5話 彼と余命一年のクラスメイト
‐‐‐‐1日目‐‐‐‐
放課後。
文化祭委員の活動を無難に終え、僕はまたしても皇さんの家へ来ていた。
今日なら会えるんじゃないか、そんな期待を込めて。
でも、
「真っ暗か」
家の明かりは点いていなかった。
んーせめて皇のお母さんと会って事情を聞きたかったな。
そう思いつつ、念のため黒いインターホンのボタンを押す。
ピンポーン
乾いた音が薄暗い空に響く。
……
だが、反応はない。
帰ろう。そう思ったところで「なにっ」という声が聞こえてきた。
まさか、とは思いつつもインターホンの方へ振り向く。
「だれよあんた。郵便屋かと思ったら違うし」
威圧的な声だ。
ちょっと震えながら言葉を出す。
「同じ高校のクラスメイトの、水原です」
緊張に言葉が詰まったものの挨拶をした。
すると皇さんは少しの間、無言を続けたあと「本当みたいね。制服もウチのだし」そう言った。
どうやらカメラ越しに僕を見ていたらしい。
「で、なんの用? 同じクラスの水原くん。私あんたと話したことあるっけ」
「話したことはないけど、最近コンビニの近くで皇さんを見かけて――」
心配だったから。
そう言いかけたところで皇さんが「あっ!」と大きな声を出す。
そしてそのまま言葉を続けて「あの時追いかけてきた変態!」そう叫んだ。
「ちょっ、違うよ!」
僕は慌てて周囲を見渡す。
よかった、人はいない。……今の変態って言葉は聞かれていないか。
頭の汗をぬぐいほっと一安心していると、怒りに震わせた声が聞こえてくる。
「変態クラスメイト! そこで待ってなさいよ!」
皇さんはそう言い切って、インターホンでの通話を終えた。
はぁ……。
怖いな、あんな怒っている状態の子と話すなんて。
でも、きっとこれはチャンスだろう。にしても変態か……こんなことを言われたの初めてだ。だけど、考えてみるとほぼ他人の女の子を追いかけるなんて確かに変態かもしれない。
ひとり納得しながら皇さんを待った――――
おかしい。
皇さんはあの会話から三十分経過してもなお、現れなかった。
これはもしかしてそういう嫌がらせなんだろうか。考えてみると変態って呼んでる相手と顔を合わせるはずないし……。
帰ろうかな。
春とはいえ夜は寒い。このままじゃあ風邪を引きそうだ。
また後日にして……いや、ここで帰ったらまた後日なんてないか。
もう少し待とう。僕は目をつむって待つ。
すると、「まだいたんだ」という声が玄関の方から聞こえてきた。
自分はその声に反応してパッと目を開けて愕然とする。
「……!!」
す、す、透けとる!
皇さんの服装は……下着だった。淡いオレンジ色の下着が見えている!
はっ、違う。一応パジャマっぽいのを着ているのか。でもそのパジャマが透けているせいで、下着がほぼ見えちゃってるよ。
僕は頭を沸騰させながら、彼女の服装への呼称はパジャマ? それとも下着? あれが噂のシースルー……? 様々な疑問が頭を駆け回る。
「というか、アンタ本当にクラスメイトなの? 見覚えないんだけど」
「本当だよ! 今年はもちろん、去年だって同じだよ。ほら、担任のげんちゃん覚えてるよね」
僕は興奮したまま言葉を返す。
そんな皇さんは「ふーん」と訝しんだまま、カールされた髪をさーっと手で流す。上下に揺らされた艶やかな髪と均整の取れた体が相まって、自分はもうたまらない気持ちだ。帰りたい。
「じゃあ、げんちゃんってあだ名は誰が付けたか答えて」
玄関の上から僕を見下ろす彼女。
その視線には「これに答えられたら認めてあげる」という意味が込められているように感じた。僕は落ち着いてあだ名を付けた人物を思い出す――先生自身だ。げんちゃんが生徒に親しみを持ってもらうために、自分自身でこのあだ名を付けた。間違いない。
自信を持って答えようとして、
「はい、遅い。ブブー。じゃあね、変態」
「はぁあああああ!?」
なにそれ理不尽!
