6話 彼とクラスメイト
死を望むものが集まる安楽死施設。
その近辺にある寂れた公園。
時刻は逢魔時。
なにも起きないはずがなく……
「っッッ!」
しなやかな指先が僕の肩を掴み、声にならない声を上げた。
「そんなに怯えられると流石に傷つくんだけど……わかってる?」
「あ、あれ。その声は」
振り返ると、甘くとろけそうな格好の皇さんがいた。
どんな格好かと言われれば、これから渋谷の109に買い物行くんだっ! って格好。違うな。109で買った真新しい洋服でここに帰ってきた感じ。
だって見るからにギャルだよ。あまり関わりたくない感じの方だ。はっと、そこで気付く……!
「僕、皇さんのそんな格好初めて見るかも」
今まで散々ギャルっぽいっと比喩をしてきた。
しかし! 今まで見た皇さんの格好は透け透けの下着とジャージ姿のみ。
なんだろう。この気持ち……。僕は恐怖心とかその他諸々の感情を忘れ、感動していると、
「馬鹿にしてるでしょ」
蔑みの視線を向けられた。
僕はその視線から逃れるようにして、話題を変える。
「そんなオシャレな格好して、どこに出かけていたの?」
「んー……」
皇さんは考え込むようようにして、赤いルージュの唇に指先を置く。
その蠱惑的な仕草に心臓が高鳴る。
「答えてあげる。あそこ――」
そう言い、彼女はある施設を指差す。
『安楽死施設』
公園を抜けた先にある巨大な施設こと安楽死施設。
国が運営している正規の施設だ。
……いや、そんなことはどうでもいい。
僕は張り裂けそうな心臓をそのままに「本当なの」と聞き返した。
「本当だけど? もっと言えばさっきまでブランコ漕いでたけどね」
久々にやると楽しかったわ。
皇さんはまるで童女のように無邪気に笑う。
今まで不機嫌な表情しか見せなかった彼女の、初めての笑顔。それは心がキリキリとするような笑顔だった。
「その、」
僕は思わず言葉が詰まる。
なんて言えばいいんだ。あなた死ぬ気ですかー? あはは。みたいに言えばいいのか。いやいや、そもそもの原因を聞くべきなのかな。事故や事件、病気を患ったの、みたいな。それこそありえない。いくらなんでも無神経すぎる。うぅ、どうすれば……。
木枯らしのように冷たい夜風が再び吹く。
彼女から甘く艶ややかな匂いがした。
「寒いし、家に来なよ」
外は暗く、部屋は明るい。
そんな当たり前のことが今の自分を落ち着かせてくれる。
それにしてもこのケーキ……
「おいしい!」
僕は幸せな気持ちになりながらケーキを頬張る。
まるでさわやかな春をイメージさせる桃のケーキ。見た目の美しさだけでなく、味もすごいよ。口の中でなめらかに踊る桃。その桃を包み込むようなやわらかいスポンジとクリーム。スポンジにはワンポイントとしてバニラエッセンスがかかっていて、口だけじゃなくて鼻の方にまで幸せを運んでくれる。なんて幸せなんだ……しみじみと感慨に浸ってしまう。
「幸せそうな顔して食べるわね。きっとママも喜ぶだろうけどさ」
彼女は呆れたように笑う。そして紅茶をすすった。
「あれ、皇さんは食べないの?」
「私は甘いの苦手なの」
そう言って、自身のケーキを皿ごと差し出す。
「珍しいね」
「そんなことないわよ。まさか、あんたは女の子全員が甘いもの好きとか思ってんの?」
「そ、そんなことは……」
皇さんの「はっ、この未経験者が」という視線。
もはや凶器とも呼べる視線のダメージを癒すため、彼女の分のケーキを頂く。
このケーキは彼女のお母さんが以前のお詫びということで買ってきてくれたもの。味と見た目からして、相当にお高いと思われる。ケーキに限らず玄関で会った時にも歓迎されたし、紅茶を顔から被るのも悪くないかもしれない。
そんな馬鹿なことを考えながら、皇さんの部屋を見回す。
