7話 彼のひと休み
太陽のように明るい白熱灯。
その白熱灯の下には美味しいご馳走と皆の笑顔。
この食卓には間違いなく家族団欒の幸せがあった。
…………
……
って、夢じゃないから!
夢みたいな雰囲気を醸し出しているけど、これ現実!
次々と運ばれてくるジューシーな唐揚げや天ぷらも、幼馴染――餅月一家の笑顔も本物だ。
でも、
「揚げ物~バンバンあげちゃうよ~♪」
「こずえ、僕も年々と食欲が衰えてきてね――つまり、食べきれる自信がない。って聞いてないか……」
「お父さんが食べなくても、私がたべる」
自分には夢のような光景かもしれない。
両親が亡くなって、家にいるのはうさぎのブリューのみ。とても家族団欒なんてできっこない。それでもこうして家族の輪に加われている。
それってやっぱり夢みたいな出来事なのかもしれない。
ぼとっ。
僕が感慨に浸っていると目の前で音がした。
目の前、正確に言えば自分の白いお皿の前で。
お皿には自分で取った唐揚げとエビ天にエビフライ……本当に揚げ物ばっかりだ。いや、それはいい。それらの中に紛れ込んでいる獅子唐辛子の天ぷらが問題だと言っている! 僕はこれを取ってはいないぞ。つまり誰かが――もう犯人はわかっているが――入れたということだ。
「……」
我関せず。
もぐもぐと肉を頬張る幼馴染――餅月 心。
こいつに違いない。というか彼女以外が犯人だったらいやだ。
僕はしし唐――しかもちょっと食べかけだったものを――箸で掴み取る。
「こらっ。自分が苦手な物だからって、人に渡さないの」
注意しながら、彼女の皿にしし唐を戻す。
心はぼさぼさと寝癖混じりの髪、家特有の姿で面倒臭そうに答える。
「お父さんが勝手に入れてきたから……」
心は「だる……」と文句を言いながらも、しし唐を食べた。
そして顔を僅かにしかめたあと、また肉をゆっくりと食する作業に戻っていく。
「あはは、しし唐を一口食べたところまでは偉かったんだけどな」
心のお父さん――誠彦さんは苦笑い気味に言った。
僕は思う。
甘い! 甘すぎると!
苦手な物を一口食べただけで褒めるなんて甘い!!
でも、誠彦さん以上に甘い方がいる。
「もう、まーちゃんはどうして心ちゃんが苦手なものを食べさせようとするの?」
ぷりぷりと怒っているのは心のお母さん――こずえさんだ。
この人はもうめちゃくちゃに甘い、見方を変えれば物凄く優しい人だ。
僕がこうやって人様の食卓に入り込もうとも文句一つなく、むしろ歓迎さえしてくれる。おまけに学校で食べるお弁当もよく作ってくれるのだ。感謝こそすれ、怒る理由は全くない。
ただ、甘い! 心が苦手なものを人にポイッと渡してきたり、学校を気軽にサボるのはこの人のあま……やさ……甘優しさが原因の一つだと思う。
まぁ、こずえさんの優しさを責めるつもりはないのだけど……
僕が小さくため息を吐くと、誠彦さんがこずえさんに反論してくれる。
「苦手なものを減らしたほうが心にとって幸せだと思うんだ。それに家は唯でさえ野菜をあまり取らないから、しし唐の一つぐらい食べて欲しいという親心がね……」
「あら、お野菜なら食べてるじゃない」
その言葉に僕と誠彦さんは心を見てみる。
すると……
「うんうん。野菜たべてる、たべてる」
フライドポテトを頬張る心の姿が。
僕は思わず突っ込む。
「アメリカンジョークか!」
「はっはっは」
彼女はいつもの冷めた表情で笑う。
でもその表情に怖さではなく、愛らしさを感じるのは幼馴染の贔屓目かもしれない。
あれ、もしかして僕も心に甘い……?
「あぁ、今は欧米化! じゃなくてそっち側のツッコミに戻ったんだね」
雅彦さんがメガネをクイッと正しながら、静かに呟く。
どういう意味だろうと考えていたら、心はサラダボウルの野菜をモグモグと食べ始めた。
「見て! まーちゃん!」
「おお、心があんなに野菜を……大人になったなぁ」
甘い! 甘いですよ!
と心の中で突っ込みながら、僕も心の姿を穏やかに眺めた。
でも、心って家族に野菜嫌いだと思われているけれど、実際はそうでもないような。
彼女のマイペースな食事風景――牛が牧草を食べている姿と重ね合わせて――牧歌的な風景を眺めていると、誠彦さんが喋りかけてくる。
「あはは、蓮くんのいまの姿は心のお兄ちゃんのようだね」
「本当ですか」
心=牛
つまり、僕が牧場で牛を見る際には周りから牛のお兄ちゃんに見られる可能性がある……?
あ、そういえば昔は本当に心からお兄ちゃんって呼ばれてたな。
少し昔の記憶に浸っていると、隣から肩を叩かれる。
そちらを振り向くと心が上目遣いでこちらを見ていた。
「お兄ちゃん」
無表情で僕を見つめる心。
幼馴染贔屓かもしれないけど、無表情でも彼女は可愛いと思う。
もう少し社交的になれば、向かうところ負けなしだろうに。
「しし唐食べて」
食べません!