そう思いながら叫んだが、皇さんは気にも留めず自身の家へと戻っていく。
バタン
虚しい音が耳に届く。扉の閉まる音だ。
ちょっ、ええぇ、こんな終わり方ある? 僕は思わずため息を吐きながら、明日は楓さんと来てみようかなと考えていた。
すると、また扉の開く音が聞こえてくる。
「どうしてただのクラスメイトが私の家を知ってるわけ!?」
……自分はもう一度ため息を吐きながら、理由を説明した。
‐‐‐‐2日目‐‐‐‐
昨日はあれから質問攻めだ。
ひたすらアイエエエエ! ナンデ!? ニンジャナンデ!? というノリで質問をされた。
質問といっても名前を聞かれたりとか簡単に答えられるものだったが。
「はぁ」
「どうしたの?」
僕のため息に、隣を歩く楓さんが反応してくる。
……言えない。友達の皇さんに困らされました、なんて。まぁ困った理由の大部分はあの刺激的な格好が原因だけど。うぅ、思い出したら鼻血出てきそう。頭からあの記憶を振り払いつつ、
「あはは、なんでもないから」
僕は苦笑いで返す。
「隠さなくたっていいよ。ダリアに困らされたんでしょ」
楓さんはからかうように笑う。
――彼女には昨日の出来事を”大体”話している。その時の彼女の反応は「よかった……私も会えるかな」というものだった。
だからこうして二人でまた皇家に向かっている――到着だ。
「「あっ」」
二人して驚きの声を上げる。
そう、皇さんの家に明かりがついているのだ。
僕たちは目を合わせたあとインターホンを押す。
……
反応がなかった。
それは、数分待っても同じことだった。
電気をつけたまま外出したか、はたまた居留守か。そう考えていると、
「嫌われちゃったかな。私」
ぽつりと呟く。
それに対して僕は何も言えなかった。
「ごめんね。私が来たせいで話ができなくて」
「そんな……その、皇さんと喧嘩とかしたんですか?」
勇気を出して聞いてみる。
彼女は首を横に振った。
「ダリアが今どうしてるか。友達とかに改めて聞いてみたんだ。でも、誰もなにも知らなくて。ダリアが誰にも言わずにこんな休むなんてあり得ないと思うんだけど」
話すの好きだから。
楓さんの呟く言葉には確かな親愛を感じた。
そんな彼女を僕は見つめることしかできない。
……
帰り際、楓さんから「ダリアのことお願いね」と頼まれた。
それを少し重く感じてしまうのは、いけないことだろうか。僕がこれ以上皇さんの事情に踏み込んでいいのか迷っていた。
‐‐‐‐3日目‐‐‐‐
癒された。
今日は委員会に人が来なかったから、柑崎さんとゆっくり雑談ができて満足だ。
この気持ちのまま帰りたいなと思うものの、足は皇さんの家へ。
「電気はついていないか」
家全体が真っ暗だ。
これは望みが薄そうかな、そう思いつつインターホンを押す。
すると、意外なことにすぐ反応が帰ってきた。この声は――彼女のではない。
待っていてくださいとインターホン越しに言われたので、その声に従う。
「お待たせしてしまって、ごめんなさい」
妙齢の女性の声が玄関から聞こえた。
お待たせした、とは言うものの以前に比べればなんのその。
僕は皇さんのお母さんと思われしき人に「こんばんは」と挨拶をした。
その女性も挨拶を返してくれたうえに「どうぞ」と家へ案内してくれる。若干の戸惑いを感じつつも頭を下げて家の中へ。まさか家に入れるなんて……。
「ダリアの彼氏さん?」
玄関に上がったところで、女性に声をかけられる。
僕がその言葉を否定すると「そうよね……」と言ったきり口を閉ざしてしまう。
「……」
なんというか重い。
玄関先は明かりがついているが、それ以外は何故か真っ暗だ。
そのせいで空気がとても重く感じる。それに、よく見るとこの女性の顔はやつれていて元気がない。家も、その家に住む人も元気が枯れてしまっているように感じた。
居心地の悪さを感じていると女性は「ダリアの部屋はこっちよ」と二階へ案内してくれた。
重々しい足取りで階段を登っている最中、