うーむ昨日よりも散らかっている気がする。主に散らばった服が増えてる気がするな。
はっ……! あの淡いピンク色のヒラヒラとしたものって。
「……」
慌てて視線を逸らす。
そしていかんいかんと頭を横に振っていたら、皇さんから「なにキョドってんの。きも」と言われた。
事実だけど、ひどい。
僕は一度深呼吸をして気持ちを整える。そして思い出してしまった。
公園での彼女の言葉――安楽死施設に行っていたという言葉を。
……
沈黙が部屋を包む。
皇さんはいつの間にか場所を変えてベッドに座っていた。
彼女はそこから僕を見下ろす。退屈そうに。どうでもよさそうに。
施設の話に触れたいけど、触れられない。もどかしい。どうすればいい、どうすればいいんだ。焦る心から導き出された結論は――
「掃除をしよう」
「はっ?」
あんた何言ってんの。
彼女の表情はそう物語っていた。
だけど、そんなの関係なしに僕は立ち上がり一階へ降りる。
そしてお母さんからゴミ袋を数枚貰って――
――部屋は綺麗になった。
僕たちは互いに息を切らしながらも、笑顔を浮かべていた。
ごめん、嘘です。皇さんは疲れた表情を浮かべながら息を切らしてる。
「わけが、わからない」
疲れた表情で汗を拭う。
そんな彼女にさっと水の入ったコップを手渡す。
「ふぅ。……感謝しないから」
皇さんはジトっとした目で僕を見る。
その顔がどこか幼馴染に似ていてつい苦笑いをしてしまう。
「なんで笑うのよ。というか、どうしていきなり掃除しようって発想になるわけ」
「ほら、体を動かしたほうが話しやすいかなって! それに僕、よく幼馴染の部屋を掃除する機会が多くてさ。つい掃除請負人の血が騒いだ的なね!」
正直に言うとパンツが原因だ。
あんな色気のあるパンツが部屋に転がっていたら、落ち着いて話を聞ける自信がない。だから片付けた。もちろんこれは彼女に秘密だ。言ったら最後、また変態という罵りを受けることになる。
「そっ……まぁ確かにあの空気で私も話をしたくなかったし」
皇さんはベッドに腰掛けながら、天井を見る。
天井には白い明かりが輝いていた。
「それじゃあ聞いてよ。私があの施設に行った理由」
僕は無言で頷き、彼女は話を始める。
「高校二年の始業式が始まる前、春休みの最中にさ、外でいきなり倒れちゃったっぽいんだよね。ま、たまたま親と出かけてたからすぐに救急車呼んでもらえて、そこの医者からまずママが私の症状とか聞かされたの。その後に医者から深刻な顔でこう言われたんだって」
――あなたの娘さんの余命は残り一年です。
余命という言葉に、動揺する。
皇さんは自分と同じような状況にいたのか。
「まぁ正確には一年間と三週間って言われたみたいだけど。で、それを聞かされたママが私を何軒も病院に連れて行って検査したんだけど、どこも同じ診断。寿命に関しても少し誤差がある程度でさ、最近の医療ってすごいよねー。つうか、ママに病院を連れ回された時だいぶイライラしたんだよね。私は自分のことちょっと倒れたってくらいしか知らなかったから、なんでこんな病院行くの!? みたいな。折角の春休み台無しじゃんって当時は思ったわけ。いまじゃ人生丸ごと台無しだからね、笑えるわ。笑ってもいいよ」
「あはは! ……いてっ」
言葉通りに笑ってみると、彼女の長い脚が僕の頭を小突いた。
……笑わないと、この場にいられないように感じたのだ。
「で、私も四つ目の病院ぐらいで薄々感づいたの。あ、自分相当にヤバイんだって。そう思って親問い詰めたら『ダリアちゃんは、あと一年しか生きられないの』って泣きながら言われてさ。もう何も言えないよね、私としては。というかとっとと言ってよって思った。だって無駄に病院回ってる一日一日が私の寿命を削ってんだからさ。……はぁ、信じたくない」