僕の突っ込みは餅月家によって笑いへと昇華されていった――
朝の新鮮な空気。
人がまだ少ないクラス。
爽やか幼馴染と――汗だくな僕。
どっちが絵面的に外されるかといえば、間違いなく自分だろう。
理不尽だ。こんな状況になったのは彼女のせいなのに。
朝に相応しくないドロドロさを吐き出しながら、クラスを見回す。
まだ――皇さんは来ていないようだ。
心配だけど、昨日メールで『明日はバッチリ行くから』って言ってたしそれを信じよう。
僕はハンカチを取り出し汗を拭い欠伸を一つして、机に寝そべる。
「……」
肉体的・精神的にも疲れた。
疲れた原因は――幼馴染の心が原因だ。
寝そべりながら隣の席にいる彼女を見る。文庫本サイズの本を手にし、黙々と読んでいた。その姿はまるで優等生のようだ。家の時のボサボサヘアーとは違い、肩先に届きそうな黒髪は綺麗に整えられている。その上、紺色のブレザーをきっちりと着こなしていた。
時折流れ込む窓からの風に心地よさ気に微睡む姿は、傍目から見ると可憐で優等生然としていた。実際に成績も僕より良かったりする。
でも、それだからといって心のサボり癖を看過するわけにはいかない!
心の中でグッと拳を握り締めて、今日の登校風景を思い出す。
僕が肉体的・精神的に疲れた原因はここにある。
月曜日。
憂鬱マンデーと呼ばれる曜日。
学校や会社に出社したくない人が大勢いる日だが、心もその例に当たる。
僕が家へ迎えに行かない月曜日は八十パーセントの確率で学校を休む! だけど、彼女を学校にまで連れ出そうものなら『菓子パン界の核弾頭』こと『デニッシュリング カスタード』三つ分に匹敵するカロリーが必要だ。
なぜなら……
早朝。
幼馴染を迎えに行く日は普段よりも一時間早く起きる。
自身の身支度を早急に終えて、隣にある餅月家へ。そこでこずえさんと挨拶を交わしながら朝食を頂く。揚げ物中心で有名な餅月家だが、朝は純和風で攻めるてくることが多い。ここで僕は白米と焼き鮭、豆腐とわかめのみそ汁でカロリーを摂取し、二階にある心の部屋へ殴り込む。もちろん、部屋へ殴り込むといっても僕は節度ある人間。ちゃんと「心、部屋入るよー」と声をかけ、そしてノックを三回して部屋にゆっくりと入る。この時、大抵彼女からの返事はなく、あったとしても「ふわっふわふわぁ」みたない謎の言語を介してくるのみだ。
ここからが大変。ベットで寝ぼけてる彼女(もしくは着替え途中の彼女)を布団から引っペがして、おはようと挨拶をする。その際、返事があるまで延々と彼女を起こす作業に入る。十分も二十分も。もし「だる」とか「面倒」と返事をを返してくれればこちらの勝ちだ。返事から数瞬のうちに彼女が散慢な動きで制服に着替えようとする。そんな彼女から慌てて逃げ――落ち着いて、部屋から離れる。そして彼女がご飯を食べる姿を見守り、髪を整えている……親が整えている際に僕は彼女の歯を磨く。あれ、これもしかして僕も彼女をダメにしてない……と思いつつ、やっと登校だ。まぁ、登校している時が大変だ。だって、高校近くの公園までおんぶ……おんぶ、そこで一度考えるのをやめた。
そして隣にいる心の姿を見つめる。
ただ、さっきと違い見つめるのは彼女の顔ではなくて、机というか胸というか。
ぎゅっと机に胸が、大きな胸が密着している。身長が低い彼女は姿勢よく椅子に座っても、今のような前傾姿勢――本を読む姿勢だと机に胸が衝突しえらい事になってしまう、らしい。
昔は、心をおんぶしても体力的に疲れるだけだった。
強いて言えば周囲に見られる恥ずかしさがあったくらい。でも、今の成長してしまった心をおんぶするということは精神を削ってくる。削ってくるけど、これをやらないと心が学校に行かないからやらざるを得ないという考えが精神ダメージになっているのかもしれない。
あぁ、もしかしたら、僕の願い――毎日幼馴染が普通に学校に通って欲しいという願いは、もうおんぶ無理! という魂の叫びかもしれない。……ないか。昔のように「お兄ちゃん、おんぶして」と無邪気に頼む幼い心よ、カムバーック!
非現実的なことを願っていたら、クラス中が騒然とし始めていた。
僕は思わず顔を上げて周囲を見渡す。
先程とは違ってクラスメイトの大半が揃っている。
そしてそのクラスメイトの一部……結構な数の生徒が入口の扉付近に集まっていた。
なんだなんだっ。
野次馬根性を発揮して僕も席を立ち上がる。
そして対角線上にある扉の方を見つめて――ほっと安堵の息が漏れる。
「ダリアちゃんめっちゃ久しぶりじゃん!」「今までどうしてたんだよー」「やっと来たんだね。心配したんだから」
皇さんが学校に来ていたのだ。
驚いたのは僕だけではないようで、男女様々な人物が彼女を取り囲んでいた。
その中には嬉しそうに彼女の側に寄り添う楓さんの姿、それと皇さんの悪口を言っていた人も……急いで皇さんの席から立ち上がり「せ、席は温めておいたから」と彼女の輪に加わっていく。
あ、あれが取り巻き……!
初めて見る存在に驚きながら、人気者も大変なんだなとしみじみ思った。
僕も皇さんに話しかけたいけど、
「んー……」
あの人混みを割く勇気はない。
また機会を見つけて話しかけよう。同じ学校、それも同じクラスにいるのなら話をする機会はいくらでもある。なんなら、メールで……っとこれは弱気が過ぎるかな。
心の中で苦笑していると、皇さんを囲む輪が動いて、散らばった。授業開始の呼び鈴が聞こえたからだ。取り囲む輪は消えて、皇さんの姿がハッキリと見える。その際に――気のせいだろうか、彼女がこちらを見て笑顔を浮かべたのは。
「……気のせいじゃ、ないか」
小さく笑みをこぼしながら、燦々と輝く太陽を眺めた。