「ごめんなさいね。今まで家に来てくれていたのに無視をしてしまって」
「あ、いえ」
たぶん本来は楓さんに言われるべき言葉だ。
……
階段を登りきり、左に曲がると女性が目の前の部屋をノックする。
僕はそこで息をついた。短い階段を登っただけなのに酷く疲れてしまった。
なんでこんな重い空気が家を渦巻いているのだろう。重い頭で考えていると女性が小さな声を出す。
「ダリアちゃん、お友達が来てくれたのだけど……」
「……」
「ダリアちゃん?」
「誰にも会いたくないって言ったじゃん!」
怒声に思わず体を震わす。
この声は間違いなく、皇さんの声だ。
でも、誰にも会いたくない……? どうしてだろう。彼女を遠目で見ていた分には人と接するのが好きそうタイプなのに。……もしかして、イジメられてるとか。ありえるかもしれない。この前のクラスでの光景をつい思い出してしまう。だけど、それが理由なら楓さんとは会ってもいい気がするし。あ、でもその楓さんがイジメの首謀者だったりするのかな。
いやいや、ないか。ないと思いたい。思考を振り払い、声を出す。
「あの、水原だけど」
「……あんたか」
どうでもよさそうな声。
その声が聞こえてから、間もなくして扉が開いた――
「で、どうして来たの。変態」
皇さんは自室のクッションに座りながら尋ねてくる。
「変態じゃなくて、水原っていう名前があるんだけど」
僕は苦笑いしながら言葉を返した。
……彼女は乱れた状態で寛いでいる。乱れた、というのは髪型や格好のことだ。格好といっても以前コンビニの前で見かけた赤いジャージ姿で、決して前回のようなものじゃない。仮に前回のように下着姿で出迎えられた僕はもう帰っていると思う。だって、自分の手には負えない内容だから。
そういう色沙汰は火坂が担当だと思いつつ、部屋を見回す。正直言って汚い。ポテチの袋は放り出されてるし、無数にある雑誌は投げっぱなしだ。どことなく幼馴染の部屋を思い出す……ある一部分を除けば。
とにもかくにも、片付けたい。そう考えてウズウズとしていたら、皇さんが「立ってたら邪魔だし、とりあえず座りなよ」と言われる。どこに座ればいいんだろう。人一人が座れるスペースを見つけ出したあと、シックなカーペットに腰をかけた。
「クッションに座ればいいじゃない。……あぁ」
邪悪な笑みを浮かべる皇さん。
その表情にはこう書かれている「はっ童貞が」と。
僕は心の中で反論する。童貞だから座らなかったわけじゃない。慎みがあるから座らなかったのだと。……決してクッションの近くにあるキャミソールに怯えたわけではないのだ。
アホなことを考えていたら彼女に「あんた、名前は?」と聞かれる。
「水原だよ?」
「上じゃなくて、下の名前よ。このうすらとんかち」
口が悪いなぁと思いつつ素直に名前を答えた。
「レンね。で、レンはどうしてここに来たの」
「えっとこの前コンビニで見掛けて心配だったのとあと先生が心配してたから。それで」
僕はいきなり下の名前を呼んだ彼女を馴れ馴れしいと思った。
それと同時に自分のいま言った言葉がとても他人事だと気づいた。そんな他人事の僕に対して彼女はそっけなく、
「そっ」
と返事をするのみだった。
僕は妙な罪悪感に駆られて言葉を紡ごうとするものの――
「それは迷惑かけたわね、ごめんなさい。先生には私とお母さんから連絡入れとくから」
遮られてしまう。
今のは今の自分の言葉は良くなかった。
でも、気づかされた。皇さんに興味と心配を携えて近づいたけれど、所詮他人事の範囲で好き勝手やっていただけ、そんな事実に。
「話はそれだけ? じゃあこんな姿ずっと見られたくないし、帰ってくれる」
冷たい言葉が体に染みた。
あの時、もう少ししっかりとした理由を話せればもっと違う展開になったんじゃないか。
そんな暗澹たる気持ちが心の底を満たしていく。
……
いや、違うか。
