。
もしかしたらさっきの光景を思い出してるのかもしれない。
「……そうかもね。こっちこそごめん。なんか戸惑っちゃって」
「いえ。仕方のないことですから」
「……」
会話が弾まない。故郷のことや歌のこと、目立つのが嫌いなのか、聞きたいことは沢山あるけれど、聞けなかった。
「あの」
柑崎さんはためらいながら呟く。
「水原さんは皇さんのことがお好きなんですか……?」
えっいやまさか。
僕は心で思ったことをそのまま口にした。
「むしろ僕が好きなのは」
柑崎さん。
と答えかけて、止めた。
夕日に照らされた彼女。
浅葱色の制服や薄紫色の髪は夕日の色と混ざり合い、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
綺麗だと思う。ちょっと落ち込みやすいけど、魅力的な子だと感じている。
でも、僕って彼女が好きなのか――?
そんな疑問は、彼女の潤んだ瞳と申し訳なさそうな声によって中断された。
「その変なことを聞きましたよね。すみません……」
「そんなことないけど、でもどうして」
「えっと、今日水原さんにカラオケへ誘って頂いた時『皇さんと二人っきりだと恥ずかしいから、柑崎さんも是非来てくれないか』とおっしゃっていたので」
「あ、それは勘違いするよね」
緊張してて柑崎さんをどう誘ったのか忘れていた。
丁寧に誤解を解きつつ、皇さんが来るのをゆっくりと待った。
疲れたな。
自宅のリビングに鞄を置き、明かりをつける。
「にゃー」
「にゃーーー!?」
目の前には制服姿の心とうさぎのブリューがいた。
ブリューは彼女に前足を掴まれ空中を揺れ動いている。意外と気持ち良さそう。
じゃなくて!
「い、いるなら明かりくらいつけなよ」
「電気代節約」
「節約って……代わりに僕の寿命は縮まったけどね……」
小さくため息をつくと、彼女はブリューを解放し、こちらに近寄ってきた。
「ん……」
互いの体がぶつかり合う距離。
彼女はつま先を伸ばして――僕の頭を撫でた。
「よしよし」
孫を撫でるような優しいなで方。
彼女は僕をぼーっと見つめながら、ひたすらに撫でる。
なでなでなでなで。
「なんだこれ」
そんな言葉を無視して撫で続ける。
時折聞こえる「えらいえらい」という言葉から察するに、どうやら褒められているらしい。なぜに。と思っていたら、彼女は撫でるのを止め、部屋を見回す。ダンベル、腹筋ローラー、チンニングスタンド。
生活感の薄さが特徴だった自宅の一階はいつの間にか男臭さを増していた。その……病気のためにも、モテるためにも筋肉かなと思って。
もしかして彼女はこの器具たちを見て『ナイス筋肉』的な意味で褒めたのか……?
「ばいばい」
心はあっさりと帰っていく。
まぁ、帰ると言っても隣の家だけど。
「……」
撫でられた頭に手を置いて、思う。
意外とよかった……。