皇さんは暖かい色のベッドに全身を投げ出す。
その姿が今の気持ちを表しているように見えた。
「……信じたくないなぁ。私って夢とかあったんだ。なんだと思う?」
「玉の輿、社長夫人とか……?」
「本人の前でそれ言う? あんたって意外とエグイわね。ちょっと見直したわ」
不正解。
彼女は天井を見上げながらボソリと呟いた。
「正解は、一流のモデルになって、その地位を元にファッションブランドを立ち上げること」
……部屋を片付けた時、ファッション雑誌が多くあった。
あれは夢の残骸だったのか、なんて思っていると、一冊の雑誌が彼女から投げられてくる。僕はそれを体で受け止めて表紙を見る。そこには同年代の女子が数人集まっていて、その中には皇さんの姿もあった。
「わっ、表紙に載るなんて凄いね」
「でしょ? っていっても読モだけどね。表紙にいる専属の子達の方が待遇よかったりして」
そんなことはどうでもよくなったんだけど。
皇さんは寝たままの状態で髪を大雑把に弄る。
するとオレンジ色の髪が半放射状に広がる。その姿はまるで芸術のようで、とても綺麗だった。少し惚けていると彼女が「雑誌の十二ページを見て」と言った。それに従いページを捲り、自然と読み上げてしまう。
「世界を圧巻! 一流JDモデル兼社長の華麗なる人生」
「その人が私の憧れで、私もなってやるつもりだったんだけど」
でも……彼女は自嘲気味に笑う。
その姿はぎこちなく、似合っていない。
「寿命のことを聞いてどうでもよくなってさ。あと一年でどうしろって感じじゃない? だから学校もどうでもよくなって行かなくなったわけ。あと私がもう順当には味わえないものを楽しんだりしてさ」
皇さんはわざとらしくゴミ袋を見る。
そのゴミ袋にはビールやチュウハイの缶がいくつか入っていた。
僕はさっきあえてスルーしたものに対して言及する。
「だからって、あれはよくないよ」
「うっさいなー、いいじゃん。一八まで生きられないんだし」
「……お酒を飲んだら生きられる時間をもっと無くすんだよ」
「一年も半年も違いなんてないと思うけど」
自分は彼女のその達観したような言葉に、どうしようもない苛立ちを感じた。
「まっ、そう思ったから死刑執行所に申し込んで今日面談してきたわけ」
でもさ、と彼女はまたしても自嘲の笑みを浮かべる。
その顔は先程と違い真に迫るものがあった。
「面談して気づいたんだよね。急いで死ぬほどの理由がないなって。あそこで行われる面談ってどんな感じか知ってる? すごい淡々と進めていくの。まるで機械と話すみたいに。『あなたは医師から翌年四月に亡くなると宣告されましたね』とか『面談は以上となります。今回の面談に不服がない場合は来月の第三週に紙面内容の作業を執行致します』って、その紙に書かれてたのスケジュールね。私が死ぬまでの一週間の予定が書かれてんの。施設に入って死ぬまでの予定が。それ見たとき、あっ無理だって思った。生きる理由も特にないけど、急いで死ぬ理由も特にないんだって。……それで「世界滅びろよ」って思いながらブランコ漕いでたわけ」
で、あんたを見つけた。
その言葉と同時に彼女はベッドから顔を上げ、僕を見る。
まるで、話を聞いてどう思ったと言わんばかりに。
口内からケーキの甘さは消え、苦々しいものが広がる。
「どうして、僕に話してくれたの? ただのクラスメイトに」
その言葉に彼女はカラッと笑う。
僕は彼女と出会ってから素直な笑顔を見ていない。
「ただのクラスメイトだから。どうでもいいやつだから。これで満足?」
「うん……。それじゃあ、楓さんと話をしなかったのはこれが理由なんだ」
「そっ。だって話せないっしょ、こんな重くて楽しくない話」
話せないというのは人それぞれだと思う。