あの他人事はあの時点での僕の本心だった。ごまかす必要なんてたぶんなかった。だけど、今は違う。他人事でありたくないと思った。彼女がどうしてこんな状態なのかを自分自身が知りたいと思ったはずだ。
でも、残念ながら僕と皇さんはやっぱり他人。よくて知り合い。だから――
「ごめんね」
そう言って僕は席を立つ。
そして扉に手をかけ部屋を出る直前に呟く。
「楓さんが心配してたよ」
ちらりと肩ごしに皇さんを見る。
見ると――
「あんた、楓を下の名前で呼ぶなんてどういう仲よ!!」
怒声が聞こえた。
そして次の瞬間には僕の首根っこを掴んでいた。
「ちょっ、苦し、しぃしぬ」
「楓は大の男嫌いよ。なのに、あんたみたいなボクっ子に……! って、あ、そうか」
あんまり男っぽくないからいいのか。
彼女は納得したのか僕を離す。ひ、ひぃ、空気がうまい。
「ダリアちゃん! どうしたのって、あ、あなたまさか」
お母さんがお盆を持って部屋に上がってきた。
そしてなにやら驚いている。
首を抑えてひゅーひゅーと息をするぼく。
首を絞めていたような格好をしている彼女。
なるほど。
「ちょっとお母さん勘違いしてるから! 別にこいつを殺そうとしたわけじゃ」
「ごめんね、ダリア。あなたは今大変な状態だから、自分の気持ちが制御できなかったのよね。大丈夫、私も一緒に警察へ行くから」
「だから違うって! レンもなにかいいなさいよ!!」
そう言って僕を足で小突く。
痛くはないが扉付近に動いてしまう。その先には紅茶の香りを手にしているお母さんがいて――
あっ
そんな誰かの声と共に薄暗い部屋に悲鳴が響き渡った――――
昨日はエライ目に会ったな。
体勢を崩したお母さんが、僕の顔面に熱々の紅茶とジャムを容赦なく注いだ。
せめてジャムから先に降ってくれれば紅茶の熱さも軽減できたのに……。
委員会は委員会で今日は火坂が遊びに来て――ステージ活動の申請をしに来たから、あまり柑崎さんと話せなかった。
うー癒しが足りない。殺伐としてるよぉ。
人気の少ない道を歩きながら心の中でおいおいと泣いていた。
にしても、どうしようかな。皇さんの家に行こうか行くまいか。昨日のこともあってお母さんは「お詫びも兼ねて来て欲しい」と言ってたな。
皇さんも歓迎はしていなかったけど、家に行ったら相手はしてくれそうな雰囲気だった。
「どうしたものかな」
頭を捻る。
昨日の一件で皇さん――皇家全体が大変な状況なのはわかった。
だかこそ僕が安易に首を突っ込んでいいのだろうかと、つい考えてしまう。
というか、楓さんが男嫌いだったなんて。そんな素振りなかったのに。今日学校で聞こうかと思ったけど聞く勇気がなかった。うーむ、もしかして女女間でのトラブルだったりするのだろうか。それだったら僕にはどうしようもない気が……。
頭がパンクしそうになっていると小さな公園が見えた。
その公園は傍目からして寂れている。春だというのに木々は枯れており、遊具は錆びれていて、人はいない。おまけに安楽死施設にほど近い。
もしかしたら僕が知らないだけで曰く付きの公園だったりするかもしれない。そんな雰囲気があった。
あれ……?
つい最近こんな感じの重苦しい空気を味わったような。
記憶を掘り返していると、嫌な音が聞こえた。
ギコギコ
錆びた金属が擦れ合う音だ。
音の発生源を見ると公園のブランコから音がしていた。
ここで常識クイズ。ブランコは無人で動くと思う人、手を挙げて。
……
はい、満場一致でゼロ!
僕は無人で動くブランコを見て真っ先に逃げた。
逃げようとしたが――肩を掴まれる。しなやかな指先に、死を感じた。
やだやだ、自分ホラー映画もホラーアニメも見てないんです!
ホラースポットでふざけたこともないですから許してください!
必死で謎の物体Xに対して祈る。当然目は瞑っていた。
春なのに冷たい木枯らしのような風が吹く。
その風の調べにのせて、女性の声が耳を刺激する。
「そんなに怯えられると流石に傷つくんだけど……わかってる?」
振り返ると、甘くとろけそうな格好の皇さんがいた。