なんて、言えなかった。そして見つけてしまった。僕と皇さんの珍しい共通点。
”大事な人に大事な話ができない”そんな悲しい共通点を。
「でもよかったよ。楓さんと大喧嘩して学校を来れなかったとかじゃないんだね」
「当たり前。というか何もよくないし、結局楓とあんたの仲はどういうわけ!?」
「ど、どうって言われても」
「楓が男の下の名前を呼ぶなんて今まで聞いたことないけど」
「あっそれなら安心して。楓さんは僕を水原くんって呼んでるよ。それと僕も恥ずかしいから本人の前で名前を呼んだことないから」
楓さんから楓って呼んで、とは言われたけど。
心の中で呟いておく。
「あんたのどーてーっぷりはアピールしなくていいから。それで、話を聞いて満足した?」
「アピールなんてしてないよ! でも、うん。満足したし、思ったんだ」
僕は皇さんの瞳をしっかりと捉える。
そして苦笑いをしながら口に出す。
「皇さんと出会ったのは”運命”かもしれないって」
彼女は腹を抱えて笑い、自分は恥ずかしさに耐えた――
変態でロマンチストにお似合いの場所。
そう言われ連れてこられた場所は、皇さんの部屋に隣接するベランダだった。
寒い夜の風が僕の熱っぽい頬を冷やしてくれる。
頬の熱が冷めてきた頃。
広めのベランダを見渡すと、とあるロマングッズを発見した。
「皇さんって星を見るの?」
星空へ体を伸ばす望遠鏡を指差す。
薄手のカーディガンを羽織った彼女は首を横に振る。
「それはパパの趣味。まぁ私もパパに誘われた時は見てたけどね」
「へぇ、仲いいんだね」
「そんなことないっしょ。それにパパよく出張してるから家にいないし。病院に運ばれた時には急いで帰ってきたみたいだけど」
やっぱり仲がいいと思う。
心の中でそう思いながら、僕たちは緩やかな風に身を任せる。
空を見上げればいくつもの星星が光り輝いていた。
その中でも目立つ星が目に付いて、皇さんに尋ねてみる。
「あの僕の目の前にある目立つ星って、なにかの星座?」
「私べつに詳しくないんだけど」
そう言いつつも彼女はじっと星を見つめてくれた。
「あーあれは王道。北斗七星だよ。あんたの向いてる方が北で、そこから東……右側の私の方を見てくと。ほら、星が七つある。わかった?」
わからない!
でも、この空気でもう一回は聞きづらい。なんて考えていたら、頭をぽかっと叩かれる。いつの間にか皇さんが僕の側にいた。
「わからないなら言いなさいよ。正面向いて」
そう言って僕の手を取る。
そして重ねた手を使って、北斗七星を構成する星たちを順に指を差していってくれる。正直肩が触れる距離に皇さんがいて気が気じゃない。髪は僕の頬を触れるし、高級そうな匂いはするし。
でも、また聞き逃すのは申し訳ない。そう思い込んで夜空の星に意識を集中させる。
「ありがとう」
星を教えてくれた皇さんにお礼を言った。
お礼を言いつつ、体一つ分の間を開ける僕は流石だと思う。
そんなことを考えていたら、
「どういたしまして」
皇さんは和やかな笑みを浮かべる。
なんだろう……落ち着く笑顔だ。彼女のこんな笑顔は初めて見たかも。
そう思っていたら彼女が「星座の一つや二つ知らないとモテないよ」とからかうように言った。
「そうかな?」
「そうよ」
コソコソとスマートフォンを取り出す自分。
そんな姿を見てか皇さんが何してんの、と聞いてくる。
それに対して僕は「星座の本を一冊買おうかと思って」と返事をした。
「バカじゃないの」
彼女はくすっと笑う。
えっもしかてモテる云々は冗談? 確かに古臭いと思ったんだよねー。と思いつつ、星座の特集をしているサイトをブックマークして、スマホを制服のポケットに仕舞い込んだ。
「それで、さっき言った――”私と出会ったのは運命かもしれない”って言葉。なんでそんな恥ずかしいこと言ったの?」
「恥ずかしいとか言わないでよ。……確かに恥ずかしいけどさ」
僕は皇さんから視線を外す。
そしてベランダにある木目の手すりに体を置いた。
……彼女を見ながらあの話をする勇気はない。
だから目前に見える住宅街に話しかけるようにして、口を開いた。
「僕、あと三ヶ月しか生きられないんだ」
……
一瞬の沈黙。
その後に悲鳴のような叫びが聞こえた。
叫び声の内容は「ありえないでしょ!?」「同じクラスにあと少しで死ぬのが二人もいるなんて」「そっか、ありえないから運命とか言いだしたのか」
と、最終的には僕の言葉に納得するようなものだった。
「正確に言えば三ヶ月と二週間かな。夏休みに入るまでは生きられる計算。修学旅行にもいけるしラッキーだよ。あ、おじいちゃん以外にはこの話をしてないから秘密にしてね」
自分は最後の言葉を肩ごしに言う。
彼女は今の言葉を聞いて、唖然としたさまで口を開く。
「言わないわよ。というか言う相手がいないでしょ。っていうよりなんで!? なんでそんな平然としているの……?」
信じられない。
彼女の表情はそう語っていた。
「平然となんてしていないよ。落ち着きはしてるけどね」
お得意の苦笑いをこぼしながら、言葉を続ける。
「僕も最初は落ち込んでいたんだ。もうどうすればいいのか――遺書や葬式の予約でもした方がいいのか――なにもわからなくて。皇さんと違って夢や願いもなかったし」
だから夢を元々持っていた皇さんが羨ましいと思ったよ。
自分がそう言うと、彼女はなにか言いたげな表情を浮かべたあと、唇を噛み締めた。そして首で話を促してくる。
「春休みなのに憂鬱な日々が続いて……。でも、ある日一冊の本と出会えたんだ。人生のバイブル本にね」
「そうなんだ……。どんな本なの?」
皇さんの縋るような目線。
僕は住宅街の先にあるネオンの光が輝く街を見る。
そしてその輝きに言葉を溶け込ませる。
「『ドキッ✩死ぬまでに叶えたい3つのことっ!』」
「あんた、バカにしてるでしょ?」
「ちょっ、本当だって! 三百ページにもわたる超スペクタクル本だよ! 薄くてペラペラとした怪しい雑誌じゃないから。今度貸してあげるよ!」
「…………」
無言が痛かった。
後ろを振り向くことはせず、話を続ける。
「その本を読んでさ、三つ自分の願いを見つけたんだ」
「夢ってこと?」
「うん。皇さんみたいに大きな夢じゃないけど、大事な夢だよ」
そして僕は三つの願いについて話をした。
一つ目は好きなこを彼女にすること。二つ目は幼馴染が学校に毎日通ってくれるように性格を変えること。
三つ目は……と、そこで言葉を止める。すると、彼女がすかさず突っ込む。
「三つ目は?」
ないです。
正確にはまだ見つかっていないです。
僕は話題を逸らすために、一つ目の願いについて話をする。
「実はまだ好きな子はいなかったりするんだけど――」
「おいコラ、答えなさいよ」
話題をそらすことはできないみたいだ。
僕は首に手を置きながら「まだ見つかってないんだ」と苦笑いをした。
すると、彼女は「なにそれ」と笑いながら、僕と同じように手すりにもたれる。
ボリュームのある髪が風に流される。その風が甘く艶やかな香りを運んできた。
その香りの方を見つめれば青い瞳の彼女が大人びた表情を浮かべている。
――ギャップを感じた。乱暴な言葉遣いの彼女とは別人のようだ。
心臓の音が一つ高くなっていると、皇さんは表情を崩してイタズラ気に笑う。
「それで彼女は作れそうなの? 好きな子もいないみたいだけど」
こんなデリカシーのない人にドキッとしてしまったことが悔しくて……。
自分はその悔しさをバネにして、堂々と言う。
「作れるよ! それに好きな子はいないけど、気になる子はいて――」
僕は柑崎さんの話を口にする。
初めて彼女を見た姿は、必死に花に謝っている姿だったこと。でもそれが可愛いと感じたこと。その後、彼女と話すために委員会を一緒にして、それを友達にからかわれまくったこと。今では毎日のように顔を合わせていて鼻歌をリクエストされる程に仲が良い……ような気がしていること。
柑崎さんとの短くも充実した日々を精一杯に説明すると、皇さんは爆笑――なんてことはなく、ただ無言で空を眺めている。
思わず「聞いてる……?」と確認したら、皇さんは「もっと」と静かに呟いた。これはもっと柑崎さんの話をしろということか。でも、柑崎さんのことは一通り話しちゃったよ……。うーむ、ここは二つ目の願いである幼馴染のことを話すか。
それから十分間、静かな彼女と住宅街に向けて独り喋り続けた。
夜の闇は深さを増していく。
それに比例して、星は燦々と輝きを放っている。
あと寒い。
体を身震いさせながら、皇さんを見る。
話が終わってから軽く五分は経っているはずだ。それなのに彼女は一向に喋らない。眉をひそめ、物思いに耽っているようだった。寒いけど流石に帰るわけにはいかないか。制服のポケットに手を突っ込んで彼女の言葉を待つ。
すると、ぽつりと言葉を放つ。静かな夜だからこそ、聞き取れる声。
――どうして学校に通ってるの
彼女の声には困惑や迷い、疑問のようなものが込められていた。
多分僕は彼女のその疑問に対する答えは持ち合わせていない。
でも、自分が学校に通ってる理由は答えられる。
冷たい空気をたくさん体に取り込んで、熱にする。
「僕の願いは学校に行かないと叶えられない。だから、学校に通ってる」
でも、
「皇さんの願いはそうじゃない。学校に行かなくても願いを叶えられる」
だからさ、
「このまま学校に行かなくてもいいのかもしれない。だけど、やりたいことをやった方がいいって思うな」
今の皇さんに言いたいことを全て言い切った。
楓さんには悪いけど、学校に行く必要があるとは思えない。彼女の人生だし好きにした方がきっといいと思う。……仮に彼女が学校にもう行かないって決心しても、楓さんとは仲良くするように説得しよう。
そう考えていたら、彼女は小さな声で「説教?」と口にした。僕はそれに対して「ただの感想だよ」と苦笑いをした。
……
……
長い沈黙が続く。
でも、その沈黙は穏やかで居心地のいいものだった。
いつまでも続いてもいいと思わせる空気は、皇さんの気合の入った声で打ち壊される。
「よしっ! 私決めたわ! あんたがちゃんと願いを叶えられるか見届ける!!」
だからさ。
彼女は踊るようにして手すりから離れ、僕を見た。
「来週から学校にまた通う。あんたを間近で見るためにね」
瞳に星空を浮かべ彼女は楽しそうに喋った。
その姿に少し見惚れながらもなんとかツッコミを入れる。
「ど、どうして僕の願いが叶うか見る必要あるの?」
「あるに決まってるじゃない。レンみたいなのが願い事を叶えられたら、私は一流モデルも社長も余裕だって自信が持てるもの」
ふふん、と自信ありげに言う皇さん。
あんまりな言葉に「それ酷くないっ!?」と抗議するも、彼女は「あー何気に学校こんな休んだの初めて。みんな私がいなくて寂しかったろうな~。そうだ、楓に電話しよ」と、もう既に来週の学校について考えていた。なんというか……強い。もしかしてイジメられているんじゃ、なんて考えた自分が馬鹿みたい。
ため息を吐きながら彼女の部屋に戻る途中、小さな声が聞こえた。
「あっ、ありがとう……。心配してくれて」
妙に恥ずかしそうで可愛らしい声。
思わず振り向く。でも、そこには楽しそうに電話をする皇さんの姿しかいない。
気のせい、かな。
僕はお得意の苦笑いを浮かべながらも、幸せな気持ちに包まれた――